第3章【旅は道連れ世は情け】

 昨晩は銭湯でゆったり過ごしたせいか、……それとも例の『黒い靄』を見たせいか直ぐに寝入ってしまい、おかげで朝まで熟睡できた。

寝ぼけ眼で枕元のスマホを手探りで探して、画面を見ると『7月23日 木曜日 4:37』と表示されている。


「随分と早く起きちまったな……みちるに電話するにしても、まだ早すぎる時刻だ。死神だっていっても、若い女の子だし、せめて8時は過ぎてないと悪いよなぁ……」


かといって、今から2度寝する気にもなれない。何せ俺が死ぬまでもう1週間を切っているのだ。2度寝なんぞしていたら、何だかもったいない気がしてきた。……だからと言って別に何をする訳でもないのだが、とにかく2度寝なんぞに貴重な時間を費やしていては勿体ない! そう思った。


「コンビニに行って缶コーヒーでも買ってくるか……みちるの分も」


 意を決して寝床から起き上がると、一気にカーテンを開ける。朝4時台とは言え7月の仙台はすでに朝陽が街を鮮やかに照らしていた。今日も一日暑くなりそうだな……

 ベランダに面したガラス戸を開け網戸にすると、少し冷たい空気が部屋に入り込んできて、寝ぼけた頭を目覚めさせる。


「よし!」


そう言って軽く自分に気合を入れて、布団を押し入れにしまい。洗面所に行き冷たい水で顔を洗う。

昨日みちるが手伝って部屋の掃除をしたせいか隅々まで奇麗になっていて、なんだか清々しい気分だ。


「あれじゃ、死神見習いと言うより……押しかけ女房じゃねぇか」


自分で発した言葉に、何だか急に照れくささが押し寄せてきた。

バカ言ってないで、さっさとコンビニに行って来よう。


 アンダーアーマーのTシャツと、ブラックデニムに着替える。

ダイニングキッチンのテーブルの上に無造作に置かれている財布をポケットにねじ込み、ディーゼルの革バンドのクロノグラフを身に着けると、部屋から外に出た。

このアパートは歩いて数分の徒歩圏内にローソン、セブンイレブン、ミニストップとコンビニが揃っていて特にセブンイレブンはほぼ同じ距離で2軒もある好立地だ。

 さて、外に出たのはいいものの……どこのコンビニに行こうか……

どうせあと数日で死ぬんだし……風の吹くまま気の向くまま、散歩も兼ねて適当に歩くか。

 俺は階段を下り、1階まで来た。昨日みちると一緒に行ったスーパー銭湯とは正反対の方向に進み、直ぐに中央分離帯のある大きな道路に出た。


「……右……かな」


 なんとなく右に曲がり仙台港方面に歩いていると、道路の対岸から視線を感じた。

視線を感じた方向を向くと、若い女性……歳は17~8才だろうか? 長い黒髪に白いノースリーブのワンピースを着た女の子がこちらを見ている。何やらこちらに微笑みかけているようだ。

 俺は久しぶりに朝早く起きたせいかボーっとしていて、彼女に対し何かリアクションをする訳でもなく、前に向き直り、黙って歩き続けた。


 なんだ? あの子……


ふと、我に返ると100mほど先に同じ女の子が立っていてにこやかに微笑みながらこちらを見ている。

知り合いかな? ……思わず立ち止まって、女の子を凝視しながら、誰だろうと考えを巡らせていると、昨日みちるに言われた言葉を思い出した。


『小野寺さんが一人で居る時は霊を見かけても決して凝視したり、耳を傾けたりしないでくださいね』


「あ……ヤバい……あれ――」


後悔の念が口をついて出た時には、俺の両肩が鉛の様にずっしりと重くなった。

 耳元で若い女が囁くのが聞こえる。


「私が……見えるんでしょ……」


全身から汗がドッと吹き出すのを感じる。肩の重みを払いのけようと思っても体が言うことを聞かない。


「……痛いの……助けて……一緒に……ここに居て……」


頭の中に直接語り掛けられるような、決して大きな声ではなく、むしろ死ぬ間際に渾身の力を込めて口を開いたような一言一言に未練や怨念が篭ったような恐ろしい声。

 昨日は黒い靄にしか見えなかったのが、霊感が高まったせいか今日はハッキリ人間として見える。

いや、怨念が強力だからハッキリ見えるのか……


「みちる……た……助けて」


ようやく声を出せたが、当然みちるはここに居ない。


女の子の細い手が、細いが氷の様に冷たい手が俺の首に纏わりついてくる。

鉄? いや、これは血の匂いだ……。


 クソ、今日死んじまうのかよ……


「今すぐ私のクライアントから離れなさい! この性悪女!」


 背後から聞き覚えのある声がした。みちるだ!


