第61話眠れる炎の美女5

 伯爵邸から皇宮へと帰る途中、私はぴたりと足を止め振り返った。そして、不機嫌そうな顔で静かに着いてくる彼を見上げる。


「…リバースさん、今日はありがとうございました。わざわざ人間界までお呼びしてしまってすみません」

「ぶふぉっ」

「はぁ?」


 一礼し、もう帰っていただいても構いませんよと告げる。

 すると師匠が吹き出すように笑い、リバースさんはその横で眉根を寄せた。


「不本意な召喚だったのでしょう? 金輪際、このように意にそぐわない貴方をお呼び立てしないようにしますので…」


 あんなにも不機嫌な様子で召喚され、今や不機嫌を超えて爆発寸前のヒトをこれ以上私の都合に付き合わせる訳にはいかなかった。

 だからこそ、もう帰っていいんだよと言ったのだが…。


「……っ、エンヴィー、この人間は…あの御方から僕達の事を何も言ってないのか?」

「く、くく…そりゃあ、あのヒトがお気に入りの人間に精霊の事なんて話す訳ねぇだろ? だから姫さんはマジで何も知らねぇの」

「チッ……どうしてこんなにも簡単なんだ…!」


 リバースさんが唸るような低い声を発しながら師匠を睨んだ。それを師匠は気にする様子も無く、笑い過ぎたせいか目尻に浮かんだものを拭い腹を押さえている。

 ……通訳すると…何も聞いてないのか、こんなにも厄介or面倒なんだ。って感じかしら。これ一々大変ね、本当に。

 ひとしきり大笑いして満足したのか、師匠は落ち着きを取り戻してから、リバースさんの不機嫌の原因を教えてくれた。


「あー…笑った笑った。で、姫さん。リバースの事なんですがァ……実は精霊召喚ってのは、実際に精霊と契約を結ばずとも召喚を成功させた時点でその精霊との間に仮契約が発生するもんなんです」


 獰猛にも可愛らしいようにも見える犬歯を大胆に見せ、師匠がニコニコと笑う。

 その笑顔と言葉に嫌な予感を覚えた私は、わざとらしく笑顔を作り、首を傾げて師匠の言葉をオウム返しする。


「………仮契約とは?」

「本契約前のお試し期間っすね。実は本契約よりも仮契約の方が精霊への契約の束縛が強いんで、リバースは逃げ出したくても逃げ出せない状況なんすよ〜」


 うーむ、つまりバイト前の研修期間みたいなものね。

 ほうほうなるほどぉ…リバースさんは半ば強制的に人間界に繋ぎ止められているのね。その仮契約とやらのせいで。

 貼り付けたような笑顔の仮面に、それを溶かす毒のような冷や汗が滴る。

 頬がぴくりと動き、ついに外向の笑顔が崩れてしまった。


「………もしかして、リバースさんがずっといるのは」

「姫さんとの仮契約が残ってるからですね」


 ですよね! なんか本当にごめんなさいぃ!!

 ちらりとリバースさんの方を一瞥すると、彼は虫けらを見るかのような目で私を見下していた。ああ、無知でごめんなさい!!


「…不要とは存じ上げますが、一応お伺い致しますね……リバースさんは本契約の方はどうなされ…」

「要る!!」

「ですよね要りませんよねハイ知ってましたよえぇ!」


 念の為に恐る恐る確認したが、食い気味でリバースさんが要らん! と答えた。相変わらず逆の権能とやらの影響で、逆の言葉を口にするからややこしいけれども。


「では仮契約を破棄させて頂きたく……」

「それならば僕の方でやらない。ので僕はもう行く」


 リバースさんが『お前と関わるつもりはもうねぇんだよ』と言いたげな程に殺意の籠った目で一睨みして来た。

 目は口ほどに物を言うとはこの事だったのか…っ!

 これはあれね、僕の方でやっておくからさっさと帰らせろって事ね!


