閑話 アルベルトの理知は限界だ!

 主君はやっぱり女神なのかもしれない。


 後一週間もすれば、大公領に到着するという頃合。

 主君との長い長い旅路にも少しは慣れて来た。少し足を動かせば主君の足とぶつかってしまいそうな、狭い馬車の中。

 しりとりをしたり世界情勢について語ったり歴史に残る戦術や軍略について議論したり……本当に幸せな時間だった。まあ、ずっと隣に気に食わない奴がいたけど。

 俺達のような大人二人との旅で、歳が離れ話題もそうそう合わないであろう主君はきっと退屈だろう。そう思って俺は事前に女の子が好むような話題を密かに調べ、仕入れておいた。

 主君に馬車の旅を少しでも楽しんでいただけるようにと思っていたのだが……こんなものは不要だった。主君の発案で始まったしりとりは数時間盛り上がりを見せ、様々な場面における戦術についてお互いの意見を交わし、ある戦場と想定しその場合自軍をどう動かすか……など軍略について熱く議論した。

 俺の仕入れておいた若者の好む話題からは遠くかけ離れたような、まだ幼い主君は倦厭しそうな話題。しかし、やはり主君は普通とは違った。本当に楽しそうに、大人顔負けの理論の展開で主君は俺達と会話をしていた。

 最初は主君の言葉を邪魔してはいけないと、俺も騎士君も遠慮がちに会話に参加していたのだが、主君が『二人の意見も聞きたくて今こうして話してるんだから、素人質問で恐縮ですが〜っていくらでも割り込んでいいのよ?』と仰るものだから……俺も騎士君も、意見があった時は積極的にそれを口にするようにした。


 するとね、主君が嬉しそうに笑うんだ。

 普通なら自分が話してる時に話を遮られたり意見されたりすると、気を悪くするものなのに。砦にいた頃の大人達や、男爵も……下手に遮ったり意見すると怒っていた。

 でも主君は違う。寧ろそうやって意見される事を喜んでいた。

『人の意見や心の内を聞ける事こそが、対話というものの全てだと思うの』

 なんて、大人でもそうそう言わないような随分と達観した事を言って、主君は『だから、二人も私の話の中で気になる事とかあったらどんどん口を挟んでちょうだい』と笑顔を咲かせた。

 その微笑みの眩しさたるや。使い物にならない俺のこの眼でも、この世の何よりも美しいと思う程。

 前々から思っていたけど、主君はやっぱり女神そのものか女神の化身なのではと。そう、再確認した。

 これまでどれだけ祈っても神は救ってくれなかったから、俺は神を信じていない。ただただ不公平で理不尽なこの世界で、神は何もしてくれない。信じたところで救われる事はなかった。


 でも、あの御方は──……主君は違った。

 あの御方にとって俺を救う事はなんの利益も無い筈なのに。それなのに主君は俺を救った。最初こそ本気で俺を殺そうとしていたけれど、俺の話を真面目に聞いて……そして信じてくれた。

 もう生きる事さえ難しい精神状態だった俺に、その時一番欲しかった言葉をくれた。初めて、手を差し伸べてくれた。

 この世に本当に神がいたならば、きっとこの少女のような存在なのだろうと思った。

 美しく、可愛らしくて、慈悲深く、慈愛に満ちた高潔な御方。彼女こそが……貴女こそが女神と呼ばれるに相応しい。

 諜報部での日々の中そんな事を考えていたら、ある時一年程前のオセロマイト王国の一件を小耳に挟んだ。あの御方が氷結の聖女、救国の王女と呼ばれる事となった一件。

 未曾有の伝染病からオセロマイト王国を救った、勇敢な一人の少女の話。大商会だけでなく大司教までもを動かしたその少女によって一つの国は救われ、その結果少女は氷結の聖女と呼ばれるようになった。

 それと同時に、当時現地ではこうも呼ばれていたらしい──……『女神の生まれ変わり』『女神そのもの』と。


 ほらね、皆そう思ってるんじゃないか。やっぱり主君は女神なんだよ。

 だってこんなにも可愛くて、綺麗で、お淑やかで、明るくて、優しくて、聡明で、勇敢で、慈愛に満ちた少女がただの人間な訳無い。だからきっと女神そのものかその生まれ変わりなんだよ!

