第3話 憑かれた男と、疲れた少女<3>

 ***


「お兄さんって、優しい人ですよね」


 注文を終えて店員が奥に下がるの見送った後、目の前の席に座る少女が唐突にそんなことを言い出した。


「何がだよ」


「だって、ついさっき会ったばかりの私にご飯を食べさせてくれるなんて……優しいですよ」


 その警戒心の薄い少女の笑顔を見て、勇貴は少し脅して警告してやった方がいいか、などと思った。


「お前な、そんなに簡単に相手を信用するなよ。そんなことだと、その内お前自身が悪い奴に食われちまうかもしれないぞ……いろんな意味でな」


「え……そ、そうでしょうか」


「そうだよ。一食奢ってやったくらいで女子高生がそんな風に言ってくれるなら、ホイホイカネを出すようなアホが世の中にはゴマンといるからな。もちろん……下心を持ってだ」


「……」


「もしこの俺がそんな人間だったら、どうする? 今すぐにでも逃げ帰った方がいいかもしれないな」


 勇貴はわざと意地悪そうな顔を作ってそう聞き返したが――


「お兄さんは……そういう人じゃないと思います」


 少女は勇貴の顔を見据えてハッキリとそう告げた。


「は? 何を根拠に――」


「だって、本当に悪い人は自分からそんなことを言わないんじゃないですか?」


 もう少し動揺を見せると思っていた少女の想定外の堂々とした受け答えに、勇貴の方が次の言葉に詰まってしまう。


「ふ、ふん、甘いな。こんなに悪い人がいるから気をつけてくださいねー、もちろん自分は違いますよー? と事前にアピールしておく手口かもしれないぞ」


「ふふっ……お兄さんはきっと、私のことを心配してそんなことを言ってくれているんですよね。やっぱり、お兄さんは優しいです」


「!」


 勇貴は何とか食い下がろうとしたが、少女が穏やかに微笑みながら返したその言葉に黙ってしまう。


(何だこいつは……見た目の割にはしっかりしているというか、妙に勘が鋭いというか……)


「……まあ、それはともかくだ。ずっと言いそびれていたんだが、その『お兄さん』って呼び方はいい加減やめてくれないか。どう見てもババアを相手にお姉さんと呼びかけるような、薄ら寒さを感じるんだよ」


 話を強引に切り替えるために、勇貴は先ほどから気になっていたそのことを持ち出した。


「え……お兄さん、はダメなんですか? じゃあ、なんてお呼びすれば?」


「おっさんでいいだろ」


「えぇ……そんな呼び方をされて、お兄さんは返事をしてくれるんですか……?」


「そうだな。心の中で『おっさんで悪いか!』とか叫びながら、無視すると思う」


「ダメじゃないですかっ!? もう……お兄さんがダメなら、名前を教えてください」


「遠上 太郎」


「それ市役所とかの記入例に書いてある名前ですよね!?」


「ほう、ガキのくせに知っていたか。生意気な」


「ガキじゃないです! お兄さんだって、さっきから私のことを子供とかガキとか言って名前を呼んで……って、あ、あれっ!?」


「どうした」


「もしかして、私もまだ自分の名前を名乗っていませんでしたか……?」


「ああ」


「す、すみません、私としたことが……」


「いいよ、別に聞きたいと思っていなかったから」


「もう、聞いてくださいよ! ……えっと、私は天阪あまさか 時乃ときのと言います。清静きよしず高等学校の一年生で――」


「もういいって。素性のわからない他人にペラペラと個人情報を話すもんじゃないぜ」


(その名前が偽名かどうかは知らんがな)