 みちるに怒鳴りつけられたからか、今にも俺の首を絞めようとしていた、細く冷たい手はスルスルと離れていった。

同時に両肩の重みも嘘のように無くなって行く。

 俺は全身の力が抜けて、その場にへたり込んでしまった。

みちるが駆けつけてきて、俺の顔を覗き込む。


「小野寺さん! 大丈夫ですか!」

「あぁ、ありがとうな、みちる。助けてくれて」

「霊にちょっかい出したんですか? あれほど霊に構うなと言ったじゃないですか!」


みちるはナイキのロゴが入ったピンク色のスゥエット上下を着ていて、髪をヘアゴムでポニーテールの様に束ねていた。


「みちる……お前、意外と可愛いな」

「ふざけてる場合ですか! あんな危険な霊にちょっかい出したら、小野寺さん最悪死んでますよ!」

「どうせあと、1週間もしないで死ぬんだろ?」

「死んだあと、あの霊と一緒にずーっとここに居る事になるんですよ!?」


みちるは今にも泣き出しそうな顔で、俺を諭すように言った。


 死神っつっても、まだ見習いの若い女の子だもんな……


「……悪かったよ。その……まるで普通の人間に見えてさ、こっちに微笑みかけるもんだから、あんな知り合い居たっけな?と思ってさ、ついガン見しちまった……」

「小野寺さんは私が責任を持ってあの世にお連れします!」

「いや、サラッと怖い事言ってんじゃねーよ。」

「ウフフ、そうですね! でもあたし、死神なんですから!」


早朝の歩道で2人して顔を向かい合わせて笑い合った。


「お前……ところでその恰好……」

「え? これお気に入りの部屋着なんですよ。高校生の時からのお気に入りです」

「あ、いや、ホテルから部屋着で駆けてきたの?」

「虫の知らせってヤツですかね。嫌な予感がして思わず駆け出してきちゃいました。えへへ」


照れ臭そうに笑うみちるは死神であるということを除けば、何処にでもいる普通の女の子の様に見える。


「今度は本当に気を付けるよ。……コンビニで缶コーヒーでも買おうかと思ってさ、……そのみちるの分も買ってやるから、一緒にコンビニにいくか?」

「ありがとうございます! さ、小野寺さん行きましょ!」


俺とみちるはそのままセブンイレブンで缶コーヒーを買って、アパートの前まで戻って来た。


「もうここまで来れば大丈夫でしょう! あたし、これからホテルに戻って身支度を整えてから、朝食バイキングでしっかり朝ご飯を食べて、また小野寺さんのアパートまで来ますから、一人でフラフラ出掛けちゃダメですよ!」


 みちるは人差し指を立てて、まるで母親のように俺に言って聞かせた。


「おいおい、小学生のガキんちょじゃねーんだから、言われなくても分かってるよ」

「……心配したんですからね」


みちるは目を潤ませながらそう言うと、俺の顔をジッと見つめている。


「わ……分かった! わかりました!」


なんだか、少しドキっとした。女は卑怯だ。何も泣く事は無いだろう! 泣く事は!

俺はみちると別れると、自分の部屋へと戻った。

少しぬるくなった缶コーヒーはいつもよりホロ苦いように感じた。


               *


 ふと左腕に巻かれたディーゼルのクロノグラフを覗き込むと、短針と長針はそれぞれ5時と42分を示している。


ちょっと早いが、朝飯でも食べようかな……

みちるのおかげですっかり片付いた部屋の中、先ほどの悪霊に取り憑かれた一件ですっかり目が覚めてしまい、もう一度寝るという選択肢は俺の中には無かった。

おもむろに冷蔵庫の扉を開けると、すっかりきれいに片付いた庫内には、みちるが作ったであろう料理がビニールのラップを個別にかけられて置かれていた。

サラダの器にピンクの付箋紙が貼り付けてあるのに気づき、俺は付箋紙を手に取って内容を読んだ。


『小野寺さんへ

 また朝からピザとか食べちゃダメですよ。朝食はその日一日の活力の源です。

 私の下手な手料理ですいませんが、簡単な朝食を作って入れておきます。

 月夜 みちる』


 ハハ……あいつ、本当におせっかいな押しかけ女房みたいだな。


 俺の頬を一筋の熱い涙が流れ落ちる。

今まで、こんなに他人に優しくしてもらった事はあっただろうか……?

