第62話ある侍女の苦労

「ねーハイラー、これつまんなぁい」

「つまらないからと言って止められるものではありません」

「そんなぁ〜…おねぇちゃんと一緒にいたいのにぃ」

「それは私とて同じです」


 山のように積み重なる教本に囲まれ泣き言を漏らすシュヴァルツに、喝を入れます。彼は一見打たれ弱いようで全然打たれ強い人なので問題無いでしょう。

 それはなんて事ない昼下がり。特別に、姫様より少しばかりの余裕を頂きまして……私は世間知らずのシュヴァルツに教育を施す事となりました。

 事の発端は遡る事数日前。姫様と共に貧民街へと赴いた時、私は目を疑うような光景を目の当たりにしました。


 ──何故、ランディグランジュ家の人間がこのような所に?!


 彼を見た瞬間、私はそう叫び出しそうになったのですが必死に堪えました。あの時は、動揺を悟られぬよう表情にも特段気を使いましたね。

 昔、実家に何度かいらっしゃった四大侯爵家が一つランディグランジュ家の当主…その方と全く同じ青い髪を持つ青年が貧民街にいたのです。

 その上、その面持ちは現ランディグランジュ家当主のアランバルト・ドロシー・ランディグランジュ侯爵と瓜二つ……もはや疑う余地もありませんでした。

 恐らく彼は、十数年前に失踪したと言われているイリオーデ・ドロシー・ランディグランジュ………そう予測を立てていた所、見事に的中してしまったのです。

 失踪したと言われている元四大侯爵家の人間が、私兵とは言え、姫様に関わる事がどれ程自分の身に危険や影響を及ぼすか…彼は全く考えていないようです。

 失踪したとなっていようとも、彼がランディグランジュ家の人間である事は一目で分かります。そんな彼が姫様に従うと言う事は、見方によればランディグランジュ家が姫様の派閥に入ったようなもの。

 ただでさえ姫様にはシャンパージュ伯爵家と言う強大な後ろ盾があると言うのに…それに加え四大侯爵家の支持まで受けてしまえば、いよいよ姫様も権謀術数に巻き込まれる事となるでしょう。

 それではいけないと思い、急遽こうしてシュヴァルツに教育を施す事にしたのです……え? それとこれに何の関係があるか、ですか。

 そうですね、シュヴァルツは類稀なる身体能力を持っています。それがあれば姫様をお守りする事に役立つかと思ったのです。

 この授業の理由は単純明快、姫様の側に控える者はそれ相応の教養が無ければならないからです。なので、私自らこうして時間を割いて授業を行っていると言う訳にございます。


「そこ、綴りが違います」

「うげぇっ………もーやだぁ! ぼくは別にこんなのやらなくてもいーもん! 必要ないもんー!」


 持っていたペンを放り投げ、シュヴァルツが足をじたばたさせて暴れ出しました。

 彼の動きに合わせて椅子もガタガタと不安定な動きを取り始め、ついには勢い余って後ろに倒れてしまったようです。


「……一旦休憩に致しましょう。紅茶を入れますのでしばしお待ちを」


 ここまで本人の意欲が削がれてしまっているのに、更に無理強いを続ければもっと事態が拗れる事になるでしょう。

 なので彼には一旦、小休憩ティーブレイクを取らせ気分転換をしてもらう事にしました。

 …そう言えば、皇宮で姫様以外の人の為に紅茶を入れるのは初めてですね。

 勿論、姫様以外にも紅茶を振舞った事はあるのですが、その全ては姫様のついでに振舞っただけに過ぎなかったので………姫様の為ではないこの行為に、私は酷く違和感を覚えてしまいました。

 カップに並々注がれた香り立つ紅茶をぼぅっと眺めながら思案する。

 シュヴァルツの前に紅茶と共に手軽な菓子を出すと、彼は幼い子供のようにそれに食いつきました。見たところ十歳前後の印象を受けますが…実際はどうか知りませんからね。

 一度カラスに調べさせはしたのですが、シュヴァルツに関する情報は全くと言っていい程出てこなかったようなので。

 無邪気で空気の読めない世間知らずの家無き少年……しかし、それでありながらたまに高貴さを感じさせる堂々とした姿勢。果たして、彼は一体何者なのでしょうか。


「こっちの食べ物ってなんでこんな全部美味いんだろ…」


 菓子に夢中になっていたシュヴァルツでしたが、突然神妙な面持ちで菓子と紅茶を交互に見始めたみたいですね。彼のいた所はあまり食文化が発展していない地域なのでしょうか。

 この大陸で食文化があまり発展していない地域と言えば……南東の方ですか。あの辺りは食文化はおろかそもそもの文化が完成されていないそうで、こう言っては失礼ですが、かなり粗野で荒れた国なのだそう。

