第54話俺はあの女と出会った。

 それなりに戦えるとは言え、そんな奴等を進んで危ない所に連れて行くつもりは勿論俺達には無かった…のだが、俺達がいくら説得してもあの三人は一向に首を縦に振らず、結局無理やり仕事について来たのだ。

 そして、俺は仕事場に着いて己の愚かさを実感した。

 そこでは大勢の子供が囚われ、奴隷として人身売買の餌食となっていたのだ。

 ──ちゃんと内容を聞いておけば、こんな光景を見る事も、知る事も無かったのに。

 それを見たジェジとユーキが昔を思い出したように肩を震わせ、その場にいた商人達に殴りかかった。

 だが勿論商人達にも腕の立つ護衛がいて、ジェジとユーキはあっさりと取り押さえられてしまった。その時、小太りの貴族が二人を蔑むように見下ろして言った。


「…ハンッ、なんだこの汚らわしい獣人とエルフは。まさかここの用心棒がこんな奴等とは……」


 それにバドールとクラリスが怒り、武器を構えようとした時。俺はあいつ等に向けて「止まれ!!」と叫んだ。

 どうして…と言わんばかりに仲間の目が見開かれ、それは俺に向けられる。

 とにかくジェジとユーキを助ける為に、俺はその場で跪き額を地面につけた。いつか街の大人から聞いた最上級の謝罪の姿勢……それを俺はクソみてぇな貴族に向けて行っていた。


「…ッ、大変申し訳ございませんでした…! この二人にはしっかり言い聞かせておきますので、どうかお許しください! どうか、雇用を無かった事にするのだけは……!!」


 恥も外聞もかなぐり捨てて、俺は懇願した。

 俺だってあいつ等を殴れるモンなら今すぐにぶん殴りたい。けど、駄目なんだ。理由がなんであれ、ここで暴れては俺達の命すら危ういし、金だって手に入らない。

 だから俺は……あらゆる感情を無理やり押さえ込んで、頭を下げた。

 小太りの貴族は俺の態度に満足したようで、俺の頭を踏みつけたかと思えば、愉悦に満ちた声で笑っていた。


「私は今、とても気分が良い。特別にそこな亜人共の無礼も許してやろう。ふは、ははははは!」


 俺は小太りの貴族が部屋からいなくなるまでずっとずっと同じ体勢でいた。その後しゃがれた声の商人の男に俺達へあてがわれた部屋へと案内され、そして部屋には俺達だけとなる。

 誰かは分からない。誰かが口を切ろうと息を吸った時、俺はそれよりも早くに謝罪した。


「〜っ! ごめん、俺が…俺の所為なんだ……ッ!! 俺の所為でこんな仕事を!!!」


 小太りの貴族に向けた時よりも深く強く、俺は額を地面に打ち付ける。

 悔しくて、悔しくて悔しくてたまらない。こんな馬鹿な自分が情けない。馬鹿な自分が不甲斐なくて仕方ない。

 そうやって奥歯を噛み締めていたら、ラークがおもむろにしゃがみこんでは俺の背中を擦った。


「……ねぇ、ディオ。君、言ってたよね。酒場で知り合った男がいい仕事を紹介してくれたって。これで金が稼げるし、皆でもっと美味しいものを食べられるって。俺さ…その話聞いた時、絶対罠だぁ…それか詐欺だぁ…確実にろくでもない仕事だぁ。って凄く思ったんだ。でも言えなかった……君が嬉しそうにしている姿を見て、水を差せなかった。君が子供達の為に頑張ろうとしているのを止められなかった。だからディオ、君だけが罪の意識に苛まれる必要は無い。だって、分かってて何もしなかった俺も、同罪みたいなものだ」


 ラークが慰めの言葉をかけてくる。

 …お前が、誰よりも頭のいいお前が、俺と同罪な訳無いだろ。なんでそうやってお前はいつも俺を庇うような事ばっかり言うんだよ。

 誰かが俺を責めてくれた方がよかったのに、お前がいつもそうやって先回りして俺を庇うから、誰も俺を責めてくれねぇんだ。俺の間違いを、正してくれねぇんだ。

 ラークは街の大人達やイリオーデの教えもあって、貧民街で生まれ育ったとは思えない程賢い。その頭脳でいつも馬鹿な俺の事を支えてくれている。

 どうして、そんなお前が俺でも分かるような間違いを見て見ぬ振りするんだよ……⁈


「違う、あの時俺が仕事の話を詳しく聞かなかったのが悪いんだ。あれ程お前に慎重にしろって言われてたのに……っ」

「まぁ、それは確かにそうだけど…でも詳しく聞いてても結果は同じだったと思うよ」

「……は? ど、いう、事…だ?」

「そうだよね、イリオーデ」


 ラークの言葉に引っ張られて、俺はイリオーデを見上げた。そして…一度頷いてから、話を振られたイリオーデは重い口を開いた。


「かつて帝国で人身売買が徹底廃止されるよりも前の時代に売人の間で使われていた隠語……合言葉のようなものがある。売人を鶏、客をヒナ、商品を卵と当時は呼んでいたらしい。人身売買が徹底廃止されたこの時代にも、奴隷の人身売買と同様に残っている事だろう」


 元四大侯爵家の令息のイリオーデがそう言うんだから、俺達も知らないような帝国の歴史にそのような部分があるのだろう。

 そしてなんと、その隠語を聞いて俺は酒場のおっさんの言葉を思い出したのだ。


『──なぁに、ただの卵の取引だ。そんな気ぃ張るなよ、坊主』


 それを聞いて俺は貴族が貴重な卵の取引をしているんだと勘違いしてしまった……実際はそんな事は全く無く、こうして人身売買の拠点に来てしまった訳だが。

 酒場のおっさんに卵の取引をすると言われた事をイリオーデに話すと、ラークが「やっぱり」と呟きながら腕を組む。


「その男は最初から話していたんだ。俺ですらイリオーデから聞いてたからかろうじて知ってるって程度だし、何も知らないディオが隠語だと分からないのは仕方の無い事だった…だからこそ、もし詳細を聞こうとしていても得られるものは何も無かった筈だ」