母さんの葬式の時……親戚の人たちがイロイロ世話をしてくれたが、皆どこかよそよそしくて、優しさや温もりなんてモノは正直感じなかった。

それに結局、その後は親戚中をたらい回しにされて、挙句は児童養護施設で育ったんだからな……

 世の中は全員敵。金を持つ者だけが勝者であり正義。貧乏は敗者であり悪なのだ……

人を欺きテッペンに上り詰める、血の繋がった親族だろうと決して気を許してはいけない。

 この歳になるまで、ずーっとそんな事ばかり考えて生きてきた。

だが決してそんな事は無い。人は一人じゃ生きていけない。いろんな人間が関わり合って世の中が動いている。

もちろんいい奴ばかりではないし、俺みたいにクソみたいな人生送ってきた奴だって掃いて捨てるほど居るだろう。

だが、世の中を信じてみてもいいのかもしれない。

他人を信じてみてもいいのかもしれない。

よりによって見習いの死神にそれを気付かされるとはな……


涙をティッシュで拭いて冷蔵庫から、みちるが作ってくれた朝食を取り出してダイニングキッチンのテーブルに並べる。

ビニールラップを 剥がして一つづつ電子レンジで温める。

オムレツの皿はビニールラップの代わりに半透明のプラスチックで出来たフードが被せてあった。

フードを取ると、オムレツにはケチャップでハートマークが描いてあった。


 あいつ……ホントに死神か? メイドカフェみたいなベタなマネしやがって……


顔が急に熱くなっていくのを感じる。

なんだか照れ臭くて、痒くもないのに頭をボリボリ掻いてしまった。

この場にみちるが居なくてよかった。あいつにこんな醜態しゅうたいは見られたくない。

フレンチトーストにサラダ、オムレツにヨーグルト、野菜ジュース

ヨーグルトはブルーベリーのジャムが乗せられ、ペパーミントが添えてある。

サラダはキャベツや紫キャベツ、ニンジンなどが千切りになっていて、上にはミニトマトや茹でたミックスビーンズ、オクラなどが乗せてあり具沢山だ。

ご丁寧にナイフとフォークまでが添えてあった。


 俺はナイフでフレンチトースト一口サイズに切って、フォークで刺し口へと運んだ


「うっま!!」


 これは美味い。みちるは下手な手料理ですいませんが……なんて書いてはいるが、これはちょっとしたカフェで出しても通用するくらいに美味い。

 シナモンの香りと……それに、この微かな甘い香りは……バニラエッセンスだろうか?

続いてオムレツに手を伸ばす。

 何度見てもケチャップで描かれたハートマークは照れ臭いものだ。


 可愛い顔して、死神なんだよなあいつ。


 ハッと我に返る。


おいおい、俺は一体どうしちまったんだ? あんなチンチクリンなチビッ子に惚れちまったのかよ?

 でも……あと数日で死んじまうんだよな、俺……

あいつは死神で、俺はクライアント。そこに恋愛感情なんておかしな話だよな全く……


 言葉では言い表せない胸のモヤモヤをかき消すように、オムレツの上のケチャップのハートマークをナイフで真っ二つに切った。

 オムレツの中にはみじん切りのひき肉と玉ねぎが入っている。

一口大に切って、フォークですくう様に口へ運ぶ。

これもまた美味い。塩コショウで絶妙に味付けされた挽肉と玉ねぎが食を進ませる!

塩コショウだけではない。仄かなスパイスの香り……ナツメグかな?

 気が付くとオムレツを半分以上食べてしまっていた。

こんなに旨い飯を食ったのはいつ以来だろうか?

……仙台で俺が振り込め詐欺をしている時に、料を収めるために地元の暴力団の組事務所に行った時に、そこの組長にご馳走してもらった時以来か。


 なんだか嫌な事を思い出しちまったなぁ。でもあの組長、お笑い芸人に似てるんだよな。初めて会った時は思わずちまいそうになったのを必死にこらえたんだっけなぁ…… あの組長、今頃どうしてっかな。

 どうでもいいか。どうせあと数日で死ぬんだ、俺。

だけども、今となっては不思議と”死”に対する恐怖感は無い。みちるのおかげだな。

……あいつ、立派な死神になれるな。


 ヨーグルトを食べ終え、口の中に爽やかなペパーミントの風味を残しながら、俺は流し台で食べ終えた料理の食器を洗っていた。


 せっかく、みちるが手伝ってくれて部屋中大掃除をしたんだ。やはり最後とは言え奇麗に保っておきたい。立つ鳥跡を濁さず。正にその通りだな。


 食後の後片付けを終え、みちるが買ってきてくれた紅茶のティーバッグでお茶を淹れて一息つく。

左腕のクロノグラフは6時29分を指し示している。


 そうだ、みちるが来る前に旅支度をしておかねば!!