「む~……まだ一番重要なことを言っていないのに……。それで、あの……お名前を聞いてもいいですか……?」


「……」


 上目遣いで、遠慮がちにこちらを見つめてくる少女の顔から視線をらして、勇貴は黙る。


 天阪 時乃と名乗ったこの少女に、他人を簡単に信用するな、そんなことを何度も言っていた勇貴だったが……それは、彼自身が自分に対して言い聞かせている言葉でもあった。

 人懐っこく振る舞うこの少女の笑顔も、ゆすり、たかりといった本当の狙いを隠すための仮面で、悪意を持って自分に近づいてきたのかもしれない、そんな考えが頭の片隅で渦巻いていた。


(まあ、仮にそうだとしても……ラーメン屋に誘った時点で俺の負けか)


 心の中で苦笑しながら時乃に向き直ると、勇貴は観念して口を開く。


「御早 勇貴だ」


 ◇◇◇


 ラーメン屋の出入り口の扉を開けると、日は完全に落ちて辺りはすっかり暗くなっていた。

 地方都市とはいえその中心街だけあって、それなりに夜の街らしい景観を見せている。


「ごちそうさまでしたー! 美味しかったです!」


「ありがとうございましたー!」


 時乃が丁寧にあいさつをして扉を閉めると、くるりと勇貴の方へと向き直った。


「勇貴さん! ムサシラーメン、とっても美味しかったです! ごちそうさまでした!」


 そう言って深々と頭を下げるこの少女が、いきなり下の名前で自分を呼び始めたことに当初、勇貴は戸惑った。だが、どの道長い付き合いではないので、とがめることもせず呼ばせておくことにしたのだった。


「おう、お嬢様のお口にあったようでよかったよ。ちゃんと全部食べたしな、えらいえらい」


 自分の好きなものを他の誰かも気に入ってくれるというのは悪い気分ではないな……勇貴はそんなことを思いながらそう言ったのだが――


「……何だか勇貴さん、私のことを子供扱いしていませんか?」


 時乃にはどうもその言い回しに引っ掛かるところがあったらしく、少し不満そうな顔をする。


「子供扱いではない、年相応の扱いをしていると思ってくれ。ところで……天阪さん?」


「あ、先ほども言いましたけど、時乃でいいですよ。親しみを込めて『きのちゃん』なんて呼んでくれても大丈夫です! 『ときのん』はちょっと嫌です」


「いや、呼ばないから。そんなに親しみを覚えるほど、出会ってから時間も経っていないだろ」


「遠慮しなくてもいいですよ」


「うん、遠慮しているわけじゃないからな。お前の対人関係の距離感がおかしいと言いたい」


「あっ……」


 半分冗談のつもりで勇貴が言ったその言葉を聞いた途端、時乃の表情がくもる。


(……何だ? この娘の地雷でも踏んだか……)


「まあ、とにかく……時乃さん」


「さん、はいらないですよ。勇貴さんの方が年上ですからね。それで、何ですか? 勇貴さん」


 一瞬、暗い顔をした時乃だったが、それを隠すかのように笑って見せた。


「じゃあ……時乃。晩飯も食ったんだし、もう家に帰れよ」


「! ……いえ、帰れません」


「何でだよ」


「もう何度も言っていますが、勇貴さんはつかれて――」


「またその話か。もういいって」


「よくありませんよ。あの、できればあまり人がいない場所でお話しませんか……?」


 ウンザリした顔を見せる勇貴に、真剣な表情で時乃は食い下がる。


(人がいない場所だと……? 路地裏の暗がりから怖いお兄さんが出てくるシナリオか? ……冗談じゃない)


「断る」


「えっ?」


「この街も夜になると結構治安が悪くなるみたいだからな。俺一人だってわざわざ人のいないところへは行きたくない。学生を連れて歩くなんてなおさらだ」


「そ、そうですか。わかりました。それでは……」


 時乃はキョロキョロと周囲を見回した後、噴水のある広場の方を指差した。


「勇貴さん、あの噴水前のベンチに座ってお話しませんか?」


 噴水広場は煌々こうこうと輝く街灯に照らされて明るく、広場内を通り抜ける人や周辺のベンチに座って話す人々の姿も見える。


(……まあ、いいか)

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