「…ならば、ディオだけが悪いと言う結論には至らないな。このような場合を想定して、ディオにも事前にこの事を話しておかなかった私にも責任がある」


 そう言って、イリオーデが青い髪をさらりと流して頭を下げた。

 ラークもまた同じように頭を下げた。「俺もその時その場にいたら良かったんだ」とたらればの話をしながら謝ってきた。

 本当に、何でこいつ等はこう………と感情が溢れて出てしまいそうになった時、眉間の皺を緩くして、シャルルギルがさらっと言い放った。


「──子供達を、俺達で助ければいいだろう。この仕事を受けてしまったのだから、俺達に出来る事と言えば機を見計らって子供達を解放する事ぐらいだ」


 その発言に俺は鈍器で殴られたような衝撃を受け、同時に希望を得た。

 …そうだ。俺達であのガキ達を救えばいいんだ。

 そう決めたものの、ジェジとユーキが心配だった。先程のように、昔を思い出して怯えてしまうかもしれない。

 そう思ったのだが……二人は、俺達が思うよりもずっと強く成長していたのだ。


「……ディオ兄、僕、やるよ。奴隷なんていちゃいけない」

「オレも…子供達のためにちょー頑張るから!」


 二人は小さく震える己の体を鼓舞していた。本当は過去の恐怖に襲われているのに…それでもそうやって前に進もうとする二人を見て、すげぇなって思ったんだ。

 …俺は、気がついたらジェジとユーキを抱き締めていた。そして二人にしか聞こえないような掠れた声で、「ごめん」「ありがとう」と伝える。


「……らしくないよ、ディオ兄。しんみりしたディオ兄とかちょっと気色悪いし」

「うるせぇ」

「えへへ、こちらこそありがと、ディオ兄。オレ達の事心配してくれて」

「…家族なんだ、心配して当然だろ」


 ユーキが照れ隠しのように毒を吐き、俺はいつものようにそれに返す。

 ジェジが嬉しそうにありがとうなんて言ってくるから、今度は俺が照れてしまい、恥ずかしい気持ちも抱きつつ当然だと言った。

 この時、優しく頼もしい仲間達に囲まれていて俺は本当に幸福だな。そう、改めて実感した。

 そして俺達は毎日夜に用心棒としての仕事を行った。交代ごうたいで一晩中見張りをしたり、檻の様子を見に行ったりしていた。

 商人共に酷い目に遭わされたガキをただ見ているだけなんて、俺には無理だった。

 ここの奴等にバレない範囲で、俺達は簡単な手当の出来る道具を持ち込んだり配給する食料を多めに持って行って、ガキ共に渡すようにしていた。

 目付きが鋭いだとかで初対面のガキにはまず怖がられるのに……気がつけば檻に入れられたガキ共は俺を恐れなくなっていた。

 いつ出られるの、奴隷にされるの、お家に帰りたい…何度これらの言葉を聞いた事だろうか。その度に俺は唇を噛み締め、自分の無力さから謝る事しか出来なかった。

 だけどいつか必ずお前達を解放してやるから。それまで耐えてくれ…と祈りつつしばらくして。

 俺達は、ついにその日を迎えたのだ。


 大胆不敵に笑う桃色の髪のガキは言った。ガキを救う手伝いをしろと。

 初めてイリオーデと会った時を思い出させる変なガキは言った。俺達の望みを叶えてみせると。

 そして、誰よりも無謀で無茶なガキは言った。この手を取った事を絶対に後悔させないと。

 本来なら一笑に付すべきだったガキの戯言を、俺は真に受けてその手を取った。

 そして決行された作戦は──無事に成功を収めてしまった。檻にいたガキは全員解放され、自由となった。

 何もかもが異様なあのガキは、大人相手に一人で戦い負傷していたが……それでもあいつは勝っていた。

 目的の物もきちんと入手した上で、なんとクソ野郎を警備隊に突き出して謝礼金を貰えなどとなんともガキらしくねぇ事を提案して来た。

 それには流石に笑っちまった。本当に…知れば知るほど訳が分からなくなるガキだ、こいつは。

 途中で知り合った司祭のリードのおかげでガキ共は大体全快。スミレもまた足の怪我が治ったようで、エリニティが迷惑をかけた赤い目のガキと一緒に歳相応に笑って話していた。

 ………そう言う所は、ちゃんと子供なんだな。とふと思ってしまい、俺は慌てて、何考えてんだ俺は? と自分で自分に問いかけた。

 暇そうだったシャルルギルとこの後どうやってガキ共を家まで送るかと話し合っていた所で、スミレがリードの送迎で家に帰るだとかで別れを言いに来た…と思ったら、家の場所を聞かれた。

 こいつ本気なのか? と思いつつ、渋々教えてやった所……なんとあいつはたった一度聞いただけで道を覚えた。

 それには俺もシャルルギルも度肝を抜かれた。シャルルギル程では無いが、確かに俺の家の辺りは道が入り組んでいて迷いやすい。

 長年住んでる俺達でもぼーっとしてると簡単に迷ってしまうんだが…まぁ、道を覚えられたからと言って、実際に来れるかは分からねぇけど。

 貴族っぽいのにどこまでも貴族らしくない別れの挨拶で、スミレとはそこで別れた。綺麗に月が見える、晴れ晴れとした気分の夜の事だった。

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