第2話 憑かれた男と、疲れた少女<2>

「……おい、JK」


「えっ? JK、って……あ、私のことですか?」


「大人げなくデカい声出して悪かったな。お前の言う通り、最近少し体調が悪いからそれでちょっと感情的になってしまったのかもしれん」


「あっ……いえ、私こそ……。お兄さんに変な勘違いさせてしまったのは、きっと私の説明が下手だったせいだと思います。……ごめんなさい」


 少女はそう言って勇貴に頭を下げる。


「そんなことしなくていい、お互い様だ」


「そ、そうですか?」


「ああ。……さて、俺はもう行くぞ」


「えっ?」


「お前も見ず知らずのおっさんに迂闊うかつに話しかける様な真似はもうやめておけよ。お前にそんなつもりはなかったとしても、相手が何を考えているかなんてわからんからな。じゃあ、そういうことで」


 勇貴は言いたいことを一方的に告げると、相手の返事も聞かずにその場から逃げ出すように早足で動き出した。


「あっ」


 少女の声が聞こえたが、勇貴は構わず人混みをかき分けて足を進める。


「待ってください! 私の話はまだ……!」


 しかし、しばらく歩いた先で右手首をつかまれ、勇貴は再び少女に捕まってしまう。


(うっ!? またかよ!?)


「このままだとお兄さんの身に危険が――」


「お前、いい加減にしろよ! 知り合いでもない女子高生と街中でお話している方が、おっさんにとってはよほど危険なんだよ、世間体的な意味で!」


「で、でも」


「学生は帰ってお勉強でもして――」


 ぐうぅぅぅー……。


 不意に間抜けな音が勇貴と少女の間に鳴り響いた。


(何だ? 腹の鳴った音か? 確かに腹は減っているが俺じゃないぞ)


 ふと気付くと、目の前の少女が顔を赤くして自分の腹部を抑えているのが目に入る。


「……うぅ……恥ずかしい……」


「……まあ、気にするなよ。生理現象なんだから」


「すみません、私……昨日の晩ご飯からずっと食べていないので……」


「ん? ダイエットでもしているのか。大変だな」


 少女のスカートから伸びるスラリとした脚に一瞬視線を向けてみたが、勇貴にはとてもダイエットの必要性があるようには見えなかった。


「あはは、そういうわけではないんですが……。その、今朝ですね……朝ご飯を食べる前にお母さん……母と少し口論になって……そのまま勢いで家を飛び出したせいで、お財布も忘れてしまって……それでお昼も食べれなくて……」


 照れ隠しのつもりなのか、苦笑いを浮かべながら少女はそんなことを言った。


「そうか。……じゃあ、家に帰ってお母さんと仲直りした方がいいだろ」


「……」


 勇貴はそう言葉をかけたが少女は少しうつむいただけで、それ以上の反応を返さない。


「……なあ、もういいか? 俺はこれから――」


 ぐきゅるるるぅーー……。


「うっ!」


 今度は間違いなく、勇貴の腹が空腹を訴える音だった。


「……ぷっ! あははっ! お兄さんも私と一緒ですね!」


 それまで暗い顔で下を向いていた少女も、その音を聞いて思わず吹き出してしまう。


「ぐっ……そうだよ、俺は腹が減っているんだよ! だからラーメンを食べに行こうとしているのに、お前が何度も足止めをするから――」


「ラーメン……」


 少女は一言そういった後、悲しそうな……あるいは何かを訴えるかのような、そんな複雑な表情で勇貴の顔を見つめてきた。


「おい……何だよ、その目は」


 ◇◇◇


「わあ、ここがラーメン屋さんなんですね!」


 勇貴の後に続いてラーメン屋に入った少女が感慨深そうに店内をキョロキョロと見回すと、それに合わせて彼女の後頭部の白いリボンが揺れた。


「何か珍しい物でもあるか? そんなに変わった作りの店でもないだろ」


「あ……すみません、私ラーメン屋さんに来るのは初めてなので、つい」


「初めて? 今まで一度もラーメン屋に来たことがない、ってことか?」


「はい」


「二名様ですね? あちらのテーブル席へどうぞ」


「あ、はい!」


 店員に案内されて、店の奥の小さいテーブルを挟んで勇貴と少女は椅子いすに座った。


(ラーメン屋に来たことがない……単にこの子の親がラーメンを嫌いなのか? あるいはラーメンのような庶民しょみんの食べ物なんて口に合いませんわ! とか言う感じの上級な家系だったりして……まさかな)


