閑話 イリオーデの理性は限界だ!

 今日も、王女殿下はとても可憐だ。


 ディジェル大公領は王城のある帝都からもかなり離れていて、片道最低一ヶ月は必至。故に余裕を持って王女殿下は早めに出発なされ、私はルティと共に王女殿下の旅にご相伴あずかっている。

 ──いいな、馬車の旅というものは。

 何せずっと王女殿下を見つめていても、誰にも邪魔されないし文句も言われないのだから。隣にルティがいる事が少しばかり気に食わないものの、王女殿下の正面にてこれ程の至近距離に座り続ける事が許される場など、馬車以外に無いであろう。

 いつもなら横か後ろからしか王女殿下を見つめる事が出来ないのだが、何と今は正面からこの芸術品をも超える美しさそして可憐さを堪能する事が出来る。

 馬車の旅、いいな。ただ一点──宿泊が多くなるという点においてだけは、喜ばしい事ばかりではないが。

 出発日にランディグランジュ領のうちの別荘……屋敷に泊まってからというもの、毎日どこかしらの宿や各領地の屋敷に城などに泊まっては、接待を受ける。

 ……中には、望んでもない接待まで行おうとする者もいた。

 王女殿下がお褒め下さるのだから、私は相当顔が整っているんだろう。確かに昔からやたらと女に猫撫で声で絡まれることが多かった。

 だがまさか、ここまで面倒な事態が起こるなんて。そう、私は呆れながらに思った。


「騎士様ぁ……っ、わたし、騎士様に一目惚れして……!」


 深夜。王女殿下がそろそろ眠られた頃だろうと見計らい、王女殿下の寝室前にて不寝番として待機すべく、部屋を出ようとした時。

 突然、宿泊していたとある領地の城の侍女が私の部屋に飛び込んで来た。頬を熱く紅潮させ、絶対寒いに違いないと思うぐらい服をはだけさせている。しまいには贅肉を押し当てるかのように抱き着いて来た。

 何だこの女。邪魔なんだが。


「叶わない恋だって事は分かってます。でも、それでも諦められないの……だからお願いします、一晩だけ、わたしを抱いてください!」


 ああ、やはりそういう事なのか。やけに人の体に触れる手つきがやらしいなとは思ったが、この女は体目的だったのか。王女殿下曰く私は顔が整っていてスタイル抜群らしいからな……この女は、一目惚れなどと嘯いて私の元に夜這いを決行しているのだろう。

 反吐が出る。


「何故私がお前の相手をしてやる必要がある」

「え? で、でもほら……騎士様、こうしてわたしの事を受け入れてくれたじゃないですか……?」


 女の肩を掴んで無理やり引き剥がす。すると、女は焦ったように眉尻を下げる。まるで想定外の事態に戸惑っているようだった。

 妙に手馴れている事だ。きっとこの女は度々こういう事をしているのだろう。いつもならこれで簡単に籠絡出来るのに、何でこの男は出来ないの……とでも思っていそうな顔だな。

 全くもって不潔不浄極まりない。こんな汚らわしい者が王女殿下のお世話をする可能性があるだと? 王女殿下にとって害以外の何物でもない。今ここで始末するか?


「王女殿下からのご命令で、『侍女の方々にはお世話になるんだから少しは礼儀正しく接するように』と言われている。だから一度すこしは礼儀正しく接してやった。だが二度は無い。お前のような発情期の家畜のような女ならば尚更」


 言いたい事を一気にぶちまけた所、女は家畜呼ばわりされた事に腹を立てたようで。


「なっ……!?」

「そんなにも性行為をしたいならばそこらの野犬とでもすればいい。発情期と生殖本能で利害が一致するんじゃないか?」

「〜〜〜ッ、最低! 何なのよあんた、わたしに何にも反応しない顔と体だけの不能の癖に! 王女の騎士だからって調子乗ってんじゃないわよ!! このわたしが誘ってあげたって言うのに、断るとか意味わかんない!!」


