初日

「あおぞら展まであと少しです、頑張りましょう」


部長から言われた言葉が空を回る。ぴよぴよと鳥が舞うように私の頭の上を回っているのだ。そういえば、からあげが食べたい。


物理とかいうよくわからない授業は最初から聞いていないので、一応書き写してはある板書の余白に、前の席の男子の背中を描いていた。頬杖をつき、重心をやや左へ寄せている。それでいて顔を俯けているのでこの人も先生の話なんか聞いてはいないのだろう。たまにカクッと頬杖からずり落ちる。その度に動くなって苛つくのは筋違いなんだろうな。


「じゃあここの問題を解いて週末までに提出しておいてください」


その言葉で物理の時間が終わりを告げた。今は五時間目の授業だったから、あと一時間頑張ればやっと家に帰れる。部活も今日は休みだし。それにしても、木曜日の五限目ってなんでこんなにもやる気が出ないんだろう。

広げていたノートをしまおうとした時、前の男子がこちらを見ていることに気がついた。私の席は窓際の一番後ろの席なので、私の後ろの人に用があるって訳でもない。私をはっきりと見ていた。


「それ、俺?」


指をさされた先にあるのは、先程描いた背中。当然模写なのでこの人を描いていたとばれてしまった。


「そうだけど」


少し焦りはしたが、それよりも少し、嬉しかった。


「よく分かったね」

「そりゃまぁなんというか…上手いから?」


前言撤回、かなり嬉しい。


「相澤サン、だっけ」

「うん」

「美術部とか入ってんの?」

「そうだよ」

「なるほどね」


なんだこの…なんというか、当たり障りない会話は。

この高校に入学してから半年くらいすぎてもう寒くなってきた頃だが、私はクラスから少し浮いていた。理由は簡単で、私が人嫌いの人見知りだから。一人と面と向かって話すのはいいけど、大勢となると話は別だ。人混みなんて体調が悪くなるくらい苦手。そんなわけで、もちろん同じクラスの人とも仲良くなんてなれず暗い高校生活を送っている。だからこの目の前の男子と喋ったことが無い、今回が初めて。なんなら名前も知らない。


「キモいって思わないの?」

「なにが?」

「…自分の事を勝手に描かれるの」


昔、小学生の頃にクラスで一番可愛かった女の子を描いていたらばれてものすごく嫌われたことがあって、散々「キモい」と言われた。当時の私は理解が出来なかったが、今は気持ち悪いと思うのが普通だときちんと弁えた。弁えたつもりでそのあともこっそり描いていたが。


「なんで?こんなに上手く描いてくれてんのに?」

「え」


意外。その二文字がただただ強く浮かんだ。

こっそり描いていてもばれるときはばれる。その時の相手の反応は引きつった顔で許してくれるか、以後目を合わせてくれなくなるか。周りに話されて良くない噂まで広まったこともあった。あることないことをだ。この人嫌いはこのせいなのかもしれない。言ってしまえば全部自業自得だが。

だけどこの人は引きつる笑顔どころか「上手い」と褒めてくれた。「キモい」と「上手い」って語尾が『い』だし文字数も同じなのにどうしてここまで違うんだろう。

少し、この人に興味が湧いてきた。


「ねぇ、名前ってなんていう…」

「授業始めるから席につけー」


ノミの心臓、勇気を振り絞ったが授業が始まってしまい遮られた。日本史め、ゆるさぬ。

前を向き直してしまったこの人はもう私にはなしかけてくれることはないだろうか。『絵が上手い人』っていう印象が分かっただけで、満足してしまっただろうか。少なくとも、もう私から声をかけることは出来ない。おくびょうものなのだ。私は。

日本史の時間はいつもプリントが配られる。A4サイズのプリントが前から続々と配られてきた。


「…?」


例の前の男子で少し間を置いた。別に気にする程度の間でもないので気にしないでプリントを受け取ると、右下の余白にちいさく『佐久川栄斗』と書いてあった。


「さくかわ、えいと」


小声で名前を読み上げると、その佐久川くんがこちらをちらっと見てニッと白い歯をみせた。

その日の日本史はなんにも内容が入ってこなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る