第249話ようこそ、ディジェル領へ
カチャカチャと、カトラリーの音がする。
のどかな朝に相応しい食事風景。家族団欒の時を過ごす仲良し一家、テンディジェル大公家。
当主であるログバード・サー・テンディジェルを初めとした、その弟であり次期当主のセレアード・サー・テンディジェル、その妻のヨールノス・サー・テンディジェル、その子供のレオナード・サー・テンディジェルとローズニカ・サー・テンディジェルが並んで食卓で食事をする。
特にいつもと変わらない普通の朝食……の筈だった。
「ああそうだ、言い忘れてたんだがな」
朝からワインと洒落込むログバードがおもむろに口を切る。誰もがログバードに視線を向ける中、セレアードが「急にどうしたんだ、兄さん」とこぼす。
「ほれ、もうすぐで即位式だろ? それに際してな、近々皇族の代表がこっちに来る。というか、関所の者からの早馬だともう領地には入ってるらしい」
「ぶふぅっ!?」
「あなた?!」
「きゃあっ、もうお父様! 吹き出さないでください!」
「はぁぁぁ……本当に、もう、伯父様そういう所……!」
ガハハ! と笑ってログバードは軽く言うが、これは間違いなく一大事であり、セレアードが口に含んだ水を吹き出すのも無理はない。
皇族の来訪とあれば、本来領地をあげて出迎えもてなしする程の事。こんな風に知らないうちに領地に入られては出来るもてなしも出来ないというものだ。
(どうする!? まさか皇族の方がもういらっしゃったなんて……! 即位式まであと一週間はあるぞ、早くないか? というかてっきり魔導師を用意して前日とかに来ると思っていたんだが…………まさか、年を跨いで馬車で来られたというのか!? この雪の中何で!? 兄さんの即位式の時は式が始まる五分前とかに来てただろ! 何で私の時に限ってこんなに来るのが早いんだ!!)
顔を真っ青にして、セレアードは思考を巡らせる。よりにもよってどうして自分の番に限ってそんな、という悲観が見て取れる。
そんなセレアードの背を優しく擦り、ヨールノスが「大丈夫、あなた……?」と気を配る。
それに「大丈夫だ」と短く返してセレアードは顔を上げた。恨みがましくログバードをじっと見つめ、口を開く。
「百歩譲って皇族の方がもういらっしゃった事は飲み込もう。だけど何で! それをもっと早く言ってくれなかったんだ兄さん! というか言い忘れてたって……具体的には何日程言い忘れてたんだ!!」
「二日」
「二日ぁ!? ちょっ、それじゃあ今日明日にでも到着してもおかしくないだろ! 本当に何という事をしてくれたんだ!!」
椅子を倒す勢いで立ち上がり、セレアードは怒りを発散出来ぬまま、その場で頭を掻きむしりながら体を仰け反らせた。
(父さんも大変だな……多分、俺もこの後は馬車馬の如く使われるんだろうけど……)
朝食を咀嚼しながら、レオナードもこの先の地獄を想像し既に遠い目をしている。
そこでローズニカがこてんと顔を傾けて呟く。
「でも皇族の方達ってパーティーとかが嫌いなんですよね。それなら豪勢なおもてなしが無い方が喜ばれるんじゃあ?」
「確かに皇帝陛下とフリードル殿下のパーティー嫌いは有名だが……それとこれとは別だ。皇族にまともなもてなし一つしないなど、テンディジェル家の名が廃る」
「そうですか……お兄様っ、お兄様はどうしたらいいと思いますか?」
ローズニカはくるりと隣を向いて、レオナードに意見を求めた。突然の事にレオナードも汗を滲ませ、困ったように彼は苦笑する。
「うーん、どうしようかな……伯父様の所為なんだから伯父様に全責任を取って貰った上で、出来る限りのもてなしをしたらいいと思うよ。後は、まぁ。余興でうちの戦士達の決闘を披露するとか?」
「流石ですお兄様! お父様、この作戦で行きましょう! お兄様が言うのだから間違いありませんっ!」
「今適当に考えたやつだからあんまり深くは期待しないでくれよ、ローズ」
「お兄様の案に間違いなどありません!」
何だか嫌な予感がする。そんなレオナード達の直感はこの時間違いなく当たっていた。
「レオの案も良いが……今回は無駄だろうな。何故なら今回皇族の代表として来たのはアミレス王女殿下だ。果たして戦士達の決闘など楽しんでもらえるかどうか」
「ぶふわぁっ!?」
「お兄様ーーーっ!?」
その時丁度水を口に含んでしまったが為に、レオナードもまた、口の中にあったそれを吹き出してしまった。
「お、伯父様……今、今なんて……?!」
「なんだお前急に目をギラつかせて…………だから皇族代表はアミレス王女殿下だと、そう言ったのだ」
「──っ!」
レオナードの表情が露骨に明るくなる。
(嘘だろ、まさかこんな形でもう一度彼女に会えるなんて! 俺の初恋は終わってなかったんだ……!)
