第56話俺は忠誠を誓った。

「改めまして……私は、アミレス・ヘル・フォーロイト。一応この国の王女です」


 フォーロイト帝国を代々統治する最も高貴なる血筋──それ即ち、皇家。

 継承権争いが起きた訳では無く、歴代で最も皇族の数が少ないと聞く現在にて……たったの三人だけの皇族である筈の王女殿下が…なんでこんな所に。

 驚きのあまり言葉が詰まる俺達に向けて、あいつは名乗った。

 それにより事の重大さを急激に理解した俺達は、凄まじい勢いで頭を垂れた。

 皇帝陛下と皇太子殿下に次ぐ尊き存在、それが王女殿下だ。俺は、俺達はそんな相手に今までとんでもない態度で接していたのだ。

 ただの貴族令嬢でもだいぶ不味いものだったが、相手が皇族となれば不味いどころの話では無い。それも…相手は無情の皇帝の娘なのだから。

 態度を一変させ謝罪する俺達に、スミレ……いや、王女殿下は頭を下げるなとか謝罪するなとか無茶な事を言って来た。更に、


「私相手に敬語を使わないでください。無理に態度を取り繕わないでください。どうか今まで通りに接してください………何があろうと、私はそれを一切咎めませんので!!」


 聞く人が聞けば卒倒しそうな事を次々に宣った。その証拠に王女殿下の後ろに待機する侍女が青い顔をしている。

 現帝国唯一の王女殿下がそれでいいのか?! と俺はとても狼狽しかけていた。

 疑う余地など全く無いのに、俺は何故かこいつ本当に皇族か…? と疑ってしまった。


「一応は皇族ですけど、少なくともディオさん達の前にいる時はただのスミレとして振舞ってるつもりです。突然王女扱いされても困ります」

「っあー……困ったなァ…」


 何度も一応なんて言葉を口にする変わり者過ぎるこの王女殿下に、俺はもはや何も考えずただ頭を抱えてしまった。

 王女殿下を王女扱いしないとか、俺達の首が飛ぶまで何秒かかるかの無意味な検証でしかねぇんだよ。

 どうしたものかと思い悩んでいると、王女殿下が自分の髪を強調して自慢げに言った。


「ごほん、これでどうですかディオさん。今の私はどこにでもいるごくごく普通の平凡な女・スミレですよ!」


 どう言う仕組みかは知らないが、王女殿下の髪は明るい桃色に戻っていた。いや、変わったの方が正しいな。元の髪色は銀色だろうし。


「……お前のどこが平凡な女なんだ…ああもう、分かったからとりあえず、俺達をさん付けで呼ぶな。敬語も使うな。つぅかそもそもなんでお前は俺達相手に敬語なんて使ってたんだよ」

「年上に敬意を払うのは当然でしょう?」


 貴族社会の頂点に立つような王女殿下が、さも当然かのようにこんな事を言うなんて誰が予想出来るだろうか。多分誰にも不可能だろうと思う。


「…とにかく敬語とさん付けはやめろ、俺達の寿命が縮むんだ」

「………分かったわよ。ディオ、これでいいの?」


 その皇族らしからぬ姿勢に感心したものの、やはり皇族に敬語とさん付けで話しかけられるのは心臓に悪い。なので俺は話の流れでそう頼み込んだ。

 ようやく敬語とさん付けをやめてくれた王女殿下を見て、俺とラークはとりあえず胸を撫で下ろした。一瞬顔を見合わせて頷きあったのだ。

 その後王女殿下より……ってか、王女扱いするなとか言ってたけど…王女殿下って呼んでたら不味いか、これ? じゃあ何て呼べばいいんだよ。

 情報量が多すぎて頭が働かん、もういいか、普通に殿下って呼ぼう。

 そして殿下は侍女に続き金髪のガキの事も紹介してくれた。名前はマクベスタ・オセロマイト…つまりオセロマイト王国の王子だ。

 こんな貧民街に大国の王女殿下と隣国の王子が護衛も無しにいるなんて…………うっ、途端に胃が締め付けられるように痛み始める。

 キリキリと痛む腹部そっと手を当てて、俺は叫んだ。


「──王女とか王子が軽率にこんな所に来んじゃねぇーッ!!」


 俺の心からの叫びに、殿下はハハハ…と乾いた笑い声を漏らしていた。

 その後、殿下が俺達に話があるとかで、ラークがそれぞれ自由に過ごしているあいつ等を呼びに行った。暫くして帰って来たラークはきちんと全員連れて来ていたので、とりあえず俺は他己紹介から入る事にした。

 ……そう言えば、なんかイリオーデが殿下の顔を見た時一瞬動揺してた気がするんだが、何でだ?

