第4章 【でこぼこデスロード珍道中】
運転席に乗り込み、エンジンをかける。左腕に巻かれた時計を見ると8時41分を指していた。
みちるが興味津々で腕時計を見つめながら言った。
「小野寺さんの腕時計カッコイイー。個性的ですねー」
まったく、こいつは何にでも興味を示す奴だ。
「2万円かそこらの安モンだよ……。他人からはよく、いい歳してそんな高校生が好んで付けるような時計付けるなって言われるけどな」
この腕時計、ディーゼル メガチーフ レザーバンドには俺なりの思い入れがある。
母さんが死んでから親戚中をたらい回しにされ、その後児童養護施設に入れられていた時、施設を出て就職したOBが近況報告に来た事があった。
今となってはソイツの名前どころか顔だって思い出せないが、強烈に脳裏に焼き付いているのは、ソイツがしていた腕時計、それがこのディーゼル メガチーフ レザーバンドだ。
ビッグフェィスと呼ばれる、一際大きな文字盤。そしてパックマンと呼ばれる文字盤の3時の位置をすっかり覆い隠してしまうほど大きなリューズガードが付いたデザイン。角度によってキラキラ輝く風防ガラス。
ガキだった俺に、それはまるで全てが勝者の証であるかのように、まるでこの世の富を全て独占しているかのような……それくらい強烈な印象を植え付けた。
OBの兄ちゃんは初任給で買ったと、施設の子供ら皆に自慢していた。……もっとも、腕時計のカッコよさに食いついたのは俺ぐらいなもんだったが。
やがて俺も施設を出て独り立ちする歳になり、就職して初任給で買ったのは、やはりディーゼル メガチーフ レザーバンドだった。
もっとも、2回目の給料日の前に社長が夜逃げして、そのまま会社が潰れちまったのは、俺の引きの悪さをよく表してる出来事だ……
「……ちょっと!! 小野寺さん! どうしたんですか?」
みちるの声でハッと我に返る。今の今になって昔のクソみたいな出来事を思い出すなんて俺らしくもない。
「おぉ、わりぃわりぃ。今朝はいつになく早く目が覚めちまったからな。ちょっとボケっとしてただけだ」
「大丈夫なんですかー? 車じゃなくて電車とかバスとか飛行機でも旅行は行けますよー?」
「大丈夫だって、あんま心配すんな。急ぐ旅でもねーんだ、疲れりゃ休憩するし、なんならそこで泊ったっていい。だから、な。車で行くぞ」
みちるは不安そうな表情を俺に向けていたが、すぐにいつもの笑顔に変わると「はい。じゃあ、出発進行ー!」と言って、おどけて見せた。
*
アパートを出てから、どれくらい経っただろうか? 県道23号線と137号線の重複区間、通称『産業道路』に出て仙台港方面に進み、すぐに仙台東インターチェンジから仙台東部道路を北へ、
AMラジオからは、山崎まさよしが『one more time, one more chance』を哀愁たっぷりに歌い上げているのが聞こえている。
しばらく無言だったせいか、それともラジオの退屈なおしゃべりと歌謡曲が子守唄になったおかげか助手席のみちるは小さい寝息を立てて、すっかり夢の中にいるようだった。
やがて曲がエレファントカシマシの『今宵の月のように』に変わったころ、みちるが「んーっ!!」っと、まるで猫が鳴いているような声を出して両手を挙げて伸びをした。
「お、みちる。起きたか?」
「……ふぁい? 今……どの辺ですか?」
カーナビの画面に目をやると、どうやら現在地は宮城県
「……まだ宮城県だ。宮城県栗原市」
みちるは黙ってコクリと頷くと、右手で
「そうだな、次のパーキングエリアかサービスエリアで休憩するか」
「はい」
俺に気を使ったのだろうか? 少々無理をして出した感が否めない……そんな空元気でみちるは答えた。
程なくして『
すぐ先にパーキングエリア入口のブリンカーライトが見える。よく中央分離帯の端にある黄色の信号機みたいなやつだ。
左ウィンカーを出してパーキングエリアへのランプウェイに入り、徐々に速度を落としていく。
自然と「ふぅ」とため息が漏れた。
みちるの方を見ると、心なしか顔が引きつっているように見える。
それになんだか内股になっているような……
「お、みちる。ションベン漏れそうなのか?」
みちるがこちらを振り向くと、鬼の様な形相で黙って俺を睨みつけた。
これはまずい。死神とは言え、みちるも年頃の女の子なんだった。
……あぁ、神様、仏様、閻魔大王様、今の発言を取り消して時間を巻き戻してください!
