第20話 祭りのあと

 汎砂はんさがいなくなって九年目の節目の年に、季岳きがくに登った。

 この国には昔から、三年、六年、九年を節目とする考え方がある。

 なかでも九年は最大の節目だった。

 その次の節目もあるにはあって、九年を九回繰り返す、八十一年目なのだが、これは人の生の節目としてはいかにも長く、使い勝手が悪い。

 九年、始めたものを終わらせるにふさわしい年限。

 あるいは、願いを持った者が、その成就を目指す最大の年限。

 私になにか願いがあったわけではない。

 繁王朝が倒れたあのとき、灰になってしまった汎砂を故郷に還すのにふさわしい気がしただけだ。

 帝室解体の前から戦われ、三年だけ外敵に対抗するため結束したものの再び争っていた三派の戦いも、三派ともが息切れを起こすようなありさまで、ようやく終息の兆しを見せている。

 三派それぞれに肩入れしていた西方の国々の間に戦争が勃発、全世界を巻き込んで、という表現が大げさでない戦いに拡大して、我が国の武装集団に武器や食料、資金を援助している余裕がなくなったのがおおきい。

 東西南北、どの国の史書を紐解いても、軍隊を養うだけの物資の供給がなければ、たとえ争いの原因は解決されていなくとも、戦いは終息に向かうものだ。

 戦争が長引けば、農地が荒れる。流通が混乱し、工業がたち行かなくなる。

 富が集中するのは都市だが、集まるがゆえに何度も軍に蹂躙される。

 度重なると当然、人が減り、蓄えられた富も枯渇し、周辺の農地を手入れする者もいなくなる。

 補給が充分にあるならともかく、充分な兵站がなければ結局は軍は略奪をせねばたちゆかない。

 けれども、荒廃した場所では略奪しながら戦おうにも奪える物がない。

 そのうち会戦をはじめ大小の衝突がよく起こる国境近隣では軍隊が養えなくなり、最後には軍隊は比較的荒れていない地方に引っ込んで出ていけなくなる。望んでそこにいるのではない。遠征し、相手の国に攻め入ろうとしても、自分の国から出られぬのだ。

 その昔、戦があまりに長引いて、この国が三国に別れてしまった時代があった。要するに蹂躙されつくした中原は荒廃が過ぎて戦えなくなってしまったわけだ。三十年近く大きな会戦は起こせず、三国は農村と街を復興することに注力しているうちに、内政の拙さで一国は衰微し、身内の争いで別の一国は弱体化し、最後の国は家臣に王位を簒奪され、漁夫の利で三国とは別に残っていた小国、さいが簒奪者を誅伐したのを皮切りに、その後天下を主宰した。

 今回もそうなるかと思われたが、どうやら白、紅、青の三派は過去の愚は犯さぬと決めたらしい。地方で小競り合いを続けながらも、統一政府を作る話し合いがもたれているとも聞く。


 季岳には、近年、山頂までの登山道が設けられていて、この内乱のさなかにあっても道は荒れていなかった。

 地元の者が山菜採りに使うのだろう。

 随所に設けられたほこらには、ささやかながらも供え物がしてあって、季岳への信仰がいまも失われていないことが分かる。

「天命は、いずくにありや?」

 天命の所在が分からなくなっても、地祇ちぎへの信仰は残っている。

 いや、連綿と続いてきた、というべきだろう。

 人はときに天を見上げることを忘れたとしても、踏みしめた大地の感触を忘れることはない。


 山の中腹で登山道を逸れ、獣道に分け入ってそのまま八合目あたりにあったはずのひらけた場所を探す。

 むかし……そう、いまから千年以上まえに、私がこの山に登り、げいの街を見下ろした場所だ。

 金木犀の香りが満ちている。

 今年もまた、季岳の地祇である泰基たいきの妻、金木犀の精霊、芳夙ほうしゅくは静かな宴を催しているのだろうか。

 その祭りでは、かつて泰邑にあった人々が、奥ゆかしく香る彼女に静かに、敬意と親しみを込めてかしずいているのだろうか。

 

 しばらく探して、ようやく目的の場所を見つけた。

 千数百年前と同じ場所から、鯨の街を見晴るかす。

 鯨の街はいまでは別の名に変わっていた。

 塩を作る街から、海外と商いをする街へ。

 三十年前、高河に有史以来初めて、橋が架かった。

 夢を見続けた『人』がそれを成し遂げたのだ。

 ただし、いまその橋は残骸でしかなかったが。

 鯨の街の西に架かるその橋は、いま、爆破されて橋桁だけが残っている。

 その橋桁は、この場所からも一望できる。

 いちど架かった橋だ、戦争が終わればまたその姿を現すのだろう……高河の周辺に人が住むようになって数千年、架橋は悲願であったのだから。

 塩田があった場所は都心となった。

 その向こうの海が深く掘り下げられて港になり、さらには街も高河の両岸に広がった。

 ただし、いまは船の姿はほとんどない。

 侵略者との戦いと三つ巴の内乱、西側の国々自身の大戦、それらの影響でいま、この国と貿易しようとする外国はほとんどない。

 農地は街のかなり北と南に押しやられ、かつては盛り土の上にしかなかった街は、高河の両岸に幅広く広がっていたが、目を凝らすと街の中心地にもところどころなにかの耕作地があった。

 食料が足らず、あいた土地で作っているのだろう。

 秋、金色の麦と米の穂が風に揺れて、耕作地は波打つ海原のようだった。

 げいの街は、もうくじらには見えないけれど。


 私のいるこの場所に、涼しい風が吹き渡る。

 私は見晴らしの良い適当な場所を掘り、汎砂の灰の詰まった壺を埋めた。

 風が騒ぐ。

 木々の葉擦れは言葉のようだ。

 いま、私の使っている言葉ではない。遙か昔、鯨の街が泰邑と呼ばれていた頃……天命を承けたとうが征服するまえの、季岳と縁を結んだ人々によってこの地が治められていたときに使われていた言葉。

 汎砂がずっと昔使っていたはずの言葉。

 ――私には、分からない言葉だ。

 しかし、分かる。

 ――よくぞ戻ってきた。

 ――おまえはよく成した。

 ――みな、おまえの帰りを待っていたのだよ。

 彼に掛けられる言葉がほかにあろうはずはない。

 見知らぬひとびとに囲まれて、汎砂がこの地に還ってゆく……そのうしろ姿が見えた気がする。

 もう一度、風が吹いた。

 葉擦れの音は、今度は私にも分かる言葉を運んできた。

 ――あとはよろしく頼む。

 ひとつのまつりが終わった。


 ああ、私は行かなければ。


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