第15話 ブローカー
Wi-Fiがもっとも安定している場所らしく、二階の南側に位置した八畳ほどの和室を事務室にしているらしかった。
障子扉ではないドアを開けると、タブレットの置かれた漆塗りの文机が視界に飛び込む。座布団や毛布、お菓子と缶コーヒーの空き缶が畳に散乱し、コピー機から吐き出された書類とファイルが積み重なっていた。
「あのヘンのぐっちゃになってる書類とかファイルも、整理してもらえると助かる」
「わ、わかりました……」
ぐちゃぐちゃすぎて言葉につまる。
「言いわけになっちまうけど、あんなになってんのは深追いしなくていい情報だからだ。基本、俺たちはいま追ってる相手のことだけに集中したいから、それ以外の情報はあえてあまり目にしないようにしてるんだ。余計な思考に邪魔をされていたら、相手を逃しかねないからな」
それはわかるにしても、なかなかな仕上がりの室内だ。掃除の最中、きっちり閉まっているドアを勝手に開けることはしないので、ここはなんとなく物置のような気がしていた。まさか、どこもかしこもきれいなお屋敷に、こんな惨状の部屋も隠されていたなんてびっくりだ。
「みなさんのこと、もれなくきれい好きだと思ってました」
「俺と
半眼になった美月さんは、部屋を見るなり歯ぎしりした。
「全部、
「ご自分の部屋は使わないんですか?」
「そっちはここ以上のマジな汚部屋だから、まだマシなここがいいんだろ」
あの櫂さんが? そんなバカな。
「信じられないです」
「櫂兄はああ見えて、自分じゃなにひとつ捨てられない困ったさんだ」
櫂さんの意外な真実以上に驚かされたのは、推理ドラマに登場するような壁一面のホワイトボードだ。
「こういうの、はじめてちゃんと見ました」
「アナログだけど、この形式で情報共有するのが俺たちにはあってんだ」
現在進行形で関わっている重要な情報のみ、目立つようにボードにしるしていると言う。左半分は札幌市内の地図で、右半分に数枚の写真が貼られてあった。その中の一枚を目にし、息をのむ。
彼の写真があった。履歴書の証明写真のようなその下に、名前と職場が書かれてあり、暮らしているエリアと住居のポイントに線が引かれている。
ああ、知りたくなかったな。だって、知ってしまったら急に身近な存在になって、手をのばしたくなるかもしれないから。
未経験の恐怖に怖気づき、とっさに視線をほかに移す。と、隠し撮りをしたかのようなぶれた写真が数枚あり、そのうちの二枚には斜線が引かれてあった。
「そいつらは、すでに
二枚の横に、私が昨夜目にした男のものがあった。
逮捕直後に撮影されたかのような写真だ。
「この人、もしかして逮捕されたことあるんですか」
「ああ。ちゃちな詐欺とか盗みで何度か捕まってる」
どこからどう見ても、紊者だなんて思えない。ごくごく普通の、どこにでもいる中年男性に思える。
「この人のやっていることも身元もわかっているのに、みなさんに依頼がきたってことは、警察だと手に負えないってことですよね。でも、こうやってすでに逮捕歴もあるのに、今回だけどうして逃げ足がすごくなったんですか?」
「世の中には、娑婆よりも牢のほうが居心地がいいって考えてる輩がいる。寝床はあるし飯もでるからな。こいつもその類で、ちょこっと悪さして出たり入ったりを繰り返しながら、長い間細々と生き抜いてたんだ。自分の真の能力の使いどころがわからなかったせいでな」
紊者は紊者を育てる。それを体現するかのように威井田の祖父もまた、長年国家組織の監視対象リストに名を連ねていた紊者だったらしい。
祖父に育てられた威井田は、その唯一の肉親を十代で看取る。定時制の高校を中退し、反社会的組織の末端に落ち着くも、祖父から伝授された技を披露する機会に恵まれないまま詐欺の失敗を繰り返し、使えないと判断されて組織を追放された。
以来、住所不定で情けない犯罪を重ね、警察のお世話になっていたのだと美月さんは教えてくれた。
「……この人、自分の家族とかあるんですか」
「奥さんと娘がいたらしいが、かなり前に離婚して縁をきられてる」
よかった。もちろん、二人にとって。
美月さんが息をつく。
「紊者はとにかく人脈が命だ。そいつがなければ、過去のこいつみたいにまったく稼げない。だから、自分の力を満足に発揮しないうちに人生を終えることになる。けど、こいつにとってはそのほうがよかったかもしれないな」
能力に目覚めて道を踏み外すくらいなら、無力だと思い込んでいるほうが、人としてまともでいられるからだ。そうですねと相槌をうってから、ふと思う。
「この人、その人脈をどこで見つけたんですか」
「おそらく、刑期中に知り合った男からブローカーを紹介されたんだろうって、俺たちの依頼元は予想してる」
「刑務所で?」
「よくあることだ。悪縁が悪縁を招くんだよ」
「そのブローカーは逮捕されないんですか?」
「もちろん、依頼元も黙ってない。けど、こういうブローカーのクライアントには、権力者がいることも少なくないんだ」
「えっ?」
美月さんが嘆息する。
「高額な報酬さえ払えば、どんな願いも叶えてくれる。そんなブローカーが捕まれば、自分たちの悪事も暴かれかねないだろ? だから、紊者ブローカーの逮捕にはいろんな介入があるし邪魔も入る。そういうわけで、ブローカーは俺らの分家が依頼元と逮捕のタイミングを見計らいつつ、監視している最中だ」
私は目を丸くした。俺らの分家?
