二日目
朝は嫌いだ。眩しいし。冬は特段寒いし。
布団でぬくんでいたいが、もう身支度をしなくてはいけない。のそのそと布団から這い出でるとあることを思い出した。
「そういえば…」
今日は休校になったんだった。昨日、帰りのHRで聞かされたが近くで殺人事件が起きたらしい。家に帰ってテレビをつけるとニュースでも報道していたので、どうやら本当のようだった。犯人は未だ逃走中、迷惑な話だ。
華の金曜日。思いがけないところではあるが実質三連休を貰ってしまったため、嬉しい気持ちでいっぱいになりながら洗面所で顔を洗った。キュっと蛇口を閉めたところで、ふとある出来事も思い出した。佐久川くんのことだ。プリントを渡されたあとのあの笑顔はかなり、いやものすごく攻撃力が高かった。恋愛とはほぼ皆無の私ですらドキドキしたから、他の女の子があの笑顔を向けられたらほぼ確実に佐久川くんを好きになってしまうんだろうな。
顔がさっぱりしたところで、父親が部屋から起きてきた。私の家は父子家庭だ。母親と父親が離婚して親権争いになった時に私が父親を選んだのでマンションで二人暮らしをしている。仲は良好だと思う。
「おはよう父さん」
「おはよう…支度しないのか?」
「今日休校になったんだ。ほら、あの殺人事件のせいで」
「なるほど、確かに危険だしな。学校は賢明な判断をしたなぁ」
父親がうんうんと一人で納得している。私もそう思う。殺人鬼がうろつく中、外には出たくない。まして私は友達もいないから一緒に登校したりするような人も居ない。もし襲われでもしたら一人ではどうしようもないし。……あ。
「物理の課題…学校に置き忘れた…」
昨日の物理の時間に出された週末までの課題のことだ。今日が休校になったので提出日は来週の月曜日になったけど、持って帰ってきてない。教室の自分の机の中に突っ込んだままだ。
「来週でいいんじゃないか?」
「あー…いや、提出日が来週の月曜日なんだ…」
「あちゃー」
インスタントコーヒーを入れながら、本当に残念がっているのかそうでないのか、よく分からない父親の生返事を私も適当に流す。
「取りにいくしかないかなぁ」
「学校空いてるのか?」
「運動部が活動してるから空いてはいる」
「…送っていこうか?」
とてもありがたい申し出だが、父親にも仕事がある。こんなことで時間を取らせてしまうのも申し訳ない気がした。
「大丈夫、学校だからすぐだし」
「そうか…気をつけていっておいで」
「うん」
それから私は朝ごはんを食べて、父親が出勤した後に学校へ行く事にした。
一応制服を着て、少し身だしなみを整えて外へ出る。いつもより遅い時間に家から出るのは違和感しか無かった。日がだいぶ昇ったせいで慣れない時間帯の太陽が煌々と睫毛を照らす。睫毛に反射した光は七色に光りまるで宝石のよう。この情景をなんだか線に描き表したくなり妙に手の先がうずいた。だが眩しいのがきらいな私はなるべく日陰を選んで歩くようにした。宝石は、たまに見るくらいがちょうどいいのだ。そんなようすで、私はそわそわしながら足早に学校を目指した。
ようやく校舎が見えてくると同時に、グラウンドから運動部の掛け声が聞こえてきた。私の高校で運動部は強豪の方であるらしい。殺人鬼がうろつく中でもお構い無しといったところだ。…でもこの気迫の掛け声を聞いたら、いくら殺人鬼だって近寄りたくなくなりそうだけど。
昇降口から靴を履き替え、だれもいない教室に入るとやはり目的のものは机の中にあった。無事回収して教室を出ると、しんと静まり返った廊下に戻る。窓から日光がさして廊下はぴかぴかして綺麗だった。こうしてみると、学校もそんなに悪いところではないのかもしれない。掛け声は未だグラウンドから校舎に響いてくるほど続いている。だれもいない廊下なのに人の声が聞こえてくるのは非日常な感じがした。
階段を降り一階の渡り廊下を通ろうとすると、併設してある水飲み場に何人かの男子が集まっているのを発見した。そそくさとしゃがみこみ通路の扉のかげにかくれる。そうっとかげからよく見てみると、サッカー部員だと分かった。
「いやだなぁ…昇降口はこの通路渡らなくちゃ行けないのに。早くどいてくれないかなぁ」
