ホットミルク(恋愛)

 ガツン、という音を立ててホットミルクが床にこぼれる。「水溜まりならぬ牛乳溜まりだな」などとフローリングに視線を落とす。

 今の音を聞きつけてリビングから彼女がやってきた。生活力のない僕を笑おうとする魂胆だろう。僕は電子レンジからホットミルクを取り出すとき、その縁に当てて中身をぶちまける。半分の確率と言っても過言ではない。

 手にティッシュボックスを持った彼女はふふと笑いながら立ち尽くす僕の足元を拭き始めた。

「飲んでもらえなかった牛乳がかわいそう」

「生き物じゃあるまいし」

「アニミズムって知ってるでしょ?」

「非科学的ですね」

 僕は彼女に掃除を任せてソファに座った。それと同時に台所から手を洗う音が聞こえる。

 同棲と言うほどでもない。たまにひょっこり現れたかと思うと、しばらくして帰っていく。喧嘩をしたことも無いが、かといってべったりする訳でもない。恋人と言うにはあまりにもドライな関係だ。年下の彼女に僕が砕けた口調で話さないのも傍から見れば不思議なものだろう。

「長谷川さん、今日は泊まるんですか?」

「何? 泊まってほしいの?」

「いえ、泊まるなら布団を出そうと思っただけです」

「一緒に寝てあげてもいいよ」

 僕の隣に座った彼女が肩に頭をのせてくる。特段ドキドキもしない。

「シングルベッドに大人二人は狭すぎたでしょう? 僕は睡眠の質を重視しているので」

「あら、セロトニンって知らないの?」

「女子は好きですね、そういうの」

「あなたの好きな科学でしょ?」

「それとこれとは話が別です」

 僕はホットミルクをふうふうと冷ましながら少しずつ飲んでいく。そんな様子を見て彼女は面白そうに笑う。

「猫舌なのに何で毎晩ホットミルク飲んでるの?」

「ホットミルクには睡眠の質を高める成分が含まれているとの研究結果があります」

「睡眠に命かけすぎ」

 今度はけらけらと声を出して笑い始める。僕はそんな彼女を横目で見る。

 別にずっと傍にいてほしいとも思わない。君が去ると言うのなら、それを見送ろうとさえ思っている。

 ただ、今、この瞬間、こうして僕とのくだらない会話で幸せそうに笑ってくれていれば満足だ。僕に恋愛感情というものがあるとすれば、これが精一杯の愛情表現だ。

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