 そことフォーロイト帝国の食文化を比較しては、どう足掻いても雲泥の差が生じてしまいます。

 ただ……フォーロイト帝国は大陸の北西に位置する為、ほとんど正反対の位置にある地域から、幼い子供がここまで来られるとは到底思えないのです。

 それに、彼の服装はどう考えて大陸南東地域出身のものではありませんし。


 一見質素に見えるが実際は上質過ぎる魔絹シルクのみで作られた濃い紫の外套に、貴族の少年が着るような華やかな純白のシャツと真っ黒な膝上丈のズボン。彼の胸元には同じように真っ黒なリボンが結ばれています。

 陶器のように白く美しい素足を恥ずかしげもなく晒し、靴は貴族令嬢が好んで履くような可愛らしいものを履いていますね。

 その頭はとてもふわふわとした真っ白の髪。彼の動きに合わせて揺れる大きな触角のような髪束は、本人の可愛らしさを手助けするかのよう。

 大きく丸い金色の瞳も相まって、全体的に愛らしいと言う印象を抱く少年……まぁ、当然、私の姫様の方が圧倒的に可愛らしいですが。

 明らかに大事にされて来たであろう風体…この事から、シュヴァルツはやんごとなき身分であると推測されます。

 しかし、ここ暫く、フォーロイト帝国の貴族達の間でシュヴァルツ程の少年が行方をくらましたと言う話は聞かなかった。そもそもシュヴァルツと似た特徴を持つ貴族など一人たりともいなかったと思います。

 よって…シュヴァルツは恐らくフォーロイト帝国の人間では無いでしょう。他国の王侯貴族出身である可能性が高いです。

 改めて、カラスに他国の事も調査させましょう。


「あ。そうだ、ハイラに聞きたい事あるんだけどぉ」

「何でしょうか」


 口の周りに菓子の粉などをつけた状態で、シュヴァルツがおもむろに口を切りました。そして、彼は私の目を見て言いました。


「…この前おねぇちゃんが言ってた事、本当なの?」

「……この前とは」

「貧民街に行った時のやつ、いつか父か兄に殺されるって言ってたあれ」

「…」


 そんな事、考えるまでもありせん。

 皇帝陛下と皇太子殿下は、ただ純粋に愛を求めて来た姫様に一度も応えなかった…それが何よりの証拠です。

 誰であろうと不要な者は文字通り切り捨てる皇帝陛下ならば、姫様の事もいつかは………なんて。そう考えた事が無かった訳ではありません。

 寧ろ、毎日のように皇帝陛下の影に脅えているぐらいです。今日も無事に姫様が生きて下さるように、皇帝陛下に不要とされないように…そう、私は毎朝祈っておりました。

 何となく、ではありましたが……それを姫様が悟っている事に六年前のあの日より薄々気づいてはいましたが、まさか、あそこまでとは。

 一度記憶を失い取り戻された姫様は、皇帝陛下と皇太子殿下を酷く嫌い、御自身が強くなろうと励むようになりました。まるで…御二方にいつか殺されてしまう可能性に気付き、自分の身は自分で守る為かのように。

 そんな姫様をどうして止められようか。私は、日々たゆまぬ努力を重ねる姫様をお傍で支えて来ました。時に教師として、時に侍女として、時に人生の先輩として。

 そうして。六年が経った今では、精霊であらせられるシルフ様とエンヴィー様のご教授もあり、姫様は大変お強く成長なされました。


 ──しかし。それでも尚、姫様が皇帝陛下によって殺されると言う可能性は拭いきれなかったのです。

 姫様には王位継承権も無く、巷では不遜な輩に野蛮王女などと揶揄されています。そんな姫様を皇帝陛下が放置しているこの現状こそ、認めたくはありませんが奇跡に近い事なのですよ。

 いつ皇帝陛下の気が変わられるかも分からない状況で、近頃姫様はついに城の外で行動を起こされた。

 これが一体どう影響をもたらすのか、私にはてんで予想が出来ない事柄ではございますが……とにかく姫様が毎日無事に生きて下さるならば、私はそれだけで十分でございます。


「…確かにその可能性があり、ほとんど事実に近い事柄です」

「ふーん。おねぇちゃんがたかだか人間の王に殺されるなんて面白くないなぁ…どうせなら精霊王とか妖精女王に殺されればいいのに。その方がよっぽど面白いや」


 先程の、姫様の発言が本当なのかという質問に私がそう答えると、シュヴァルツは何気なくそんな事を言い放ちました。

 その瞬間私の体は無意識に動き、シュヴァルツの胸ぐらを掴み上げていました。


「………何を巫山戯た事を吐かしているのでしょうか。姫様が殺されればいいと? 本気で、そのような戯言を吐いているのですか?」


 喉を押し潰したように低くて怒りを蓄えた声。こんな声が私の体から出るなど、初めて知りました。


「ちがうしー! ぼくはおねぇちゃんにもっともっと生きて貰わないと困るのぉ。だからこんな所でたかが人間に殺されて死んで貰っちゃ困るんだってー」


 私に掴み上げられ、体が地面より離れた状況だと言うのに…シュヴァルツは全く動揺する様子も無く、いつもの調子で弁明を始めた。


「あのね、精霊王と妖精女王は人間を殺せないの。だからあいつ等に殺されればいいのに〜って言うのは不可能な事…つまり死んでほしくないって事! これは冗談ジョークなの! ぼくの地元じゃあテッパンの冗談ジョークだったのにぃ………こっちじゃ通じないのかぁ…」