死神が居るのだから、神様もきっと俺の願いを聞き届けて時間を巻き戻してくれる!
……そう思ったのだが、世の中……いや、霊界もそんなに甘くは無いらしい。
険悪なムードの車内からいち早く脱出するべく、俺は五感を最大限に研ぎ澄まし空いている駐車スペース……それになるべくトイレに近い駐車スペースを探して、車を滑り込ませるように停めた。
「着いたぞ、みちる! ……なぁ、ゴメ――」
そこまで言いかけて、みちるが俺の言葉を遮るように大きな声で怒鳴った。
「小野寺さんのバカッ!! 私、デリカシーの無い男の人って大っ嫌い!!」
そう言い残すと、みちるは車のドアを力任せに閉めて、トイレに向かってダッシュして行った。
……あぁ、一体どうしよう? この先数日、このままずーっと険悪なムードなのかな……? いや、今のは完全に俺が悪いのだから、なんとかこの修羅場を抜け出すべく、作戦を練らなければ……
そんな事を考えながら車から降りると、何処からか口笛が聞こえてくる……
これは……Def Techの……『My Way』?
誰かが口笛でDef Techの『My Way』を演奏している。普段なら誰かが口笛を吹いていようと、さほど気にはならない。気になったとしても「うるせーなぁ」と思う程度だ。
今日に限って何故だか、この口笛が気になる。別にDef Techが好きなワケでも『My Way』が好きなワケでもない。
でも何故だろう? こんなに口笛が気になるのは……
音の出どころを探して辺りをキョロキョロしていると、パーキングエリアの外れ、そこに居る作業服を着たオッサンと目が合った。
オッサンは口笛を吹くのを止めると、ニヤニヤ笑いながら何やら俺に向かって話しかけてきた。
オッサンと俺との間には、そこそこの距離がある。しかし、俺の頭の中に直接語り掛けられているような……決して大きな声ではなく、むしろ
「よぉ、兄ちゃん。俺の事が見えるんだよな?」
ヤバい……このオッサン……幽霊だ。
どうしてこんな時に! みちるが居ない時に限ってやらかしちまうんだ俺は?
「ん? どうした、兄ちゃん。口がきけない訳じゃねーんだろ?」
オッサンはそう言って、相変わらず薄気味の悪い笑みを浮かべている。
どうする? 勇樹! みちるは居ないぞ?
冷たい汗が一筋、背中を流れていくのを感じる。
……幸い身体の自由は効く。俺の流儀にゃ反するが、ここは逃げるが勝ち。とにかく物理的に距離を取ろう。
そう思ってオッサンから遠ざかろうと振り返ると、目と鼻の先にオッサンが居た。
「おいおい、シカトした上にトンズラって……初対面なのに随分と嫌われたもんだなぁ、俺も」
つい今しがたまでニヤニヤ笑っていたオッサンは、そう言うと一瞬で真顔になり黙って俺を見つめている。
……目と鼻の先、吐息を感じるような距離。つい今しがたまで、そこそこ離れた距離に居たのに、それを一瞬で移動してのけるのは、やはり人間業ではない。
……幽霊、それも己を存在をキチンと認識した上で確信犯的に力を行使している。
ひょっとすると、とんでもなく質の悪い霊…… みちるの言っていた魔物と化した霊なんだろうか?
