第26話 全部がチャラになる方法?

 カゲモノの分け御霊の一部を食べると、お嫁さんもしくはお婿さんにされるらしい。しかも、いったんその運命にのっかってしまったら、逃げられないのだそうだ。

「……に、逃げられないって、どういうことですか」

 美月みつきさんが哀しい目をした。

「たとえば、なにかしらの理由があって結ばれなかったとする。するとそれは生まれ変わった来世にもちこされる。そんでもって、それも叶わなかったらさらに次……ってことになるわけだ」

 来世?

「生まれ変わりとか、あるんですか」

「信じられないかもだけどあるぞ。結ばれるまで延々ともちこされていく契約だから、それが解消されるまでカゲモノはカゲモノで生まれるし、紬っちも一般人として生まれる。とにかく、どこにいてなにをしてたとしても、逃げられないっつーことだ」

 契約のご縁が壮大すぎる。私は固まった。

「そ、それは……大変じゃないですか」

「ああ。だからある意味、呪いなんだよ。つっても、たいていはちゃんと結ばれる。きちんとした段階をふんで婚姻が決定したあとにすることだからな。けど、今回のはあきらかに斜め上の使用方法だ。俺にも羽伊にも、もはやどうすることもできない」

 私が呆然としていると、美月さんは息をつき、言葉を続けた。

かい兄がどういうつもりなのかわからないけど、ぶっちゃけうまいこといってくれれば俺は嬉しいぞ。せっかくできたご縁にお別れを告げなくてすむからな」

 私ははっとする。それはそうだ。そうだけれど、なんとも悩ましい……!

「けど、櫂兄の嫁さんはマジで大変そうだから、来世にもちこしたほうがいいかもなあ」

「えっ」

「ただの先お送りになっちまうけど、来世の櫂兄、羽伊ういくらいにはまっとうかもしれないじゃん? まあさ、とにかくなんつーか……ほんと悪い」

「い、いえ、美月さんは悪くないので……」

 寝耳に水とはまさにこのこと。どうして櫂さんが「みんなには内緒にして」と言ったのか、いまさら理由がわかってしまった。

 とにかく、一刻も早く櫂さんと話さなくては!

「か、帰って櫂さんと話します!」

「だな。がんばれって言うことしかできなくて、マジごめん」

「いえ……その応援でじゅうぶんです……」

 肩を落としつつ急いでその場をあとにし、美月さんと通界つうかいをくぐった。

 月乃成つきのなり家につくなり、廊下に正座した羽伊さんに出迎えられてしまった。

「本当にすみませんでした。倉本さん」

 苦しげな表情で頭を垂れる。

「兄がとんでもないことをしました。俺が代わりに謝罪しますが、そうしたところでもはやどうすることもできません」

 まるで土下座のような体制に私はおののき、頭をあげてくださいと訴える。

「い、いいんです!……いえ、よくもないんですが、とにかく櫂さんはどこですか」

 顔をあげた羽伊さんは、死を覚悟した武士みたいな顔つきで視線を遠くさせた。

「俺がこっぴどく叱りつけたら、裏の森に逃げました」

 ……子どもですか。



 早朝の日差しが爽やかだ。朝露に濡れた地面を踏みしめながら、森を歩く。

 櫂さんに励まされたこともあるし、まっとうな大人の人だと思っていたけれど、こうして少しずつ知っていくと、案外そうでもないことがわかってきてしまった。

 でも、人間離れした容姿だからこそ、そのほうが人間らしくて好ましい気もするような、しないような……と悩ましく考えていたとき、どこからともなく目の前に、闇色の着物と袴が舞いおりた。

「羽伊に叱られました」

 当然です。

「あれ? もうきみの思考が届かなくなったみたい。残念だな」

 哀しげに眉をさげた。それでいいんです!

「あの、いろいろ知りませんでした」

 私が告げると、櫂さんは世にも美しい笑みを見せた。

「言ってないもん」

 清々しいほど悪びれない。それはおそらく、そもそも櫂さんに〝私をお嫁さんにする〟つもりなんてなかったからだ。

 きっと櫂さんだけが知っている、この壮大な呪いめいた契約をとく方法があるはず。そうでなければ、ブーストをかけるためだけに食べさせたりしないはずだもの。

「あれは私がカゲモノになるためのブーストで、しかたなくしたことで、みなさんの言うような深い意味とかはないんですよね?」

「うーん……まあ、そうかな?」

 そうかな? 煮えきらないように聞こえるのは、私の気のせいなんだろうか。ちょっと不安になってきた。

「……砂己さこさんの分け御霊をもってるから食べても大丈夫って言われましたけど、べつにもってなくても食べられたんですね」

「うん。でも、きみみたいな使い方はできないよ」

 ですよね……じゃない。櫂さんと話していると、うっかり納得しそうになるから困る。

「と、とにかく、実はみなさんが知らないだけで、なにか秘密の方法なんかがあるんですよね? なんというか、昨夜からのあれやこれやがチャラになるみたいな……?」

「僕の分け御霊の一部を食べたことが、チャラになる方法?」

「そうです」

「僕のお嫁さん認定がチャラになる方法?」

「そうです!」

 安心してと言いたげに、にっこりと柔らかく微笑んだ。ほら、やっぱりあるんだ!