 まぁいいか。殿下の紹介をした所、全員が驚いて目を点にしていた。さっきの俺ってこんな感じだったんだな…。

 殿下の紹介を終えて、今度は俺達の方を一人ずつ紹介していく流れになったんだが、そこで事件が起きる。

 俺達の中でも一番貴族を嫌っているメアリードとルーシアンが失礼な事を言い出したのだ。

 本人を前に何て失礼な事を言ってんだと二人を相手に凄むと、殿下からまさかの静止が入った。

 ──疎まれるのも嫌われるのも慣れてると、あいつは言った。そんなの、慣れていい筈がない。

 どうしてさっきからこいつは…何もかもを受け入れてしまってるんだ?

 次々と語られる王女殿下の本心。

 王女でありながら貴族はおろか皇帝陛下も皇太子殿下でさえも大嫌いと言い放っていた。

 とても高貴で尊い身分なのに、世間から野蛮と揶揄されている。

 皇帝陛下と皇太子殿下に不要と判断されれば廃棄される。だからいつ殺されるかも分からない。

 それでも死にたくないし幸せになりたいから、必死に足掻いているのだという。

 どうして、この国の唯一の王女殿下がそんな状況を生きているんだ。意味がわからない。


「貴女達の思う貴族や皇族として私を見るんじゃなくて、今貴女達の目の前にいる私自身を見なさい。確かに私は自分勝手で馬鹿な王女だけど…少なくとも、貴女達の思うような貴族達とは違う事を知って欲しい」


 貴族が嫌いと、真正面から批難するメアリードとルーシアンに向けて、殿下は言った。怒るでも無く、懇願するでも無く、ただ語りかけるように。


「それでもどうしても貴族が憎いとか、許せないとか、そう思うなら──いくらでも私を憎みなさい。貴族達はどうせ身に覚えが無いとかふざけた事を吐かすでしょうから、貴方達の怨憎が失われないよう、王女として私が矢面になるわ……責任を持って、最後まで貴方達の必要悪でい続けてみせるから」


 あぁ俺は…俺達は、この国は、どうしようもなく腐ってる。たった十二歳の幼い姫君に、こんな事を言わせてしまうなんて。

 守られるべき、尊重されるべき御方に、こんな役割を押し付けて……この国の大人達は最低じゃないか。

 よりにもよってあの王女殿下に…この国は酷い役割と責任を押し付けた。これは、どんな罪よりも重い罪である事だろう。

 傲慢さの欠片も無く、寧ろ不自然なくらいの普通さを持つ明らかに非凡な少女…そうか。あの剣は、泥沼のような環境を生き抜く為に身につけたものだったんだ。

 そうでもしないと生き抜けないなんて、本当に皇宮は地獄のような場所なんだろう。身分の低い俺にはその想像すらまともに出来ないが……その過酷さは、何となくだが察する事が出来る。

 この国の王女殿下ともあろう御方にここまで言わせてしまい、俺達は口を開く事が出来なくなっていた。さしものメアリードとルーシアンとてこれには泣きそうな顔で黙り込んだ。