俺はゴクリとツバを飲み込んだ。
オッサンが、いや……悪霊がゆっくりとした口調で俺に語り掛ける。
「……なぁ、兄ちゃん。ちょっとばかり頼みごとがあってよぉ」
いよいよマズイ事になって来た。きっと、ここにずーっと一緒に居てくれとか、苦しみを分かち合ってくれとか、そんな事を言い出すに違いない!
その時だった。
「あなた、この人が私のクライアントと知って手を出そうとしているのですか?」
気が付くと、みちるが俺の右側に立ち、能面の様に眉一つ動かさず、事務的な口調でオッサンにそう告げた。
彼は不意を突かれ、みちるに話しかけられると直ぐに彼女が何者であるかを悟ったらしく、バツの悪そうな顔をして口を開いた。
「なんでぇ、死神かよ。……つー事は兄ちゃん、おめぇあと数日の命かぁ?」
思わず安堵のため息が漏れた。またしてもみちるに助けられた。
俺はみちるに両手を合わせて、ありがとうのジェスチャーをしたが、みちるは一瞬笑顔になりかけ、直ぐに先ほどの一件を思い出したのか「フンッ」とでも言いたげな表情をして見せた。
みちるがオッサンに向き直って諭すように語り掛ける。
「今すぐここから立ち去れば、あなたに危害は加えません。ただし、このままこの人に手を出そうというのなら、私も手加減はしませんよ」
俺の予想に反して、オッサンは少しばかり困ったなぁという表情をして口を開いた。
「あのなぁ、俺は別にこの兄ちゃんを取って食おうって訳じゃねーんだよ。……その……ちょっとばかり腹がへってよぉ。……お供え物をして貰えねぇかと、お願いしようと思ったんだ」
全く予想だにしていなかったオッサンの返答に、俺とみちるは一瞬ポカンとして彼を見つめた。
彼は続ける。
「俺は……今から200年くらい前、そうさなぁ文政3年に47歳で死んだんだけどよ。それ以来こうして成仏できずにこの世を彷徨ってるっつーわけだ。
それに腐っても幕府の武士だったんだぜ? まぁ、下っ端だったけどよ」
江戸時代の下級武士が作業服を着て、高速道路のパーキングエリアに居るわけがない。コイツ……見え透いた嘘を付きやがる。
みちるの方を見ると、彼女も嘘だろうと言わんばかりの胡散臭い物を見るような表情をしている。
「おいおいおい! 俺の言ってる事を信じてねーな、お前ら!
あのな、死んでから200年経ってるんだぞ! その間アチコチぶらぶらしてりゃ言葉や、その時代の風俗だって学習するだろ! それに幽霊なんだぜ!? 服装だって、変幻自在よ!
……べ、別に俺ぁ悪霊じゃねーんだ。頼むよぉ、この通り、食いモンをお供えしてくれねぇか? 俺達幽霊はお供えしてもらわなきゃ食うもんも食えねーんだ。もう1年は何も食ってねぇ。その前は10年以上飲まず食わずだったんだぜ? な? この通り、頼む!」
オッサンはそう言って、俺に土下座をしてみせた。
……なんだか急に彼がかわいそうに思えてきた。
「まさか小野寺さん、この人の願いを聞いて、食べ物をお供えしてあげようっていうつもりじゃないでしょうね?」
みちるがそう言って、俺の顔をマジマジと見つめてきた。
「うーん……でもよ、このオッサン可哀そうだぜ? それにみちるにもさっきのお詫びを兼ねて、何かスイーツでもごちそうするよ。」
俺はそう言って再びみちるに向かって両手を合わせ、ごめんなさいのジェスチャーをして見せた。
「ま、まぁ小野寺さんがさっきの事反省しているんなら……でも、この先会う幽霊、会う幽霊、皆の願い事を聞いてちゃキリがありませんよ?
