第63話一通の報せ

 城へと戻ると門番の衛兵が私達──マクベスタを呼び止めた。

 暫く、何なんだろうねと話しながら待っていた所、衛兵が一通の手紙を差し出して来た。それはオセロマイト王室の紋章の封蝋が押されており、私はそれがマクベスタの家族からの手紙なのだとすぐに察した。


「少し前にオセロマイト王国の使者が来まして…凄い形相でそれを何とか渡してくれと頼み込んで来たもので。オセロマイト王国からの手紙ですし、マクベスタ王子にお渡ししようと思い預かっていたのです」


 衛兵が簡単な経緯を話す。マクベスタはそれに短く「ありがとう」とだけ返し、急ぎ足で皇宮へと向かった。

 私もその手紙の内容を知りたかったのでマクベスタの後ろを追う。何故だか…妙に胸騒ぎがしたのだ。

 マクベスタに用意されている客室より私の私室の方が近いと言う理由から、ひとまずそこで腰を落ち着ける事になった。

 マクベスタがペーパーナイフを用いて鮮やかに封を切る。中から出てきたのは二枚に及ぶ便箋。その文頭には、緊張に震えるインクと大陸西側諸国で使われる共通語でこう書かれていた。


『偉大なるフォーロイト帝国が皇帝陛下に何卒嘆願させて頂きたく申し上げます』


 マクベスタの後ろから覗き込むようにその手紙を見ていたのだが………これはどうやらマクベスタではなくうちの皇帝に宛てたものだったらしい。

 でもなんでオセロマイト王国が皇帝に手紙を──。


「…………どういう、事なんだ」


 ボソリとマクベスタが零す。その時、マクベスタと共に私も言葉を失い息を呑んでいた。

 その手紙は、まさに私が恐れていたもの。どうすれば良いかも分からない未曾有の危機を報せるもの。

 瞳孔を大きく見開き、瞳を震わせるマクベスタか信じられないとばかりに手紙の端を強く握り締めた。


「伝染病で、オセロマイトが滅ぶ……? 何を言って……」


 ──そう。その内容はオセロマイト王国を破滅へと追いやる恐怖の伝染病…その危機を報せる手紙だったのだ。

 手紙の内容はこうだった。

 およそ半年前よりオセロマイト王国北部を中心に未知の病が大流行し、その勢いは止まず寧ろ時を経て増すばかり。

 最早感染拡大を防止する事は叶わず、国境の封鎖か他国への救援かの二択を迫られ……ついに周辺国──その中でも大国のフォーロイト帝国へと救援を求める事にしたらしい。

 果たしてフォーロイト帝国に未知の病をどうにかする術があるのかどうか、私には全く検討つかないのだが…。

 そして、あの無情の皇帝がそんな要請に答えるのかどうか、私には全く予想が出来ないのだが……。

 それでも藁にもすがる思いでオセロマイト王国が王太子カリストロ・オセロマイト王子は、我が国にこうして手紙を送ったのだろう。

 そもそも何なんだ、草死病そうしびょうって…何が原因で発生したものなのか分からない上に治す方法が大司教等による治癒魔法しか無いなんて……本当に防ぎようが無いじゃないの。

 でも、だからと言って見捨てたりするつもりは全く無い。やれる限りの事を私はやらなければならない。


 考えろ、考えろ……! どんな手段を用いてでもいい、オセロマイト王国を救えるのなら…!!

 とにかくまず最初にすべきは国教会への大司教の派遣要請だ。失礼な話だが、小国のオセロマイト王国からの要請が通らずとも、西側諸国でも一二を争う大国のフォーロイト帝国の名前を出せば…まだ可能性はある。

 次に感染拡大を抑える事。日本での感染予防と言えば手洗いうがい消毒マスクの着用、人との接触を避ける事だけど…この世界に手洗いうがい消毒と言う概念は存在しない。

 今から広めるので間に合うのか? そもそもこれは意味のある事なのか?

 感染経路、感染方法が分からない以上その是非さえも分からない。

 だがしかし、大抵の感染症であれば効果がある事だろう。とにかくオセロマイト王国に一から手洗いうがいとマスクを広めないと。

 消毒は………消毒液の作り方が分からないから用意出来ない。こんな事ならもっとその辺の事も前世で勉強しておけばよかった…っ! 今の所、転生チートなんてほとんど発生してなければ役にも立ってないじゃないか!


