第10話 誰もが夢見ること
早朝、一階の掃除をしてから、
夕食の準備後はまた無人になるので一人で食べ、ひっそりと砂己さんの様子を見守る。お風呂に入っている間に下着類を洗濯して乾燥機をまわし、すべてを終えたころにはくたくたなので、Tシャツとトレーニングウエアで爆睡する。
そんなタイムテーブルが板についてきた四日後の朝、櫂さんが私に言った。
「
「あ、はい。ぜひ!」
切実に着替えがほしかったので、トレーニングウエアにリュックを背負った私は、櫂さんのあとに続いた。と、彼は玄関で靴を持つなり、なぜかくるりときびすを返す。
「靴を持ってこっちにおいで」
「えっ?……と、はい?」
戸惑いつつも、言われるがまま追いかける。すると、離れに通じる廊下に向かった櫂さんは、いくつもあるドアのひとつを前にして靴を履いた。
「あの、玄関は……?」
櫂さんは振り返り、「ご心配なく」とにっこりする。わけがわからなかったけれど、しかたがないので私も真似をし、靴を履く。
櫂さんがドアを開けると強風が吹き、とっさに目を閉じた。すると、
「きみのアパート、この辺にあるよね?」
そう言われてまぶたを開けた瞬間、固まった。
「――え」
見覚えのある住宅街が視界に飛び込み、とっさにうしろを振り返る。閉店したレンタルショップの裏口で、中をのぞくとついさっきまでいた廊下が見えた。
「え、えっ?」
呆然とする私を見て、櫂さんは微笑んだ。
「便利でしょ」
〝
通界は空間と空間をつなげるトンネルのようなもので、ラジオのチューニングをあわせるように、空間をつくる目に見えない微細な波動パターンを同等にすることで、出入り口にするものらしい。ここを通り抜けられるのは分け御霊をもつ者だけであり、通界を開けた者が閉じないかぎりはいつでも行き来ができるそうだ。
正直、説明されてもさっぱりわからなかった。けれど、私が理解するにしろしないにしろ、
「あそこは小樽。所有してる屋敷は日本全国いろんなところにあるんだけれど、一番道場が大きくて空気がきれいだから、ほとんどあそこを拠点にしてる。で、あの廊下の壁にあるドアは、案件でよく使うそれぞれのポイントに通じてるというわけ」
やっぱり小樽だったんだ。でも、もはや住所なんて彼らには関係ないのかもしれない。
「アプリの地図にポイントがつかないのも、通界のせいですか?」
「それもあるし、あそこにも陣界を張ってあるから、アプリ的には磁場が狂っちゃってる状態でわかんなくなってるのかもね。Wi-Fiもちょっと不安定だし」
近代的なテクノロジーと摩訶不思議なものの対比に、混乱してきた。
「な、なるほどですか……」
そう返事をしたとき、唐突に気づく。
「じゃあ、私の自宅にも通界を開けられるってことですよね? たとえば、トイレのドアを開けたらあの家の廊下みたいな」
「それができたら本気で便利なんだけれど、通界先のポイントに他人の気配が強く残っていると、ウチとの波動パターンが安定しない。だから、いざというときに使えなくなる懸念があって避けるんだ。それで、ああいう空きビルや空き家のドアなんかになってしまうわけ」
さすがに万能でもないらしい。だったら、どこまでの範囲が可能なのか知りたい。
「もしかして……海外にも通じてたりして?」
自宅のアパートに向かって歩きながら、冗談交じりに訊ねる。櫂さんが微笑んだ。
「ハワイとかね」
思わず足を止めてしまった。えっ、うそでしょ!
「ほんとですか? どのドアですか!」
ちょっと興味ある。いや、だいぶ興味あります!
嬉々とする私に、眉を八の字にさせた櫂さんは、さも哀しげに言った。
「ごめん。通界を開くには、ポイントに直接赴く必要があるんだ。いつか試してみたいと思いつつ、忙しくて海外に行くどころじゃなくてね」
がっかりどころか興奮する。条件が揃えば海外もありなんだ!
櫂さんがクスッとした。
「なんか意外。もっとクールなのかと思ってたけど、わりとこういうこと喜ぶんだね」
「家がハワイとかに通じてるなんて聞いたら、誰だって喜びますよ!」
「そう?」
本気で疑問視している表情だった。きっと櫂さんにとっては当たり前すぎて、興奮するようなことじゃないらしい。
「誰もが一度は妄想することです。海外じゃなくてもめちゃくちゃすごいです」
私が力説すると、櫂さんは声をあげて笑った。
「ま、バイトの通勤に使ってあげて。あのエリアにいっぱい開けてあるから、きみに便利そうなやつ教えてあげるよ」
はいとうなずいたものの、ふと櫂さんの言葉にひっかかりを覚えた。〝案件でよく使うそれぞれのポイントに通じて〟いて、〝あのエリアにいっぱい開けてある〟ということは。
「あの……もしかしてですけど、みなさんにロックオンされている紊者と私のバイト先があるあたりって、関係あったりするんでしょうか?」
はじめて砂己さんを見かけたのも、バイト先からそう遠くない公園だ。どうしてもっと早く、こんなに大事なことに思いいたらなかったんだろう。
「うん。紊者に狙われているターゲットは、あのエリアで暮らしているんだ。だから、紊者もおのずと出没する。ここ数日気配を消しているけれど、そろそろ動き出すはずだ」
「えっ」
「でも、きみはいっさい関与しなくていいからね。アルバイトをしてトレーニングをして、砂己の顔を拭いたり話しかけたり、そっと布団をなおしたりしてくれるだけでいいから」
ぎょっとする。見守ってたこと、バレてた。でも、なんで?
「どど、どうして……」
うしろめたいことなんてなにもないのに、やたら恥ずかしい。顔を赤くすると、櫂さんが笑う。
「カメラあるよ? なにかあったらすぐ本家のお医者さん呼ばなきゃだから、スマホで確認できるやつ」
みなさん外出が多いのだから、たしかにあって当然だった。問題はぼんやりした風貌の女子が、ぼそぼそとひとりごとみたいに話しかけている不気味な場面も見られていたことなわけで。
どうしよう、穴があったら入りたい。
「し、心配で……というか、ご親族にお医者さんいらっしゃるんですね?」
「うん、看護師もね。深夜にときどき来て、通界からさっと帰ってるよ」
私の点滴もその人たちのおかげだと教えてもらった。手術の必要な怪我や病気以外は、極力病院を避けているらしい。人の出入りの激しい場所には、通界と同じく陣界を張ることもできないので、敵対している紊者に気づかれるとやっかいだからだそうだ。
「なんと言いますか……不審者みたいですみません」
「なんで? みんな微笑ましく見てたよ」
櫂さんだけじゃなく、羽伊さんと美月さんにもチェックされていたらしい。
「早く言ってください」
「癒やされてたし、言ったらやめちゃうかなと思って黙ってた。しゃべっちゃってごめん」
私はうなだれる。なおさらやめるわけにいかなくなってしまった。ここでやめたら、もっと恥ずかしい気がするからだ。
いっそ開き直って、ふんばれ私。
「さ、砂己さんの見守り……続けさせていただきます」
櫂さんはクスクスと笑った。
「うん。ありがとう。気にしないで話しかけてやって。ちゃんと聞いてるから」
「えっ、砂己さんがですか?」
「いや、僕らが」
金輪際、話しかけるのはやめよう。
楽しそうにニコニコしている櫂さんを外に待たせ、私は顔を赤くしたままアパートに入った。
急いで必要なものと着替えをバッグに詰め込み、レンタルショップの裏口から秒で戻ったのだった。
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