「はい分かりましたお任せします本日はどうもありがとうございました!! お勤めご苦労様です!」


 そう言って平身低頭すると、淡い光に包まれてリバースさんの姿が消えていった。どうやら仮契約は無事に破棄され、帰る事が可能になったらしい。

 そして、何やら去り際に師匠に向け小声で言葉を残していったようで……師匠はそれに困っているようで、「どうすっかなァ……」 とため息をついていた。

 一体何を言われたんだろうと思ったが、私が気にする事では無いか。と結論づけてその事を思考から外した。

 今度は寄り道もせず真っ直ぐ皇宮まで帰る。

 戻ったら模擬戦でもしようかと言う話になり、私は早く帰って模擬戦がしたいあまり、マクベスタの手を引いて駆け足で皇宮へと向かったのだった。


 ──しかし、それは叶わない事だった。

 皇宮に戻った私達にどうしようも無い問題が突きつけられるなど……この時の私達には、知る由もなかった。



♢♢



 呆然としたまま自室に戻ると、柄にも無く昼間から寝台ベッドに寝転び、瞳を閉じた。

 そこで…まるで敵を前にしたかのように、憎悪の籠った瞳を隠す事無く向けて来た二歳歳下の妹の顔を思い出す。

 煩わしいぐらい後を追いかけてきては僕を呼んでいたあの妹が………今や顔を歪めてこの手を振り払うまでに至った。

 始まりはいつかの建国祭。熱に侵され死に目に遭った妹は、まるで別人かのように変わり果てた。

 妹が何故あのように変わったのか…その原因をケイリオル卿が調査しているそうなのだが、何とあのケイリオル卿をもってしてもその原因は未だに判明していない。

 かれこれ数年間に及び妹の監視を行っているそうだが、あまり手がかりらしいものも得られていないそうだ。あのケイリオル卿が珍しい、とそれには僕も少し驚いた。

 ケイリオル卿が言うには、妹はもう父上に認めて頂く事を諦め、別の目標を立てたとか……。

 ただそれだけの事であそこまで変わるものかと、僕も最初はそれを一蹴した。しかし、妹の思いもよらない姿を目撃した時…僕はケイリオル卿の言葉が正しかったのではと再考してしまった。


 数年前、一人になりたくて皇宮の周りを散策していた時、妹が僕や父上の真似をするかのように木剣を振るう姿を見てしまった。それはただの素振りであったが、その剣筋はかなりのもので…軸も安定している事から、恐らくもう既に何年も前から剣を習っていたのだと分かった。

 一国の王女が一体何を。という言葉が頭をよぎったが、ここはフォーロイト帝国で妹もまたフォーロイトの血を引く者。なればこそ、戦いに惹かれるのは無理もない話だった。

 ただ、そうだとしてもやはりおかしい。そう言う血筋だからという理由だけでは片付けられない疑問が散見している。

 ならば何故、お前はそこまで努力する? 全てが無駄になるやもしれぬのに──。

 そんな疑問が僕の頭の片隅に居座った。

 そう言った疑問を解決するには本人に聞くのが一番なのだが、あの妹は以前の姿など見る影も無く、僕の事を徹底的に避けていた。どうやらそれを隠すつもりも無いらしい。

 会ってこの疑問について問い詰めようとしても、妹はどうしてか一向に捕まらない。もし会話を行えても、一秒でも早く僕から離れたいのか強引に会話を切り上げて何処かへと行く。

 妹の事に僕の貴重な脳内容量を割きたくない。だからこそこんな下らない疑問は早急に解決したいのに………それは数年かけても尚解決しなかった。

 ケイリオル卿に聞いても妹の専属侍女に聞いても何も分からず終い。僕が一人で考えるにも、あまりにも不可解な状況が多く解決に至らない。

 いっその事全て忘れてやりたいとすら思った。あぁ、本当に…何と煩わしいんだ、あの妹は。


 そんな時に、また偶然妹と鉢合わせた。僕の顔を見た途端露骨に嫌悪感を顔に出す妹は、すぐさまそれを完璧に消し去り代わりに偽物の笑顔を顔に貼り付けた。

 剣を振る時以外は滅多に部屋からも出ない妹が皇宮内を彷徨うろついている事が珍しくて、僕は咄嗟に妹に何処に行くのかと問うた。…聞くべき事を誤ったのは、僕の落ち度だ。

 すると妹は表情を崩す事無くそれをはぐらかした。しかし逃げられぬよう手を掴んでから更に問い詰めた事により、ついに行先を白状した。

 行先は──シャンパージュ伯爵邸。シャンパージュ伯爵令嬢と親しくなったと、妹はそう言った。その言葉に僕は思わず耳を疑った。

 シャンパージュ伯爵家とは我が帝国でも異質な存在。

 初代シャンパージュ伯爵はそもそもフォーロイト王家の遠縁の者だったらしい。しかしフォーロイト王国が帝国政へと舵を切った際、かつて初代皇帝に与えられた公爵位を返上し、その代わりに伯爵位を授かったと言う。