「ないんだよね」

「――え」

 身動きを忘れた私の頬を、朝のそよ風が慰めるように優しく撫でていった。そんな私を見つめる櫂さんは、なぜかけげんそうに目を細める。

「あれ? もしかして嫌だったりする?」

 心底意外そうな表情をされた。

「い、嫌とかどうとか以前の問題だと思うんですけども……?」

「そうなの? なんで?」

 なんで……?

「……って、だって、いろんなことふっ飛ばしちゃってるじゃないですか」

「いろんなことって、お互いの気持ちを確認してつきあってみたいなこと?」

「そ、そうです!」

「そういうの、べつにいらなくない?」

 えええ……?

 あっさり全否定されてしまった。呆気にとられて固まる私に、櫂さんは顔を近づけてにっこりする。

「僕はきみがとても気に入ったし、この先にきみ以上の女の子と知り合えるとも思えないから、きみをお嫁さんにするか独身で死ぬか、二択の覚悟を密かに決めてたんだよね。知らなかったでしょ」

「し、知るわけないじゃないですか!」

「きみを手放したくないなあと思っていたら、威井田がいい感じに人手不足を誘ってきたから、僕にとっては一石二鳥。そういうわけで、食べていただきました。もちろん、あくまでも必要だったからだけれど」

 どこまで信じていいものか、頭が痛くなってきた……。

「つまり、櫂さんの思惑どおりに、ことが運んでしまったってことですか?」

「まあ、偶然にもね」

 笑みを消した櫂さんは、同情を誘うような眼差しを向けてくる。

「独身で一人さびしく老いていく僕を想像してみて? そうしたらきっと僕は不便な山小屋で暮らして、誰とも会わずに孤独に死んでいくんだ。すごくかわいそうじゃない?」

「そういうときこそ、通界使ってください」

 櫂さんがニヤッとする。

「やだ」

 えええ……?

 〝櫂兄の嫁さんはマジで大変そう〟と言った、美月さんの言葉を思い出す。考えがまったく追いつかない。頭の中が真っ白になってきた。

「……私は、よくわからないんです。その……櫂さんのことをどう思っているのか」

 ふっと櫂さんが笑った。

「だろうね。きみの好きなのは、真面目で優しくてまっとうで、自分のしてきた苦労をほかの子たちにも経験してほしくないがために、苦学生のための教育施設を全国規模で運営しようとしてる青年だもんね」

 思わず息をのむ。矢凪さん、そんな大きな夢を抱いていたんだ。

 押し黙っていると、櫂さんが言った。

「きみはいままで、そうやってさんざん片思いばっかりして、報われることなく誰かのことを思ってばかりだったでしょ」

 図星すぎて答えられない。櫂さんが笑みを消した。


「――だから、今度はきみが思われる番だ」


 はっとする私の胸を、つんと軽く突く。

「でも、いまのままじゃさすがにきみに不公平だよね。だから、どうするかはきみが決めていいよ」

 びっくりして目を丸くする。

「決めても、いいんですか」

「いいよ。自分の暮らしに戻ってもいいし、このまま僕らと暮らしながらバイトをしてもいい。婚姻の契約がされたからと言って、必要以上に縛られる必要はないし、先送りにしてもいいんだ。まあ、そうなったら今世の僕は山小屋で孤独死まっしぐらだけど」

 わざとらしく哀しげに目線を落とす。そんなわけない。

「……罪悪感に訴えないでください」

 上目遣いで私をうかがう。

「きみの一番弱いポイントでしょ?」

「そのとおりなので、やめてください」

 クスクスと櫂さんは笑い、あらためて私を見つめる。

「どのみち砂己に分け御霊を戻したら、きみの記憶はいったん消える。そのことに代わりはないんだ。でも、きみが僕の分け御霊を食べてくれたおかげで、僕はその記憶を戻すことができる。その記憶も含めてどうしたいのか、全部きみが決めていいよ」

 月乃成家でのことをいっとき忘れたとしても、思い出せるのは素直に嬉しい。でも、それはこの一族の一員になることだし、櫂さんのお嫁さんになることとイコールなのだ。

「ちょっとだけ、時間ください」

「もちろん」

 にっこりする櫂さんの前髪が、さらりと風にそよぐ。

「一人ぼっちで満足に食べられなくて、よぼよぼにやせ細ったかわいそうなおじいさんの僕のことを、隅々までたっぷり想像してから答えを出してね」

 絶対にいやです。

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