第1章【デスストーリーは突然に……】

 暑い……。


 全身汗だくになって目が覚めた。

 暗闇の中、カーテンの隙間から微かに街灯の光が入ってきている。エアコンはとっくにタイマーが切れたらしく、ただ無音で壁にへばりついている。

 喉の渇きを覚えながらも、枕元にあるであろうスマホを手探りで探す。

 やっと掴んだスマホを見ると画面には『7月21日 火曜日 19:37』と表示されていた。


 あぁ……もうこんな時間か……。昼夜逆転もここまでくると、直すのは無理かな……。


 俺は上半身を起こすと、枕元の電気スタンドを点けた。LEDの人工的な白い光が目に突き刺さるように痛い。Tシャツの下の汗だくの背中を搔くと、指先にヌメヌメとした感触が伝わってくる。


「……ったく、寝汗かきすぎだろ、俺!」


 立ち上がり、壁のスイッチを入れ、部屋の照明を点けた。敷きっぱなしの布団にタオルケット、机の上には広げっぱなしのノートパソコン、あとは部屋のいたる所にコンビニ弁当の空容器や中身が空のカップラーメンが入ったビニール袋が散乱していて、その中に脱いだままの洋服も散乱していた。

 寝室の引き戸を開けてダイニングキッチンに行くと冷蔵庫のドアを開けた。良かった、2リットル入りスポーツドリンクのペットボトルがまだ半分ほど残っていた!

 俺はペットボトルに直に口をつけるとスポーツドリンクの残りを飲み干した。

 汗臭いTシャツと、黒いボクサーパンツを脱ぎ棄て、ダイニングキッチンを出て風呂へと向かった。

 ガス給湯器のスイッチを入れ、ガスのコックをひねる。寝起きで少しよろけながら曇りガラスがめ込まれた中折れドアを開けてバスルームに入った。

 一昨日から湯をはったままの浴槽に左足を入れる、……冷たい! 一昨日はお湯でも今は冷めきって水になっている。追い炊きしたわけでもないのだから当然だ。

 水の冷たさにはすぐに慣れた。全く、7月の仙台はどうしてこうも暑いのか。


 こんな事なら、ほとぼりが冷めるまで北海道にでも住んでりゃ良かったな……。

 ……あぁ、ダメだダメだ! 何のために振り込め詐欺で数千万稼いだんだ? 

北海道に避暑に行くためか? 違うだろ。こうやって仙台で家賃6万の1DKのアパートで倹約しながらジッと身を潜めているのも、また振り込め詐欺でガッツリ稼ぐためだろ。そこんとこを忘れるな、勇樹ゆうき

 俺は誓ったんだ……。このクソみたいな世の中でテッペン獲ってやるって……。


               *


 俺はしばらく浴槽の中で水につかりながらボーっとしていた。不意に腹が鳴り、空腹である事を主人の俺に伝えた。あぁ……、そういや寝たのが明け方6時頃だったっけそれから、途中2度ほど小便をするのに起きて、その時にダイニングのテーブルに置いてあった大福を1個食っただけだったな……。そりゃ腹も減るワケだ。


 さて、風呂から上がったらデリバリーのピザでも頼むか……いや、ウーバーイーツで何か頼もうか、ピザ……食べ飽きたしな……。


 そんな事を考えながら、熱いシャワーを浴びていると再び腹が音を立てて、空腹を知らせる。


「わかった、わかった。少し黙ってろって」


 風呂から上がりバスタオルで頭と体を拭くと、腰にバスタオルを巻き付けダイニングキッチンの冷蔵庫へ真っ先に進んだ。ドアを開けて、はたと気づく。そうだ、残ってたスポーツドリンクは、風呂に入る前に全部飲み干したんだった。

 仕方がない。俺は舌打ちをすると、流し台に向かい、コップに水道水を注いだ。

 喉を鳴らして水を飲み干す。風呂上りは水道水でもうまいな。

 再び自己主張を始めそうな腹時計を気にかけながら、テーブルの上に置かれたスマホでウーバーイーツを検索した。


「おいおい……、六丁の目中町は配達エリア外かよ! 使えねーなぁ」


 思わず口が悪態をつく。仕方がない、おとなしくいつものピザでも頼むか……。


 スマホでブラウザを立ち上げると、ブックマークからいつもデリバリーを頼んでいる全国チェーンの宅配ピザのサイトを開いた。


「お、期間限定のピザかぁ。うまそうだな……」


 腹が空いているせいもあるが、生来の優柔不断もあってか、どのピザにするのか決められない。そうこうしているうちに腹時計が3度目の催促をするように音を鳴らして空腹を伝えた。


