第6話 カゲモノ
いとこさんは、
居間に通され、縁側で座布団をすすめられた。
手入れのいきとどいた庭園に、黄金色の朝日が射していく。目を細めながら正座をしたとき、やけに自分の背筋がのびていることに気づいた。そういえば、羽伊さんもこんな座り方をしていた気がする。
「朝食前のおめざ、どーぞ」
美月さんが、お盆にのせたお茶とごま団子を縁側に置く。彼の見た目とお盆に並ぶ品のギャップがすごい。
「あ、ありがとうございます。いただきます……」
香ばしい煎茶の風味が、いまだ違和感のぬぐえない全身を癒やしてくれる。あまりのおいしさに吐息をつくと、あぐら姿の美月さんはお団子を頬張りながら言った。
「あんた、
美月さんがにこりとした。怖い人かと思ったけれど、櫂さんや
「はい、なんとなく。
半信半疑ながら、おそるおそる訊ねる。にやりとした美月さんは、唇の端についたゴマダレを指でぬぐった。
「いや。俺たちは紊者を
「カゲモノ?」
「もともと忍者は、カゲモノと呼ばれる俺たちの先祖から派生した、
言われてみれば、たしかに。
権力者に仕え、隠密活動に従事した忍者の存在は、そういったことに興味のない私ですら知っているほど有名だ。彼らの中には私利私欲に溺れていった者も少なくなく、カゲモノはそういった者たちに紊者の烙印を押し、断罪する立場にあったのだそうだ。
「私利私欲に溺れれば、間違った者に仕えるはめになる。その目が曇った紊者を、カゲモノは容赦なく抹消した。特殊な鍛錬を積んだ者たちが暴走したら、国の均衡なんてすぐに崩れちまうだろ? ま、大昔の物騒な時代のことだし、近代以降はさすがに抹消はしてない。いくらなんでも犯罪だからな」
生かして捕縛し、信頼たりうる相応の国家組織に受け渡す方向にシフトしたのだと、美月さんは言った。
「じゃあ、もしかして、そこから依頼されることもあるんですか?」
「ぶっちゃけそれがほとんだ。依頼元の組織名はしゃべれねえけど、ヒントは海外ドラマとかでよく出てくるFBIの日本版的なやつ。あとは勝手に察してくれ」
まさか、公安? ひっそり思いつつ、私はうなずいた。もしもそれがあたっていたらすごすぎる。それ以上に、あらためて感嘆してしまった。
「忍者的な人って、まだいたんですね」
「俺たちもいるくらいだからな」
「あっ……と、すみません」
ははっと美月さんが笑う。
「正統な忍者は絶滅危惧種だ。裏稼業は金になるから、紊者が紊者を育てるルーティンがすっかり定着しちまってる。ちゃちな犯罪ならまだしも、治安を揺るがす思想を抱いた紊者が団結したら、テロリスト集団が誕生するはめになってマジヤバい」
私はゾッとし、息をのんだ。
「っつーことで、どんなに小さな案件でも紊者が関わってる場合、偉くておっかない組織が登場するはめになって、俺たちに依頼がくるんだ。そういう芽は、育つ前に引っこ抜かなきゃだからな」
彼らがそんな紊者を捕まえようとしていたところに、近道したかっただけの私が紛れ込み、邪魔をしてしまったのだ。後悔してもしきれない。
「……公園で、
美月さんは目を細め、庭園を見すえながらうなずいた。
「櫂兄と羽伊から聞いた。砂己が倒れてたから逃しちまったらしいけど、そんな術を使う紊者は久しぶりだ。しかも、コピーもべらぼうにうまい」
「コピー?」
「いわゆる、分身」
なるほど……。
美月さんは横顔の表情をさらに険しくさせた。
「あの公園には、羽伊がすでに〝
「陣界?」
「自分たちの陣地として、前もっていくつかのポイントに敷いておく結界みたいなものだ。俺たちはその中で相手を捕縛するから、そこまで誘い込む必要がある。それにくわえて陣界内であれば、人の目を気にせず俺たちは動けるんだ」
「それは、見えないってことですか」
びっくりする私に、美月さんはうなずいて見せた。
「ようするに、目くらましみたいなもん。あんたみたいな普通の人は、絶対に視認できないはずなんだ。けど、あんたは昨日、その目くらましを越えた。ってことは、多少なりとも陣界がやぶられた可能性がある」