「………師匠、貴方はこの世界でどれだけ行動が制限されていますか」


 とにかくやれる事からやっていかないと。今は一刻をも争う状況なのだ。

 そう思い、私は師匠に確認を取った。シルフ曰く、精霊さんはこの世界であまり自由に動き回れないそうなのだが…もし、師匠が広範囲の移動が可能なのであれば、頼みたい事があるのだ。


「俺は召喚された訳じゃァなくて自力で来てるんで、自分の力がもつ限りは何処へでも行けますよ。ですが、それがどうしたんすか?」


 師匠が首を少し傾げた。そんな師匠の目を真っ直ぐと見つめて、私は頼み事をする。


「頼みがあるの。今から私が書く手紙を──神殿都市のある人まで届けて欲しい」

「神殿都市……っつぅと、何とかって宗教の聖地っすか?」

「えぇ、そうよ」


 神殿都市…それは国教会の聖地であり本拠地。白亜の巨大な壁に囲まれた、大神殿を中心とした円形都市。

 国教会の中でも聖人に手紙を見せる事さえ出来れば、高確率での大司教の派遣を期待出来る。

 何せあの人──国教会の誇る聖人ミカリア・ディア・ラ・セイレーンは、人並みの優しさを持つ男だから。事実上の国教会のトップたるミカリアを動かす事が出来たならば、きっと……大司教を派遣して貰う事だって叶うはず。

 そしてフォーロイト帝国の名前を使えばその確率が上がる、と信じている。


「分かりました。誰に届けりゃいいんすか?」

「神殿都市の中心部…大聖堂の最奥に居る人類最強の聖人、ミカリア・ディア・ラ・セイレーンに」


 私がその名前を口にするとマクベスタが勢いよく振り向き、不可能だと言わんばかりの面持ちと共に無言で訴えかけてくる。

 確かに……表舞台に姿を現す事は無く、国教会の熱心な信徒であろうともそう簡単には会えず、面会出来るのは大司教や枢機卿のみと言われる国教会の聖人に手紙を渡すなど、いくら私が皇族でも不可能な話だ。

 しかしそれは、私がただの皇族であったならの話。今の私には──心強い味方がいるのだ。


「神殿都市の外壁には強力な結界が半円状に張られているけれど、精霊である師匠には結界の影響は及ばない筈。あの結界は対人・対魔の効果しかないから、神の使徒たる精霊の師匠にはなんの影響も無いかと。聖人の私室は大聖堂の霊廟の更に奥で、きっと侵入するのは困難だろうけど…信じても、いいですか」


 ただの皇族が知り得る筈もない神殿都市の事情をペラペラと話してはそう頼む。ファンブックで語られた神殿都市の情報にも目を通していて本当に良かった。

 まさかこんな所で役立つなんて。

 ──師匠には、世界最高峰のセキュリティを誇る国ならざる都市に堂々と侵入して貰うのだ。そして誰よりも会うのが難しい男に手紙を届けて貰う……なんてめちゃくちゃな頼みなんだろうか。

 これが無茶なものだと言う事は、誰よりも発案者の私がよく分かっている。だがそれでも、一刻を争う今…正規の手順を踏んでる暇なんて無いし、やはりこれしか方法が無いのだ。

 マクベスタの顔が疑念と驚愕、そのどちらとも取れる表情に染る。師匠もまた神の使徒という言葉に少し反応を見せた。


「…神の使徒ってのはちょっと不本意だが……ま、姫さんがそこまで言うなら俺はやりますよ。なんてったって面白そうだし」

「っ! ありがとうございます師匠! 早速今から手紙を書くので、終わったらそれを!!」

「はいよー」


 師匠は笑って二つ返事で承諾してくれた。

 そうと決まればと、私は少し大きめの声である人の名前を呼んだ。


「ハイラ、今すぐ来なさい!」


 今日一日シュヴァルツへの教育やら侍女の仕事やらで忙しいらしいハイラの更に仕事を増やすのは気が引けるが、そうも言ってられないのだ。

 そしてハイラを呼び出した数十秒後。コンコン、と扉が叩かれ開かれる。

 そこには僅かに肩を上下させつつも完璧に平静を装う侍女の姿があった。


「お呼びでしょうか姫様」

「えぇ、手紙を書きたいから便箋と封筒の用意をお願い。後……急を要する事だからと、シャンパー商会に食材…特にパンを大量に発注して頂戴。この際値段は気にしないでいいわ」