「わかったよ! まったく……」


 俺はイラつきながら、いつも頼んでいる4種類のチーズが乗ったピザを選び、Lサイズ、そして、ピザ生地の耳にソーセージが入ったものを選んだ。

 ……そうそう、飲み物が無くなったから、コーラも2つほど頼んでおこう。

 画面には『配達先を指定してください。登録済みの方はコチラからログインして注文』と表示されている。空腹からくるイラつきを抑えつつも、素早くメールアドレスとパスワードを入力してログイン。続けて、サイトに登録済みのクレジットカード情報を呼び出し、『注文を確定する』のボタンをタッチした。

 もしスマホで宅配ピザを注文する速さを競う競技会があったら、日本代表に選出されるのは間違いないだろう。

 ……そんな事で日本代表にはなりたくもないが。


 さて、30分もすればピザの宅配がくるから、素っ裸で居るわけにもいかない。

 俺は寝室に向かうと、床に散乱した衣類から適当に選んで拾い上げ、匂いを嗅いで着てもOKかどうか、一つ一つ判別していった。

 柔軟剤の香りがする衣類が少なくなっている……。そろそろ洗濯機を稼働させなくちゃ、着る物が無くなってしまう……。

 Tシャツに短パンのラフな格好でそんな事を考えていると、ダイニングキッチンの壁に据え付けてあるインターホンが来客を知らせた。

 随分早いな。注文してから、まだ10分ほどしか経っていないぞ。まあ、毎日のように同じピザばかり頼んでいるから、優遇して大急ぎで配達してくれたのかな……。

 俺は自分に都合の良い解釈をしながらダイニングキッチンを横切り、サンダルを履くと玄関のドアを開けた。


「早かったッスね。毎日頼……」


 ピザ屋の宅配だと思ってドアを開けた俺は思いっきり肩透かしを食らった。

 玄関ドアの前には濃紺のリクルートスーツを着た小柄な女の子が立っていて、顔を赤らめながら、腰の前で両手を揉みくだし、何やらモジモジしている。

 見た所、20代前半……まさにリクルートスーツを着て就職活動をしている世代だ。


「は? あんた誰? 部屋間違ってない?」


 少しムッとした態度の俺に、女の子は勇気を振り絞りました! とでも言うがごとく揉んでいた両手を離し、しっかりと拳を握りしめて口を開いた。


「こ、こんばんは。わ、私は死神です。あなた……、お、小野寺おのでら 勇樹ゆうきさんを霊界にお連れするために、お、お迎えに上がりました!」


 緊張のせいなのか、最後の方は少し裏返った声になってしまったようだが、女の子は『言ってやったぜ!』とでも言いたげな満足そうな笑みを浮かべている。


「いや、そういう風俗とか、俺興味ないから……帰ってくれる?」


 俺の言葉を聞いて途端に泣きそうな表情に変わった女の子が、あたふたしながら必死に弁明しようとする。


「え? いや、あの……風俗とかと違くて……その、私は本当に死神、いや、正確には死神見習いなん――」


 女の子の必死の弁明を無視して、俺はドアを乱暴に閉めた。

 全く……、下の階に住む大学生が飲み会の罰ゲームか何かで俺をからかう為に女友達を寄越したのだろうか? ……きっとそうに違いない。明日大学生の部屋に怒鳴りこんでやろう。俺は若いとは言え、振り込め詐欺の番頭で数千万荒稼ぎした男だぞナメやがって……。

 怒り心頭に振り返ると、ダイニングキッチンのドアの前には今見たばかりの女の子が立っている。


「女の子に取る態度じゃないですよー。そんなんじゃモテないですよ、小野寺さん」


 女の子はふくれっ面をして見せた。


 な、……なんだコイツ。確かに俺が玄関のドアを閉めた時、コイツは外に居たはずだ。いつの間に俺の部屋の中に入った?


