第1章 焦る勇者 9

 目を覚ますと、そこは間違いなく元の世界だった。近道の川を、飛び越えた状態で俺は立っている。

 夢かうつつか、にしても長い夢だった、というような不思議な感覚。服装も元に戻っていた。腕時計を見れば、さっき空間に飛ばされた時の時間と全く変わっていない。

 しかし足元に札束の入った黒いバッグを見つけたことで、後者だとようやく理解することができた。

「やべえ、こうしちゃいられないな」

 幸いにも俺は、この世界でやるべきことをようやく思い出させてくれた。俺は足元のバッグを担ぐと、全速力で近道を抜け、人の行き交う商店街に飛び出た。

 行きつけのゲームショップは、商店街の中心にある。家から五分、十分で着くことができたが、その店を目に捉えた時には、すでに行列はなく、いつも通りのゲームショップの光景がそこにあった。その時点で怪しいと思っていたが、やはり、

「『アレクシアス4』完売」

と、無慈悲なビラが貼られていた。俺はそれを、悔しがる暇もないほど息を切らしながら、ただ眺めるしかなかった。

「お、やっと来たね。ソウ。どうしたの遅刻なんかして?」

 店の中から出てきたのは、高校のクラスメイトの尾形美希であった。美希はこの店のオーナーの娘で、バイトがわりにこの店を手伝っている。いつも通りのショートヘアーに丸眼鏡をかけた彼女は、ゲームショップにしては小洒落たエプロンを付けていた。俺とは幼馴染でもあり、ゲームの話で馬が合う数少ない奴だ。

「……さすがに四十分遅刻じゃ、お天道様が許しちゃくれなかったか」

「開始五分で完売よ。あの『アレクシアス』シリーズをなめちゃだめ。もしかして寝坊でもしたの?」

「そのもしかしてだ。あと少し、色々あってな」

 さっきあったことをどうせ話しても信じてもらえそうにないことは分かっている。俺はごまかす代わりに、後ろ髪をさすりながら照れた。美希は呆れ笑い。

「色々? まあ寝坊の時点で救いようがないかもだけど。何しろ『アレクシアス4』はもう売れ過ぎたらしくてしばらく入荷はないわ。どうしてもやりたいなら転売ヤーから購入するしかないかも。私はプライドが許さないけど」

 そうか、その手があったか。確かに転売ヤーから買うのはプライド以前に高い金額を払わなければならない。しかし、どうしてもやりたい俺と、今は、大金を持っている俺がいる。

「仕方ないな……」

「え、まじで買う気? 今だと値段三倍近くなっているから、早まらないでよ」

「いやいやそんな……じゃ、またな」

 美希がそんなことを言ってくるから、適度に誤魔化さざるを得なかった。というわけで、軽く別れを告げた後、帰路につことになった。今度はいつも通りの道、数十分かけて家に帰る。

「あ、おかえり。どうだったの?」

 帰ってきた家の玄関にいたのは、ちょうどテニスラケットを持って部活に行く紗江だった。この妹は、この兄が一時間前まで異世界にいっていたことなど知る由もない。

「なあに? その袋。もしかして新作のゲームって、そんな重そうな感じなの?」

「なわけないだろ」

 天然な感じを出す妹を適当にあしらいつつ、俺は二階の部屋へと帰っていった。

 部屋に戻ると、疲れがどっと出たかのように、ベッドに寝転ぶ。しかし、窓から見える日はまだ高い。俺の人生の中で、色々あった午前中だった。

 後日、俺はフリマアプリに転売されていた、高値の「アレクシアス4」を購入した。な何度も言うけど転売ヤーから買うのは癪だったが、俺にはその気持ちを十分覆い隠せるほどの大金があった。よって、購入ボタンを押した段階で、まあ満足はした。

 やはり、この世界はお金が正義なのかもしれないな。

 これから先のことを考えて、もっともっと金を貯めなければ。

こうして俺は、「スキップ勇者」としてのアルバイト生活を、開始することになった。

 全く、努力なんて糞食らえ。

 その俺の昔からの信条が、異世界の勇者に適用されるなんて思ってもいなかった。

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