何とも単純な男である。先程までの白い顔が嘘のように、その顔は紅色に彩られていた。
そんなレオナードを見て、彼の家族は一足早い春の訪れを察した。……いや、正確には一年程前よりその兆候を感じていたのだが、今ここで彼の身内は確信した。
──レオの想い人はアミレス王女殿下なのか。と。
そこで趣味が甥っ子をイジる事、なログバードが餌を見つけた猫のようにニヤリと笑う。
「おいおいどうしたんだレオ。水を得た魚のように活き活きとして」
「えっ?! いやっ、別に、何……でもないよ?」
「ハッハッハ、お前本ッ当に嘘つくの下手くそだな! ワシ等の誰よりも頭がいい癖に」
「頭がいいって、記憶力が少しいいだけだよ……というか嘘なんてついてないから!」
「嘘つけ、お前どう考えても活き活きしてただろ。なんだァ〜? お前まさかアミレス王女殿下にお熱なのかァ?」
「おねッッ!? 伯父様ぁ〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
「ダァーハッハッハッハッ!! 顔真っ赤だぞレオ!」
両親の目の前でからかわれ、レオナードは耳まで真っ赤にしてログバードに詰め寄った。ログバードは非常に楽しそうに大口を開けて笑い、子供のようにレオナードを煽りイジる。
「お義兄さん、それぐらいで……レオもそんなに恥ずかしがらなくていいじゃない。お母さんとお父さんだって、帝都に行ってから貴方に想い人が出来ていた事ぐらい気づいていたわよ?」
「〜〜ッ?!」
ヨールノスの包み込むような優しい眼差しがレオナードに向けられる。ヨールノスの言葉に賛同するように、セレアードはこくりと頷いた。
そして、レオナードは更に顔から火が出そうな程に顔を赤くさせて、羞恥に体をわなわなと震えさせた。
「もうっ! お母様も伯父様もあんまりお兄様をからかわないでください! お兄様は初めての思春期なんですよ!」
「うっ」
「それにしても、レオの初恋の相手がアミレス王女殿下なんて……相手は唯一の王女よ……?」
「うぅっ」
「風の噂によると、アミレス王女殿下は婚約者すらもお望みではないそうだ。残念だったな、レオ」
「うぐぅっ」
妹と母と伯父より立て続けに精神的攻撃を受けたレオは、先程までの赤面っぷりが嘘のように顔色を悪くして、
「……別にいいだろぉっ、片想いしてるだけだしぃいい!」
錯乱した目に涙を浮かべ、部屋を飛び出した。
「あっ、待ってくださいお兄様ーーー!」
その後を追うようにローズニカも走り出す。そんな仲のいい兄妹の背を見送り、大人達はふっ……と息を漏らす。
「青いねェ」
「あまりレオをいじめてやらないでくれ、兄さん」
「そうですよ、お義兄さん。レオは純粋なんだから……」
「お前達がそうやってすぐあいつを甘やかすから、あいつはあんなうじうじした辛気臭い性格に育ったんだ」
「……っ」
「仰る通り、です……でも、私にはあの子を愛してあげる事しか出来ないんです。それが、私に出来る唯一の償いだから」
途端に暗くなる、セレアードとヨールノスの顔。そこには深い懺悔のようなものが滲み出ていた。
弟夫婦までもが辛気臭い顔をし始めたので、はぁ……と大きな息をついて侍女から葉巻を受け取り、それに火をつけてログバードは椅子の背もたれに体を預けた。
「ふぅ……いつになったら、あいつは自分の才能を自覚するんだろうなァ。このままだと宝の持ち腐れだぞ」
ログバードはレオナードの未来を憂いた。訳あって本来の才覚を全く発揮出来ないでいるレオナードを、ログバードなりに心配していたのだ。
レオナードはディジェル領の民として致命的な欠陥を持つと同時に、テンディジェル家の者として圧倒的な才能を持って生まれた。
しかしその致命的な欠陥によってレオナードは塞ぎ込み、己を卑下し、そして才能を自覚出来てすらいなかった。
どう考えても宝の持ち腐れなこの状況。しかし、彼等ではレオナードの心を理解してやれなかった。寄り添えなかった。
それ故に、ログバードは切に願う。
レオナードが、その重い足枷をいつか外せる日が来る事を。
(ワシはこのヘタレな弟よりもずっと……お前こそ大公に相応しいと思ってるんだぞ、レオ)
口から煙を吹き出して、今頃妹に慰められているであろうレオナードを思い、ログバードは瞳を細めた。
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