 目の前の不可解な事象にフリーズしてしまった俺を前に、女の子は『当たり前』とでも言いたそうな顔をしている。


「い、……いいから出てけよ! 何勝手に人ん家に上がり込んでるんだ!」


 俺は女の子の細い腕を掴むとドアを開け、乱暴に女の子の腕を引っ張って外に放り出した。


「い、痛い、痛いです。 きゃあ!」


 女の子はコンクリートの廊下に投げ出されて短く悲鳴を上げた。


 俺は一瞬背筋が寒くなるのを感じたが、急いで玄関のドアを閉めると、鍵をかけた。

 玄関のドアを背に立ち尽くしていると、全身にじっとりと汗をかいているのに気がついた。


 全く……風呂に入ったばかりだってのに……汗だくじゃねーか、ちくしょう!


 俺はオカルトの類は1ミリたりとも信じない。俺が信じるのは金。金が全てだ。

 オカルトなんてのは、ぬるま湯に浸かって世間の厳しさ、金の力の偉大さを知らない甘っちょろい奴らの信じるもんだ。

 俺は違う! そんな甘っちょろい奴らとは違う!


 すっかり頭が混乱した俺が、ダイニングキッチンのドアを開けると、外に放り出したはずの女の子が部屋の中に立っていた。


「もー、小野寺さーん、部屋汚すぎですー。あなた、彼女いないでしょー?」

「お、……おまえ、どうして……。い、いま外に放り出したハズじゃ……」

「女の子に乱暴しちゃダメですよー。痛かったんですからー」


 これでもか! と散らかった俺の部屋。普段は絶対に人を招き入れない俺の部屋に今はリクルートスーツを着た小柄な女の子と俺、2人が向かい合って立っている。


 ……あぁ、なるほど、これは夢か。振り込め詐欺なんて屁でもないと自分では思っているつもりだったが、心理学でいうところの潜在意識、そう、無意識下では俺は良心の呵責に耐えかねていたのか。だから、こんな訳の分からない夢を見ているんだな……。


 俺の額から、一筋の汗が流れ落ちた。

 俺が女の子を見つめたまま黙っているのを不思議に思ったのか、彼女が俺に問いかける。


「あのー、小野寺さん……、どうしました? 先ほども名乗りましたが、私は死神……あ、まだ見習いですけど。死神見習いの月夜つきよ みちるです。大学を卒業して閻魔庁に入庁したばかりの新人です。あ、配属は死神部です。それで、今日は――」

「お、お前が死神だって言うなら、証拠を見せろよ! こ、これは俺の夢だ! 悪い夢なんだ! そうだろ!」


 俺が彼女の話を遮り、大声で捲し立てたのを目の当たりにし、女の子は小さくため息をついた。


「仕方がないですね……。いかに人間を慌てさせずに自分が死神である事を認めさせるか。これ、実習での評価項目の一つなんですよ。でも、私のスキルが足りないから小野寺さんは、そうやって慌てふためいているんですよね? いいでしょう……、あまり、こういう方法には頼りたくなかったんですが……」


 そう言い終えると、女の子は少しずつ大きくなっていった。同時に肌の色がどす黒く変色していき、髪の毛が抜け落ちてゆく。目玉が溶けだし、変色した肌が剥がれ落ちてゆく……。

 着ていたリクルートスーツはボロ布のように変化していった。

 2mほどの大きさに変化した女の子は、いつしか骨だけになっていて、いつの間にか左手には大きな鎌を持っている。

 フードのついた黒いボロボロのローブを身にまとった姿は正に死神。

 骨だけになったはずだが、頭蓋骨の眼窩がんかは引きずり込まれそうな漆黒の闇に覆われ、その奥には小さいがとても強力な光が宿っていた。


 この世の物とは思えない恐ろしい姿に、俺はその場に座り込んでしまった。床についた両手が無意識に震えているのを感じた。


「し、……死神!」


 俺が発した言葉を聞いたからなのか、目の前に居るおぞましいバケモノは急激に小さくなっていった、骨だけの体に肉が付いていく……まるで動画の逆再生を見ているかのようだ。

