第111話ある聖人の意想

 胸がザワザワとしていたその時、コンコンコンと部屋の扉が叩かれる。この部屋を知る者は僕を含めたったの三人だけ。僕とラフィリア、そして信託の大司教ジャヌアだ。

 ラフィリアはわざわざノックなどしない。つまりこれはジャヌアだろう。「入っていいよ」と扉に向け告げると、頭部に純白の布を被った長身の人が恭しく礼をしながら入室する。


「失礼致します、聖人様。至急お伝えしたい事が」

「わざわざ僕に報告するなんてよっぽどの事があったのかい」

「……我が身の至らなさ故、聖人様のお手を煩わせる事となり忸怩たる思いでございます」

「ジャヌアがそこまで言うって事は…愛し子関係か」

「……はい、その通りでございます」


 老人のようにもうら若き女性のようにも聞こえる不思議な声でもってジャヌアは申し訳無さそうに語る。

 ラフィリアに続きジャヌアの顔も見えないのだけれど、何故か二人共とても表情が分かりやすい。

 愛し子と言うのは先日国教会で保護したばかりの神々の加護セフィロスと天の加護属性ギフトを持つ少女の事。

 神々の愛し子である尊き存在……なのだが、神殿都市に来てからというものの身勝手な言動が多く歴戦の大司教達と言えども手を焼いているのだ。

 そんな愛し子の存在もあって、僕達はオセロマイト王国に向かうのが遅れてしまったのだ。

 愛し子は確かに尊重すべき存在なのだけれど……どうにもそれが出来ないでいるのが現状である。

 いっその事、神々の加護セフィロスを持つ人が姫君であったなら。そうすれば合法的に囲う事も出来たのに。


「はぁ………で、愛し子はどんな風に暴れているんだ」

「周囲の者を尊重しない横柄な振る舞いで不遜にも大声で聖人様の御名を口にしており、それを諌めた司祭達に天の加護属性ギフトを用いて恣意的に攻撃を繰り返しております」


 神々から賜りし力をそのような事に、と僕は額に手を当てていた。何とも頭の痛い話である。

 彼女がこれ以上馬鹿な行いをしないよう窘める必要があるのだが、いかんせん相手はまだ幼い子供であり神々の愛し子だ。僕達とて強くは出られないのである。


「何だったか、愛し子は儀式を受け神殿都市に来る前から目に余る行動が多かったと報告を受けた気がするんだが」


 ふと愛し子の問題を幾つか思い出してしまった為、再度それを確認すると。

 ジャヌアは少し躊躇う様子を見せつつ口を開いた。


「……その通りでございます。愛し子の住んでいた村にて調査を行った所……愛し子は幼少期より『あんた達はどうせ脇役なのよ、この世界はあたしの為にあるの。邪魔だしどっか行ってくれない?』と近隣に住む少女達を蔑ろにする発言が多かったそうです。更には尊き神々の加護セフィロスの名を軽んじ吹聴して回っていたとか」

「どうして儀式を受ける前からその名を知っていたのかはひとまず置いておくとして………例の件は? 大司教何人かが検証したんだろう」


 ジャヌアより神々の愛し子の悪評を改めて聞き頭を抱える。

 そして僕が更なる報告を求めた所、ジャヌアは後ろ手のまま検証結果を報告する。


「は、真実のノムリス卿と無戦のアウグスト卿と不眠のセラムプス卿が愛し子に魔眼を使用した結果──およそ失敗に終わりました。理由は定かではありませんが、アウグスト卿の記憶の魔眼とセラムプス卿の夢見の魔眼が発動しなかった事から、精神干渉系の魔眼のみ効かないものと結論付けました」

「精神干渉系の魔眼だけ、か………」


 軽く腕を組み、椅子に体を預けて思案する。

 今までに無い事例。これまでも加護属性ギフトを持つ者は稀にいた……しかしその者達に魔眼が効かなかったと言う話は未だかつて聞いた事が無い。

 つまり愛し子にそれらの魔眼が効かなかった事には何か別の要因がある。


「ノムリスの真言の魔眼は発動したんだな?」

「はい。何の問題も無く発動し、愛し子が我々に対し虚偽の発言をしていない事だけは分かりました」

「ふむ………厄介だなぁこれ。貧乏くじを引かされた気分だよ」

「聖人様……」


 お手上げとばかりに肩を落として天を仰いだ僕に、ジャヌアの心配げな声が向けられる。

 ノムリスの真言の魔眼は相手の言葉が嘘か真か分かる魔眼。

 アウグストの記憶の魔眼は相手の記憶を見る事が出来る魔眼。

 セラムプスの夢見の魔眼は相手の夢に介入出来る魔眼。

 この中で精神干渉を主とする魔眼二つだけが失敗に終わった事は確実に偶然では無い。

 稀に魔力に対する抵抗が強過ぎて本人も魔法を扱えない、なんて人が現れる事もあるが……その場合ありとあらゆる魔眼の影響を受けない為、全ての魔眼が発動しない筈だ。

 精神干渉系の魔眼だけが失敗に終わるというこの事態には必ず何らかの理由がある。それを突き止めるのもまた僕達国教会の仕事なのだ。


「……仕方ないな、とりあえず僕も愛し子に会うよ。会って言わなければならない事もあるし」

「聖人様自ら、ですか……?!」


 僕が重たい腰を上げるとジャヌアはたいそう驚いた声をあげた。

 うん、と笑みを作り僕は続ける。


「どうせ大司教達も愛し子の世話で集まってるんだろう、君達に名誉挽回の機会──新しい任務を与える事にしたから、それに関してもそこで言うつもりさ」

「しかし愛し子が聖人様に失礼な態度を取る可能性が……」

「その時はきちんと怒るでしょう、君達が。ほら行くよジャヌア」

「はっ、はい!」


 聖人らしくいつもの祭服に身を包む。新しい任務……精神干渉系の魔眼が効かない人間が他にいないのかの捜査は、大司教達何名かに任せよう。

 そして僕は愛し子の部屋として用意した、大聖堂から少し離れた一軒家に向かった。

 最初は大聖堂の近くに部屋を用意していたのだけれど、愛し子が神殿都市に来たその日に大司教以下は立ち入り禁止時間の大聖堂に侵入し、『何でないの! この辺にあるはずなのに!!』と騒ぎながらその内部を捜し物だとかで荒らした為、大聖堂から離れた場所で軟禁されているのだ。

