第38話商談といきましょう。2

「では何をお買い求めでしょうか?」


 伯爵がそう問うてくる。私は前もってハイラさんと相談して纏めておいた必要物資リストを伯爵に「そちらに記されている物全てです」と言って手渡す。

 それを受け取った伯爵は何度も瞬きをしながらリストをまじまじと見つめる。その伯爵の横から、メイシアもそのリストを覗き込んでいた。

 それにしてもあの親子、表情がとてもそっくりだわ…と伯爵とメイシアを眺めていた所、伯爵が顔を上げて、おずおずと尋ねてきた。


「………王女殿下は何か大規模な事業でもなされるおつもりなのでしょうか? あまりにも建材の量が多いような…」


 おお、流石は大商会の頭目だ。まさか欲しいものリストを見ただけでそれを察するとは。

 心の中で彼の能力に拍手を送りながら、私は伯爵の疑問に答える。


「貧民街の一角に孤児院や集合住宅や大衆浴場の建設を予定しております」

「貧民街に…!?」


 伯爵の顔に緊張が走る。それもその筈だ……今まで西部地区──貧民街の一件は誰もが手を打とうとして結局諦めた事。

 その問題に突然、世間知らずの王女が手を出そうとしているのだから…伯爵の反応も無理はない。


「余裕があれば安く診察して貰えるような診療所等も作りたいですね。人材をどうするかの問題が残っているので、簡単には行かないでしょうか」


 何せこの世界の医者と言うものは光の魔力を持たず、知識と技術だけで人々を治す職業を指す。当然、そんな人材は滅多にいないのだ。

 光の魔力を持つ司祭等に治癒を依頼するならば高額の費用がかかるそうで、平民にはまず選べない手段だ。

 なので平民は病気にかかった際には薬師の元に行って薬を処方してもらうのだそう。しかしその薬師もまた珍しい存在で、一つの国に四〜五人いれば運がいい…ぐらいの確率らしい。

 大抵の街にいるのは薬師程ではない、薬草等を取り扱う薬屋で……その道のプロたる薬師程の人材は本当にいない。探すとなると膨大な時間と手間がかかるのだ。

 だから私は少しでも病や怪我で命を落とす可能性を減らそうと、その希少な専門家達を一箇所に留まらせたい。

 医者に症状を見てもらい、薬師にそれにあった薬を処方してもらう……日本では当たり前だったそれが、この世界でも出来れば良いと思った。

 手術なんて概念はこの世界に無いみたいだし、重度の病に関してはもう司祭を頼ってくれとしか言えないが…軽度の病気や怪我であれば誰もが心置き無く利用できるような、そんな診療所があればいいんじゃないかなって。


「……診療所、ですか。では大衆浴場と言うのは? 初めて聞く言葉ですが」


 伯爵の疑問が落とされる。

 完全に忘れてたけど、そう言えばこの世界……少なくともこの国には温泉とか大浴場とかそう言う物が無いのよね…。誰かと一緒に風呂に入る文化がそもそも無いし。

 水に関してはモーマンタイ。先々代の皇帝が潔癖症だったとかで、帝都全域で、魔法と魔導具を活用した上下水道が時代錯誤な程に整っている。

 大衆浴場を作りたいと思った際に、上下水道に勝手に配管を増やしてそこから水を拝借してもいいかと詳細は伏せたままケイリオルさんから許可を取った(何でケイリオルさんがそこまで権力を持っているのかは分からない)ので、そもそもの水については問題無いのだ。

 加えて、その下水道はずっと北上して行けばフォーロイト帝国北部の海に出る。海の近くに天然物の長い洞窟があるらしく、そこと繋がる長距離に及ぶ地下水道が帝都まで伸びているそうだ。潔癖症だからって普通そこまでやらないよね、フォーロイト帝国の歴史面白いなー。

