第22話 泣き笑い

 気拙きまずかった。

 女性にょしょうと見合う位置に座っているというのが恥ずかしいわけではない。

 なりこそ十九ではあっても、実際はすでに四十五年を生き、多少は人生経験を積んできたつもりだ。

 ――しかし、だ。

 泉名せんみょう二十二年春、鳳王朝にとってながらく頭痛の種であった西戎せいじゅう北狄ほくてき討伐のため、帝松柏ていしょうはく軍旅ぐんりょもよおした。

 天子みずから率いる親征軍である。

 親征軍には、書史が最低、ひとりは従軍することになっている。

 万が一……いや、百万が一、帝が戦場でお隠れになるようなことになった場合、その遺言いごんを書き留める必要があるからだ。

 その書史に、私が選ばれた。

 驚くべきことに帝松柏みずから私を指名してきたのだという。

 そしていま、私は帝の馬車に、ふたりきり、差し向かいで揺られている。

 いくら書額堂しょがくどう上二席といえど、そもそも官庁の序列では書額堂の地位は低い。

 ゆえに官吏の身分としては中の下といったところである。

 それこそ帝の命がいましも消える……そんな事態でもない限り、普通は近侍の者を介してしか会話できない。

 たとえ私が皇族で、今上陛下きんじょうへいかは私から見て従妹だとしても。

 彼女にとって私はいわく付きも曰く付きの親族だった。

 当時十六歳だった彼女にはなんら罪は無いとは言え、彼女の父は私の両親を謀殺したのだ。

 よくもまあ、こんな人選、帝の側近たち……閣府かくふが許したものだと思う。ちゃんと仕事をしているのか、気は確かなのか、疑ってしまう。

 帝とふたりきりになることの出来る男は、帝婿ていせいでなければ男の機能を失った宦官のみ。あとは……今上陛下にそういうお方がおわすのかは知らないが、愛人くらいか。

 私は人間だったころからずいぶん奥手で色恋には頓着していなかったのもあるが、地祇ちぎえにしを結び、鬼魅きみの類いとなって、その手の欲は目減りした。

 とはいえ、抱けぬわけではない。

 血を吸うほど充たされるわけではないが、抱いて精を喰い、腹を満たすことはできる。

 汎砂は私に輪を掛けてその手の欲には乏しいようだが「おそらくたねは播けぬと思いますよ」と言っていた。

 いまは澄ましきった顔をしているが、彼は長生きだから、昔いろいろ試してみたのかも知れない。我らは血を吸って首をらぬまま放置しておけば、我らとおなじ地祇ちぎの縁者を増やせるゆえ、普通の子は持てぬのかも知れぬ。

 ……しかし、しかし、だ。子は生せぬにせよ、やはりいろいろとまずくはないだろうか。

 いや、率直に言って間違いなく拙いとは思う。なにかおかしな事態になれば、誤解だ、冤罪だと騒いだところで斬首は免れない。

 が、この状況は帝の望みなのだ。

 私には否など言う権利はない。

稀梢きしょう殿」

 呼ばれて、顔を上げる。

「は」

 私が彼女に初めて出会ったのは、彼女が六歳のおりのことだったと記憶している。

 その彼女は当年四十一歳。美しくなった。そう思う。

 女として、とか、見目がどう、という話ではない。

 むろん、彼女の外見を問えば、だれもが追従ついしょうなどではなくこころから「美しい」と評価するだろう。

 つねに身に纏う金襴綾錦の衣装は戦仕様とあって簡素で、高く結い上げ冠をかぶっているはずの髪は肩で巻かれてかんざしで留められているだけ。

 化粧も最小限だ。

 だが、そんなことはなんら問題にならない。

 天に捧げられる磨き抜かれたへきのように、人の内なる輝きがその身体に備わり、彼女を目にする人々に、彼女の存在そのもの、その輪郭を鮮やか印象づけている。その身に降りかかる幾多の害意を知略によって退け、国を富ましめてきた彼女の半生。

 故事にある、まっとうされた璧……ときの帝に十五城と交換しても欲しいと思わせた璧とは、きっと彼女のような輝きを放っていたに違いない。

 真摯に生きた歳月は、人をここまで美しくする。

 対して私は十九で時が止まっている。

 外見が若ければ性根も若いまま、などということはないはずなのだが、いまひとつ成熟しない我が心根には、我がことながら溜息が出る。

 いや、溜息など吐いている暇があったら精進せよと父にはうしろ頭をはたかれそうだが。

わたしはそなたに謝らねばならぬことがあった」

無体むたいなことを仰いますな」

 私は首を横に振った。

 今上陛下が私に謝らねばならないことなど、なにもない。

 もしあるとすれば、それは先帝と我が両親に関わることだが、それは謝るべきことではないのだ。

「そう、まさに無体だ。わたしが頭を下げれば、そなたは許すしかない。それでは吾が気を済ませたいだけで、そなたには迷惑なだけであろう。そう気づいたとき、吾はそなたに謝ろうと思わなくなった」

「賢明なご判断にございます」

 私は静かに頭を下げた。

「それに、私はだれも恨んではおりません。『帝を恨むな』それが我が父の遺言でございました。私は不肖の息子なれど、父の遺志が何処いずこにあったかくらいは汲めるつもりでおります」