 本来ならばそのような行為をした時点で相当な重罪なのだが、彼女が愛し子であると言う点のみでその時は不問とした。

 だが次は無い。我々としても愛し子を罰するような事はしたくない……だからこそ大聖堂から離れた所で大司教や司祭達の監視の元、彼女が落ち着くまで軟禁しているのだ。


「こんな夜中に暴れるなんてそもそもとして常識が無いんじゃあないかな」

「………愛し子は故郷の村では男衆を中心にまさに姫、といった扱いを受けていたそうで…」

「何処までも我儘を許される環境で生きて来たのか。本当に厄介だなぁ」


 薄暗い街中をジャヌアと共に早足で歩いてゆく。

 本当に厄介な子供だよ全く………神々の加護セフィロスを持つ愛し子でなければ確実にこんな貧乏くじは引かなかったね。

 愛し子に姫君の一割でも優しさや真面目さがあれば良かったのに。というか姫君が愛し子だったら良かったのに。

 なんてたらればの想像をしては、そう上手くはいかない現実にガッカリしてしまう。

 そうやって気乗りしないまま愛し子の家に到着すると、その家の前に二人の大司教がいた。


「ノムリス、ライラジュタ。君達がここにいたのか」

「っ聖人様?!」

「聖人様がどうしてこのような場に……!!?」


 不眠のノムリスと時厳のライラジュタに声をかけると、二人は困惑した面持ちで慌てて膝をついた。外だし今はそういうのいいよ、と告げると二人は恐る恐る立ち上がった。

 そして現状の報告を求めると、


「はっ! 愛し子は依然として妄言を吐きつつ世話係の司祭達に手を上げる始末です。何より…あのクソ軽い口で聖人様の御名をベラベラと………ッ!!」

「ライラジュタ卿、素が出てますよ」

「あ。いや、その……つまりそういう事です聖人様!」


 ライラジュタが眉間と口の端に深い皺を作り、憤りを隠さず報告した。それをノムリスが軽く指摘し、ライラジュタは目元の眼鏡をクイクイっと指で押し上げながら慌てて笑顔を作った。

 ライラジュタは若くして大司教になった優秀な男で、僕の事をとても尊敬してくれているらしい。そしてノムリスもライラジュタと同様に若くして大司教になった勤勉な男だ。常に眠たそうな顔をしているけど。

 二人は同郷であり、そして僕が紛争地域で保護しここに連れて来た子供達だ。……確か二人共もう三十の大台に乗ったと言っていたな、それでも大司教達の中では若い方だけれど。


「そう、大変だったんだね。お疲れ様…今から少し愛し子と話すからこの場は任せてくれたまえ」

「聖人様自らがあの女の元に…っ?!」

「いけません聖人様、愛し子は普通じゃありません! 聖人様にどのような無礼を働くか……!!」


 ニコリと微笑みかけて家の扉に手をかけると、ライラジュタとノムリスがそう必死の形相で止めて来た。しかしそこでジャヌアが二人の肩に手を置き、諭すように語り出した。


「…聖人様がお決めになった事に我々が反論してはならない。そうだろう、ノムリス卿、ライラジュタ卿」

「ジャヌア卿……」

「そう、ですね。確かに我々にはその資格は…」


 ジャヌアの言葉に口を閉ざした二人であったが、すぐさま「お止めしてしまい申し訳ございませんでした」と謝ってきた。

 僕は彼等に見守られつつ愛し子の家へと入る。さて………それじゃあ彼女に言いに行こうか。


 ──許可なく僕の名前を呼ぶな、と。


 だってもしこの事が姫君の耳にでも入ったら……愛し子と僕が親しいなんて誤解をされてしまうかもしれない。それは駄目だ、とても駄目だ。

 僕は愛し子に対して個人的な興味など欠片もない。愛し子に対してあるものは聖人としての責務と義務だけだ。

 僕の興味関心意欲それら全ては今姫君に向けられているのだから当然だ。だからこそ、こうして愛し子の元にわざわざ行くのも全ては念の為、万が一の対策なのだ。


「──初めまして、神々の愛し子。僕はここの統括者の聖人です」


 部屋の外にいても聞こえて来る愛し子の怒号。それを聞き辟易しつつも扉を開けた。すると、輝くような金色の髪に青空のごとき澄んだ水色の瞳の少女が、僕を見て満面の笑みを作った。

 でもそれを見ても僕は何も感じない。寧ろ…姫君の透き通るような銀色の髪と夜空のごとき深い寒色の瞳、それらが作り上げた可愛らしい笑顔が思い出される。

 ああ、今すぐ姫君に会いに行きたいな。愛し子の相手ではなく、彼女の相手をしたい。……でもそれは許されない。

 だってこれは聖人の役目だから。僕にしか出来ない役割だから。どれだけ面倒で億劫でもやらなければならない。

 そう、例え──相手が非常に厄介な存在であろうとも。

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