つかれた男と、つかれた少女
水岳
第1話 憑かれた男と、疲れた少女<1>
PCの時計が定時になったのを確認すると、そのまま電源を落とし、
「お先に失礼しまーす」
机から離れながら、上司や帰り支度をしている同僚に声をかける。
「お疲れー」
「お疲れ様です」
あいさつが返ってくる中を軽く頭を下げて応じながら、フロアの出入り口へと向かう。
「乗りますかー?」
「あ、すみません」
勇貴と同じ定時退社組と共にエレベーターに乗り込み、ガラス越しに空の様子を見る。まだ日が落ちるまでにはしばらく時間がありそうだった。
(晩飯はどうするかな)
庁舎から出て灯がともりはじめた街中へ足を踏み出す――
「……ッ!」
不意に頭痛がして、勇貴は思わず立ち止まった。
彼はここ最近、この頭痛に加えて原因不明の筋肉痛、さらには……奇妙な夢に悩まされていた。
謎の筋肉痛については、本人が気付いていない疲労が
(くそ……とりあえず、収まったか)
頭痛はすぐに収まったが、頭の芯に黒く重い
(料理なんてするような気分でもないし、なんか食って帰るか……)
そう決めると最寄りの駅へと向かういつもの道から外れて、勇貴は足を進めた。
◇◇◇
飲食店や商店が立ち並ぶこの
「あ、あの! お兄さん! 突然ですけど、今……何か困っていることなんてありませんか? どこかお身体の調子が悪いとか……って、あ、あれ!?」
若いというよりは子供のようにも聞こえるその声を背中越しに聞きながら、勇貴は足を進める。
(客引きか? ご苦労なことだな)
「あの! お兄さん、待ってください! 私の話を聞いてくれませんかっ!?」
その声の主が近づいて来る気配がする。
もしかすると、この人物が話しかけている相手は自分なのかもしれない。そんな考えが頭に浮かぶが――
(いや、俺はもうお兄さんなんて呼ばれる年じゃないか……おっさんだな。文句あるか!)
誰に向けて言っているのかわからない謎の主張を心中で叫び、足を速めようとする。
しかし――
「お願いします! 待ってください!」
声と共にスーツの左
(くっ!? 何だ、このしつこさは!? もう少しカネを持っていそうな奴を狙えよ!)
足を止められた勇貴は、怒りの言葉を吐きながら後ろを振り返り、客引きの顔を確認しようとする。
「……おい、客引きは市の条例で禁止されているのを知らないのか? 俺が今から通報してや――」
勇貴が振り向いたその先にいたのは、彼が想像していた派手な化粧と衣装で着飾った成人女性……ではななく、学生服に身を包んだ小柄な少女だった。
「あっ……やっと振り向いてくれた」
彼女は少し
「何だお前は。……そういう系の店なのか?」
「そういう系……ですか?」
キョトンとした表情を見せる少女の顔、さらには彼女の着ている紺色のブレザーやチェックスカートにも視線を向ける。背中のリュックとは別に、その肩には竹刀でも入っていそうな長い袋が掛かっていた。
(制服にコスプレみたいな安っぽさがない、お前無理すんな感もない。こいつは……どう見ても本物のガキだな)
「あ、あの? 私の顔に何か……? そういう系、って何ですか?」
「気にするな。子供にするような話じゃなかった」
「え? 私、子供じゃありませんよ!? 高校生ですから!」
少し
(その肩書きと反応が子供そのものだろうが)
「……で、その若さ
「あ! そうです、そのお話をするんでした! ……コホン」
わざとらしく
「あの、お兄さん。最近体調がすぐれなかったり、お身体のどこかが痛かったり……そういうことはありませんか?」
(!!)
少女の言葉に勇貴は一瞬、動揺するが――
「お兄さん? ど、どうでしょうか……?」
心配そうな表情で上目遣いにこちらの反応を
「ああ、そうだな。お前さんの言う通り、ここ最近……俺は原因のよくわからない頭痛や筋肉痛に悩まされているよ」
あの夢のことは口に出さずに、それだけを述べる。
「やっぱり……!」
自分の見立てが見当ハズレではなかったことが証明されたためか、心配そうな顔はそのままに少し納得したような表情を少女は見せた。
しかし、そんな彼女に勇貴は続ける。
「だがな。そんなことはある程度年のいった大人ならそう珍しくないんだよ。人間の身体も少しずつ経年劣化する、ってことだ。もっとも……高校生にこんなことを言っても理解はできないだろうがな」
「えっ? あ……いえ、私の言っていることはそういうことでは……その、ハッキリ言うとですね。お兄さんは……つかれているんです」
「? そりゃあ、まあ疲れてはいるんだろうよ。今言ったように現代人なら多かれ少なかれ疲れは――」
「うーん、その疲れるじゃないんですけど……でも、安心してください。この私がきれいに
自分の胸に右手を当て、何やら自信満々と言った顔で少女はそう告げる。
「はあ? お前が俺の……心も身体もスッキリさせる……?」
「はい! お任せください! 私、こう見えても大人の……本業の方にだって負けない技術を持っているんですよ! 厳しい修練を積んで――」
「いや、ちょっと待て」
「え?」
少女の言葉を
「おま、お前は一体何を言い出すんだ……!? 心も身体もスッキリさせるって、ナニをどうやってスッキリさせるつもりだよ!?」
「は、はい……?」
「本業の方にだって負けない技術だと!? そんなことを得意げに自慢するな!!」
「あ、あの、お兄さん!? わ、私……何で怒られているんだろう……」
勇貴は早口でまくし立てるように続けるが、少女にはその言葉の意味が理解できないらしく、少し困ったような顔で目の前の男の顔を見つめていた。
その彼女の耳に通行人の声が届く。
「おい、なんかおっさんとJKがモメてるぞ。……パパ活説教おじさんとか救いようがねえな」
「相手の女の子かわいいな……いらないなら譲ってくれよ」
「なに? こんな明るい時間に街中で援交の交渉でもしてんの? ……キモッ!」
通りすがりの彼、彼女らの発した言葉の意味を考えるように一瞬、少女はその動きを止める。
「……パパ活……援交……?」
そして、次第にその顔が真っ赤に染まっていった。
そこでようやく先ほど勇貴が言っていた言葉の意味を理解したのか、顔を赤くしたまま怒りの表情で詰め寄ってきた。
「お、お兄さんっ!? あ、あなたは……一体どんな想像をしているんですか!? 私はつかれているお兄さんを見かけて心配になって声をかけてあげたのに……酷いですっ!」
「はあ? ガキに心配されるほど疲れていねえよ!」
「なっ……!? ガキじゃないですっ!」
二人で言い争うようにそんなやり取りをしていると、遠巻きにその様子を見る人間が一人二人と集まり始めた。
「何だー?
「誰か通報してやれよ」
そんな声が勇貴の耳に入る。
(……ッ!? まずいぞ、こんなところを職場の人間にでも見られたら、尾ひれはひれが付いてえらいことになりそうな気がする!)
自分と同じように周囲の野次馬の視線を気にして黙り込んでしまった目の前の少女に向かって、できる限り感情を抑えて勇貴は話しかける。
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