それに中には油断させて隙を見て悪事を働こうっていう霊もいるかもしれません」
「まぁ、それはそうかもしれねーけどさ。俺、今まで人に誇れるような事なんてしてこなかったし……、べ、別に今までの罪滅ぼしっつー訳でもねーけどさ、たまには人助けっつーか、霊助け? してもいいかなーって思ってさ」
みちるは根負けしたのか、ヤレヤレ仕方のない奴だといった表情をしている。
「……仕方ないですね。でも、この霊が変なそぶりを見せたら、私は全力で小野寺さんを守りますよ? いいですか、霊のあなたもそれを肝に銘じておいてくださいね」
みちるにそう言われて、土下座の姿勢から顔を上げたオッサンは隠さずに満面の笑みを浮かべた。
「ありがてぇ、ありがてぇ……」
オッサンはみちると俺の二人を交互に拝む仕草をした。
「じゃ、オッサン。何食いたいんだ?」
俺がオッサンにそう言い終えるや否や、オッサンは目をらんらんと輝かせて、まるで俺を食おうとでも言わんばかりの勢いで言い放った。
「ぎゅ、牛串! 牛串炭火焼き!!」
高速道路のサービスエリアの売店などでよく見かける『牛串』
何のことは無い、牛ロース肉などを串に刺して焼いたもの。
店や場所によっては、肉の間にネギを挟んだり、シンプルな塩味であったり、タレを付けて焼いたものなどバリエーションも様々だ。
居酒屋などでも割とよく見かける定番の料理と言ってしまえばそれまでだが
なぜだか高速道路のサービスエリアなどで見かける『牛串』には、つい手を出してしまいたくなる魔力みたいなものがある。
オッサンが牛串を
それはそれでいい事だとは思うが……
俺とみちるとオッサン……の、幽霊の3人は早速牛串を売っている屋外の売店に向かって歩いた。
売店に近づくにつれて、炭火で焼かれた牛肉のいい匂いが俺たち3人の鼻腔をくすぐる。
左腕の時計を見るとまだ10時を少し過ぎたばかり、朝食を食べてきたのでそれほど腹は空いていないが、肉の焼ける匂いはどうしてこうも人を……いや、人だけではなく幽霊までも魅了させるのか?
ふと、みちるの方を見ると彼女がゴクリとツバを飲み込んだ。
あぁ、死神までをも魅了しちゃうわけか……
売店の前に着くと、『
午前中とはいえ、7月下旬の暑さの中でさらに炭火を扱っているのだ、さぞかし熱いに違いない。
そんな事を考えながら、店の中のおばちゃんに牛串を注文する。
「あのー、牛串3人分ください」
「あいよ! 牛串ね。お味は塩とタレ、どうなさいますか? それと、柚子コショウはお付けしますか?」
なるほど、味が2通り……それに柚子コショウか……
みちるが元気に言い放つ。
「あたし、塩! 柚子コショウ付きで!」
よかった、少なくとも今この時は機嫌が直ったみたいだ。
「じゃあ……、俺はタレで。柚子コショウは要らないです」
オッサンの方を見ると、彼は
「どうしたの? オッサン」
俺がオッサンにそう話しかけると、売店のおばちゃんが俺を見る表情が怪訝そうに変わった。
あぁ……そうだった、このオッサンは幽霊だから霊感の無い人には見えないんだった。
そんな俺の不意を突いて、オッサンが大きな声を出した。
「お、お、俺は、し、塩とタレと、そ、そ、それに塩に柚子コショウ付きが食いたい!!」
1年間もお預けをくらっていたんだ、無理もない。俺はオッサンに同情しつつ、売店のおばちゃんに悟られないようにオッサンに向かって軽く相槌を打った。
「あ、えーと……塩の柚子コショウ付きを2つ、それとタレを2つ、それに塩の柚子コショウ無しを1つください」
