第8話 憑かれた男と、疲れた少女<8>
「……」
しかし、それ以上のことは語らず、再びジリジリと相対する敵との間合いを詰めだす。
(今……違う、って言った? 違う、って何が……)
「ヌアッ!!」
時乃がその言葉の意味を考えようと、思考を巡らせようとした瞬間。
妖が不気味に黒く変色した両腕を振り上げ、飛び掛かってきた。その突進の速さは、先ほどよりも数段増しているように感じられる。
「くっ!」
牽制のために霊剣・燦令鏡を構えていたが、もはやこの剣を彼に振るうわけにはいかない。
時乃は頭を切り替え《祓う者》の編み出した戦闘技法の一つ、構世術を発現させるために霊力を自らの望む形へ構築していく。
(影よ……敵を封じる
「
時乃の足元から周囲を包む夜の闇より黒い影が染み出すように現れ、彼女の眼前に迫っていた妖の身体を覆っていく。
彼女の霊力から生み出された影は複雑な形状の多面体の檻となって、妖の動きを封じた。
「ヴッ……グッ……!」
妖はうめき声を上げながら脱出しようと試みるが、その身体は動かない。その様子を確認して、時乃は呼吸を整えた。
「その影劫は……対象の動きを封じる部類の構世術の中では、最上位クラスの術の一つです。低級の妖ならその中に閉じ込められた瞬間に消滅する威力がありますし、上級の妖であってもそう簡単には出られないはずですよ」
そんな説明をしたところで反応が返ってくるわけがない……そう思いながらも、心のどこかで先ほどのように、彼の……人間としての言葉が返ってくるのではないかと、時乃は期待してしまう。
「グ……グオゥッ!」
「……勇貴さん」
一時的に妖の動き封じたまではいいが、その先がわからない。
人に憑いた妖をその身体から追い出す構世術を勇貴に使えば……彼の妖の部分だけを取り除くことができる、そんな都合のいいことはないだろうか。
だが、燦令鏡で傷ついてしまう彼にそんな構世術を使って、人としての彼の命まで奪ってしまう結果にはならないだろうか……そんなことを考えていると――
妖を閉じ込めた影の檻に、音もなくひびが入った。
(そんな……まさか……!?)
自分より年上の、正式に《祓う者》として認定を受けた者でも、この高難度の構世術を扱える者はそう多くはない。
その影劫にこんなに短時間でひびを入れるこの妖は、一体どれほどの力を持っているというのか。
時乃は今まで、勇貴を救うことだけを考えて、自分の身の危険など考えていなかった。
そこには、自分の実力を持ってすればこの妖を祓うことはそう難しいことではない、そんな自信……いや、驕りがあったのかもしれない。
時乃は影の檻の中でもがく、その妖にはじめて恐怖を感じた。
それまで格下だと認識していた、自分の助けを待つ哀れな存在だと思っていた相手が、急に怖ろしい怪物に見えてくる。
もはや、勇貴が人に戻ることはない……それどころか、自分もこの圧倒的な強さを持つ妖に食われてしまうのではないか。
頭の中に生まれた漠然とした不安が一気に膨れ上がっていく。
今、影劫が完全に破られる前に燦令鏡でトドメを刺してしまえば、自分の命だけは助かるかもしれない。
そんな考えが一瞬、脳内に浮かびかける――
(嫌だ……! そんなこと……できるわけがないっ!)
