第31話 喚起

「ああ、もう無理、ゲルリン、もう怒っちゃう」


 突然、片桐さんが地下アイドルだったことを取り戻す。


 これこそ一種の退行現象だろうか、要求した覚えはなかったが、よくわからない説明がその後に続いていった。


「ついに、ゲルリンは、天使法第十二条第三項の天使たるもの専守防衛に徹すること、を破っちゃいます」


 専守防衛ということは本来、天使はむやみやたらに浄化してはいけないということだろうか、正直、真面目にとらえる必要性は感じなかった。


 ほとんどが悪ふざけの延長線上にあったものに過ぎない、それを間に受けると人はたいてい馬鹿を見る。


 しっかり言い終わると、片桐さんは両腕を胸の前に交差させ、人差し指をそれぞれ立てた。


 クイクイ。


 それから掛声を発する。


「はなのあなが、ひとーつ」


 言い終わった途端に、人差し指をゾン美さんの片方の鼻にプラグインする。


 ずぶり。


「はなのあなが、ふたーつ」


 ぼすり。


 もう片方も塞がれる。


 一斉にそれを上側に引っ張って、鼻フックを物の見事に完成させた。


 見たかと言わんばかりの片桐さんの得意顔。


 フ――――ン。


 自前の鼻の穴から漏れ出る空気が持ちうる限りの充実感というものを余すことなく物語っていた。


 なんだか楽しそうにも見えたが、憐れぐあいもひとしおに見える。


 いっぽう、ゾン美さんはなぜか涼しい顔でそれを受けていた。


 胸の前で両手を合わせて静かに目を閉じる。


「人の~、蒲焼に~、山椒を~、勝手に~、かけるのは~、やめて~、もらえませんか~」


 念仏のように唱えたが、最後の語呂がなんだかイマイチだった。


 けれども雰囲気だけを言うならば、その姿はまるで、慈母観音ここにあり、のようだった。

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