第10話 憑かれた男と、疲れた少女<10>

 ◇◇◇


 帰宅ラッシュの時間をとうに過ぎた新遠上駅の周辺はすでに閑散としていた。

 勇貴は時乃の方を振り向いてあの話について切り出す。


「さて、時乃。約束通り、お前が泊まるホテルの宿泊代を出してやる。どこでも好きなところを選んでくれ」


「あっ……そ、そうですね」


 時乃は一瞬、虚をつかれたような顔を見せた後、勇貴の顔をジッと見つめてきた。

 そんな時乃の顔から視線を動かし、夜の市街地をぼんやりと眺めていると……ひときわ高く、独特な形状の建物が目に留まる。

 この遠上市のランドマーク的な存在の建築物だった。


(そういえば、アレにもホテルが入っていたな。オーロラシティホテル、だったか。泊まったことはないから宿泊料なんて見当もつかないが、間違いなくこの辺りのホテルではトップクラスだろう。旅番組で芸能人が泊まったり、人気ドラマのロケ地になったこともあるくらいのホテルだしな)


 チラリと時乃の方を見やる。彼女は少し困ったような顔で夜の街を見つめていた。


(どうする……時乃があそこに泊まりたい、とか言い出したら。いや、どこでも好きなところをなんて大見得を切った手前、もう後には引けないか。それに……俺は時乃に命を助けられたんだ。今さらセコイことを考えるな!)


「で、どうだ? 決まったか?」


「はい! 決まりました!」


 平静を装いながら時乃に尋ねると、元気よく答える時乃の声が返ってきた。


「よし、どこだ」


「勇貴さんのお家です!」


「……うん、それホテルじゃないから。真面目に答えてくれないか」


「真面目に答えましたよ」


「あのな、時乃。俺は早く家に帰って横になりたい気分なんだよ。ふざけるのは勘弁してくれ、マジで」


「じゃあ、早く帰りましょう。一緒に!」


「お前な……俺の部屋なんかよりホテルの部屋の方がいいだろ。広い部屋で一人で気兼ねなく過ごせるんだぞ。何が気に入らないんだよ」


「……だって、寂しいじゃないですか」


「寂しい?」


「はい。……夜中に急に目が覚めた時に、近くに知っている人が誰もいないと思うと……すごく寂しくて……怖いです」


「はあ……とても妖とかいう化け物と戦っている人間のセリフとは思えないな。……子供か」


「それとこれとは別の話ですよ! ……どうせ、私は子供だもん」


 ムッとした表情で頬をふくらませるその姿は、やはり子供だった。


「ほう、やっと子供と認めたな」


「だ、だからですね……子供の私をホテルに置いてどこかに行ってしまったら、勇貴さんが《保護責任者遺棄罪》とかに問われることになるかもしれないですよ!」


「ほあっ!? な、何だ、その脅しは!? そんなものが通るか! というか、子供とは言っても保護責任が発生するほど幼くもないだろ!」


「ば、ばぶー……」


「えっ!? ど、どうした時乃!? ……もしかして、幼児の真似のつもりか?」


「す、すみません、今のは忘れてください……」


 自分で赤ちゃん言葉を言った時乃は、そう言ってうつむいてしまう。


「お、おう……お前そんな冗談言うんだな」


「恥ずかしいです……」


「いや、どうして言ったんだよ。……まあ、それはともかく泊まる場所をだな――」


「勇貴さん、あのっ……!」


 意を決したように、真剣なまなざしで時乃が勇貴の目を見つめる。


「時乃……?」


「ほんの少し前まで勇貴さんは《先祖返り》によって、妖になっていたんですよ。この後もお身体に何か異変がないとは断言できません。だから……せめて今晩くらいは《祓う者》の私がお近くにいた方がいいと思います!」