おばちゃんは注文された本数の多さに、一瞬驚いた! という表情を見せたが、すぐに元に戻って傍らにあるレジのキーを叩いた。
「はい、700円が5つで、税込みで3,850円ね」
意外と高いな……まあ、5本も買えばそうなるのは当たり前と言えば当たり前だが。
俺はデニムのバックポケットから、ウォレットチェーンが付いた茶色い革の長財布を取り出しておばちゃんに代金を支払った。
「はい、150円のお釣りねー。ありがとうございましたー」
おばちゃんからお釣りを受け取ると、俺はみちるに対し自分の顎をしゃくって食堂などが入っている休憩所の方を指し、建物に入ろうと促した。
みちるは黙ってコクリと頷き、俺の後ろをついてきた。それを見ていたオッサンも状況を察して俺たちの後をついてきている。
建物の中に入ると土産物などを置いたショッピングコーナー、それに隣接したレストラン兼休憩コーナーがあった。
平日、それも木曜日の午前中という事もあってか、店内にそれほど人は居ない。
俺たちはレストラン兼休憩コーナーの一番端の窓際のテーブル席に腰を掛けた。
「あぁ、早く! 早く食いてぇよ!」
オッサンが辛抱たまらんといった感じでボソリとつぶやいた。
俺は念のため周囲に人が居ないか見回して、控えめの声量でオッサンに言った。
「まあ、待ちなよオッサン。飲み物を買ってくるけど、何がいい? みちるも、何が飲みたいんだ?」
「お、お、俺! ビ、ビ、ビール! ビールが飲みてぇ!!」
オッサンのリクエストを聞いて、俺は彼を
「ちょっと、オッサン。高速道路のパーキングエリアでビールとか酒を売ってる訳がないだろ」
「そっか……」と呟いて、オッサンはがっくりとうなだれた。
「あたし、ジンジャーエールがいい!」
オッサンとは対照的に元気いっぱい、みちるが俺にリクエストをした。
それを聞いて、オッサンも負けじと口を開く。
「じゃ、じゃぁ、俺もジンジャーエール!」
「よし、じゃあ2人はジンジャーエールな」
そう告げて、俺は自販機コーナーに飲み物を買いに向かった。
3人分の飲み物のペットボトルを買って席に戻ってくると、2人とも律義に俺の到着を待っていた。
オッサンは口から
「おまたせ。ほい」
そう言って各人にジンジャーエールのペットボトルを配る。
「さ、食おうぜ」
俺がそういい終えると同時にオッサンが牛串にかぶりついた。
「うん……うん……グスッ」
オッサンは肉の味を噛みしめるように咀嚼し、その味を確かめるように頷きながら、涙を流している。
「そ、そんな、泣くほどの事かよ」
「……うめぇ、うめぇよ」
泣きながら牛串を食うオッサンを見て、よほど食い物に未練があったんだなと、このオッサンが死んでからの境遇を想像して、彼に少し同情をした。
みちると俺も牛串にかぶりつく。うん、泣くほどではないが、確かにこれは美味い。売店の
「美味しぃー」
みちるがそう言って、左手で頬をさすりながら満面の笑みを浮かべている。
良かった、すっかり機嫌が直ったみたいだ。
「ふーっ! 美味かった! ご馳走様」
俺とみちるが、まだ半分も食べていないのに、オッサンがそう言って両手を合わせている。
「あれ?」
オッサンの前を見て俺は思わず驚きの声を出してしまった。
確かにオッサンが牛串を食っていたのを、この目で見たのだが彼の目前には全く手つかずの牛串が3本、発泡スチロールのトレーに乗ったままで置かれているではないか。それにジンジャーエールのペットボトルも全く中身が減っていない。
俺が驚いているのを察したのか、オッサンがさも当然といった口調で話す。
「お、驚いてんのか? 俺は幽霊だからよぉ。お供え物の実物は食えないんだぜ?
