第5話 憑かれた男と、疲れた少女<5>
「……ダメだ」
「……」
時乃は顔を上げずに、そのままの姿勢で動かない。
「時乃。お前だって、高校生なら理解できるだろ。お前みたいな未成年のガキ……子供を俺みたいなおっさんが自宅へ連れ込んだりしたら、それだけでもアウトなんだよ。それはお前がそう望んだことだったとしても、その……俺がお前に変なことをしなかったとしても同じことだ」
「それは……」
――お前は自分のわがままを通すために、他人を犯罪者にする可能性がある頼みを相手に望むのか?
そんな言葉が喉元まで出かかったが、そこまで言うのはさすがに思いとどまった。
「……わかりました」
「そうかい。わかってくれたなら――」
「やっぱり、私には居場所なんてないんですね」
そう言って顔を上げ、寂しそうに笑った天阪 時乃の瞳から……光るものがこぼれ落ちた。
(なっ!?)
「私は家にも、学校にも、勇貴さんのお家にも……いてはいけない人間なんですね。……何で、私はここにいるんだろう……」
「……」
「……できるなら、このまま消えてしまいたい……」
(バカ言ってんじゃねえ。お前はまだ若いし……それだけかわいいんだ。人生を悲観するには早過ぎるんだよ)
「あの、勇貴さん」
「何だ」
「明日、高校生の女の子が死亡するようなニュースをどこかで見たら……その時はもしかしたら、昨日のあの女子高生のことかもしれない……そう思って少しでも私の顔を思い浮かべてくれたら……嬉しいかもです」
(!?)
勇貴の背筋に冷たいものが走る。
「長々と私に付き合ってくださって、ありがとうございました。ムサシラーメン、本当に美味しかったです。……それでは、これで失礼します」
そう言い終わると、時乃は勇貴に背を向けて駅の方へと歩き出した。
「……待てよ!」
気がつくと勇貴はベンチから立ち上がり、時乃の手首を掴んでいた。
「何だ今のは? 冗談のつもりか……? ブラックジョークにしてもすいぶんと物騒だ。こんなご時世に言うようなネタじゃないな、笑えないぜ」
「冗談なんかじゃないです。手を……放してくれませんか」
「冗談じゃない、だと? だったら、余計に手を放すわけにはいかないな」
「どうしてですか……? 私なんかどうなったって、勇貴さんは――」
「天阪 時乃!」
「っ!?」
勇貴が彼女の名を叫ぶと、目に涙を浮かべた時乃が驚いて振り向いた。
「お前、さっきなんて言った? 自分がいなくなったら……俺に少しでも顔を思い浮かべてほしい? 何だそれは。……それだけなのか?」
「え……?」
「今日一緒に晩飯を食べた相手が……天阪 時乃がこの世からいなくなったと知った時、お前が俺に期待する反応はたったそれだけなのか……? 御早 勇貴という男はお前がどうなろうが、悲しんだり後悔するような人間ではないと思っている、そういうことなのか!?」
「……!」
「答えろ!」
「ご、ごめんなさい……私、そんなつもりは……」
「……」
「ごめ……なさい……勇貴さんの気持ちも考えないで……私は……勝手なことを……ぐすっ」
(あっ……)
「……うっ、うわーん!」
時乃は自分の顔を両手で覆い、泣き出してしまった。
(うわあ……)
勇貴は頭に上っていた血が一気に逆流するかのような思いで、その様子を見つめながら我に返った。
(何をやっているんだ、俺は……。こんな子供をガチ泣きさせて……)
反射的に周囲を見渡す。
幸いと言っていいのかわからないが、夕方の商店街で時乃と口論になった時のように、噴水広場の人間の視線が自分たちの方へと向いているということはなかった。
「こんなことだから私は……友達もできないんだ……! ううっ……」
勇貴に怒鳴られたせいなのか、あるいは今までずっと彼女の中に溜まっていた想いが決壊したのか、時乃が泣き止む気配ない。
(くっ、どうする!? 俺の人生で身内以外の女性を泣かせたような経験はないぞ……!)
あまり回転が速いとは言えない頭を必死に絞って、勇貴は名案と呼べそうなものを探り当てようとする。
(そ、そうだな、何か時乃が喜ぶようなことを……喜ぶ、か。喜ぶと言ったら……カネか!)
