第6話 憑かれた男と、疲れた少女<6>

 ◇◇◇


 勇貴は市街地から少し離れた牛入川うしいりがわの河川敷を、高校生の少女と共に歩いていた。

 月明りや街灯はあるものの、先ほどまでいた中心街の明るさに比べるとさすがに暗闇が支配する夜の情景が広がっている。


 時乃の背後に半グレ集団でも控えているのではないか……そんな疑念はさすがに消えていたが、この時間にこんな場所を歩くのは決して楽しいことではない。


「……なあ、時乃。どうしてこんな場所に来る必要があったのか聞いていいか?」


「念のためですよ。もしかすると、戦いになるかもしれませんから」


「は? 戦いになる……? お祓いって言うから、なんか白い紙の付いた棒を深刻そうな顔しながら振る儀式でもするんじゃないかと思っていたけど、違うのか」


「え? あはは……そうですね。神社の神主さんのお祓いと《祓う者》の仕事は別物ですよ」


 河原の開けた場所に降りると、時乃は通学用のリュックを地面に置いて、竹刀袋の口を開きながら勇貴に呼びかけてきた。


「勇貴さん。お祓いを始める前に、これを見てくれませんか」


 時乃が竹刀袋から取り出したその中身は……暗いせいで細部までハッキリとはわからないが、金色の柄と白い鞘の日本刀のように見えた。


「お、おい……何だそれ、本物か? 持ち歩いて大丈夫な奴なのか? 登録証は持っているんだろうな!?」


「これは……妖と戦うために作られた武器の一つで、燦令鏡さんりょうきょうと言います。霊剣としての格は二等級。……二等級と言っても、これより格上の一等級の武器は基本的に使用に制限があって、そう簡単に持ち出せる物ではないので……一般的な《祓う者》が扱える武器としては最高ランクの代物なんですよ」


「あ、そう」


 何やら専門用語が続けて出てきたが、おそらく自分が覚えても仕方ないことだろう……とっさにそう判断した勇貴は、時乃の長い説明を適当に聞き流す。

 そんな勇貴を気にする様子もなく時乃が鞘から刀を引き抜くと、不気味に黒光りする刀身が姿を現した。その漆黒の刃の怪しい輝きを見ていると、勇貴はなぜか恐怖を覚える。


「……真っ黒だな」


「! ……そうですか、やっぱり……」


 時乃がいつになく真剣な顔で勇貴の顔を見つめる。


「? 何か言ったか?」


「いえ。ところで、勇貴さん。この燦令鏡にはいくつかの特性が備わっているのですが……聞きたくありませんか?」


「え? あ、ああ。そうだな」


「まず一つ。この燦令鏡の刃は人の肉体に傷をつけることなく、妖だけを斬ることができる能力を持っています。普通は人に憑いた妖を祓う時には、構世術こうせいじゅつと呼ばれる技法で人の身体から妖を追い出してから霊剣で斬る、これが伝統的なやり方だと言われています」


「ほう」


「でも、この燦令鏡なら追い出す手順を踏むこともなく、一気に妖だけを斬ることができます。構世術で取り憑かれた人の身体に傷をつけてしまうような心配もありません」


「普通の戦い方から一手を省略して、先制攻撃や不意打ちで仕留めることができるわけだな」


「そうですね。……ただ、実際に人に憑いた妖と戦った経験は私にはまだありませんけど」


「ふーん」


「それから、もう一つ。この燦令鏡の刀身ですが……見る人によってその色が異なる、と言われています。私には淡いピンク色に見えますが、お姉ちゃんには水色に見えるそうです」


「どういうことだ?」


「原理としては燦令鏡を覗き込んだ人の霊力や、妖の妖気をこの刀身が反射して感覚器官に返すことで……その人だけの色合いの刀身に見える、ということらしいです」


「なるほど……」


(さっぱり、わからん)


