第3話 身の丈にこだわる秘密

 いいわね、つむぎ。人には身の丈というものがあるの。

 だから、それ以上のことを望んではダメ。

 少しでも望んだら、あとで必ず痛い目を見ることになるから。

 それが、ママの口癖だった。


 十三年前、不動産会社の詐欺まがいな違法建築がニュースで取りあげられ、毎日のように騒がしい人が家に押し寄せた。

 愛人のもとにいて何日も会っていなかったパパの最後の姿は、ネットのライブ配信で見た。痩せて無精ひげでみっともない姿のパパは、たくさんのフラッシュを浴び、パトカーの後部座席でうつむいていた。

 パパとママは離婚して、大都会の一等地にあった豪邸は売却され、パパの会社は当然のごとく倒産した。私は私立の小学校から、祖父母の暮らす地方都市の小学校に転校したけれど、噂はすでにひろまっていてずいぶんいじめられた。

 どこにも私の居場所はなかった。ママは一歩も外にでなくなり、調子のいいときはいつも同じ言葉を繰り返すだけで、そうでないときはお酒を飲むか寝てばかりいた。

 世間体ばかり気にする祖父母は、私をしつけ直すという名目で指図し、気に入らないことがあると私の食事を抜いたり、物置に閉じ込めたり、叩いてくることもあった。


 絶対にここをでる。地獄みたいなここをでて、一人で生きる。そう決めた。


 学年があがるたび、私は自分の気配を消すことを覚えた。

 オシャレでかわいい服を捨て、いまの私の身の丈にあうように、誰にも覚えられないような容姿を心がけた。

 多少のことはうまくやりすごしてけっしてでしゃばらず、いつも静かにしているうちに、誰も私に注目しなくなっていく。やがて、中学に入学するころには存在の薄さがすっかり定着し、誰の目にも映らないような人間になっていた。


「人にはね、器というものがあるのよ、紬」

 あるとき、ママがまた言った。もう何度も聞いてると言っても、ママはやめなかった。

「神さまが、それぞれの人の器にあわせた人生を用意してくれているの。だから、それにそむくと私たちみたいになる。いえ、違うわね。パパのようになる」

 だから、身の丈以上のことを望んではダメ。

 誰にもけっして迷惑をかけないように、けっして目立つようなことはせず、地道に真面目に平凡に生きるのが一番幸せなの。

「紬、ママとの約束よ。忘れないで」

 そう言ったママは、翌日、泥酔状態で車を運転し、高速のガードレールにつっこんで他界した。

 ときを待たず持病を悪化させた祖父が続き、高校を卒業するとともに祖母もこの世を去った。ママを裏切って傷つけて、自分勝手に私を捨てたパパは知らない。きっともう新しい家族をつくっているだろうから、探すつもりも会うつもりもない。


 まるで、腰までつかる泥のなかを、じりじりとひたすら歩くような人生だった。でも、天涯孤独になったとき、やっと好きなところにいけるのだと思った。

 誰も私を引きとめたりしないし、なにをしようが自由の身だ。

 あまりの清々しさに泣いた。泣いて、泣いて、泣きまくったら、お腹が鳴った。こんなに孤独でひどい人生なのに、それでも生きようとしている自分に驚き、笑った。

 祖父母の家の始末は他人顔だった親族にまかせ、小さな荷物だけを持って、なんとなく憧れていた北海道にきた。

 はじめは札幌のシェアハウスで暮らしながら、バイトをかけもちして貯金し、古い二階建てのアパートに引っ越した。

 それからも、地道に真面目に平凡にコンビニで働いている。


 上を見てもきりがないし、他人と比べても意味がない。

 私は私でしかないから、せめて好きでいられる自分でいたい。


 ささやかな日々の幸せを数えておばあちゃんになれたら、それでいい。

 なにも望まない。望んでも、哀しくなるだけだもの。

 哀しいのは、もういらない。すでに哀しみでお腹いっぱいだから。

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