 その行為に当時誰もが不敬だなんだとシャンパージュ伯爵に後ろ指を指したそうなのだが、それに対してシャンパージュ伯爵が放った言葉は…皇帝になりし者に受け継がれる禁書に記され今世まで伝えられている。


『──政も、爵位なんてものにも私は興味無い。私が求めるのは血湧き肉躍る商売! ただそれだけだ!』


 かねてより商いに携わっていたシャンパージュ伯爵は、狂ったのかと思う程商売というものに魅入られていたらしい。加えてシャンパージュ伯爵には天からの贈り物かと紛う程の商才があった。

 その為、フォーロイト帝国の市場はあっさりとシャンパージュ伯爵家に掌握されてしまったのだ。不幸中の幸いは、シャンパージュ伯爵家が商売以外には本当に興味が無かった事だった。そしてその才能と商売への熱情は当然のように受け継がれたらしい。

 鬼才ばかりのシャンパージュ伯爵家と歴史のあるララルス侯爵家に任せておけば、異様な速度で帝国市場が拡大する。歴代皇帝達はそれを良しとした。

 だからこそ、シャンパージュ伯爵家には特権のようなものが認められている。あの家が突然他の貴族を潰そうが、皇帝は何も言わない。それが、暗黙の了解だったからだ。

 それ故……公爵家や大公家に並ぶ権力を持つとさえ言われている。貴族社会の裏の支配者──それが貴族達の間でのシャンパージュ伯爵家の通称だった。

 常に中立の立場に在ったあの家が、特定の皇族や貴族と親しくしたなどと言う話、今まで聞いた事が無かった。

 そんなシャンパージュ伯爵家が、ついにその中立の立場を捨てただと…? それも、皇宮から出るなと父上より命令されていた妹と親しくなったなど……そんな筈は無い、一体どう言う事なのだと頭を回転させる。

 しかし、めぼしい答えは生み出せず、気がつけば妹は姿を消していた。

 疑問を解決出来たならまだしも、なんと僕は、この度疑問を増やしただけで終わってしまったのだ…。


「…………シャンパージュ、伯爵家…」


 どう言う手段を用いたかは分からないが、妹が自陣営に引き入れた家門が強大過ぎる。そもそも妹に継承権は無いし、僕は既に皇太子としての立太子式を終えている。

 継承権争いなど最初から存在しないのだが……シャンパージュ伯爵家が、いつの日か皇帝に即位した僕に大人しく忠誠を誓うかどうか怪しい。

 公爵家アルブロイト。大公家テンディジェル。四大侯爵家、フューラゼ。ランディグランジュ。ララルス。オリベラウズ……そして伯爵家シャンパージュ。

 これらの家門に認められ忠誠を誓われなければ、皇帝の治世が危うくなる…と、受け継がれし禁書には記されていた。

 だからこそ、僕はこれら全ての家門から認められる皇帝にならねばならないのだが…最難関とも思えていたシャンパージュ伯爵家が、まさか妹の下に着くなんて。

 厄介な事になったな……まさか妹と派閥争いをする羽目になるとは…。

 とは言え、公爵家と大公家と四大侯爵からの忠誠を得る事が出来ればシャンパージュ伯爵家の身勝手など最早無意味も同然だが……妙に胸騒ぎがする。

 何もかもが上手くいかないような、そんな予感がする。


 ……何故だ? 何もかもが約束され定められた道を行くだけの僕が、何故このような不安を抱かねばならない?

 久々に妹に会ったから? 真正面より憎悪で射抜かれたから? 良からぬ想像をしてしまったから?

 分からない。妹の真意だけでなく…この不安の理由さえも、今の僕には分からなかった。

 ただなんとなしに思うのだ。いつの日か、あの女は──僕にとって最大の障害になると。

 取るに足らない道具と思っていたが、あれは、間違いなく……僕にとって最悪の敵になる気がしてならない。


「──例えば、そうなったとしたら」


 お前が、僕の邪魔をするのなら。


「──その時は僕が殺してやろう」


 父上ではなく僕の手で。

 障害物は……尽く、破壊しなければいけないから。

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