 そこで、ずっと沈黙を保っていたイリオーデが、この冷えた空間に変化をもたらした。


「──メアリー、シアン。歳下の王女殿下にここまで言わせて、満足か」

「……ぅ…っ、だってぇ…!」

「……僕達、悪くないもん…っ」

「…王女殿下が寛容な御心で許してくれたのだぞ、それなのに謝罪も無しか」


 いつになくイリオーデの機嫌が悪い。いや、これは寧ろいいのか……? わからん、長い事一緒にいるがイリオーデの事は未だによく分からん。

 あいつにとって大事な事は目的とやらだけ。それだけは確かなんだが…。

 涙目の二人相手に説教を行おうとするイリオーデに、相変わらず俺達に妙に甘い殿下の待ったが入る。


「あの、謝罪はいらないので。二人が言った事は確かに正しい事だし…そりゃあ確かにちょっとはイラッとしたけれど…でも二人に取り立てて責めるような非は無いと思いますよ、私は」

「…本当に宜しいのでしょうか? この二人は王女である貴女に無礼を働いたのですよ」

「私が無礼と思っていないから問題無いのでは? 公の場ならまだしも、ここはディオの家ですし」


 その時、イリオーデの表情が少し柔らかくなった気がした。

 あいつが笑うなんて珍しいな…と思いながら眺めていた所、イリオーデが驚きの行動に出る。なんと突然殿下の前に跪いたのだ。

 そして、殿下の顔を見上げてあいつは言った。


「……メアリーとシアンを許してくださった事、心より感謝致します。私はイリオーデ、慈悲深き王女殿下に忠誠を誓いたく申し上げます」


 そこだけ確かに世界が違った。俺の家の筈なのに、イリオーデと殿下だけは、城で姫君に忠誠を誓う騎士のように見えてしまった。…場所が悪いだけで、実際その通りなのだが。

 何の脈絡もないイリオーデの突飛な行動に、俺達は全員口を揃えて叫んだ。

 しかしそのすぐ後、殿下がえっへんと胸を張り、俺達に向け宣言した。


「実はね、私──皆を雇う事にしたの! ……本当は騎士として重用したかったんだけど、騎士は騎士団登用試験を通過しないと名乗ってはいけない上、そもそも私は騎士を持つ事が許されてなくて。だからその代わりに、王女の子飼いの私兵って言う名目で皆に安定した給料と名誉を与えたいなと」


 殿下は侍女が懐より取り出した許可証を見せつけるように掲げている。どうやら、殿下は本気らしい。

 同情とかではなく、ただ真剣に俺達を雇おうとしているらしい。


「……ただ、今はまだ私の下にいた所でなんの名誉も得られません。私は出来損ないの野蛮王女ですし。でもいつか必ず貴方達の主として相応しい人間になるから。私を信じてくれた貴方達を裏切らないよう、努力するから」


 殿下はそう言いながらあの夜のように手を差し伸べてきた。あの時は藁にもすがる思いであの手を取った。無謀なガキの力になる為と言う建前で、そのガキを利用した。

 だけど今は…信頼と期待だけで、俺はこの小さな手を取った。

 あの時のような利用しようなんて気持ちも、心配や不安と言った気持ちも今は無い。

 俺達みたいなのが王女殿下の私兵なんて畏れ多い話ではあるが、当の本人が俺達をご所望なんだ。ありがたく、この話を受けさせてもらおう。

 そして……死にたくないと願う少女が幸せになれるように、その道程を守り整えよう。こんな俺に出来るこたぁ、そんぐれぇだしな。


 そうやって固く握手を交わした直後。金髪のガキ…じゃなくて、マクベスタ王子の提案で俺達は実力を確かめる試験を受ける事になった。

 相手はマクベスタ王子ただ一人で、なんと俺達は連携して戦ってもいいと言われてしまった。確かに普段の鍛錬の影響で集団戦闘の方が慣れているが……だとしても随分と舐められたもんだな。と俺達は少し頭に来てしまった。

 だがしかし、いざ試験が始まれば…マクベスタ王子の無双状態だった。俺達の攻撃などマクベスタ王子には全く効かず、全て躱されるかいなされる。

 俺達の数の有利をあっという間に崩して、マクベスタ王子は圧勝したのだ。……しかも、剣ではなく鞘のみの使用でだ。

 相手が隣国の王子だからと俺達も少しは躊躇いがあったが、それでも出せる限りの本気を出していた…それなのにこのザマだ。

 あの王子何者なんだ………? うちの皇太子殿下も皇帝陛下譲りで剣と魔法に優れているっつぅ話だが…王子ってのはどいつもこいつも強いモンなのか?