 玉座は人を惑わすものだ。

 天命があったとしても、その惑わしをはねのけることは難しい。

 史書は語っている。

 多くの帝が玉座に惑わされ、天命を失っていった。

「私こそ申し上げねばならぬことがございました。我が父母を鳳家の廟に改葬してくださったその厚情、私は生涯の恩と、こころに刻んでおります」

 死後、なますの如くさいなまれて古井戸に投げ捨てられた父の屍、実家に下げ渡された母の屍を登極後、鳳家の霊廟に改葬してくれたのは今上陛下……松柏だった。

 私の言葉に、彼女はわずかに目を細める。

「まったく、犀湖さいこ殿はよく出来た方だった」

 松柏が小さく溜息を吐いた。

「いま、あの方が宮廷にいらっしゃったなら、どれほど吾のたすけとなったことか」

「私は、年賀の儀式で下手な詩を吟じる父しか存じませんが……過分なお言葉、痛み入ります」

 松柏が、ふ、と笑う。

 彼女も父の詩を聞いたことがあるはずだ。

 たぶんそのどれかを思い出して可笑しくなったのだろう。

「稀梢殿」

 再び名を呼ばれた。

「吾は、このいくさで死ぬことになる」

 彼女は真摯な面持ちで、驚くべきことを口にした。

しょうの御深慮あって、しょうの兵力はこれまでになく充実しております。勝てる戦だと、禁軍将軍、蒔櫂じかい殿も仰っておりました。負けるときまったわけではありませんし、万が一、負けたとしてもしょうはみなでお守りします。お逃げ遊ばすことはできるでしょう」

「戦場で、ではない。勝っても負けても、その帰りが狙われる。あるいは無事皇都に戻ったとしても、宰らの画策によってすでに吾の玉座は危うくなっておる。通例ならば将軍の派遣でよいところ、卜占省ぼくせんしょうが占い、吾の親征が決まったのは、吾をうとんずる高官、貴族どもの差し金だ。これまでもさまざまに狙われ、そのたびに切り抜けてきたが、今度ばかりはあらゆる退路を塞がれた」

 松柏は即位以来、おおくのことを成してきた。

 西戎・北狄討伐のためには金が要る。糧秣が要る。武器が要る。馬が要る。兵士も要る。

 そのためにこれまで北部が中心だった馬の生育地を東部にも設け、南部に鉄鉱石の山地を探し出し、西部が独占していた製鉄技術を南部に移植した。逆に、南部と東部の開墾を奨励しつつ、地租とは別に穀物の生産量の二割を買い上げて、戦のために耕地を耕すことの出来ない西部と北部の民に安価で払い下げた。

 食べるために耕地に縛り付けられなくなった西と北の民は国境を守る兵として国に雇われた。賦役の兵ではないから、農繁期に農地へ帰さなくてよい。その期間、訓練もできる。

 また、賦役で他の地方から駆り出してきた兵は、戦が終われば流民化することがおおい。

 それを最小限に留める策だ。

 国境の守りには、東の地の治水の技術が転用され、むかしの王朝が放棄した防塁を再建し、さらに強固な防塁がいくつも作られた。

 どれもこの困難ないくさを戦い抜くための合理的な政策だった。

 この国が四方に広いことを最大限有効に活用した策だと言える。

 おかげで防戦一方だった西戎と北狄の勢力を、近年は押し戻しつつある。

 しかし、各地の権益を握る大貴族たちには不評な策でもあった。

 それでもおおかたの貴族たちは帝に子がいない間は我慢していたのだ。

 血の薄い者を立てての後継者争いは、候補がおおいゆえ泥沼になる。

 互いに争ううちに、ちからを失い、結果、皇室の一人勝ちになる。それでは旨味がない……宮廷の豺狼どもの考えそうなことだ。

 ところが、八年前、帝と帝婿の間に男子が生まれた。

 女性にょしょうとしてはかなり遅い初産で、たいへんな難産だったと聞くが、松柏は乗り切った。

 続いて女子がひとり。

 ふたりともすくすくと成長し、貴族たちは松柏を廃し、幼帝を立てて自分たちが宮廷を牛耳ることを画策する。

 なかにはもはや朝廷は我が意に適わずと見限った者も現れた。

 製鉄技術の独占を取り上げられた西方の羽真うしんが、西戎に寝返って帝に反旗を翻したのだ。

「幸い、吾の婿殿は良い人で、物事をよくわきまえ、道理の分かった士大夫だ。戦に出るまえに、夫とは別れを済ませてきた。夫の家は権門ではないが、まったくの無力でもない。宮廷の妖魔どもから吾の子らを守り育ててくれるだろう。それに、子らのきょうしには汎砂が就いてくれている。彼に任せておけば間違いはない。吾も、彼の講義には何度ももうひらかれた」

 馬車のわだちの音がうるさい。

「この軍旅に、そなたを連れ出したのは、吾の最後の我が儘だと思っていただきたい」

「最後などと。古来、帝というものは我が儘なものでございましょう。その我が儘を貫き、民をあわれむちからに変えることの出来る者こそが、天の意を承けた者。私はひとつ、確信しているのです。天子となるにふさわしきは、あなたしかいなかった。私は『鳳家で一番、木工細工に精通した皇族』……この称号はどなたに譲る気もありませんが、ほかの称号などまっぴらですね」

 私の外見は十九の若造だ。

 地位もあり、わきまえもあり、困難な仕事を着実にこなして人生でもっとも脂ののりきった年上の人をまえに底の浅い虚勢を張っている……そのような姿に見えたことだろう。

 松柏はふと微笑む。

「稀梢殿は、昔と変わらず優しいな。お強くもなった」

 そしてしばし沈黙のあと

「書額堂の裏の小楢は、すいぶん大きくなったであろうな」

 そう呟いた。

 その顔は、微笑んでいながら、どこか泣いているようにも見えたのだった。



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