 自分で旅に出ると宣言しておいて、すっかりその支度をするのを忘れてしまっていた。みちるの事だ、またイロイロと世話を焼いてくるに違いない。これ以上あいつの世話になるのも申し訳ない。

 俺は紅茶を飲み干すと、流し台でティーカップを洗って旅支度に取り掛かることにした。


 旅支度と言っても所詮は男だ、メイク道具があるわけでもなし、替えの下着にアウターやらズボンやらと、髭剃りや洗顔フォーム、ハブラシなどの洗面用具を入れておけば事足りる。

ところが衣服が何処にしまってあるのか分からない。昨日の大掃除の時、俺はバスルームとトイレにかかりっきりだったし、それに普段から衣服をキチンと畳んでしまうという習慣が無かったから、何が何処にしまってあるかまるで分からないのだ。

 それと、この部屋に引っ越してくるときに使ったキャリーケースがあったはずだけど、あれはどこにしまってあるかな……?


 わずか10数分で、奇麗に片付いていた部屋が雑然とした散らかった部屋に戻った。

だけど、以前の俺とは違う。引っ張り出したモノは必要なモノ以外、元の場所にキチンとしまうんだ。せっかくみちるに手伝ってもらって片付けたんだから。


 ……全身に軽く汗をかいたが、元の奇麗な部屋に戻すことが出来た。

無事にトランクケースに数日分の下着や衣服、洗面用具などを詰め込んだ。

ふと腕時計を見ると7時15分を指し示している。

 みちるが来る前に軽くシャワーでも浴びるか……、あいつの事だ「小野寺さん! 清潔感の無い男の人は嫌われちゃいますよー」とでも言うに違いない。


 シャワーを浴びてバスタオルで身体を拭いていると、ダイニングキッチンの壁に据え付けられたインターホンが来客を知らせた。


「はいはいはい」そう言いながら歩いて行って、インターホンの液晶画面を覗き込むと画面にはリクルートスーツを着たみちるが映っている。

俺は『通話』と刻印されたボタンを押して、画面の中のみちるに語り掛けた。


「おー、みちる。ちょっと待ってなー、今裸だから着替えるからよー」


画面の中のみちるの顔がみるみる紅潮していくのが分かった。


「ちょっと!! 小野寺さん! 朝から何やってんですか! え、エッチな事してたんですかー!!?」


画面の中のみちるに言われ、急に俺も恥ずかしくなった。顔が熱くなっていくのを感じる。


「ば、バカ言うなよ! え、エッチな事って……た、ただシャワー浴びてただけだ!」

「え? あ……ご、ごめんなさい」


みちるはホントに天然なヤツだ。でも、スレてない。そんなところに好感を覚える。


「5分……いや、3分待っててくれ。すぐ着替えるからよ」

「あ、はい。待ってます」


 画面の中のみちるにそう告げると、俺は慌ててバスタオルで全身を拭き上げ、シャワーを浴びる前に脱いだ服とは別に衣服や下着を収納ケースから引っ張り出して着替えた。

 バスルームの扉の前のかごに入れておいた脱いだ衣服、バスタオル、フェイシャルタオルを洗濯機に放り込み、柔軟剤入りの液体洗剤をキャップに適量取り、洗濯機の中の洗濯物にかけ、扉を閉めた。

