第8話 彼らのお仕事

 かいさんと母屋の裏手にまわる。

 立派な梁に守られた道場は、鬱蒼とした森を背景にして建っていた。中はかなり広く、天井も高い。ガラスのない上部押しだし窓が四方の壁に並んでおり、風が入るたびヒノキの香りが漂った。

 ふと、位置情報が不明だったマップアプリを思い出す。

「あの、ここの住所って、どこですか?」

「そのうち教えてあげる。まずは座って」

 板床に正座し、背筋をのばす。すると「砂己さこにそっくりの座り方」だと言って、櫂さんはかすかに笑った。

「では、あらためまして」

 笑みを消す。そのとたん、道場に流れる風がぴたりとやんだ。

「これもなにかの縁だろうし、きみには協力していただかなくてはいけないので、これより我が一族を代表し、僕らがいましていることを伝えます。とはいえ、きみに砂己のかわりになってもらうつもりはないから、身構えないでね」

「わかりました」

「僕らについては美月みつきからおおかた聞いたようなので、かいつまんでもいいかな?」

「大丈夫です」

「では、続けよう。僕らはとある依頼を受け、半月ほど前から三名の紊者びんじゃを監視していた。二名はすでに捕縛ほばくして引き渡し、現在は残り一名の出方をうかがっている。この三名の紊者らは、多額の金銭と引き換えに殺しをおこなう者たちなんだ」

 ――えっ。ごくりと私はつばをのむ。

「こういった紊者には、必ずブローカーが存在する。案件によって紊者にチームを組ませて送り込む存在だ。でも、僕らが依頼されたのはブローカーの捕縛ではないのでタッチしていない。あくまでも殺しをおこなう手下、残り一名の紊者の捕縛がいま現在の案件だ」

 私は無言でうなずく。櫂さんは続けた。

「彼らが殺しをおこなう主な基準は、とにかく報酬。高額な報酬さえ得られれば、ターゲットがどんな相手であろうと手をくだす。で、今回ターゲットになっているのは、とある資産家女性の孫で、遺産の数パーセントを相続する男性だ。このことをよく思っていないほかの血縁者が男性を消すべく、裏社会の口コミを頼ってブローカーに依頼。三名の紊者チームが結成された。男性が消えれば、その分の遺産は再配当されて自分たちのものになるからね」

 ひどいことだ。お金に振りまわされた過去があるから、憤る。

「でも、あと一人だけなんですよね?」

 そう、と櫂さんは息をついた。

「恥ずかしながらその一人に手こずってる。いまだかつて相手にしたことがないタイプの紊者で、褒めたくはないけれどとにかくコピーがうまいんだ」

 美月さんも言っていたことだ。

 コピーでこちらの目をくらませ、幻影のカラスで視界をさえぎり、術をかけた武器や消える手裏剣で攻撃してくる。俊敏な動きのコピーに翻弄されると、その本体の行方を探る余裕をなくしてしまう。それでもどうにか、本体が身を潜めていると思われるエリアの特定にはいたったものの、いまだに絞りきれてはいないらしい。

「そういうわけで、いまはターゲットのそばにいることを優先している状況だ。本体のあらわれる確率も高いからね」

 すでに数回、ターゲットの危険な場面にでくわし、影ながら回避させてきたと櫂さんは話す。

「そういった事情で、僕たちはいま予想外のダブルワーク状態なんだ。一方は残党の捕縛。もう一方が、ターゲットになっている男性の護衛。笑えるでしょ」

「い、いえ、笑えませんよ。大変です」

 櫂さんがクスッとした。

「ターゲットは自分に遺産が入るなんて想像もしていないらしく、それはもう無邪気に動きまわってくれる。でも、僕らは彼に事情を伝える立場にないし、存在も知られたくない。なので、早々にでもすべてをおさめなくてはいけないんだ」

「その人は、遺産のことを知らないんですか?」

「うん。ターゲットの父親が縁をきっていたため、祖母の存在はおろかかなりの資産家であるということも、いっさい知らされることなく育ったようだ。ちなみにこの父親は、三年前に事故死している」