墓や仏壇にお供え物をしたって、別に無くならねぇだろ?
だけど、ちゃんと俺は食ったぜ。美味かったよ、ご馳走さん」
なるほど、確かにオッサンの言う通りだ。仏壇や墓にお供えした食べ物が奇麗さっぱり無くなっていたら、それこそ心霊現象だって大騒ぎになるもんな……
「おう、兄ちゃんたち2人で御霊前からお供え物を下げて、食っちまいなよ」
腹を満たされていかにも満足そうな顔をしたオッサンが俺たちに牛串3本を食べるように促す。
俺とみちるは顔を見合わせた。
「これ食ったら昼飯要らないな」
「ですね」
オッサンの御霊前から下げたお供えの牛串3本をみちると半分に分けて食べた。
……たっぷりと前澤牛の炭火焼きの牛串を堪能したところで、それとなくオッサンに向け、一言投げかける。
「じゃあオッサン、これで未練も無くなったしもうそろそろ成仏すんのか?」
俺の一言にオッサンの表情が曇っていく。
まだ何か未練があるのかよ、このオッサンは……
死んでから、もう200年も経ってるんならそろそろ成仏したっていいだろうに。
「あ、あのよ……。 どうしても心残りな事があってな……」
「なんだよオッサン。今度はラーメンでも食わせろって言うんじゃないだろうな?」
俺はそう言って怪訝な表情でオッサンを見つめるが、彼の曇った表情は変わらなかった。
それどころか、より一層険しい表情になったオッサンは俯いてしまった。
何か深刻な事情でもあるんだろうか? そう思って俺はオッサンに事情を話してみるようにと言葉をかけた。
すっかり満腹でいつになくにこやかだったみちるも、状況を察してか心配そうに彼を見つめている。
「去年な……ここら辺で台風の影響で水害があったろ?」
「あぁ……、あったな。堤防が決壊して、結構広範囲で町や畑が浸水したのは覚えてる」
「何人か死人が出てなぁ。俺ぁいつもは他の幽霊を見たって、我関せずって感じでよぉ、マイペースにアチコチぶらぶらと放浪してるんだが……
その……ある時、気が付いたら俺のズボンの裾を引っ張る奴が居てよぉ
幽霊のズボンの裾を引っ張るなんて、何処の幽霊だ? チクショーって思って振り返ったら、小せぇガキが俺の顔を見上げてんだ……」
その時の状況を思い出したのか、オッサンは伏し目がちに俺たちに語り続ける。
「よく見りゃ、泥水で汚れた服を着ててよ。これまた泥水ですっかり茶色に染まっちまったウサギの人形を持ってんだ。
一体どうしたのか? 親はどうしたのか? って聞いたらママが居ないって泣き出しちまって、それ以上は何を聞いても泣きじゃくるばかりでよぉ。
俺ぁ、こんな小さい女の子が幽霊になって一人で彷徨ってるのが不憫でならなくて、一緒にこのガキの親を見つけるまでは成仏しねぇって天に誓ったんだ」
そう語るオッサンの頬を一筋の涙が伝う。
「一緒にママを探そうって言おうと思ったら、すでにガキが消えちまってて居なかったんだ。しばらく探したが見当たらなかった……
アイツぁ、今でも一人ぼっちで彷徨ってんじゃねぇのかって……
そう思うと、とても俺だけのうのうと成仏なんてできねぇんだよ」
俺はそこまで彼の話を聞くと、彼の目を見てゆっくりと口を開いた。
「なるほど、オッサンの言いたい事は分かった。俺とみちるでその女の子と母親を探して、合わせてやって欲しいって言うんだろ?」
オッサンは黙って深く頷いた。
「すまねぇ! 本当にすまねぇが、どうかこの願い、聞き届けてくれねぇか? なぁ」
3人の間に少しの間、沈黙が続いた。
みちるが不安げな表情で俺の顔を覗き込む。
「わかった。ただ……俺が死ぬまで今日を入れても、あと5日しかねぇんだ。