手早く洗濯機の電源を入れ、お急ぎコースのボタンとお急ぎ乾燥のボタンを押す。洗濯機の中で水が流れ始めるのを確認すると、やや急ぎ足で玄関に向かう。

 玄関ドアを開けると相変わらず小柄な死神見習い、みちるがそこに居た。


「わりぃなみちる。……それに、さっきは……た、助けてくれて……ありがとう」


 みちるを前にすると、何故だかお礼の言葉を言うのが照れ臭い。

俺の態度を見てか、それとも胸中を察したのか、みちるは優しく微笑んだ。


「いえいえ、どういたしまして。私は死神。……まだ見習いですけどね。小野寺さんを無事に霊界までエスコートするのが仕事ですから。えへへ」


「なんだよ、エスコートって……。死神らしくねーな」


「人間だって10人いれば10通り生き様があるように、死神だって10人いれば10通りです。私は私のやり方でクライアントに接します」


「おまえ、いい死神になるよ。俺が保証する」


「小野寺さんに褒められちゃった。俄然やる気が出てきますね!」


「死神のって、何だか恐ろしいな……」


 そう言って、自然と笑みが零れた。みちるも笑っている。


「さ、中に入れよ。さっきの一件で汗かいちまったからよ、シャワー浴びた後、服やバスタオルを洗濯してんだ。終わるまでお茶でも飲むか?」


「はい。……小野寺さん偉いですね! キチンと洗濯してるんですね」


 みちるが「よくできました!」とでも言いたげな顔をして俺にそう告げた。

なんだかむず痒い気持ちだ。人に褒められるのも悪くない。


「まあな……。立つ鳥跡を濁さず。みちるの言う通りだと思ったよ。……もう少し早く気が付いてりゃ、俺の人生違ったのかもしれねーけどな」


 自分でそう言うと、今までのクソみたいな人生が一気に脳裏をよぎる。

ダイニングキッチンへのドアに手をかけて立ち止まってしまった。


「小野寺さんの過ごしてきた人生は、今の小野寺さんを構成する一つ一つの重要なパーツなんです。26年間かけて学んで、そして今のあなたがある。小野寺さん、立派です」


 振り返ると真剣な表情をしたみちるがそこに居た。

急に照れくさくなってドアに向き直る。


「そんな立派なんてもんじゃねーよ。それにあと数日で死んじまうしな」


「いいえ、十分立派です。あと数日だっていいじゃないですか。人生って何をしてきたかよりも、最後に自分の今までの行いにキチンと向き合って、そして総括する。そういう事じゃないですか? ……あ、なんだかお説教くさくなっちゃいましたね。私らしくない、えへへ」


「……あぁ、そうかもな。そういう事かもしれないな」


 胸の中にモヤモヤが少しは晴れた。なんだかそんな気がした。


 ティーカップに紅茶のティーバッグを入れ、先ほど電気ケトルで沸かしておいたお湯を注ぐ。すぐに紅茶のいい香りが鼻をくすぐる。

テーブルの対面に座っているみちるもティーカップから立ち上る香りに鼻を近づけて香りを楽しんでいるようだ。

洗面所の方からは洗濯機の稼働音が聞こえてくる。


「洗濯が終わったら、出かけるぞ」


 紅茶を飲んでいたみちるがカップをテーブルに置き俺の目を見る。


「いよいよですね、旅行。何だか楽しみだなぁー、行き先の分からないミステリーツアーって、ワクワクドキドキですね」


「そんな大層なもんじゃねーよ、ただノープランなだけだって。風の吹くまま気の向くまま……、人生最後の旅だからって変に構えるのは……なんつーか、俺のカラーじゃねーからよ」


 みちるが目を輝かせて俺を見ている。


「小野寺さん、かっこいいですー。これぞおとこ!って感じです! ”漢字”の”漢”と書いておとこ。キャーカッコイイー」


「おいおい、おだてんなよ。そんなカッコイイなんてもんじゃねーだろ」


 2人向き合って笑い合う。ホント、コイツと会ってから何回笑った事か……

そうこうしているうちに、洗面所の方から洗濯終了を告げる洗濯機のブザー音が聞こえてきた。

俺は席を立つと、洗濯機から乾燥直後で暖かい洗濯物をかごへと移し、そのまま寝室へ持って行って畳んだ。

みちるはその一部始終を見ながら、ウンウンと頷くように満足げな表情を浮かべている。

まるで母親に見守られているような……そんな錯覚を覚える。


 衣服や洗面道具が詰まったキャリーケースを持って、みちると一緒に部屋を出る。玄関のカギを掛けようとしている俺に、みちるが不安そうな顔を向ける。


「小野寺さん、忘れ物は無いですか? ガスの元栓は閉めました?」


 やれやれ、押しかけ女房から今度は心配性のオカンに変身かよ。


「大丈夫だよ、みちるにシッカリと教育されたからな。バッチシ!」


 そう言われて、みちるは不安そうな表情から、一気に誇らしげな表情に変わった。

2人で階段を下りて駐車場の愛車へと向かう。人生最後の旅。死神と2人の旅……、一体何が待ち構えているのか?

不安と期待が入り混じったような……何とも言えない胸の高鳴りを覚えながら、俺は愛車レガシィツーリングワゴンのリアハッチを開け、自分のキャリーケースとみちるのそれを積み込んだ。



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