 まぁ、とどのつまり、実質帝都の水は無限なのである。


「ええと、大衆浴場はその名のまま、大衆向けの大浴場です。低価格で誰もが湯浴みを出来れば体を洗う事も出来ますし、その影響で衛生観念も変わってゆくかと思いまして」


 すると、伯爵がバッと顔を上げた。その直後、前のめりで彼は更に聞いてきた。


「つまり同じ湯に見ず知らずの者達が共に入ると?」

「そうなりますね」

「浴槽の掃除等はどうなさるのですか? 水の入れ替え等は…そもそもどうやって湯を沸かし続けるのですか?」


 伯爵は興味津々とばかりにぐいぐい質問して来る。伯爵には大規模な取引をして貰う訳だし、別に隠しておきたい訳でも無いから、ここは普通に話そう。


「浴槽の掃除も大衆浴場の運営も全て現地の方々に行って頂くつもりです。水の入れ替えと湯を沸かす方法なら私が用意します」

「…差し支え無ければ、お伺いしても宜しいでしょうか?」


 その詳細を話す前に、念の為シルフを見る。シルフは小さくこくりと頷いた。

 シルフからの許可も出た事だし…私は今一度伯爵の方を見て、その詳細を話した。


「…水を沸かす魔法陣を浴槽に刻んでおけば、後は魔力石さえあれば常時発動が可能です。水の入れ替えは…常に水を排水しつつ常に浴槽に水を入れ続ける事により、常に綺麗な湯船を保てるでしょう。浄水に関しては上水道で使用されている魔導具と同じ物を用いる予定です」


 私に付与魔法エンチャントが使えたならば、もっと簡単に楽な手段を取れたのだろうけど…今の私に出来る事はこれぐらいしか無い。

 …それでも付与魔法エンチャントとほぼ相違ない手段を取るから、魔法の先生たるシルフの許可が必要だったのだ。

 浴槽に刻む魔法陣は水を沸かす魔法では無く、水の温度を一定に保つ魔法だ。その魔法陣を浴槽に刻み、魔力石と呼ばれる魔力の塊の石を設置する事で、その魔法陣は私の管理から外れて常時発動し続ける事になる……とシルフは語っていた。

 何しろこの方法を提案して来たのはシルフなのだ。私はシルフから聞いたままに話しているだけに過ぎない。


「………ですが、それ程の魔法を、一体誰が…?」


 伯爵がぽかんとしながらボソリと呟いた。その疑問に私は簡潔に答えた。


「私がやります」

「──え?」

「水を沸かす魔法陣の刻印は、私が行います」


 伯爵とメイシアは、また目を丸くした。

 …あれ、おかしいな。野蛮王女が皇家の血筋でありながら氷の魔力を持たないって話はかなり有名だと思うんだけど……噂としてもかなり広まってる筈だし。

 うーむ、この反応は予想外だな。


「…ご存知かもしれませんが、私は……帝国と皇家の恥晒し、氷の魔力を持たない出来損ないの野蛮王女ですので。そんな私が扱える魔法は水ですので、水の魔法陣を刻印するぐらい容易いんですよ」


 そう、私は平然と笑った。実を言うと氷も作れない事も無いのだが…バレたらややこしい事になるから、それは隠し通さねばならない。

 この話を聞いた伯爵達は、肝を潰した顔をしていた。なので私は「気にしないでください、もうどうとも思ってませんので」と伯爵とメイシアに言い聞かせた。

 そしてそれから少し経ち、ある程度の話は済んだ事だし、私は具体的な取引の方に話を移す事にした。

 シャンパー商会の事業は多岐にわたる。だからこそ、欲しいものリストに書かれた物の大半がシャンパー商会で購入可能だ。

 それらの細かい発注や本格的な取引はハイラさんがやってくれた。…何せ私は先日ようやく人生初買い物をしたばかりの買い物初心者。大商会との大規模取引なぞ上手く出来る筈がない。

 なので私は自主的に身を引いた。『ここから先は子供の出る幕ではありませんね』とそれっぽい事を言って、やりくり上手のハイラさんに全て丸投げ…ごほん、お任せしたのだ。

 大人同士の大事な商談を邪魔する訳にもいかないので、それが終わるまでメイシアと話しながら待つ事になった。

 大人達の邪魔にならないよう、私達は一度別室へと移動した。

 案内してくれた執事さんに言われ長椅子に腰掛ける。すると、私の隣にメイシアが微笑みながらピッタリとくっついて座った。

 そして向かいの椅子にマクベスタとシュヴァルツが座る。私達は向かい合ってお茶をする事になったのだ。

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