勇貴がたどり着いた答えは、ゲスかった。
(天阪さん、今日はこんなおっさんとおしゃべりしてくれたり、一緒にご飯を食べてくれてありがとう。最後に泣かせてしまったお
そんなことを考えていると、泣いている時乃の後ろを頭髪の薄い中年男性と、学生服の少女が腕を組んで歩いていく姿が視界に入った。
(……いかん! これでは俺のパパ活が成立してしまう! 何かカネ以外で……時乃が今欲しがっているもの、必要としているものは……)
「うっ……ぐすっ……」
(やっぱり、泊る場所か……? しかし、俺の部屋に連れ込むのはさすがに……。いや、待てよ!)
夜の街の景色から時乃へと視線を戻し、勇貴はようやく彼女に話しかける。
「時乃……すまなかった。デカい声で怒鳴ったりなんかして」
「……いえ、勇貴さんは悪くありません……悪いのは私なんです……」
勇貴が話しかけても、時乃は顔を手で覆ったままそう答えるだけだった。
「時乃、少し俺の話を聞いてくれないか? その、俺には何か悪いものが憑いている……お前はそう言ったよな? そして、《祓う者》としてそれを何とかしてくれると」
「えっ……?」
《祓う者》とやらの使命や責任を思い出したのか、時乃がやっと顔を上げてくれた。さんざん泣きはらしたその顔を見ると、さすがの勇貴も胸が痛んだ。
「お前のことを新興宗教の手先だの、詐欺師だの
「勇貴さん……」
「それで、本当に憑きものを祓うのに成功したなら、その時は報酬として――」
「勇貴さんのお家に泊めてもらえるんですか……?」
「いや、ウチには泊められない」
「……ぐすっ」
「うおぃ!? 泣かないで、お願い! いいか、よく聞けよ! ウチは無理だが、この駅周辺にある好きなホテルに泊まらせてやる!」
「えっ? ホテル……ですか?」
「そうだ。俺が宿泊代を払ってやる。これなら文句ないだろ」
「でも、こういうところの宿泊代はすごくお高いんじゃないんですか? そんなに気を遣ってくれなくても、私は勇貴さんのお家でいいですよ?」
「そりゃまあ、お安くはないだろうが……お前に気を遣うというよりは、俺のためだからな。仕方ないさ」
「?」
「で、どうなんだ? ……引き受けてくれるか?」
「はい。もちろんです!」
「……そうか。それならよかったよ」
天阪 時乃が自分の提案に乗って、泣き止んでくれた。これで自分の計画は成功したも同然だ。
後は彼女のお祓いとやらに付き合って、その結果に関係なく宿泊代を出してやればいい……勇貴はそんなことを考えていた。
「あの、勇貴さん。さっきは……すみませんでした」
「どうした。俺が謝るのはわかるが、お前に謝られるようなことはないはずだ」
「私、自分のことだけを考えて……妖に憑かれた勇貴さんを置いたまま、自分だけ逃げようとしていました。半人前とはいえ、《祓う者》の端くれなのに……恥ずかしいです」
うつむいて、自嘲するように時乃がそう言った。
「そんなこと気にするな。お前の話を信じていない奴のことなんて、見捨てられても仕方ないだろ」
「……でも、嬉しかったです」
少し照れたように小柄な少女が笑ってみせる。
「嬉しかった?」
「はい。さっき、私がいなくなったら勇貴さんは悲しんでくれる、って……こんな出会ったばかりの私のために、そんな風に言ってくれたから……」
「そのことか。だけどな、そんなのは俺だけじゃない。例えば……お前の学校にだって、天阪 時乃に密かに好意を持っているような野郎がいてもおかしくないはずだ。それだけかわいいんだからな。それに――」
「ふぇっ? かわいい……」
『娘が消えて悲しまない親だっていないはずだ』――勇貴は続けてそう言うつもりだったが、彼女の複雑そうな家庭の事情に今触れるべきはないと思い直し、その言葉を飲み込む。
一方で、時乃は再び下を向いて何やらつぶやいていたが、しばらくして顔を上げると勇貴のすぐそばに近寄って顔を見上げた。
「勇貴さん! 私、必ずあなたに憑いた妖を祓ってみせます! そして、勇貴さんのお家に泊まる権利をゲットです!」
天阪 時乃は力強く、そう宣言する。
「お、おう。よろしく頼む。……お前が泊まる場所はウチじゃないけど」
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