第19話 飛んで火にいる夏の虫
「いらっしゃいませ。おにぎり温めますか?」
「いいでーす」
「レジ袋温めますか?」
「えっ?」
制服姿の女子高生が目を丸くし、笑った。
「あっ、すみません! レジ袋いりますかって言いたかったんです!」
買い物を終えた女子高生が、友達と笑いながら去っていく。ありがとうございましたと気のない声をあげたとき、同じシフトのちーちゃんが心配そうに眉を八の字にさせた。
「倉ちゃん先輩、ずっとぼーっとしてますけど大丈夫っすか? 具合悪かったりしてないっすか?」
「い、いやいや、平気。昨日遅くまで動画見ちゃって、寝不足なんだ」
私の嘘に、ちーちゃんはホッとしたように笑ってくれた。
「あーわかります。やっちゃいますよねー」
本当は
今朝、完全な睡眠不足で朝を迎え、一階におりると誰もいなかった。
朝食をつくってしばらく待ったものの誰もこず、まるで自分だけがこの屋敷に取り残されたような気がしてしまった。慌てて
ずっと一人でいるほうが、さびしさを感じずにすむから安全で楽だ。でも、一度でも誰かのいる暮らしに慣れると、もとに戻るのは難しくなる。
たとえ、その思い出ごとなにもかもが消えるとしても、こんな思いをしたことがない私にとっては、現在進行形で難しいことにかわりはない。
……あーあ、まいったなあ。
そう思ったところで、いまさらどうしようもない。いやおうなしに終わりはくるし、それは近いのだ。
それに、こんな思いをしていたことも、どのみち忘れてしまうのだから。
「……ええい、じめじめタイム終了! 未来の自分に丸投げしてしまえ!」
鼻息荒くそう決めて掃除をし、道場で軽く身体を動かした。せっかく
タブレットに届いていた書類には、
「……あいつ、捕まるんだ」
少し安堵しながらプリントアウトし、目立つようにボードに貼る。そうして誰にも会わないままバイトの時間になり、いまにいたっている。
ロボットみたいにレジにへばりつき、次から次へと機械的に仕事をこなした。
いつになく夜も混んで、
列になっているお客さんを、次から次へとさばいていく。お弁当を温め、レジ袋に入れて渡す。荷物の発送をうけたまわり、つまみとビールにテープを貼って渡す。肉まんの残数を覚え、公共料金の支払いを受けつける。おにぎりと菓子パンを袋に入れて渡したあと、よれたスーツ姿で野球帽をかぶった男性が、深くうつむいてカウンターに立った。
「七十八番、ふたつ」
たばこの銘柄をしめす番号を教えられ、「かしこまりました」と箱をつかむ。バーコードを読み取って値段を伝え、男性の目の前にたばこを置いた直後、その顔が少し見えた。
――痩せこけた頬に、落ち窪んだ双眸。
見覚えのある顔に思えるけれど、深くかぶった野球帽に邪魔をされて自信がもてない。それに、かつてないほどの間近な距離も、私の判断を鈍らせた。
男性はカードをレジに差し込み、決済した。レシートを指に挟んで一瞥し、ボックスに捨てる。
「……ありがとう、ございました」
猫背姿で自動ドアをくぐる。どうにも気になり、目で追ってしまう。と、通りを渡った次の瞬間、私の視界からあっさり消えた。
――え、うそ! しくった。あたりだ!
でも、待って。私が見逃しただけかもしれない。いや、違う。だって、まばたきもしないで見ていた自信があるもの。だから断言できる。
文字どおり、姿を消したのだ。
だけど、もしかしてあれもコピーなのかな。そうだとしたら、精巧すぎる。
どちらにしても、いまの私にはどうすることもできない。
バイトあがりまでの数分を耐え抜き、夜勤の人と入れ替わるようにして退勤し、外に出た。すぐさまスマホで櫂さんに連絡するも、任務中らしく出ない。
『ういーす、どした?』
眠たげな声で、仮眠中だったとわかる。
「き、休憩中にいきなりすみません! き、きたと思うっていうか、きました!」
『きたってなにが?』
「い、威井田です!」
『――マジ!?』
「マジです!……けど、あれもコピーなんでしょうか」
『コピーは買い物なんかしない――くっそ、マジかよ!』
「じゃ、じゃあ、コピーじゃないなら顔も似てたし、お店から出てすぐ姿消したので、たぶん本人です!」
『けど、俺たちと一緒にいた紬っちの顔、コピーとはいえ向こうも見てるはずなんだよな。コピーの視界は本人とつながってるから、確実に認識してる。だからよほどのおバカさんじゃないかぎり、うっかり入ったとしても気づいて避けるっつーか、逃げるんじゃねえか?』
「美月さん、レジと一体化してる人間のこと、まともに見たことありますか?」
『…………悪い。ねえわ』
「そういうことです!」
美月さんが絶句する。私は威井田の様子を、覚えているかぎり伝えた。
『よし、わかった。
「え?」
「売ってるものでもなんでもいいから、なにか触らなかったか?」
買ったのはたばこだけで、ほかにはなにもない。レジの前に立つまで、威井田本人だと思ってもいなかったから見ていなかったし、なにに触れていたかなんてまったくわからない。
「オーナーに頼んで、監視カメラを見せてもらうしかないかもです……。でも、触ってたらなにかいいことがあるんですか?」
『ああ、すげーいいことがある。術を使う紊者には、独特の波動がある。紊者本体の触れたものがあれば、俺たちの
「え? 視界を盗むって、なんですか?」
『どこにいてなにを見てるか、こっちに筒抜けになるってことだ。その筒抜けになってる景色から、居場所を特定することもできる。ようするに、そいつがあれば威井田本人の居場所がわかるかもしれないってことだ』
それはすごい。めちゃくちゃすごい!
「わかりました、意地でも見つけます!」
『おう! 全俺が期待してるぞ!』
美月さんの期待を一心に背負い、いったん通話を終えた。
立ち止まったまま考える。万引きかもしれないと伝えて、監視カメラを見せてもらうのはどうだろう。
「……心苦しいけど、それしかないかな」
まだオーナーがいるので、急ごう。速攻で戻っていたとき、道端に落ちたレシートが視界に入った。
――あっ。
そうだ、あった。威井田の触れた唯一のものを、思い出した!
リュックを背負ったまま店に戻る。公共料金の受けつけで、捨ててはいけないものを捨てたかもしれないと嘘をつき、ユニフォームを羽織ってレジに向かった。
ゴミ袋を取り出して事務室に引っ込み、念のためビニール手袋をして必死に漁る。まだそんなに時間は経っていないから、底まで手をつっこむ必要はない。
くしゃくしゃに丸められたレシートを、一枚一枚広げていく。地道に丁寧に着実に。そうしてやっと、たしかに私の売った二個のたばこのレシートを見つけた。
「倉本さん、どう? 大丈夫?」
帰り際のオーナーが声をかけてくれる。私は笑顔で伝えた。
「はい、大丈夫です。私の勘違いだったみたいです!」
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