期限までにその子と母親を見つけて合わせてやれるかどうかは分からねぇけど……分からねぇけど、やれるだけの事はやってみるよ」
それを聞いたオッサンが満面の笑みで椅子から立ち上がると、俺に駆け寄ってきて抱き付いてきた。
「すまねぇ! ホントにすまねぇ! ありがとうって100回言っても足りねぇくらいだぜ」
泣きながらそう叫ぶオッサンに抱き付かれ、俺はもみくちゃにされた。
「お、おい! う、嬉しいのは分かったけど、抱き付くなよオッサン!」
俺から離れたオッサンは涙だけでなく、鼻水を垂らしながら口を開いた。
「そうと決まりゃ、善は急げだ! すぐにでも出発しようぜ!」
「ダメです」
みちるが突然水を差すように、真剣な表情をして俺とオッサンにそう告げた。
「え? ……どうして……?」
俺とオッサンが異口同音に言葉を発した。
みちるは事務的な口調で、諭すように説明をする。
「まず……私は死神で小野寺さんはクライアント、そしてあなたは通りすがりの第三者であり幽霊です」
みちるは今更何を分かり切ったことを言っているのだろう……?
そんな俺の心情に気が付いたのか付いていないのか、彼女は再び冷静に口を開く。
「あくまで私の使命は小野寺さんが亡くなるその日まで時を共にして、そして亡くなった後は速やかに霊界までエスコートする事です」
みちるの顔がオッサンの方を向いた。
「いわば『死神の業務中』に全く関係のない第三者……ましてや成仏できない浮遊霊を連れて歩くわけにはいきません」
そう言い切ったみちるは、気のせいか本心からそう言ったのではない、という風に見える。
一方のオッサンは心底気を落としたように、うなだれている。
「なあ、みちる……何もそこまでバッサリと切って捨てる事は無いんじゃないのか?」
すぐさま、みちるが反論をする。
「わ、……私だって、おじさんを連れて、一緒に女の子を探してあげたいって思います。……でも、……でも、規則ですから……仕方ありません」
そう言って、みちるは唇を噛んだ。
彼女は彼女なりにイロイロと霊界のしがらみなどに縛られているのだ。
オッサンは少しの間俯いていたが、やがて顔を上げるとキッとした顔付きで言った。
「わかった……ただ、頼んだぞ! どうか、……どうかあの子を親に合わせてやってくれ」
オッサンは必死に泣くのを堪えているようだ。
「あの……おじさん。あなたのこの世に対する『未練』が、その小さい女の子の事だとしたら、解決した時には……、その時にはあなたの元にも死神が訪れます」
オッサンが少し微笑んだように見えた。
「
「え?」
唐突にオッサンの口から発せられた固有名詞に、みちるが呆気にとられた表情をする。
「俺の名前だよ。吉田 作左衛門って言うんだ。俺ぁ、おじさんって名前じゃねーよ」
「なんだよオッサン、それじゃ江戸時代の侍みたいじゃねーか」
俺のツッコミにオッサンが笑って答える。
「だからよ、さっきも言っただろ。俺は幕府の武士だったってよ。まぁ、下っ端だったけどな」
俺とオッサン、そしてみちるとオッサン。それぞれ握手をする。
「じゃあ、頼んだぞ兄ちゃん達! しっかりな!」
オッサンが俺たちに手を振る。
俺達もオッサンに手を振り返して答える。
「おう! できる限りの事はやるぜ! 霊界でまた会おうぜ、オッサ……吉田さんッ!」
俺たち2人は車に乗り込み、
バックミラーに映っているオッサンはいつまでも手を振っていた。
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