 すっかり元の姿に戻った女の子が俺に微笑みかける。


「小野寺さん、私が死神だって信じてもらえました? ウフフ」

「あぁ、悪かったよ。信じる。信じるよ。」


 体の震えが治まった所で壁のインターホンが来客を告げた。


「あぁ、そういやピザを頼んでたんだった」


 女の子が目を輝かせながら、両手を顔の高さで握った。


「ピザですかー? いいなぁ、私大好きなんですー!」

「……わりぃ。出てくれるか。ちょっと立てそうにない……」


 俺がそう言うと、「はい」と返事をして女の子は玄関に向かって行った。

 配達員からピザを受け取った女の子が嬉しそうな顔をしてダイニングキッチンに入って来た。


「美味しそうな匂いがしますよー。さ、小野寺さん、一緒に食べましょうよ!」


 女の子はテーブルの上にピザの紙箱と、ビニール袋に入ったコーラのペットボトルを置くと、俺の腕を引っ張って立たせた。


 散らかった部屋のダイニングキッチンのテーブルで小柄な女の子と俺、2人が黙ってピザを食べている。一体この絵はなんなんだ?

 先ほどに比べて冷静になったが、あまりの恐怖に忘れていた空腹が急に激しく自己主張をしてきた。こんな時でも空腹には勝てない。何だか悔しい。


               *


「おいしいですねー。ありがとうございます! 小野寺さん。それにコーラまで頂いちゃって」


 女の子は満面の笑みでピザを頬張っている。

 それにしても小柄だ、見た所150cmそこそこ、リクルートスーツを着ているから20代前半に見えるが、これでワンピースなんか着てたら中学生くらいに見られてもおかしくはない。


「それで。……お前、死神なんだろ? 何しに来たんだ?」


 俺の問いかけに女の子はピザを食べる手を止め、少し怒ったような口調で答えた。


「もー、小野寺さん、私の話ちゃんと聞いてました? 私は『おまえ』という名前じゃなく、月夜 みちると言います。霊界で大学を卒業後の閻魔庁に入庁し、死神部に配属されました。今回は現場実習で死期の近い人、私の担当は小野寺さんなんですけど、その死期の近い人が迷わず霊界に行けるためにお迎えに来たんですよ」


 俺は唾をゴクリと飲み込んだ。


「おい、ちょっと待ってくれよ。ピザ食い終わったら、このまま霊界に連れていかれちまうのか、俺は?」


 みちるはコーラを一口飲むと、事務的な口調で俺の疑問に答えた。


「いいえ。小野寺さんが死ぬのは1週間後、7月28日火曜日 23時24分です」

「……随分キッチリしてんだな、人が死ぬのってそんな分単位で決まってるのか?」

「今はコンピューターで管理されているんですよ、それにコンプライアンスとかもイロイロうるさくって……、さっき見せた古典的な死神の姿。アレも本当はやっちゃダメなんですよ。いたずらに人間を怖がらせるなって、私たち死神見習いは言われているんです」

「おいおい、思いっきり俺の事怖がらせてんじゃねーか、早くも死神失格だなお前」

「一応例外規定ってのがあるんです。人間に暴力を振るわれたり、人間がどうしても死神の存在を認めずに暴れ出したり、パニックになったり……、そういう緊急事態には怖がらせたり……実力行使が認められているんですよ」

「そんなもんかね。霊界ってのも世知辛いんだな」

「分かって貰えました? 私は、か弱い女子なんですから、もう乱暴したりしないで下さいね」

「あんなおぞましい姿見せといて、何処がんだ? え?」


 俺が話し終えるや否や、みちるがキツイ目つきでこちらを睨みつけた。目が急激に漆黒の闇に包まれていき、先ほどと同じく闇の奥には小さいがとても強い光が宿っている。


「……あぁ、分かったよ。分かったから、またバケモノに変身するのは止めてくれねーか。しかし、1週間後には死ぬってのは納得がいかねぇなぁ。なんで俺なんだよ? 確かに振り込め詐欺で荒稼ぎしたさ、それについては認める。だけど、世の中汚い事をしてる奴は他にごまんと居るだろうよ」


 バケモノに変身しかかった、みちるは元の女の子の姿に戻ると、最後の一切れのピザを取り美味しそうに頬張った。


「おい、みちる。俺の話聞いてんのかよ」

「ごちそうさまでした」


 みちるはそう言うと、どこからか書類を綴じたファイルを取り出し、ペラペラとめくりだし、特定のページで目をとめた。


「小野寺さん……、確かに振り込め詐欺とか、あくどい事してますねー」

 