「ちなみに……この剣の刀身は霊力を持たない、普通の人には見えないそうです」


「ふーん。でも、お前いつもこんな物を持ち歩いているのか? 学校ではどうしているんだ?」


「あ、それは母が裏から学校に手を回したとかで……授業中は職員室で預かってもらっています。詳しい事情は知りませんけど」


(え……今、なんかサラリと黒いこと言わなかったか、この子)


 そんな時乃の顔を見ながら、勇貴はあの話を彼女にするべきか考えた。


「……ところで、時乃」


「はい?」


「ついでというわけでもないが……最近俺が見る変な夢について、《祓う者》とやらの目線で意見を聞かせてくれないか。今回の件と直接関係があるのか俺にはわからないし、お前も他人の夢の話なんて聞かされても困るかもしれないが……」


「夢……ですか? わかりました。どんな夢なんですか?」


「……聞いても引くなよ」


「? はい」


「俺が……人間を素手で殺して、その肉や内臓を食べる夢だ」


「え……」


 時乃が驚いたように目を丸くして、勇貴の顔を見つめる。


(引くなよ、と言う方が無理な話だったか)


 やはり言わなければよかったか、と勇貴が心の中で苦笑した時――

 突然、あの激しい頭痛が勇貴を襲った。頭の中で黒い塊が膨れ上がっていくような気味の悪い感覚がする。


「くっ……」


「勇貴さん!? ど、どうしました?」


「何でもない……!」


「あの、勇貴さん……」


「どうした……?」


「勇貴さんは先ほど、この燦令鏡を見て真っ黒な刀身だ、……そう表現されましたよね?」


「ああ……それが――」


(!!)


 勇貴がそれに気付いた時、彼の頭の中で何かが弾けた。


「そうです、勇貴さん。あなたは……いえ、あなたに憑いた妖には、この燦令鏡の刀身が見えている……!」


 時乃がそう言い終わる前に、御早 勇貴はその場から後方へ大きく跳躍した。

 その動きは、とても人間のものではなかった。


 ▼▼▼


 《彼》は自分と対峙するその生き物の様子を観察していた。

 この肉体に残る記憶によると、この生き物はヒトと呼ばれる存在らしい。


 ヒトのメス。それもまだ未成熟な個体。

 《彼》の持つ力ならヒトなど……たとえオスの成体であろうとも、一瞬でその命を奪うことができるはずだ。


 しかし、《彼》は観察を続ける。

 このヒトのメスがその身体から発する輝くような強い生命力、そしてその手に持つ黒い武器から放たれる危険な匂いは、警戒に値するものだった。


 目覚めたばかりの《彼》は本能的に察する。

 このヒトは普通の個体とは違う。

 自分のような者と戦うために進化した存在なのではないか。


 容易く狩れるヒトなどこの世にはいくらでもいるのだ。

 わざわざこの危険な個体と互いの生存をかけて戦う意味はない。

 《彼》はそう判断して、この場からの逃走を考えた。


 ――だが、生意気に臨戦態勢を取って自分を見据える、このヒトのメスの顔を見ていると……《彼》の中で何かが引っ掛かる。

 ヒトとは違う存在の《彼》にヒトの顔の判別や良し悪しなど、わかりようがないはずだ。


(……!)


 《彼》は理解する。

 《彼》の中に宿る、もう一つの意識。もう一人の……彼。

 このヒトのメスは……きっと、そのもう一人の彼が執着している個体なのだ。


 なるほど、このヒトが自分の肉体を隠すためにまとっている物、そこから覗く白い首筋や脚は……確かに美味そうだ――《彼》はそう思った。


 《彼》はこの危険な個体との交戦を避けて逃げ出すことより、このヒトのメスを食らうために戦うことを選んだ。

 それは、一度食らうと決めた獲物に激しい執着を見せる、ヒトが妖と呼ぶ《彼》らの習性なのか。

 あるいは――

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