 見事完敗した俺達だったが、マクベスタ王子的にはこれは合格判定らしく…無事に実力も認められ、俺達は殿下の私兵として雇われる事になった。

 その後、有言実行の殿下により例の報酬とやらが渡された。その際、いくら欲しいかと聞かれた俺達はしばし相談し、その結果氷金貨五枚と言う大金を要求してしまった。

 だが相手は我が国の王女殿下。氷金貨五枚をあっさりと渡して来たのだ。

 机の上に置かれた五枚の金貨を前に、俺達は固唾を飲みながら殿下の話を聞いていた。

 日が暮れ始めた頃に、ある程度話し終えた殿下達が貧民街を後にして…俺達はようやく落ち着く事が出来た。

 いや本当に、何かと気が気でない一日だったのだ。


 そしてその日の夜。大人だけで祝宴と洒落こんでいた。

 紛れもなく俺達の人生の転機となるこの日を祝わずして、いつ祝うのかと言う話になり……ガキ組と下戸を引き取って行ったクラリスとバドールを除いた、俺とラークとシャルルギルとイリオーデの四人だけで酒を飲んでいた。

 いつもの安酒ではあるのだが、それでも何故か今日はとても美味く感じた。ラークが用意してくれたつまみを食べてから酒を呷り、その美味さに頬を緩める。

 そんな時、ラークがイリオーデを見てふっと口角を上げた。


「…イリオーデがそんなに飲むなんて珍しいね、どうしたんだ?」


 イリオーデは別に酒に弱い訳では無い。寧ろ強い方だ。しかし、酒を飲む時は何故かいつも少量に留めているのだ。

 そんなイリオーデがいつもの倍は飲んでいる姿に、俺達は確かに目を疑った。そりゃあ、何かあったのかと確認したくもなる。

 イリオーデは少し朱に染まった頬を柔らかく崩して、


「………ずっと会いたかった人に会えたから、嬉しくて」


 と呟いた。それを聞いた俺達はどう言う事だろう、と顔を見合わせる。

 なので、俺達を代表してシャルルギルがそれについて深堀する事になったのだ。


「会いたかった人とは、もしや王女様の事か?」

「ああ」

「知り合いだったのか?」

「……いや、私が、一方的に知っているだけだ」

「何故彼女に会いたかったんだ?」


 シャルルギルがどんどん言及してゆく。寡黙なイリオーデも今日はやたらと饒舌で、聞かれたままに答えていっているようだ。

 その様子を、俺とラークはただ見守るだけだった。


「前に話しただろう、私のたった一つの目的…どうしても騎士として仕えたい相手──それが、王女殿下だったんだ」


 それはイリオーデと出会ったばかりの頃に聞いた、あいつにとっての大事な生きる意味だった。その為に生きる必要があると言う程に……。


「あの御方を一目見て、王女殿下だと分かった。だからこそとても戸惑っていた……どうにかして王女殿下の騎士にならねばと、柄にもなく事を急いてしまった」

「………あの忠誠を誓うみたいなやつは、もしかしてそれだったり?」

「そうだ」

「成程ねぇ。それで嬉しくて酒いっぱい飲んでるのかぁ、イリオーデは」


 ラークが楽しそうに笑う。シャルルギルは何も考えていなさそうな顔でぽかーんとしている。


「これからは王女殿下の騎士として生きていけるのだと思うと、天にも昇る思いだ…」

「はは、正確には騎士じゃなくて私兵だけどね」

「何だっていい。あの御方の剣として、永遠の忠誠を誓えるのなら」

「うーん、重いなぁ〜!」


 ラークの軽快な笑い声が静かな夜に響く。その笑い声に釣られてシャルルギルまでもが小さく笑い始めた。

 全員が酔っているからかそれを止める者は一人もおらず、いつになく明るい雰囲気のまま夜は更けていった。


 ──あぁ、今日も、月は綺麗だな。

 イリオーデ程では無いものの、俺も胸中に勇敢な少女への忠誠を抱きながら…月を見上げていた。

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