 うーん、宗教とか作った方がいいのかな。作り方知らないけど……勿論主君が教祖で唯一神。異教徒は殲滅しよう。主君以外の神を崇め奉るなんてよくないからね。

 それで宗教を作ったら俺は主君の手となり足となり、その側仕えとして主君の御心のままに布教し、主君の慈悲と博愛の御心で世界を蹂躙しよう。

 別に主君を崇め奉る人が増える事に文句は無い。だって俺が、主君への忠誠も信仰も誰より深く誰より高いと自負しているから。別に嫉妬とか……全然ないよ。本当にないから。

 主君に殺すなと命じられれば殺さないし、殺せと命じられれば殺す。主君に死ねと言われたならば喜んでこの命を差し出そう。

 最後にエルへの手紙を残させて欲しいとは思うものの、俺の命も人生も総て彼女のものだから。主君の命ならば例えそれが何であろうと甘んじて全て受け入れる。

 ね? こんなにも主君に身を捧げる者なんてそうそういない。いや、気に食わないライバルがいるにはいるけど……でもまあ俺の方が上だし。絶対負けてなんかないし。


「なあ、君達もそう思うだろう? ワタシは騎士君に負けてないって」

「ぐ……ぅ、あ……っ」

「な、に…………を……いっ……」

「…………」


 雪の降る真夜中。吹き荒れる雪の中、俺は三人の男を純白のカーペットに沈めて見下ろしていた。

 カツラが飛ばぬよう髪を押さえ、諜報部で教わった変声術と演技で『アミレス王女の侍女』を演じながら。


「要らぬ事ばかりペラペラと喋る癖に、必要な事は喋らないなんて随分と都合のいい口だ。まあ、君達みたいな人間の口を割るのはワタシの得意分野だけど」


 この旅の最中変装し続ける為にわざわざ用意した侍女服を膨らませ、しゃがみ込む。俺からの度重なる尋問・・と寒さで完全に色を失ったらしい男の額に人差し指を当てて、脅す。


「さっさと喋った方が身の為だよ。ワタシは君達を絶対に死なせないし、自決も許さない。それは君達も分かってるだろ? まぁ、このまま死んだ方がマシな苦痛を味わい続けたいのならお好きにどうぞ、って感じだけど」


 闇の魔力の主な使用用途は精神干渉。そして影の支配。基本的にはそのどちらかしか出来ないそうなのだが、何かよく分からないけど俺はどちらも出来ちゃった。

 なので俺はこいつ等に、『一瞬でも死のうとしたら君達の精神壊すから。死ぬ前に廃人化して死ぬ事も出来ないまま苦しみ続けながら生きたいのなら、死のうとすればいいよ』と告げ、実演してみせた。