何度も言うが私は人嫌いで人見知りだ。運動部しか学校に居ないはずなのに制服の私がとことこ通り過ぎたら一瞬だとしても目線がこちらを突き刺すだろう。しかも異性のグループだ。怖い、どうしよう。
「おい」
「うあっ!」
突然後ろから声をかけられた。
「おまえなにしてんの?」
おそるおそると後ろを見上げると、そこには佐久川くんが立っていた。ユニホーム姿からしてサッカー部だったのか。
「あれ、相澤サンか」
「さささ、佐久川くん」
「こんなところに隠れてなにしてん?」
「いやっ、別になにも…」
なんだかいたたまれなくなり立ち上がる。
「てか今日文化部休みだよな」
「えっと、昨日の物理の課題忘れたから…」
手提げ袋から物理のノートを取り出して見せると佐久川くんは納得したように頷いた。
「だから学校来てんだ」
「うん」
「で、なんで隠れてたん?」
「あー…それは」
人が怖い、なんてどう説明すればいいんだろう。同じサッカー部だから佐久川くんに頼めばあのグループはどいてくれるかもしれない。でもそれを頼む勇気も私には無かった。ヘタレめ…
無言で固まってる私の後ろを見た佐久川くんは「あー」と何か納得したような声を出して集団に駆け寄っていった。そして何を言ったのかグループは散らばり、佐久川くんはこちらへ戻ってきた。
「これで帰れる?」
「え…」
「なんていうか、通りづらかったんだろ。あいつらのせいで」
なんと、私の心情を察してくれたというのか。
「う、うん。あの…ありがとう」
「まぁ俺らが悪かったから」
佐久川くんが悪い要素はひとつもないのに。この人は慈悲の塊か何かか。
「そういえば相澤サン、学校までどうやってきたん」
「歩きで来たよ」
「…一人で?」
「一人で」
「…まじで言ってる?」
「うん…?まじだよ?」
一人で歩いてきたと言うと顔を曇らせた佐久川くん。もしかして心配してくれてるのかな。
「帰りも一人?」
「うん、親も仕事だし」
「あー…そっか」
なんか、本当に良い人なんだな。ここまで心配してくれることって家族以外にないからなんか新鮮。
そんなことをぼーっと考えていると、佐久川くんが言った一言に不意を突かれて心臓が飛び出しそうになった。
「俺が送るよ」
「…えっ」
「心配だし」
「そんなっ、頼めないよ。それに、佐久川くんには部活があるし」
「それは何とかするから、先に昇降口行ってて」
「…分かった」
頷くと佐久川くんはグラウンドの方へと走っていった。
正直送ってくれるっていうのは有り難いし、心強い。だけど送ってくれるって、そんな…良いのだろうか。確かうちの高校のサッカー部はほかの運動部より強くてかつすごく厳しいと聞いたことがある。まだ休憩時間でもないのに、友達…でもないやつを送るためだけに練習を抜けるだなんて。
ああ、こんなにぐだぐだ考えるくらいなら最初からつよく断ればいい話なのだ。所詮はおくびょうものの私、佐久川くんの申し出にNOと言わなかったのは結局のところ、一人で帰るのが怖かったからだ。情けない。こんな屑に時間を割いてくれる佐久川くんが可哀想だ。
昇降口で靴を履き替えて髪を弄りながら待っていると、制服姿の佐久川くんが玄関から戻ってきた。
「あれ、制服?」
「あー、監督に事情話したら意外にめちゃくちゃ快諾してくれてさ。そのまま俺も今日は帰っていいって」
「そうなんだ」
「じゃー、行くか」
私たちはそのまま校門を超えて並木道を歩く。佐久川くんは私の手提げ袋を持ってくれた。
「よく快諾してくれたね」
「監督にも娘がいるから余計心配したんじゃねぇかな、ちゃんと送り届けるんだぞって釘刺されたくらいだったし」
「そっか」
そういう事だったのか。サッカー部の監督や顧問は何回かしか見かけたことが無かったけれど、今度お礼をしに行こう。
「でも相澤サンもちょっと抜けてるところあんだね、物理の課題わすれるとか」
「んんー…私ちょっとどころか、結構抜けてるよ」
「そう?そんな風にはみえないけど」
「まぁ…はは」
真面目そうとはよく言われる。だけどそんなことは決してない。大人しいのは人と関わるのが怖いだけだし、だいたい、授業中に落書きばかりするような人間だ。当然頭も悪い。