「――え。まさか、それも?」

 さすがにわからないと、櫂さんは言葉を濁した。

「ターゲットの祖母はいまだご存命だけれど病床にあって、遺言はすでに弁護士の手にわたっている。でも、頑丈に守られていたはずのそれも、ブローカーの手配した紊者らの活躍によって内容がダダ漏れ。結果、こうしてターゲットが狙われる事態になってしまったわけだ」

「そのターゲットの方に、誰かが全部打ち明けてしまうのはダメなんですか? 自分の命が狙われていると知ったら、遺産はいらないと言うかもしれないのに」

「彼の祖母は、なによりそれを恐れている。どうしても受け取ってもらいたいらしい。なので、安寧な状態で相続していただくしかない。これも僕らの範疇ではないことだけれど、乗りかかった船だからきっちりやりぬくさ」

「そ、それは……ものすごく大変です」

 でしょ? と、櫂さんは苦笑した。

「孫の命が狙われかねないという懸念を、祖母が弁護士に伝えた。弁護士はさらに知人に相談し、その知人が紊者の介入を調べあげ、僕らに依頼してきたというわけだ。世の中ってこんなふうにまわってるんだよね。知ってた?」

 知りませんでした。

「ほかの血縁者にしてみたら、たかが数パーセントといえど、顔も知らない相手に相続されるのはさぞかし面白くないんだろう。その心情は想像できなくもないけれど、人生には我慢がつきものだってことを学んでもらわないとね」

 そう言った櫂さんは、一瞬真顔になり息をつく。

「金銭目的でなんの罪もない者を殺めるという愚行に、忍びの技が使われるなんてあってはならないことだ。それに、僕のかわいい妹も怪我を負わされたしね。なので、残り一名の紊者にも、かなり強めのお仕置きを予定しています」

「強めのお仕置き……ですか?」

 櫂さんが、しめ縄のような腕輪に右手の指をかけた。すると、見るみるその縄はゴムのようにのびながら太くなり、人間一人を縛るほどの円をつくった。

「陣界にて、本体の骨の髄まで技を捕縛し、すべて奪う」

 私は目を丸くする。


 ――あの腕輪、彼らの武器だったんだ。


「それで、捕まえるんですが」

「そう。向こう一年間は全身が常に肉離れの状態になるから、先に収監された二名はずっと泣いているみたい。素敵でしょ」

 青空みたいな爽やかな笑みで言われた。やっぱり、このお兄さんが一番怖い。

「それは……かなりのお仕置きかもです……」

「僕たち的にも、レベルマックスでいかせてもらうよ」

 手首をねじり、のびた腕輪を二重にすると、今度は硬質な短剣に変わった。

「これは攻撃より身を守るために使う。相手を殺めることは禁じられているから、これが僕らの唯一の武器だ」

 そのほかにも、腕輪は自在に使うことができる。それは、自身が抱く御霊みたまの強さに比例するらしかった。

 人間離れしすぎてる。いや、実際人じゃないのかもしれない。ごくりとつばをのみながら、内心浮かんだその考えを打ち消した。

 人じゃないなら、なんなのだろう。考えたって、わかるわけもない。けれど、少なくとも彼らは悪党じゃない。


 私のパパみたいに――人を騙すような悪党じゃない。


「……紊者に依頼した親族の人も、捕まるんですか?」

「僕らがターゲットを守りきれば、残念ながら彼らに罪を問うことはできない。事件は起きていないことになるからね」

 たしかにそうだ。

「でも、三人目の紊者も歩けない状態で収監されたとなれば、それが見せしめになる。よほどのおバカさんでもないかぎり、得体のしれない存在による恐怖を味わうだろうからね」

 逃してしまった残りの紊者を、早く捕まえたいに違いない。その捕縛のチャンスは、すでにあったのだ。その機会を逃したのは私のせいだと、けれど櫂さんは一言も口にしなかった。

