第7話 たぶんたいしたことじゃない

 狙いを定めている紊者びんじゃの出没先は、すでに把握していると美月みつきさんは言った。

 陣界じんかいまで誘い込むタイミングをうかがうため、変動的なシフトを組み、とあるポイントで二十四時間の監視をおこなっている最中だそうだ。

 口にされたわけではないけれど四人から三人になったのだから、砂己さこさん不在の負担は大きいに違いない。

 巻き込まれたかたちになるけれど、助けてもらったのだ。自分にできることなのであれば精一杯のりきって、今度は砂己さんを助けなくては。

 朝食の準備をする美月さんを手伝いながら、私は言った。

御霊みたまを一日も早くお返しできるよう、精進します」

 鰹節でお出汁をとっていた美月さんは、目を丸くしてから笑った。

「おう、頼む。けど、あんたなんかかわってる。嫌がるような様子もないし、俺の言ったことすんなり信じるしな」

 正直、これまでの人生を思えば、こんなことたいしたことない。だって、身体を鍛えたらいいだけなんだもの。それに、トイレでお腹を確認したら、カリスマトレーナーみたいにがっつり割れていた。それを目にした瞬間、全部本当のことなんだとあらためて実感してしまったのだ。

「受け入れたほうが、気持ち的に楽なこともあるので」

 私が苦笑気味に言うと、美月さんは「悟ってんなあ」とにやっとした。

「正直、もっと時間かけて説得しないとって、みんな覚悟してたんだけどな」

 巻き込まれてやっかいだと思うのは簡単だ。誰かのせいにして泣いたり、逃げたりすることだってものすごく簡単。でも、私はそんなことしたくない。


 ――パパやママみたいな生き方は、絶対に選びたくない。


「語弊があるかもですが、無料のジムだと思えばめちゃくちゃ贅沢です」

 あ然とした美月さんは、とたんに破顔した。

「まあ、たしかにな! そう言ってもらえるとマジ助かるわ」

 ふかふかの厚焼きたまごに、大根おろし。サケの塩焼き、土鍋で炊いたご飯にお味噌汁、漬物が居間のテーブルに並んだ。これら全部を鮮やかな手腕で調理した美月さんに感嘆する。

「それにしても、すごいですね……」

 冷蔵庫の惣菜類もきちんと小分けされており、お野菜別のぬか床も彼の手によるものらしく、結局あたふたしただけでなにも手伝えなかった。

「食うことが好きなんだよ。うまいもん食ってりゃ、たいていのことはなんとかなるかんな。さ、かい兄も羽伊ういも待たなくていいから、先に食おうぜ」

 向き合って正座をし、いただきますと両手をあわせる。

 こんなにまともな朝食、いつぶりだろう。どうせ一人だからって、朝食は抜くか激安プリン。ポテトチップスですませることも日常茶飯事だった。そんな雑な食事でできている身体に、お豆腐と長ネギのお味噌汁がゆっくりとしみわたっていった。

「うわ……すごくおいしいです」

「遠慮しねえでたんまり食えよ。一緒に飯食ったら、もう仲良しだかんな」

「えっ」

 美月さんが笑みを消す。

「砂己の分け御霊、よろしく頼むな。困ったことがあったら、仲良しの俺になんでも言ってくれ」

 砂己さんは一族の中で、一番の親友なのだと美月さんは頭をさげた。箸を置いた私も深く頭をさげ、

「承知いたしました」

 そう告げて、ふたたび茶碗を手にしたのだった。


 * * *


『生牡蠣にあたったのならしょうがないよ。大変だったね。奥さんの友達もヘルプで入ってくれるから、こっちは心配しなくていいからね』

 データを移行させたスマホでコンビニに連絡すると、オーナーが言った。まさか生牡蠣にあたったことにされていたなんて、想定外すぎる。

『でも、親戚の人がついてくれてよかったね。診断書とかいらないし無理しなくていいから、体調戻ったらまた出勤してね』

 櫂さんの嘘を信じきっているオーナーの優しさに泣ける。申しわけないけれど、この嘘ばかりはしかたがない。ありがとうございますと通話を終えてから、自分のいる場所がどこなのか知りたくて、マップアプリを立ちあげた。

 位置情報をしめす設定にしても、どこにもポイントがつかない。設定を確認しようとした直後、櫂さんが部屋にあらわれた。

「おはよう」

 部屋に入ると、紙袋を置いて私に微笑みかけた。

「これは砂己のトレーニングウェアの予備。新品だからきみにあげる。調子はどう?」

「おはようございます、ありがとうございます。まだあちこち痛いですが、だいぶ動けます」

「それはよかった」

 裏表がなくてとっつきやすい美月さん、気難しそうな羽伊さん、二人ともある意味わかりやすい。でも、一見柔和なこの人のことは、まだよくわからない。だから、緊張する。なにを考えているのか、さっぱり想像がつかないからだ。

「美月とも話したみたいだね」

「はい」

「いろいろ黙っててごめんね。いっぺんに話しても混乱するだろうと思って」

「大丈夫です。早く分け御霊を砂己さんにお返しできるよう、私はとにかくトレーニングがんばります」

 櫂さん目が輝いた。

「よければ、道場で少し話そうか」

「はい……って、道場もあるんですか?」

 びっくりする私に、櫂さんは爽やかな笑みを見せた。

「うん、裏にあるよ。おいで」

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