「それより、さん付けしなくてもいいよ」
「分かった。相澤って呼ぶ」
「うん」
私と佐久川くんは一緒に歩いているわけだが、私は半歩下がって歩いた。未だに距離感が掴めていない。そもそも友達がいない私が異性とこうやって歩いて帰ること自体が異常なことで。私が異性と話す時なんて、部活での先輩とのやり取りしか無かった。そんな私にいきなりのこのステップアップは、すこし堪えるものがある。
しかもだ。佐久川くんは身長が高い。顔だってそれなりに整っていて、いかにも好青年って感じ。それでいてサッカー部ときた。
「(さぞや、モテるのだろう)」
少し猫っ毛の短髪が太陽の光を浴びて反射する。また、宝石が見えた。けどさっき登校している時に見た私の睫毛とは違う光り方。水面のようだった。ゆらゆら、ゆらゆら煌めいている。
「俺の髪の毛になんかついてる?」
宝石はたまに見るくらいがちょうどいいと言っておきながら、頭を凝視していた私に佐久川くんはくしゃっと自分の髪を弄った。
「あっいや、ごめん」
「いやいいけど…そういえばさ、」
「?」
凝視していたことには何も思わなかったのか、佐久川くんはつづけて話し始めた。
「俺、一回相澤の絵をちゃんと見てみたいんだ」
「私の絵…?」
「うん」
私の絵をみたいだなんて初めて言われた。嬉しくないと言ったら嘘になるが、何故、急に?
「佐久川くんも絵が好きなの?」
「んー、まあ嫌いではないけど」
歯切れが悪い返答に私は少し狼狽えてしまった。かなりの物好きでなければ私の絵なんてみたいと思わないだろうと心のどこかでそう思った。
「相澤ってほんとに上手いじゃん。この前の俺を描いてくれた時だって写真みたいだったし」
「はは、写真ほどでは…ないよ」
「いやでも、本当にすごいとおもった」
佐久川くんは目を輝かせて私をみつめてくる。私は罪悪感を覚えた。私なんかより上手い人はたくさんいる。部長なんて次元が違う。そうじゃなくても同じ一年なのにもうコンクールに選ばれるような絵を描く人だっているのに。佐久川くんはきっと本当に絵が上手い人を見たことがないのだ、だからここまで褒めてきてくれるんだ。
だけど、手放して褒めてくれるのが嬉しくて、私は卑怯者だから強く否定をしなかった。できなかったんだ。
「…今度ね、あおぞら展っていう展示会にうちの美術部の絵を飾らせてもらえるんだけど…良かったら、見に来る?」
「え、いいん?」
「いいよ。ちゃんとした会場で飾らせてもらえる場だから気合が入ってる絵がたくさん見れるよ」
「それって、相澤の絵も飾ってあるん?」
「…うん、一個だけだけどね」
「じゃあ行く」
来てくれることを嬉々と感じながら、正直来て欲しくないという気持ちもあった。佐久川くんが本当に上手い絵を見てしまったら、私の絵なんて落書きにみえてしまうんじゃないかって…怖かった。だけど、佐久川くんには一度心奪われるくらいの絵をみてほしい。きっと世界観が変わる、と思う。少なくとも私はそうだった。
そうこうしているうちに、私の住むマンションまですぐそこまで来ていた。
「佐久川くん。私の家、このマンションだから」
「俺の家から近いん、初めて知った」
佐久川くんは笑いながら私に手提げ袋を返してくれた。
「ここの角曲がって突き当たりの家が俺の家」
「本当だ。すごい近いんだね」
意外と気づかないものなんだなぁ。最も今まで接点も何も無かったから、当たり前なんだけど。
「送ってくれてありがとう。本当に助かったよ」
「いいんいいん、気にすんな」
ジャケットのポケットに手を突っ込んではにかむ佐久川くん。
「じゃあ、また来週」
「おう」
踵を返して帰る背中が角に曲がり見えなくなるまで、私はマンションの前で突っ立っていた。
時刻にしてやや昼前だろうか。冬が近い時期でも太陽の光は微睡んでしまいそうな温もりだ。こんな日は、制作途中だった30号のキャンバスにこの高揚感をぶつけるのが一番だと思った。
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