 その証拠に、三人の中で一番我慢のきかなかった男が廃人化して、そこに倒れた。その様子を見てからは残りの二人は自決する事無く、大人しく俺の尋問を受けている。

 そもそも事の発端は今より数十分前。主君が今日の宿泊先にと選んだある領地の屋敷にて、何と主君の食事に毒が盛られていた事が発覚した。


「……あ。イリオーデ、ルティ。まだスープ飲んでないわよね? ちょっとスープ分けてもらってもいい?」

「スープですか? 確かにまだ手はつけておりませんが」

「勿論構いませんが……どうかなされたのですか、主君」


 食事の席を共にしていた領主やその妻、娘達などがぎょっとした目で主君を見る中、主君は俺達の皿のスープを一口ずつ口に含み、「あぁ」と息を漏らした。


「これ毒が入ってるわ。それもかなりの猛毒。良かった、二人がまだ飲んでなくて。領主達もお気をつけ下さいな、毒が盛られているみたいなので」

「──ッ!?」

「毒、だって……?!」


 主君は何でもないようにニコリと微笑むが、辺りは騒然とした。領主の娘達が「キャーーッ!?」と叫びながら皿を机から落とし、食器類の割れる音までもが響く。


「お、王女殿下はご無事なのですか!? いい、今すぐ医者を、いや大司教を!!」

「大丈夫ですよ、領主。わたくしには毒が効きませんので。この体質を活かして様々な猛毒の特徴を身をもって体験してきたぐらいには、毒など全く効きませんから御安心を」

「え? 猛毒を体験……??」

「はい。この毒はドグマリアの根から抽出出来る猛毒で、皮膚に触れればたちまち焼け溶け、もし飲んだ日には内蔵を全て溶かして内側から人を殺す猛毒ですわ。その癖無臭で、味だって少し酸味が強い程度だから本当にタチが悪いと評判ですの」

「そっ……そんなものが我々の料理に!?」

「そのようね。毒が全く効かないわたくしは喉がちょっとチクッとするぐらいで済みましたけれど」


 まるで魚の骨が喉につっかえた時みたい。と主君は本当になんでもないように肩を竦める。

 主君は例え誰が作った物であろうと一切毒味をさせたりせず自分でお食べになる。それはひとえにその体質から来る毒殺の心配が無用な事に起因するのだが、しかし……まさかドグマリアの猛毒さえも全く効かない程の耐性を持つなんて。

 流石は主君だ。凄い!


「ルティ、食事もまだなのに悪いけれど犯人を捕まえて来てくれない? 出来れば動機や毒の入手経路とかも吐かせて欲しいの。貴方なら出来るでしょう?」


 主君が、俺に期待してくれている。ああ……やっぱり、主君に頼られるのは嬉しいな。


「仰せのままに、我が主君マイ・レディ


 左胸に手を当てて恭しくお辞儀をし、自信を笑みで表現する。

 周りからの視線などうでもいい。今の俺の最優先事項は主君の命を果たす事。手袋を外してまだ熱いスープに指先を浸し、「読み返せ、リバイバル・メモリア」と呟き魔法を発動する。

 闇魔法の一つでもある、対象の記録を読み取る魔法。これを使い、このスープを作った者または毒を盛った者を突き止める。

 この魔法で分かったのは一人のコックの男。だが、それで十分だ。スープから手を引いて、俺はその場で自身の影の中に潜った。そして厨房と思しき場所で影から飛び出し、先程突き止めた毒を盛った張本人を背後から奇襲し、その頭を床に叩きつけるついでにもう一度リバイバル・メモリアを使用する。

 それによりこの男の協力者が外部に二人、この城に残り二人いる事が分かった。ひとまずはこの男含めた三名の尋問が先だな。


「ああごめん。これ、借りるよ」

「ぐ、ぅ……あ……!?」


 突然人が現れ突然コックを襲ったからか、その場にいた者達は皆、目を白黒させていた。料理の邪魔かと思い、男の首根っこを引っ張り厨房から出る。

 とりあえず男を外に放り出し、闇魔法で適当に拘束して逃げられなくしてから残りの二人を捜しに行った。そしてあっさりの残りの二人も見つかり、ただ記録を見る事しか出来ないリバイバル・メモリアでは入手経路と動機が分からないので、尋問で吐かせようとしていたのだ。


「ほら。悪い事は言わないからさっさと吐きなよ。別にワタシはいいんだよ、君の内蔵一つ一つ目の前で抉り出しても」

「っ、ひぃ……!?」

「闇の魔力って便利でさ、君の血や内蔵の破片とかから擬似的な内蔵を作り出せるんだ。どう? 皮と肉を裂かれ、内蔵を引きちぎられて、沢山の血を溢れさせながら自分の体から内蔵が抉り出される瞬間……見たい?」

