第5話 月乃成家

 早朝、なんとか起きあがることができた。

 うっすらとした外からの明かりを頼りに、眼鏡をかける。生まれたての子鹿ばりによろよろと布団から這いでて、壁にしがみつきながら立ちあがった。

 まだ暗い窓の外を見ると、広い日本庭園が眼下にあった。この部屋は二階にあるらしい。鬱蒼とした樹木に囲まれており、枝葉の隙間から波間が見える。奇妙に思いながら目を凝らし、耳をすます。さざなみの音が聞こえてきた。

「海?」

 札幌に近い海といえば、石狩方面か小樽方面。どちらにせよ、札幌じゃない。

 ここはいったいどこなんだろう。

 よろめきながら、画面の割れたスマホを手にする。その暗い画面に、頬にガーゼをあてた自分の顔が映った。


 昨日、月乃成つきのなりかいと名乗ったお兄さんは、少しだけ私に事情を教えてくれた。

 自分たちは、闇世界に君臨していた一族の末裔であり、現在もその血筋と才を継承しており、通常の人間には捕まえることのできない輩の捕縛ほばくを生業としているのだそうだ。

「それ、は……にん、じゃ……?」

 自分の目にした武器やありえない単語から導きだした答えを、やっとのことで声にした。すると、櫂さんが答えた。

「先祖が忍者でも、道を踏みはずした信念なき輩はそう呼ばない。真の忍者に失礼だからね」


 ――世を乱す者、〝紊者びんじゃ〟。


 昨夜、砂己さこさんは紊者を追いつめて捕縛すべく、あの公園に誘い込んだ。そこに、私が足を踏み入れてしまったのだった。

 オカルトな光景を目撃していなければ、ワクワクな都市伝説ですませられた。でも、私は実際見てしまったわけで、まごうことなき真実であろうことは頭では理解できた。

 あくまでも、頭では。

 彼らは、へその下にあるとされる丹田たんでんと呼ばれるところに、特別な血筋の証となる〝御霊みたま〟なるものを抱いて生まれる。

 肉体を鍛錬すればするほど、分け御霊にもそれは力となって蓄えられていく。

 昨夜、砂己さんが私のゆるみきった下腹に打ちつけたのは、彼女自身の分け御霊。そのおかげで、私は一瞬のうちに公園の敷地外に出ることができたらしい。その代償として彼女は気絶し、羽伊さんが駆けつけたときにはすでに昏睡状態に入っていたそうだ。

「分け御霊は、僕たちにとって電源みたいなものだ。電源がきれたら動かなくなる機器類と同じで、それを失うと永遠に眠り続けてしまう。でも、きみがそれを砂己に戻してくれたら、砂己は目覚める。そうするために、ちょこっとトレーニングが必要ってだけのことだから、難しく考えないでね」

 簡単だよとつけくわえて、櫂さんはにっこりする。一抹の不安を覚えたものの、砂己さんが目覚めるとわかってひとまず安堵した。

 大筋の事情を伝えてくれた櫂さんは、内緒にしてくれるかと私に訊いた。

「一応、秘匿事項なんでね」

 わかりましたと、私は目で返答する。櫂さんはにっこりとうなずいた。

「きみはSNSの類を避けているようだし、私生活までつきあいのある友達もいないようだから、信じるよ」

 そう言うと、枕元に置かれた私の眼鏡をおもむろに見つめる。

「度のない眼鏡をかける人間は、オシャレさんか、他人の視線から自分を守ろうとしているかのどちらかだ。視界にレンズが一枚加わるだけで、現実世界と隔たりができるからね」

 図星をつかれて驚く。

「そういった人間は、ものごとを俯瞰で見る癖がある。無為なおしゃべりがどういう結果を招くか、とっさに判断できる賢い人間はそういない」

 櫂さんは静かに微笑み、部屋をでていった。その後、私はぐるぐるする思考とうたた寝と爆睡を繰り返し、いまにいたっている。


 信じがたくも恐ろしいことだらけだけれど、少なくとも彼らは幽霊ではなくて人間だ。私を助けてくれたのだし、悪い人たちでもなさそうだ。手放しで信用するにはまだ早いけれど、私に危害を加えることはないだろう。

 教えられた一連のことを、誰かに話したりしないかぎりは。

 空がうっすらと白んできた。かすかな波の音をかき消すように、カラスとウミネコの鳴き声がこだまする。

「トイレ行きたい……」

 壁をつたって廊下に出た。塵ひとつない床板を踏みしめる。

 手入れのいきとどいた土壁と障子の廊下を曲がり、階段の手すりに手をかけた。かなり大きくて立派な日本家屋だ。階段をおりているうち、まだ痛みはあるものの動けるようになってきた。全身の筋肉がきゅっと締まっている感覚があって、櫂さんの言葉を思い出す。


 ――いまきみの身体には、ウチの末っ子が鍛錬して蓄積してきた大事なものが入っちゃってる。


 理解はできても、いまいち納得はいっていない。けれど、わかっていることがひとつだけある。

「私の人生って、いらないライフイベントほんと多すぎ……」

 よっぽどついていない星のもとに生まれたらしい。

 落ち込むどころかいっそ笑いたくなり、お腹に力が入った瞬間ぴりりと痛む。一階におりてからお腹の下を触れてみた。ゆるさ皆無の固さにびっくりし、とっさにシャツの下に手を入れて確認してしまった。

 なにこれ、うそでしょ。

「わ、割れてる……?」

 トイレでじっくり確認しなくては! そう思った直後、背後に人の気配を感じた。 

 櫂さんでも右伊さんでもない別の気配に、私の思考とそれまでの痛み、不自由さがピタリと止まる。

 とっさにひねり蹴りをくらわせる。薄暗い廊下に立っていた相手は、私の蹴りを前腕で受け止めるや、逆に攻撃をしかけてきた。拳を避ける。受け止めて蹴る。まるでボールを弾くような小気味のいい音が、軽やかな痛みとしびれを伴って室内に響く。

 いったん間合いをとった私は、速力をつけて壁を駆けあがり、いきおいをつけて宙返りをし、蹴りつけた。あわや、それを避けた相手は柱にガツンと頭部を打ちつけてしまい、

「……くっそ、痛ってえ」

 頭をおさえてその場にしゃがみこんだ――っていうか。

 な、なにをした? 私、いま、なにをした!?

「満足にトイレもいけねえんだもんな。朝っぱらから奇襲すんなよ」

 苦笑しながら腰をあげた相手の姿が、はっきりしてきた。年齢は私とそう変わらない、アイドルのようなかわいらしい顔立ちで、ゆるめな金髪リーゼント。黒いスカジャンには黄金の龍の刺繍が輝いており、見るからにヤンキー方向のお方だとわかる。 

 しかも、またもや羽伊さんや櫂さんと同じ、しめ縄のような腕輪をしていた。

「だ、だだ……」

 誰!?

「すす、すみませ……っ」

 謝りかけたとたん全身の痛みが戻り、腰が抜けて尻もちをつく。逆に立ちあがった彼は、私を見下ろすとにやりと笑った。

「あんたことは聞いた。砂己の奇襲ごっこも受け継がれてるとは、マジで油断ならねえな」

 私に手を差し伸べてくれる。

「どーも、ここに住んでるいとこっす。ま、とりあえず茶でもすっか?」

 軽かった。

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