「分家があるんですか?」
「ああ。ブローカーがいるのは東京だから、そっちを担当してもらってる」
驚いた。
「みなさんだけじゃなかったんですね」
美月さんが苦笑する。
「まあ、一応な。けど、あっちもギリギリの人数で動いてるから、助っ人なんか頼もうものなら激昂されるのがオチだ。っつーことで」
美月さんが両手を広げた。
「この惨状とデータファイルの整理、よろしく頼む!」
私はジャージの袖をまくった。
「わかりました。おまかせください!」
タブレットを立ちあげ、教えられたパスワードを入力する。
全員がふたたび出払った夕方。
新着情報がないことを確認してタブレットを閉じ、室内を掃除する。そうしながらも気になるのは、ボードに貼られた片思い相手の写真だ。
「……矢凪、祥平さんか……」
うん、わかる。なんかすごく、祥平って感じする。
「祥平さん……」
思わずにやにやしてしまい、そのキモさにはっとして真顔に戻した。私は彼をこんなふうに知ってしまったけれど、彼は私をまったく知らないのだ。
なんだかストーカーみたいで、我ながら本気で身震いする。
「ダメだ、気をつけよう。ほんとすみません、ごめんなさい」
あなたに害を及ぼすようなこと、私は絶対にしません。でも、あなたが無事でいられるお手伝いを、陰ながらさせていただきます。
「あと、またいつでもコンビニにきてください。たらこの新作おにぎり入荷しました」
そして、とにかく無事でいてください。そう切実に願いながら、威井田の写真を視界に入れてしまった。
「……いい大人がなにやってんですか。お金欲しいならちゃんと働けばいいじゃないですか」
顔をペンでぐちゃぐちゃにしたい衝動に駆られたけれど、我慢する。こんなどうしようもない紊者に、矢凪さんが殺されてたまるもんか。
大丈夫。櫂さんたちが絶対に阻止してくれるし、捕まえてくれる。
「みなさんに捕縛されたら一年といわず、一生全身肉離れになればいいよ!」
せめてもの怒りの発散に、写真を拳で叩いてやった。
「さ、掃除、掃除!」
ゴミをビニール袋にまとめ終え、あちこちをざっと乾拭きする。そうしてから、散乱する書類のファイリングを開始した。
先に捕縛された紊者二名の現状のほか、全国にわたるリゾート開発、ホテルや高層マンションの管理・運営を手掛けている有名企業、
私ははっとし、息をのむ。
ここが、矢凪さんの祖母が会長となっている企業だったのか。
五芒グループは知っている。有名だからじゃない。まだ私が幼かったころ、近所に一族の人がいて、ときどきガーデンパーティにお呼ばれしたことがあったからだ。
子ども同士で集まってばかりいたから、大人たちの顔なんてまったく覚えていない。でも、ママと腕を組んだパパは、よく大人たちを集めてジョークを飛ばし、笑わせていた。
外では仲良しをよそおって、自宅に戻るとまともに口を利かない二人だったから、私はパーティが好きだった。嘘でも演技でも、仲良しな二人を見ることができたから……なんて。
「バカみたいなこと思い出した。忘れよう」
息をつき、機械的に書類に目を通しながら、ファイリングを続ける。
五芒グループの親族のうち、誰が紊者ブローカーと接触したかまでは判明していないらしい。と、それらの書類の中から、一人の男の写真と経歴情報がでてきた。
クライアントと紊者をつなげたとされる、ブローカーの男だ。
若いころはさぞかしイケメンだったろうと思われる、白髪の中年男性。整った顔立ちは健在でも、眼差しの軽薄さは隠せない。どんな犯罪に手を染めようと、この男はけっして自分を責めたりしないだろう。
その男は、世の中のいっさいをあざ笑っているかのような表情で、私を見ていた。
私の、パパだった。
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