みちるはファイルを閉じると、俺をまっすぐ見つめた。


「私たち死神は、死期の近づいた人間が迷わないように霊界まで導くのが仕事です。誰を死なせるとか、そういう事は閻魔庁長官が決めています。……どういう基準で決めているか、……それは死神部の私たちにはわかりません。……いや、閻魔庁でもごく一部の者しか知らないんですよ」

「なんだよそれ……、それにしても霊界も随分と近代化が進んでるんだな。閻魔庁ってことは、みちるは公務員なんだろう? いいよな公務員は。民間の苦労も少しは思い知れっつーの」

「少しは知ってるつもりです。入庁時の新人研修で地獄に行きましたし……」

「じ、地獄って……、あの血の池地獄とか釜茹でとかされるヤツだろ?」

「小野寺さん……、いつの時代の話をしてるんですか! 今の地獄は現世の刑務所みたいなもんですよ。制服を着た鬼たちが亡者を監視しているんです。キチンと人権に配慮してるんですよ。もちろん亡者を釜茹でしたり、血の池に放り込むなんて野蛮な真似はしません」

「それじゃ地獄じゃないじゃん、せいぜい数十年で刑期満了で出てこられるんだろ?」

「何言ってるんです。地獄の刑期は短くて数百年、長いと1万年くらいですよ?」

「ゲッ! そりゃ文字通り地獄だわ……。も、もしかして俺も地獄で数百年過ごさなきゃならないの? 嫌だぞ、そんなの」

「だーかーらー、そもそも天国行きか地獄行きか、地獄行きなら刑期は何年か? ……そういうことは閻魔庁長官が裁判で決めるんです。私たち死神が関知することでは無いんですよ」


 黙って俯いてしまった俺を見て、みちるは慌てて話題を変えようとした。


「あ、あのー、ほら! 地獄に行くって決まったわけじゃないし、それに閻魔庁の地下にある食堂、安くて美味しいんですよー。とくに親子丼が絶品で……、私たち死神の間でも人気ですし、霊界に来た亡者も思わず生き返っちゃうくらいの美味しさなんです!」

「なんだよそれ、亡者が生き返っちゃったらダメだろ。ハハハ」

「あー……、ですよね。生き返っちゃったらダメですよね。ウフフ」


 2人で笑い合いながら、俺はふと考えた。こんな風に笑ったのはいつ以来だろうか?

 ……思い出せないくらい笑っていないのか。どうりで、ギスギスしていたわけだ。


 気が付くと、みちるが辺りを見回して怪訝な表情をしている。


「どうした? みちる」

「小野寺さん……、部屋汚すぎです。いくら男の一人暮らしだからって、これは……ダメです。こんなんじゃ、現世に悔いが残りますよ?」

「部屋が奇麗だって、死んだら悔いが残るに決まってんだろ」

「とにかく、今日はもう遅いですから、明日は朝から部屋の掃除、それに洗濯ですから覚悟しておいてくださいね」


 死神とはいえ、女の子なんだな、みちるは。


「返事は?」

「はいはい、分かりましたよ。それはそうと、今日はここに泊って行くんだろ?」

「な、なに言ってるんですか! わ、若い女の子が男の一人暮らしの部屋に泊まって行くわけないでしょ!」


 みちるは顔を赤らめて俺に抗議をした。


「ちゃんと、閻魔庁の方でホテルを手配してあるんで心配は要りません。じゃ、また明日来ますから、ちゃんと朝起きて掃除と洗濯、手伝ってくださいね」

「あぁ、じゃ、また明日な」


 みちるは俺に手を振ると、部屋を出て行った。

 部屋に残された俺はまるでキツネにつままれたような、何とも言えない不思議な気分だった。

 もし自分が余命宣告を受けたら……、自分が死ぬ日が分かったら……そういった類の事を考えたのは一度や二度ではない。もっとパニックになる……そう考えていたが意外にも、こんなに冷静でいられるとは。想像と現実、やはり何事にも相違があるものだ。


 今日は……いや、今夜はイロイロありすぎて疲れた。これ以上あれこれ考えた所で自分が疲弊するだけだ。ひとまずは眠ろう。

 俺はダイニングキッチンの照明を消すと、寝室の引き戸を開けた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る