第12話 憑かれた男と、疲れた少女<12>

 ***


(……ここは……物置部屋か? 俺は何でこんなところで寝て……)


 翌日、目を覚ました勇貴が寝ぼけた頭でフラフラと部屋の扉を開けると、何やらいい匂いがした。


(……?)


 足早に廊下を歩いてキッチンへ向かうと、紺色の制服を着た少女と目が合い、勇貴は一瞬ドキリとする。


「あ、勇貴さん! おはようございます!」


 その制服を着た少女――天阪 時乃の笑顔を見て、やっと勇貴の目が覚めた。


「お、おう。おはよう、時乃」


「はい!」


 食卓の上には、ご飯とみそ汁、それに炒り卵とほうれん草の炒め物の乗った皿が用意してあった。


「これは……時乃、お前が?」


「あ……はい。その、泊めてもらったお礼に何かできないかと思って……。本当は勇貴さんに許可をもらってからの方がいいとは思ったんですけど、勇貴さん……何度呼んでも起きてくれなかったので……」


「そうか」


「あの、すみません。勝手なことをして……迷惑じゃなかったですか?」


 時乃は申し訳なさそうに一度視線を外した後、改めて勇貴の方へ向き直り、この部屋の主の反応を待った。


「何を言うか。朝起きて朝食が用意されていることに文句を言う一人暮らしの男がいるなら、ぜひ会ってみたいものだ」


「……勇貴さん!」


 勇貴がそう答えて笑ってみせると、不安そうな顔をしていた時乃も同じように笑ってくれた。


(高校生の女の子が朝食を用意できる程度に料理ができる件については……深く追求しない方がいいか)


 母親との喧嘩が原因で、無謀にも見知らぬ男の家に泊まることを望み、そして――このまま消えてしまいたい、とまで言った化け物と戦う家系に生まれた少女。

 彼女の置かれている境遇について勝手な想像が脳内に浮かぶ。しかし、自分がそれを考えても仕方がないことだと思い、勇貴は椅子に座りながら別のことを聞いた。


「もう、食っていいのか?」


「はい! ご飯とおみそ汁は少し多めにできたので、また後で食べてください」


「ああ。……って、時乃。お前、自分の分はどうした?」


「え? 私はいただけませんよ、そんな図々しい。……勇貴さんが起きたら、あいさつをして帰るつもりだったので」


「今さら図々しいもないだろ。その残ったご飯とみそ汁はお前が食え」


「でも、私は少しでも恩返しができればと思っただけで……自分が食べるつもりで作ったわけでは……」


「時乃。お前は自分が食べられないような酷い味付けの物を俺に食わせようとしているわけじゃないよな?」


「えっ!? そ、そんなことないですよ! これでも結構、お料理には自信あるんですから」


「本当か~?」


「本当ですよ!」


「よし、じゃあ一緒に食え。死ならばもろとも、だ」


「む~……失礼だなー」


 渋々と食卓の反対側の椅子に時乃が座る。


「じゃあ、いただくぞ」


「はい、どうぞ召し上がれ」


 勇貴はまず、みそ汁を少し飲んでみる。


「あれ……意外と美味いな。というか、俺の作る物より美味いかもしれん。生意気な」


「もう、普通に褒めてくれたらいいのに……でも、お口に合ったみたいでよかったです」


「お前も食えよ」


「はい!」


 朝食を食べ終わり、洗い物が済むと、先ほどそう言ったように時乃が帰ると言い出した。

 勇貴は時乃がもう少し居座るのではないかと勝手に思っていたので少々意外だったが、そんなことは口に出さずに玄関まで彼女を見送る。

 市街地まで車で送ってやることも考えたが……そこまでするのは気が引けたので、代わりに駅までの電車賃を時乃に渡すことにした。


「すみません、新遠上駅までの電車代まで出してもらって……」


「さすがにここから歩かせるわけにはいかないからな。それに、家庭内の家事を賃金換算すると結構な額になるって話……知らないか? 時乃が朝食を作るという労働をした対価として受け取っておけばいいんだよ」


「……勇貴さん。本当に、何から何までありがとうございます」


「お前は俺の……命の恩人だからな。これくらいはさせてくれ」


「そんな……私の方こそ、無理なお願いを聞いてくれてありがとうございました」


 時乃がそう言って、深々と頭を下げた。


「ああ。じゃあ、気をつけて帰れよ」


「はい。あ……あの、また遊びに来ても――」


 そこまで言いかけたところで、少女は口をつぐんだ。


「……それでは、失礼します。お世話になりました、勇貴さん!」


 手を振りながら玄関の扉から出ていく天阪 時乃に、勇貴も無言で手を振り返した。


 玄関の扉に鍵をかけると勇貴は昨夜、時乃が夢中でゲームを遊んでいたリビングへと向かう。

 折りたたまれた布団の上には、時乃が勇貴の前で嬉しそうに着て見せたパジャマが几帳面にたたんで置いてあり、彼女の真面目な性格が伺えるような気がした。


(静かなものだな……いや、これが普通か)


 金曜日の夕方から始まった異常な事態はようやく今、終わりを迎えたようだった。


(……さて、もうひと眠りするか)


 勇貴はリビングを出て物置部屋へと戻っていった。


 ◇◇◇


 翌日。


 朝食を食べ終わった勇貴は、ぼーっとテレビのニュース番組を見ていた。一週間に世の中で起こった様々な出来事が紹介されていたが、この週末に自分の身に起こった事件に比べると、どれも取るに足らないことのように思える。


「!」


 玄関の方から来客を知らせるチャイムが鳴った。


(何だ? 通販で何か頼んでいたか……?)


「はーい」


 廊下を歩いて玄関へと向かう途中、勇貴の脳内に一つの予感が閃く。


(……あの扉を開けると……)


『あ、どうも~。御早 勇貴さんですね? えー、自分は中央警察署の〇〇と言う者ですがねぇ……実は金曜日の夜、このマンションに住む男が未成年らしき人物を部屋に連れ込んだというタレコミがありましてねぇ。……少し、お時間よろしいでしょうか?』


(なんてことになったりはしないだろうな……!?)


 そんなことを考えていると――


「勇貴さーん! いらっしゃいますかー?」


 聞き覚えのある声が扉の向こうから響いた。


(まさか……!)


 慌てて玄関へと向かい、鍵を外して扉を開ける。そこには――


 私服姿の天阪 時乃が立っていた。

 その手にはハンドバッグと紙の袋を持っている。


「おはようございます、勇貴さん! ……えへへー、遊びに来ちゃいました!」


 時乃は勇貴の顔を確認すると、満面の笑みでそう言った。


「……いや、何でだよ」


 勇貴は思わず、ポツリとつぶやく。


「これ、駅地下のお店で買ったシュークリームです。後で一緒に食べましょう!」


 彼のつぶやきが聞こえなかったのか、気にするつもりはないのか、時乃は笑顔で紙袋を押し付けてくる。


 御早 勇貴はその紙袋を受け取りながら――

 自分の人生に突如訪れた、この異常な事態はまだ続くようだ……などと考えていた。

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