第34.5話ある伯爵の回想
「おやすみ、メイシア」
目に入れても痛くないぐらい愛しい一人娘が眠ったのを確認し、私はそう告げた。
小さく寝息を立てるメイシアを起こさぬよう、細心の注意をはらって娘の部屋を出る。
廊下に出ると、執事長のオルロットが未だ潤う目元をハンカチーフで拭っていた。
「……如何でしたか、お嬢様のご様子は」
「ぐっすりと眠ってくれたよ。これで、私達もようやく眠れるな」
ここ数日、メイシアが心配で食事も喉を通らなかったし、ロクに眠れもしなかった。
「──本当に良かった。無事に帰って来てくれて」
それだけが本当に嬉しくて、私は安心するあまり目頭を熱くした。
本人の話によると、メイシアは四日前にどうしても欲しい物があったとかで一人で買い物に行き、その際に運悪く誘拐されてしまったようだ。
その後人身売買を行う奴隷商の拠点まで連れて行かれ、明日には売られてしまいそうだったのだが、その時偶然王女殿下──……スミレと名乗る少女が『皆を助けに来た』らしい。
王女殿下はどこかで人身売買の噂を聞き、そして自ら商品として捕らわれる事で奴隷商の拠点を暴いた。
その上で無辜の子供達を解放し救い出さんとして、帳簿の確保などに躍り出ては身を粉にしたと。
にわかに信じられない話だったがメイシアが何度も笑顔で、
『スミレちゃんは凄いの! 一人で大人達を倒しちゃって……強くてかっこよくて、綺麗で優しくって! あのねっ、本当の本当にすごかったの!!』
と繰り返すので信じるしかなかった。
王女殿下は確か御歳が十二程であらせられる筈だ。僅か十二歳の少女が大人達を相手取るなんて……と驚いていると、
『だってスミレちゃんだから。わたしの女神様のスミレちゃん、じゃなくて──……アミレス様だから!』
メイシアが満面の笑みで力説する。
あのメイシアがこんな風に笑って、こんな風に誰かの事を楽しげに話すなんて……とここでも私は泣いてしまいそうになった。
だがその後、ふと現実に引き戻される。
私を含め、誰もが忘れていたが──かの少女もまた
社交界や世間で野蛮王女と称される剣を振る王女。これまでただの一度も表舞台に姿を表さず、社交界では常に様々な憶測が飛び交わされている。
勿論、信憑性の無い噂など信じていなかったが……私も所詮は人の子。無意識のうちに彼女を野蛮王女として見ては、恐怖を抱いてしまった。
メイシアを連れ帰ってくれた少女の髪があの銀色に変わった時、私はそれを痛感した。
皇族特有の銀色の髪。氷のように冷たい寒色の瞳。そして……いつか拝謁した皇后様の面影を強く感じる顔立ち。
その全てが、少女の身分や存在を物語っていた。
似つかわしくない
彼女の凛とした微笑みからは、野蛮とは真逆の──……高潔さや気品を感じた。
所作も特に文句のつけ所が無く、皇族でありながらも当然のように謝罪をする姿にはあわをくってしまいそうになった。
メイシアの事を友達と仰ってくださった、心優しき御方。
侮辱罪に該当してしまうだろうが、とてもあの皇帝陛下の娘とは思えない、表情豊かで思いやりに溢れた少女。
私が話したのはほんの
そして、深く感心したのだ。……感心したとは即ちそれだけ彼女を低く見ていたと言う事。
それに気づき、私は己の愚かさと過ちを恥じる。ああ、なんと身の程知らずなのだろうか……と。
「……──ネラの所に行ってくる。彼女にも、メイシアが無事に帰ってきた事を伝えなければならない。領地の父と母にメイシアの無事を知らせる手紙を出しておいてくれ」
「畏まりました」