 人差し指をピシッと立てて説明口調で弁明したかと思えば、突然大きなため息を吐いて、「そもそも精霊王は殺せても殺さないだろうけどぉ………」と訳の分からない事を呟きながら落ち込み始めました。

 本当に、何なのでしょうかこの少年は。

 一体どんな地域に住んでいれば、そのような不敬かつ恐れ知らずのジョークを口に出来るというのでしょう。


「………そうとは知らず、失礼しました。ですがこれからは、冗談であろうとそのような事を口にするのは控えて下さい」


 シュヴァルツを降ろしながらそう頼むと、彼は「はぁーい」と緩い返事をしてまた菓子を頬張り始めたようです。

 本当に自由気ままで掴み所の無い少年……今の所は姫様に敵意を抱いておりませんが、これからもそうとは限りません。姫様がそれなりに彼を気に入っている以上、これから先も彼はここに居座る事でしょう。

 もしそのような状況で彼が姫様へと敵意を抱けば…取り返しのつかない事になるかもしれなない。それだけは避けなければなりません。

 ですので、誰相手でも警戒しないお人好しの姫様に代わり、私が全てを警戒する必要があるのです。


「……ふ、はははっ、そんな怖い顔しなくても…ぼくは逃げないよぉ? いくらでも、好きなだけぼくの事は警戒していいし調べてもいいからね。おねぇちゃんがいる限り──ぼくが飽きない限り、ぼくはなーんにもしないからさ」


 じっと観察するように彼を見ていた所、菓子を取る手を一旦止めてシュヴァルツはにこりと怪しい笑みを浮かべた。

 …気づかれた? 彼を警戒していたのが、そんなに顔に出ていたと言うのでしょうか……。

 シュヴァルツは勘が鋭い上に妙に博識多才です。世間知らずな割に、ですが。後、倫理観と常識と思いやりというものも欠如しています。その見た目の歳の割に、ですが。

 彼が突然核心をついた事を言うのはこれで何度目でしょうか…やはり、彼の前では気を張らねばなりませんね。彼の発言に、ついこちらが動揺してしまいますから。


「…そう仰るのであれば、好きに警戒し調べさせていただきます。では早速尋問の方に参りましょう」


 シュヴァルツの向かいの席に座る。すると彼は目を丸くして、何度も瞬きをしました。


「尋問? これ今からぼくに直接聞く感じ?」

「はい。貴方はどこの誰でどこから来ましたか」

「わぁー直球ぅー!」


 彼は目尻に皺を作って楽しそうに笑う。ひとしきり笑い終えると、両手で頬杖をつき上目遣いで彼は答えました。


「どこの誰だと思う?」


 ──質問返し、と言う割と卑怯な方法で。

 しかし私は動じません。彼のいい加減で滅茶苦茶な振る舞いにはもう慣れつつありますから。

 姫様の侍女として当然の努力です。


「分からないから本人に直接聞いているのですが」

「はは、そーだねぇ。うーん…どこの誰にしよう、じゃあ白の山脈の方の……とっても可愛い美少年で!」


 どこの誰かと聞いて、どこの誰にしようなんて言葉が帰ってくる事あります? 隠すにしてもはぐらかすにしても、ここまでは表に出さないでしょう、普通は──あぁ………そうでした。

 この少年は普通ではないのでした。それも、私の常識が基本的に通じない。

 ……彼への教育の項目に、普通と常識を加えておきましょうか。


「巫山戯ないで真剣にお答え下さい」

「真剣だってばぁ〜」

「口調からして真剣さなど皆無ですが」

「だってぼくはこう言う口調なんだもん」


 ああ言えばこう言う…本当に面倒臭いですねこの人。大人しく言う事を聞いてくれないのでしょうか。

 姫様がお連れした人間で無ければ適当な理由をでっち上げてカラスに始末させてますよ、もうとっくに。

 はぁ……せっかく尋問を始めたと言うのに、一向に進展せず、気づけばこうして彼のペースに呑まれてしまいます。

 その後も暫くは尋問を試みたのですが、例に漏れず適当に躱されてしまいました。

 何ですか…「実は王様なんだよねぇ〜」とか「本名はシュヴァルツじゃないよぉ、これは適当に考えた偽名!」とか「うーん、別の世界から来たとか?」って………人を小馬鹿にしたような発言ばかりして…今時子供でももう少しまともな嘘を付きますよ。

 もう、疲れました。彼の相手をするのは…。

 そんな精神的疲れから私はその後の授業を自主学習へと変更し、彼へ山積みの課題を渡して足早に自身の業務へと戻ったのです。

 少々荒んだ心も、姫様の為の仕事をしていれば和むというもの。

 やはり私にとっては姫様こそが全て。姫様が私の精神安定の要であり、私の人生の支柱なのです……!

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