第16話 過去の亡霊
ママと離婚したパパには、禁固二年の実刑判決がくだった。
すべての資産を売却して損害賠償の手続きをしたものの、追いつくわけもなく会社は倒産。違法建築されたビルやマンションは、土地目的の海外資本の企業にわたり、修復可能と判断された建物以外は解体された。
無一文になったパパは表舞台から姿を消すも、自身の罪の返上目的で刑期を終えたのち、その顔の広さと人脈を使いはじめる。
刑期中に知り合った
悪縁は悪縁を招く。やがて、紊者は紊者を紹介し、富裕層は富裕層を紹介する。そうして数年のうちに、パパは――この千海という男は、ブローカーの立場を確固たるものにしたのだ。
私は自慢じゃないけれど、まともな大人を知らない愛情不足で育った。
でも、自分を不幸だとは思わない。一度でもそう思ってしまったら、ママと同じ道を歩みそうだからだ。
それでもなんとかまともでいられたのは、自力でこんな地獄から抜け出してやると、自分に強く誓っていたおかげだ。
けれど、こんなとき。
自分の親のどうしようもなさを見せつけられたときは、せっかくのぼりきった山の頂上から、突き落とされるような気分を味わうはめになる。
幼いころ、お金に不自由はなかった。でも、千海はほかの子の父親のように家に帰ってくるのは極稀で、気まぐれにたまに戻ると、まるで面白いジョークでも飛ばしているかのような半笑いで、私とママに必ずこう言った。
――なんだ。まだ生きてたのか。
ブランドものに囲まれたセレブな生活を手放せなかったママは、そんなことを言われても千海の言いなりだった。いつだってなんだって千海の言いなりで、若さを保つためにしょっちゅう皺をのばす整形をしていた。
そんなママを、千海は「みっともない」と鼻で笑い、常に独身のように振る舞っては若い女の子を愛人にしていたのだ。
そのうえ、私を目にするたび、躊躇することなく口にした。
「おまえは本当にブサイクだな。いったい誰に似たんだ?」
褒められるのは顔だけで、父親らしい優しさや思いやりなんて、針の穴ほども持ちあわせていない。
他人を騙して蹴落とし、湯水のような金銭を得る能力にだけ長けた男。
人間のダメなところを全部あわせて煮詰めてできた、伝説級のクズ。
それが、私のパパ――
自分にも同じ血が流れているのだと思うと、吐きそうになる。実際、書類のファイルをしている途中でトイレに駆け込み、嘔吐した。
もう一生会うことなんてないと思っていた。私の人生から抹消した存在が、こんなところで、こんな場面で、亡霊みたいに復活してきたなんて。
「……まるで、ゾンビだ」
二度と顔など見たくない。関わりたくない。知らんふりをして逃げてしまいたい。
けれど、ここで知らんふりをして見過ごしたとしても、いまこのときのことを、私は死ぬまで覚えているはめになる。そんなことになったら、私はもう二度と、自力で立ち上がれないかもしれない。だって――。
あいつのせいで、
あいつのせいで、矢凪さんが死んでしまうかもしれない。
「……ダメだ。あいつはなんとかしないと、絶対ダメ」
そうじゃなきゃ、ママみたいになる人が増えていく。
「……いや、違う。そうじゃなくて」
そうじゃなくて――私が、ママみたいになってしまうかもしれない。
頭に血がのぼり、私から冷静な思考を奪っていく。考えるより先に行動していた。
洗面所で口をゆすぎ、二階の事務室に戻る。千海の情報を四つ折りにしてポケットに入れ、自室に行く。ジャージのままリュックを背負い、次に台所へ向かった。
流し台の引き出しから、折りたたみのナイフを取り出す。切れ味がいいのは知っていたので、ポケットに突っ込んだ。
情報によれば、住所不定の千海は、
普通であれば身を隠すため、こまめに拠点を移すはず。でも、堂々とお気に入りのホテルに居座る千海は、まるで捕まえられるものなら捕まえてみろと言わんばかりだ。
きらびやかな世界を好む千海らしくて、腸が煮えくり返る。あってはならない仕事に手を染めてまで、よくぞのうのうと生きていたものだ。
静まり返った
左右にずらりと並んだ
千海の監視が担当外の案件だとしても、このドアの中にきっとある。
――東京につながっているドアが、きっとあるはずだ。
すでに使っているドアを避け、次々に開けていく。
すすきのの歓楽街、広い敷地の大学構内や駅のほか、あきらかに札幌じゃない情緒あふれる夜景もあった。けれど、東京らしき場にはつながっているドアはない。
うそ、まさかない?
「いいよ。なかったら飛行機でいってやる」
最短ルートを諦めかけ、最後のドアを開けたとき。
「――あっ」
夜景に包まれた高層ホテルと、その奥で赤く輝く東京タワーが視界に飛び込んだ。
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