時乃は燦令鏡を鞘に収め、影の檻の中の彼に向き直る。
「目を覚ましてください、勇貴さん! あなたは人間です! 妖なんかじゃないんですよ!」
「……!」
勇貴からの反応はない。代わりに影劫の壁に再び亀裂が走った。
「勇貴さん……どうすれば私の声はあなたに届くんですか……? 約束したじゃないですか。お祓いが済んだら勇貴さんのお家に泊めてくれる、って。勇貴さんが元に戻ってくれなかったら私は――」
「……シテ……ナイ」
「えっ!?」
再び、勇貴が人の言葉をしゃべった。
(して……ない……? さっき言ったのは、違う……。一体、私のどの言葉に反応して……)
『そして、その後は勇貴さんのお家にお泊りするんです! そう約束しましたよね!』
『……チガ……ウ』
『約束したじゃないですか。お祓いが済んだら勇貴さんのお家に泊めてくれる、って』
『……シテ……ナイ』
(あ……)
時乃は漆黒の檻の中から血走った目で自分を睨みつける、勇貴の顔を見つめながら、彼に話しかけた。
「……もしもーし、勇貴さーん。私、天阪 時乃です。わかりますかー?」
「……」
反応はなかった。
(私の名前は、憶えてくれていないのかな……)
時乃は少し寂しさを覚えたが、気を取り直してさらに呼びかける。
「あの、勇貴さん。お祓いが終わったら、勇貴さんのお家に泊めてくれる……そう言いましたよね?」
「……イッテ……ナイ……」
(っ!)
「言いましたよ! 約束したじゃないですかっ!?」
「……シテ……イナイッ……!」
(やっぱり……! ……ごめんなさい。なんだか、勇貴さんに意地悪をするみたいになってしまうかもだけど……)
時乃は自分の推測の確証を得るため、彼への呼びかけを続けることを決める。
「……コホン。勇貴さん」
「アウ……」
「お願いします、私を今夜……勇貴さんのお家に泊めてください」
「デキ……ナイ……」
「そこをなんとか!」
「……ムリ」
「でも、さっきは泊めてくれると言いましたよ!」
「……イッテナイYO!」
(え……何ですか、今のは……)
御早 勇貴。
少し言葉づかいは悪いが、世間知らずなところがある時乃を心配してくれるような素振りを見せていた、優しい男性……そう彼女は感じていた。
そんな彼の良く言えば真面目な、悪く言えば世間体を気にし過ぎるような部分が……《先祖返り》によって妖と化した今でも、人として残っているのではないか。
それが、時乃の考えついた結論だった。
彼のその部分を刺激し続けてやれば、もしかすると勇貴の人としての人格が戻ってくれるかもしれない。そう考えて時乃はひび割れた影劫の中の、勇貴へ呼びかけを続ける。
だが――
(そ、そうだ! せっかくだから、勇貴さん本人へは直接聞けないようなことも……)
「あ、あの……勇貴さんは年下の女の子は……す、好き――」
「ガ……ウッ……」
天阪 時乃は、本来の目的を少し忘れかけていた。
(……って、私は勇貴さんが大変な時なのに何をっ!?)
時乃が忘れかけていた《祓う者》としての責任を思い出した時。
「!」
妖を閉じ込めている黒い檻の壁に一気に亀裂が広がっていく――
(影劫が……破られる……!)
この妖は初めて正体を現してから……少しづつ自分の能力の使い方を理解して、その力を増しているようだった。
もし再び影劫を使ったとしても、この強大な妖を捕らえることができるか自信がない。
《彼》が動き出す前に、勇貴の心を呼び戻す決定的な言葉をかけるしかない……時乃はそう考えた。
先ほどの勇貴とのやりとりでは言えなかった、その言葉を口にする決意を固める。
(恥ずかしいけど……これしかない、よね……!)
空中に浮かぶ、構世術で生み出された漆黒の檻。その中の御早 勇貴に向って叫ぶ。
「勇貴さんっ! いい加減に目を覚ましてください! この後、勇貴さんのお家のお風呂に一緒に入って……背中を流してあげる、そう約束したじゃないですかっ!?」
時乃の恥ずかしい訴えの後、河川敷一帯は不気味に静まり返った。
(ううっ……誰かに聞かれていませんように……)
時乃は思わずその顔を両手で覆ってしまう。
「……トキ……ノ」
「えっ!?」
妖が初めて、時乃の名を呼んだ。さらに――
「オマ……エ……ハッ!」
「あっ……」
「ナにを言っているんだーーーッ!?」
時乃の切り札の一つ、構世術・影劫はそんな勇貴のツッコミの声と共に破られた。
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