「! それは……そうかもしれないが」


 専門家――《祓う者》の少女の言葉に勇貴の意思が揺らぐ。


「そうですよ! もし、勇貴さんが再び妖になってしまったら大変です! 私が一緒にいれば安心です!」


 時乃の方も勇貴の心情を察したのか、ここが攻め時とばかりに詰め寄ってきた。


 ◇◇◇


 天阪 時乃が玄関に入ったのを確認して、扉に鍵をかける。


「お邪魔します」


「ああ」


 脱いだ靴を丁寧に揃えると、時乃が勇貴の後を追ってくる。


「ここがトイレ。そこが洗面所と風呂。向こうの奥がキッチンだ」


「はい」


「あの部屋は物置みたいになっているが、後で少し片付けて寝る場所を作るつもりだ」


「あ、じゃあ私も手伝います」


「え……いいよ。お前さんは一応お客なんだから、ゆっくりしていてくれ」


「でも、泊めてもらうのならそれくらいは――」


「気持ちはありがたいがいろいろ察してくれ、頼む」


「?」


「ま、とにかく次に行くぞ」


「はい!」


 寝室兼リビングに時乃を通して、部屋の明かりをつける。


「まあ、テレビでも見るなり適当にくつろいでいてくれ。そんなに面白い番組もやっていないだろうけどな。俺は風呂入れたり、向こうの部屋を片付けてくる。風呂は……お前も入るよな?」


「はい! ……あ、ゲーム機だ」


 時乃はテレビの下にあるゲーム機を見つけると、近くの棚にあるゲームソフトのパッケージを興味深そうに見つめる。


「勇貴さん、これ……後で遊んでもいいですか?」


「ああ、別にいいけど。でも今の子はゲームと言えばスマホでやるのが基本なんだろ。ウチにあるのは一世代前のハードだし、時乃みたいな若い女の子がやって面白いと思えるようなものがあるか知らんぞ」


「えっと……私は母の方針で、ゲームはやらせてもらえないんです。だから、ゲーム機で遊ぶのに少し憧れがあって……」


「……そうか。まあ、好きにしてくれ」


「はい!」


 スーツの上着をハンガーに掛け、ネクタイを外したところで勇貴は一つ息を吐き、冷静に今の状況を分析した。

 マンションの自分の部屋に無防備な四つん這いの姿勢でゲームソフトを物色する、制服姿の女子高生がいる。


(……やっちまったな、俺)


 思わず目頭を押さえて、ため息をつく。


(別に品行方正な生き方を徹底してきた法令遵守マンというわけではないが、さすがに今回ばかりは超えてはいけない一線をレバー入れ大ジャンプしてしまった気がする……)


「……さきさん」


(いや、しかしだ! 俺は天阪 時乃に命を助けられた。その恩人が困っているんだ……たとえ法的には完全アウトだったとしても、人として――)


「勇貴さん!」


 いつの間にか、目の前に時乃が立っていた。


「何だよ。今、自らの犯罪行為を正当化する言い訳を、自分自身に言い聞かせているところなんだ。邪魔しないでもらおうか!」


「え、勇貴さん……何か犯罪を犯したんですか……?」


(主にお前がここにいることだよ)


 さすがにそれは声には出さずに、心の中でぼやく。


「で、どうした?」


「あの、お風呂に入るとは言いましたけど……よく考えたら、その後に着る服がありませんでした」


「ああ……。体操服とかジャージを都合よく持っていたりもしないのか」


「はい、今日は持っていません」


「そうか」


「あ、あの……図々しいお願いだとは思いますが、勇貴さんのパジャマを貸してはいただけませんか……?」


「俺のをか。まあ、お前が嫌じゃなければ構わないが」


「本当ですか?」


「ああ。そこのタンスの上から二段目に入っているから、好きなのを選んでくれ」


「はい!」


 下着の替えは持っているのか? という疑問が喉元まで出かかるが、ギリギリのところでその言葉を飲み込むと、勇貴は部屋を後にした。

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