「畏まりました。手紙の方を先にご用意致します…しかし、何故急な発注を?」


 そりゃあ気になるよね。ハイラの美しい顔には、こう言う時はいつも戸惑いが浮かんでいた。

 ハイラは言われた事をとりあえずやってくれるが、多分そのほとんどが訳も分からずやって居たことだろう。

 流石に今回はお金が凄く動く事だし、多くの人命がかかっている。何も話さずと言うのは無理だろう。

 なので私は今回ばかりはちゃんと話す事にした。


「今オセロマイト王国が未知の病という未曾有の危機に晒されているの。だから私はそれを何とかしたい。その為に国教会へと大司教の派遣要請をして、少しでもオセロマイトの人達に栄養のあるものを安心して食べて貰いたいから、食べ物を大量に発注するの。食べ物が感染方法の可能性だってある訳だし、きっとオセロマイトの人達は満足に安心して食事も出来ていないだろうから」


 前世では人類は病に打ち克って来た。人類の積み重ねて来た歴史と言う力で、多くの病に打ち克った。

 この世界には科学の力は無いけれど、その代わりに魔法がある。科学よりもよっぽど万能で夢のような魔法という力がある。

 なればこそ! 科学に出来て魔法に出来ない事がある筈が無い!

 僅かにでもその両者の知識がある私が何もしないでどうする。こうして奇跡的に持つ物を使わずしてどうする!

 何かの専門家って訳でも趣味が最早プロの域なんて訳でも無い、本当に平凡なオタクだった私だけど……こんな事ぐらいでしか転生者としてのアドバンテージを発揮出来ない平凡な『私』だけど!

 それでもこの世界ではこの知識は貴重で、この知識で誰かを…大勢の命と目の前の少年の帰る場所を救えるのなら。

 人類が病に打ち克つ足がかりにでも何にでもなってやる! 私はどうなってもいい、皇帝に目を付けられようがもう仕方の無い事だ。

 そりゃあ、勿論全く死にたくなんて無いけど──私一人の命と大勢の命を天秤にかけたら…当然大勢の命に傾くわよ。

 いくらアミレスになったと言えども、私なんてどこまで行っても小心者なんだから。


「……そうでしたか。では私は諸々の手配に向かいます」

「えぇ、任せるわねハイラ」

「御意のままに」


 一瞬、彼女の表情が曇ったような気がしたが…それは気のせいだったのかと思う程、恭しく華麗に一礼してハイラさんは部屋を出た。

 待つ事数分でハイラさんはまた戻って来て、手紙一式を置いて手配へと向かった。そんな彼女と入れ違いになるように、大量の本を抱えたシュヴァルツが現れる。

 ミカリアに押し付ける為の手紙を書く私に、瞳を爛々と輝かせるシュヴァルツが突撃して来た。


「ねぇねぇ何してるのおねぇちゃんっ」

「見ての通り手紙を書いてるだけよ」

「誰に? メイシア?」

「今回はメイシアじゃないよ。国教会の聖人……って分かる?」


 シュヴァルツってちょっと世間知らずな所あるしなぁ、と思いそう聞いたのだが…その瞬間シュヴァルツの笑顔がピタリと止まった。


「へぇ、聖人かぁ。ぼくも知ってるよ、会った事は無いけど知り合いからよく話聞いてたから!」


 別にいつもと変わらない笑みなのだけれど、今一瞬、シュヴァルツの笑顔がとても邪悪なものに見えた気がした。

 シュヴァルツはいつも通り、褒めて褒めてとばかりにふわふわの頭をずいっと突き出して来る。それを撫でてあげると、シュヴァルツは無邪気に喜んでいた。

 そしてその後も私は手紙を書く。ミカリアの僅かな人の心に働きかけるような、そんな文章を……。


「…よしっ、これでいいでしょう!」


 時間が無いので手紙は一発勝負。便箋を折って封筒に入れ、封蝋を流してフォーロイト帝国が皇家を示す紋章の印璽を押す。

 私はその手紙を師匠に手渡して、改めて頭を下げ頼み込む。


「お願い、師匠。これをどうにかしてミカリア・ディア・ラ・セイレーンに渡して欲しいの」

「──我等が姫君の仰せのままに。なんてな」


 師匠が私の左手を取りその甲に口付けを落とした。

 突然の事に完全に固まる私を置いて、師匠が小っ恥ずかしいとばかりに耳を少し赤くして私から離れた。


「っぁー…やっぱ慣れねぇ事はするもんじゃねェな……ま、アレだ、行ってきますわ」


 それだけ言って、師匠の姿が淡い光に包まれ消えてゆく。程なくして師匠はこの場よりいなくなった。

 しかし私の体はまだ固まっている。だって仕方ないでしょ、あんな超が付く程の美形が突然あんな女の子憧れみたいなシチュエーションぶっ込んで来たのよ、いくらなんでも驚くわよ‼︎

 時間差で徐々に顔に熱が集まる。あぁ、あんなのどうやって照れるなっていうのよ…!

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