「やぶられたって、紊者にですか?」
「そう。それが事実なら、くっそやっかいだ……」
そう言うと、舌打ち気味に顔をしかめた。
「紊者も、陣界をつくったりするんですか」
「いや、分け御霊をもつ俺たちだけだ」
私は陣界の境を越えて、普通の人間がけっして見ることのない先を目にした。そんなことはけっしてありえないはずが、ありえてしまった。怪我を負ったうえパニックになった砂己さんは、とっさに究極の方法を選んで私の救助を優先させたのだろうと、美月さんは予想した。
「砂己さんは、本当に大丈夫ですか?」
「ああ。怪我の処置は終わってるし、深く眠ってるだけだかんな。ま、なんにせよ、あんたが無事でなによりだ。けど、顔の傷は平気か? 痕が残ったら大変だよな」
頬のガーゼに触れる。もしも砂己さんが助けてくれなかったらと思うと、心底ゾッとした。オカルトすぎてバカみたいだと笑ってしまいたいけれど、そんなことできない。私を助けたかわりに、昏睡状態におちいった人がいるからだ。
「こんなの平気です。ありがとうございます。でも、あの……いろいろ聞いてしまっていまさらですけど、私に教えてもよかったんですか?」
「あんたは砂己の分け御霊をもっちまってるから、事情を伝える必要がこっちにはあるだろ。それに、あんたがこんなこと誰かにしゃべったところで、笑われるか心配されるかのどっちかだしな」
それはそうだ。
「……ですね。なんか……ほんと、すみませんでした。ちょっと嬉しいことがあって、浮かれてぼんやりしてたんです。そのせいでバスを逃してしまって。こんなことになるなら、バスを待てばよかった」
もしくは、遠まわりをして歩けばよかったのだ。うつむくと、美月さんが言う。
「いや、あんたはなんも悪くないっしょ。むしろこっちが謝んねーと」
「でも……ほんとすみませんでした」
私はもう一度頭をさげる。美月さんは「真面目か」と笑ってくれた。そのおかげで、気分は少し軽くなった。とはいえ、一刻も早くここを去って、いつもの生活に戻らなければ。
彼らだって私に長々と居座られたら仕事にならないだろうし、迷惑極まりないはずだもの。
「砂己さんにお借りした分け御霊を、早くお返ししたいです。ちょこっとトレーニングしてもらえば簡単に戻せるって、櫂さんからお聞きしたんですけど本当ですか?」
美月さんはあんぐりと口を開けた。
「え、マジ? あの人、簡単とか言っちゃったの?」
「え? 違うんですか?」
美月さんはしゃりと顔をしかめ、声にならない声で唸った。
「……分け御霊は、それを抱く者しか取りだせない。だから、あんたが取りだして砂己に戻すっつー方法しかない。けど、そうするにはあんた自身を、砂己の分け御霊に認めさせる必要がある。自分はそれに触れるに値する者であるってな」
「……え?」
「いまあんたの肉体は、分け御霊に蓄積された砂己のそれと同化しようとしてる。でも、トレーニングもなしに完璧に同じになれるわけじゃない。そのちょっとのズレのせいで、分け御霊はあんたに違和感を覚え、認めていない。認めていないから、現状じゃ触れられることを拒否してるっつーことになる」
「じゃあ、いまの私では取りだせない?」
「そう」
「つまり……」
砂己さんと同等の動きができるようにならなければ、分け御霊は私を認めない。認められないうちは、私がいくら下腹を撫でようとも取りだすことはおろか触れることさえかなわないということだ。
「そ、それって、全然簡単じゃないじゃないですか」
「ああ。櫂兄の言う〝簡単〟は、常に無理ゲーなことが多い」
覚えておきますと、私は肩を落とす。
「……ようするに、私がカゲモノの砂己さんくらい動けるようになるまで、トレーニングしなくちゃいけないってことなんですね」
美月さんは真剣な面持ちで、私の肩をぽんと叩いた。
「ああ、がっつりな。っつーことで、マジでがんばってくれ」
やっぱり私の人生、無駄にハードモードだ。
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