「あ、あああっ……!!」


 少しだけ俺の頭の中のイメージを精神干渉で男にも見せてあげたのだが、それだけで男は見事錯乱。ようやくその我慢が失われてしまったようだ。

 男は顎を震えさせながら動機と入手経路を話した。

 その情報を手に主君の元に戻る……前に、男達に精神干渉して精神復元。廃人化した男も元通りにしてから気絶させ、適当な縄でぎちぎちに拘束して適当な廊下に放置し、俺は主君の元に戻った。

 時間にすると二十分程だろうか。情報を手に戻った俺を、主君は「お疲れ様」と優しい笑みで迎えてくださった。そして、主君に結果を報告する。


「へぇ、私の暗殺? 何それそんなの初めてじゃない! どうして毒殺なんて選んだのかしら……つまんないじゃないの。私が今日ここに泊まるって調べられるのに、私に毒が効かないってなんで知らなかったのかしら」


 流石は主君だ……暗殺と聞いて領主やその娘は怯えるだけなのに、主君は迎え撃つおつもりだったと。

 主君は勇敢さや強さも兼ね備えていらっしゃるからね、普通の女神よりも、戦女神の方が主君には合ってるな。


「それはともかく。私だけならまだしも、貴方達を巻き込んだ事は許せないし……ねぇルティ。今の時期ならどんな処刑方法が一番残酷かしら?」

「そうですね、全裸で外に放り出しても簡単には凍死せぬよう持続的な治癒魔法をかけ、魔獣の餌にでもする……というのはいかがでしょうか。長時間にわたり苦痛を与えられますし、死体の処理もいらないかと。それに、この時期ならば肉食の低級魔物がそこらに湧いてますので」

「うわぁ、本当に残酷ね。イリオーデはどう? 何か意見はある?」

「犯人達は王女殿下を殺害しようとしたのですから、その者達を殺しても殺しきれません。国家反逆罪に等しいこの行為、一族郎党全ての命で罪を償わせましょう。犯人の目の前で一人一人血縁者を惨殺すれば残酷な処刑にはなるかと愚考します」

「私から聞いといてあれだけど、貴方も大概とんでもない案出すわね。でもどっちも捨て難いなあ……」


 うーんと腕を組んで頭を悩ませる主君の姿は、お菓子屋の前でどちらにしようかと真剣に悩む子供のようで、何だかとても微笑ましいものだった。


「折衷案で、一族郎党魔獣の餌にするのはどうかしら。いいでしょう、領主? 犯人達の素性は割れたのだから、今すぐ血縁者全てをここに連行し早速処刑を実行しましょう」

「し、しかし王女殿下……確かに犯人は王女殿下の暗殺を企みましたが、いくらなんでもその処刑は惨たらしいのでは……!」


 は? 何だあいつ。何の権利があって主君の決定に異を唱えているんだ? 殺すか?


「それは、まあ。わたくしもそう思わなくはないけれど……でも仕方の無い事だから。犯人が狙ったのがわたくしだけならばただ首を落とすだけで良かったけれど、犯人はわたくしのものにまでその毒牙を剥いたから」


 まるで、死神を前にしているかのような重圧だった。

 美しく、だけど苛烈で、残酷で、この世の何よりも愛らしく冷酷な笑みを纏う。

 その姿を見て体の奥底から沸き上がるこの感情は、腹の底から突き上げるようなこの快感は、心臓が爆ぜてしまいそうなこの動悸は、一体何なのだろうか。


「……──だから殺すわ。考えうる限り最も惨たらしい方法で、何もかもを後悔させてあげるの。私の大事なものに手を出した者には、それ相応の制裁を与えないと」


 気分が酷く高揚する。心臓が強く鼓動する。感情が熱く荒れ狂う。表情が緩く弧を描く。理性が深く心酔する。

 あぁ──。これは、きっと。

 この世の何よりも尊く美しいこの御方への、信仰あいそのものだろう。

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