 顔を真っ赤にして、女は喚き散らす。別にこの女が何を騒ごうが私には関係の無い事なのだが、


「黙れ。お前なぞの汚い叫びで王女殿下のご就寝を妨げるなどあってはならない事。その喉斬り裂いてでも黙らせてやろうか」


 王女殿下の安眠をお守りする事もまた、私の役目。

 剣を女の首元に向けると、女は赤かった顔を一気に青ざめさせて口を閉じた。しかし閉ざされた口の中で顎が震えているらしく、ガチガチと、歯と歯の当たる音が聞こえてくる。


「元より私の全ては王女殿下に捧げたもの。お前なぞにくれてやるものは何一つ無い。こうして私から恐怖を与えられた事を喜び満足しろ」

「……っ、は…………ぃ……!」


 じわじわと涙を流す女から剣を離し、そして鞘に収める。厚かましくもそこで女は足を震えさせながら座り込んだので、女の腕を引っ張り廊下に放り出す。

 まるで魔物を見ているかのような恐怖が色濃い瞳でこちらを見上げる女に、部屋の鍵を閉めながら私は告げた。


「私としては訂正の必要は無いのだが、もし万が一この件が王女殿下のご迷惑になられると良くないから訂正しておく。私は別に不能という訳では無い。ただ、お前が私の心を動かすに足りなかったというだけだ」


 王女殿下の騎士が不能だ、なんて不名誉かつ汚らわしい噂が立ってしまってはきっと高潔な王女殿下は負担に思われる。そうならぬよう訂正しておいた方がいいかと思ったのだ。

 逆に、王女殿下の騎士が不能では無い事が王女殿下のご迷惑になるのであれば、私は喜んで去勢しよう。タランテシア帝国では珍しくないという、宦官になるのだろうか。

 まあそこはもう何だって構わない。王女殿下のお傍にて騎士として仕えられるのであれば、私は何だってする。ただそれだけの事だから。


「さっさと失せろ。その醜穢な姿を意地汚い男に見られ襲われてもいいというのなら、そのまま屋敷内を闊歩すればいい」


 この近くの部屋には王女殿下が泊まられている。もし万が一王女殿下が何らかの拍子に目覚められ、この女を見てしまったら。

 きっと王女殿下の事だから、どれ程穢れた存在でも情けをかけるのでしょう。この女には過分な優しさを与えるのでしょう。

 ……誰が、そんな事を許すものか。

 王女殿下のご慈悲を与えられるに相応しくない人間は、早急に王女殿下の身辺から排除すべきだ。叶うならば今すぐ私がこの女を始末し、野犬の餌にでもしてやりたいぐらいなんだが…………宿泊先でそのような事件が起きれば王女殿下の旅程に支障が出るやもしれない。それは、あってはならない事だ。