「……あの。本当にすみませんでした」

 どんなに謝っても謝りきれない。肩を落としてうつむくと、櫂さんが言う。

「きみはなにひとつ悪くない。むしろ、謝らなくてはならないのはこちらだよ」

 言葉をきると、思案しているかのように沈黙した。やがて、私をまっすぐ見すえる。

「通常、陣界じんかいの敷かれたエリアは波動域が変化する。普段僕らの暮らしている波動よりも、ずっと低くて重たい波動域までさがるんだ。だから、陣界の低い波動域と、普通の人々の波動域の誤差が境界になり、分け御霊を抱く者が意図的に引き入れた紊者を除き、目にすることも触れることもない……はずなんだけれど、きみはあの夜、陣界の境を越えてしまった。それがどうにもわからない」

「美月さんは、紊者が陣界をやぶったのかもしれないって言ってました」

「その可能性もあるけれど、羽伊ういの陣界はそんなにやわじゃないはずなんだよね」

 いったん、口を閉ざす。こちらを見透かすような眼差しは、どこまでも静かだ。

「……きみはもしかして、かなりしんどい人生を経験したのかな」

 はっとし、息をのむ。目を見張る私に、櫂さんは言葉を続ける。

「きみの名前、住まいやバイト先は調査済みだけれど、過去までは知らない。でも、味方のいないきつい人生を一人でのりこえ、歩んできたのだとしたら、きみの周囲をとりまく重くて低い波動域は、陣界のそれに匹敵する。無意識化に刻まれたそれと陣界の波動域が共鳴したのだとしたら、きみが接触してしまったことにも納得がいくんだ。失礼なことを言ってごめんね。違ったらそれでいいから、聞き流して」

 いや、違わない。櫂さんに図星をつかれたのは、これで二度目だ。

「そのとおりです」

 でも、恥ずかしくはないし嫌な気分でもない。それは、たぶん。

「そういう人生を送ったおかげで、多少のことに動じなくなりました。そう思える自分が、いまはわりと好きです」

 嘘のない本音だ。すると、櫂さんはかすかに目を見開く。と、からかうように微笑んだ。

「でも、その伊達眼鏡ははずさないんだね」

「あっ……と、これはその、もはや私の顔の一部なので……!」

「冗談だよ」

 櫂さんはそう言って、クスクスと笑う。

 どの程度のトレーニングを積んだら、分け御霊が取りだせるのか訊ねる。砂己さんが女性ということもあって馴染むのが早いので、私との相性は悪くなさそうだと櫂さんは言った。

「昨日の今日で美月に奇襲をかけられたくらいだから、順当にトレーニングを重ねれば十日間程度で取りだせるようになるんじゃないかな」

 十日間! その言葉に、心底ホッとした。

「ああ、よかった。がんばります!」

「うん。僕らは交代で不在になるけど、きみにはトレーニングをしてもらいたいだけだから好きに過ごして。ただ、バイトに行ってもいいし着替えをとりに帰ってもいいんだけど、ここの敷地外に出るのはあと二、三日待ってくれる? ちょっと説明したいことがあるから、僕も同伴したいんだ」

 説明ってなんだろ。まあ、そのときがくればわかるだろう。

「わかりました。牡蠣にあたってバイトを休むので、全然待てます」

 冗談めかして言うと、櫂さんが破顔した。

「あはは。だよね、そうだった」

 なにを考えているのかよくわからない人だけれど、なぜかこの笑顔を目にした瞬間、少し受け入れてもらえたような気がした。

 道場をあとにする。森から吹いてくる風が心地よくて目を細めたとき、櫂さんがふとスマホを手にした。

「そうだ。念のため連絡先を交換させてもらってもいい?」

「はい、もちろんです」

「みんなにも教えとくね」

「はい」

 不可思議な存在と現代的ガジェットの対比が面白い。そんなことを思っていると、スマホを触る櫂さんがふいに言った。

「……そうだな。だいたいの目安は、道場の天井を走れることかな」

「え……と、はい?」

 顔をあげた櫂さんは、私を見てにっこり笑う。

「分け御霊を取りだせる目安。道場の天井を走れたら合格だよ。簡単でしょ?」

 なにを言ってるんですか。そんなのさすがに絶対無理ゲーです。

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