「わあ、昔家族でよく食べに行ったお店のお料理と比べると、ラーメンってとってもお安いんですね!」


 メニューを見ながら、少女がそんなことを口走る。


(何だと……まさかの後者か? 最初に会った時に何となくそんな雰囲気を感じてはいたが……何が悲しくて金持ちのお嬢様にタダ飯食わせてやらないといけないんだ!?)


 嬉しそうにメニューをながめる少女を見ながら、勇貴はぼんやりと考える。


(まあ……そもそも、名前も知らないガキに晩飯をおごる、なんて言った今日の俺がどうかしているな)


 ◆◆◆


 何やら複雑な表情でこちらの顔を見つめてくる少女の視線に耐え切れなくなった勇貴は――


「……お前も来るか?」


 つい、少女にそんな言葉をかけてしまった。


「えっ?」


 少女の方も勇貴の意外な言葉に、イマイチ理解していないような顔を見せる。


「ラーメン屋だよ、ムサシって店なんだが」


「あ……でも、私はお財布を家に置いてきてしまったので、お金が……」


「そんなことはさっき聞いたよ。奢ってやろうかと言ってんだよ、俺は」


「え……奢るって、私にラーメンを食べさせてくれる、ってことですか?」


「ああ」


「でも……どうしてですか?」


 目の前の初対面の男の真意を推し量るかのように、少女はその澄んだ瞳で勇貴の目を見つめてくる。


「そうだな……一言で言うなら物欲しそうな顔をしていたから」


「えっ!? 私、そんな顔をしていましたかっ!?」


「俺にはそう見えた」


「そ、そんな……物欲しそうな顔なんてしていませんっ!」


「そうか。俺の勘違いか。じゃあ、俺は行くからな。はい、サヨナラー」


「あっ!? ま、待ってください! やっぱりちょっだけそんな顔をしていたかもしれません! わ、私も連れて行ってくださいっ!」


 ◇◇◇


(……まあ、最初に誘ったのは俺だから仕方ないか)


「お兄さん! 聞いていますかっ!?」


 ぼーっと考え込んでいた勇貴の顔のすぐ近くに、あどけなさの残る少女の顔があった。


「ッ! 何だよ!?」


「お兄さんはメニューを見なくてもいいんですか?」


「えっ? ああ……俺はもう決まっているからな。いつもと同じものだ」


「あ、そうなんでね。……うーん、どれを頼めばいいか迷ってしまって中々決められないので、私もお兄さんと同じものにしてもいいですか?」


「俺と同じものか……ムサシラーメンのめん多め、トッピング増量。……大ボリュームだぞ、本当にこれにするのか?」


「あの……もしかして、お値段が……」


「いや、値段の話じゃない。食べれるのか、ってことだよ」


「あ、それなら大丈夫です!」


「本当か? 私もう食べられませ~ん、とか言うなよ」


「えっ……何ですか、今の裏声は……」


 少女が怪訝けげんそうな顔でジッと勇貴の顔を見る。


「気にするな。それより注文したからには責任持って食えよな。俺は自分で注文した料理を食べ残すような奴は下に見ている」


「ふふっ、心配しないでください。私くらいの年の女の子は、きっと男の人が思っているよりたくさん食べる子が多いと思いますよ」


「そういうものか。まあ、若いしな」


「それに、今の私は一日近くまともな物を食べていませんからね! 朝ご飯とお昼の分くらいは余分に食べられるはずです!」


「いや、絶食したところで食べられる量は変わらんだろ……」


 根拠のない自信を見せる小柄な少女の顔を呆れながら見ていると、店員がやって来る。


「ご注文お決まりですかー?」

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