 だからこそ、こうして仕方無く平和的解決を目指しているのだ。

 はだけた服を直しながら女は脱兎のごとく走り出した。これにて一件落着、王女殿下のご迷惑にはならない事だろうと安心して、その日は一晩中不寝番をしていた。

 その数日後の事だった。出発から二週間、帝都からもかなり離れた地にて。

 この日、私は人生で最も理性を試された。


「さむ〜〜っ」


 王女殿下が耳まで赤くして、白い息を吐き、体を小さく震えさせる。そんな王女殿下に少しでも温かくなっていただければと、私は私自身を差し出したのだが……。


「うぅ、ごめんねイリオーデ……貴方だって寒いのに私ばっかりこんなに温まってしまって……」

「い、いえ…………問題ありません……」


 何せ、私は今とても全身が熱いですから。

 私の胸元から、可愛らしいお顔で王女殿下がこちらを見上げてくる。何を隠そう──現在、寒さを紛らわす為に王女殿下は私にぴったりと抱き着いている形なのだ。

 王女殿下に温まっていただく為に、マントを使い、私に抱き着く王女殿下を包み込んでいるのだが、あまりにも。本当に、つらい。


「ルティも寒い中頑張ってくれてるのに、私ばっかりこんな……くしゅんっ、ぁあもう……寒さには強い筈なのに何でこんな……っ」


 こんな時に不謹慎ではあるが、まるで子兎のように震える王女殿下があまりにも可愛らしくて、私は叫び出したい気持ちを必死に堪えていた。

 実は今より十数分前、雪道にて馬車の魔導具が故障した。除雪魔導具とは言うが、その実熱を発して雪を溶かすだけの魔導具。

 しかしそれが故障した事により馬車が止まり、更には除雪魔導具の副次的効果でもある暖が無くなったので、馬車の中も急激に冷え切ってしまった。

 現在、ルティと御者が除雪魔導具の故障に関して外で懸命に対処している。私達は何も出来ないので、外よりかは比較的温かい馬車の中で待機だが。

 あまりにも急な寒さに王女殿下の繊細な御身体は耐えきれなかったようで、今こうして私で暖を取っているのだ。


「イリオーデはあったかいね。イリオーデがいてくれたから、寂しくて凍える事もないわ……」


 おやめ下さい王女殿下! 貴女様はいつもそうだ! そうやって私を喜ばせるような事ばかり!! 

 そうやって人懐っこい猫のように頬をスリスリしないで下さい。あまり私の胸元に耳を近づけないで下さい。私の心音を聞かないで下さい!

 このままだと本能のままに王女殿下へと礼讃の言葉の数々を告げてしまう。およそ常識的ではない行動に出てしまう!

 王女殿下の熱を、香りを、息遣いを、声を、髪を、指を、足を、全てを堪能したくなる。

 王女殿下の全てが知りたい。私の人生の全てである王女殿下を知りたいという欲求が、抑えきれなくなる。


「イリオーデ、顔赤いよ? もしかして風邪ひいたとか……!?」

「何でもございません……っ、私は大丈夫です!」

「え、本当に大丈夫なの……?」


 明後日の方を見て、理性を総動員して受け答える。

 私の頭の中では模擬戦の際に聞いたケイリオル卿の言葉が反芻される。

『例え何があろうとも、絶〜〜〜っ対に間違いだけは起こさないで下さいね!』

 間違いを起こすつもりなど全く無いのに、私の理性はかつて無い程に限界ギリギリだ。それはもう、起こすつもりの無い間違いが起きてしまいそうな程。

 もし万が一間違いなどを起こした日には、私はこの命を以て詫びよう。お守りすべき王女殿下に害を成す私なぞ存在価値が無い不要物だ。早々に処分するに限るだろう。

 そうやって、ケイリオル卿の言葉でなんとか持ち堪える。

 その後、魔導具を修理したルティが戻って来るまでこの状況は続き、私の中でも特に辛かった事件としてこれは記憶に鮮明に残る事となった。


 ……それにしても、王女殿下は些か無防備すぎやしないか? いくら私が王女殿下の騎士と言えども、大人の男相手にああも無防備に身を預けるなんて。

 これは、ハイラが狼狽える程に心配するのも無理はない。

 ちらりと王女殿下の方を見ると、どうしたのとばかりに小さく首を傾げ、王女殿下が私に微笑みかけてくださった。

 その瞬間、私の欲まみれの頭はあの時の熱を思い出す。慌てて顔を逸らして頭を冷やそうと何度か馬車の壁に額を打ち付けた。

 馬鹿か! 何を考えているんだ私は!!


「え!? ちょっと何してるのいきなり!?」

「……ついに頭がおかしくなったのか?」


 王女殿下の驚愕が聞こえる。


「──いえ。ご心配には及びません、少し頭を冷やしたくなっただけですので」

「いやそれは流石に無理だって、目の前でこんなの見て心配するなって方が無理あるって!」

「っ! 王女殿下の御前にてこのような醜態を晒してしまいました事、心よりお詫び申し上げます……!!」

「そんな事で謝らないでよ……それより額は大丈夫なの? 凄い勢いで打ち付けていたけど、痛くないの?」

「痛みは……多分ありません」

「多分??」


 王女殿下の優しさとルティの殺意に触れて、少しは頭が落ち着いて来た。

 だがそれでも。あの時間の記憶が私の中から消え去る事だけは絶対になかったのだった……。

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