オルロットにそう伝え、私は邸宅の端にある妻の部屋へと向かった。そこは日当たりもよく、最も静かで落ち着いた場所。
天蓋と透けた黒いカーテンに囲まれるベッドの上で、妻はか細く呼吸する。
「ネラ……屋敷も随分と大騒ぎだったから君も気づいたかもしれないが、今日、無事にメイシアが帰って来たよ。怪我は無く、酷い事をされた訳でもないようだ」
細く真っ白な手をそっと握り、眠る妻に語りかける。だがいつも通り、妻からの反応は無い。
「そうだ聞いてくれ。ついに、メイシアに友達が出来たんだ! メイシアがあんなに無邪気に笑う姿は初めて見たさ。しかもなんと、相手はアミレス・ヘル・フォーロイト王女殿下なんだ。本当に驚きだろう? メイシアを連れ帰って下さったのも王女殿下なんだ──……」
もう十年近く、一度たりとも目を覚ましてくれなかった。
妻は延焼の魔眼と呼ばれる特殊な瞳を持つ優しく強かな女性だった。
彼女は平民だったのだが、たまたま彼女の住む町へと商売に出ていた時に出会い、私は一目で恋に落ちてしまったのだ。
その後も足繁く彼女の元に通い続け、一年程が経った時。彼女は観念したように私の告白を受け入れてくれた。──それが今より十五年前。私が十九歳で妻が十七歳の時だった。
それから数年。私達は無事に夫婦となり、彼女は子を宿した。
男の子ならニーズエイド、女の子ならメイシア。そうやって生まれてくる子供に何度も思いを馳せる。
私はとても幸せだったし、これからも幸せなのだと思っていた。
愛する妻と可愛い子供と共に幸せな家庭を築けるなんて、私はなんと幸福で恵まれているのか……そう、目まぐるしく過ぎる日々を噛み締めていた。
──だがしかし、その幸せは無慈悲にも欠ける事となった。
出産が近づくにつれ、彼女は高熱を出す事が多くなったのだ。出産当日も高熱で、無理はしなくていいと何度も伝えたのだが、彼女は高熱に汗を浮かべてながらも微笑んで言った。
『あなたとの子供だもの、無理をしてでも産んでみせるわ。──ねぇ、あなた。生まれた子供は、めいいっぱい可愛がってあげようね』
そして、出産が始まった。私に出来る事など何も無く、私はただ苦しむ彼女の手を取り『頑張れ』と声をかける事しか出来なかった。
手を握っていて分かったのだが、彼女の体は人体とは思えない程に熱い。だから、金にものを言わせて召還した国教会の大司教様に、並行して治癒や処置を頼んだ。
それでも追いつかない程、彼女の体は燃えるように熱くなっていく。
そして子供が生まれた時、ついに事件が起きたのだ。
『──っぎゃああああっ!』
『〜〜っ!? ぁっ、あああああああ! 熱い、あついぃいいいっ』
赤ん坊の産声に合わせて、彼女の体が内側より燃えたのだ。突如発生した異常事態にその場は騒然とする。
必死に彼女を救おうと火を消そうとするが、原因も分からなければどうすればいいかも分からなかった。
『ネラッ! ネラぁあああああああッ!!』
愛する妻が謎の炎に巻かれ苦しんでいると言うのに、私はただ叫ぶ事しか出来なかった。
大司教も必死に火を消そうとするが、それもほとんど効果を見せない。
思いつく限りの方法を試したが効果は無い。私の耳には、妻の苦悶の叫びと子供の産声だけが届く。
追い討ちをかけるように更なる悲劇が起こる。
彼女に続き子供までもが火に巻かれた。その炎は生まれたばかりの赤ん坊の右腕を包み込み、赤ん坊の柔い右腕をあっさりと焼失させたのだ。
そこで赤ん坊に牙を剥いた火は一旦消えたが、妻はまだ苦しんでいる。
もう、どうしようも無い。水をかけても何をしても妻を襲う炎は消えない。──救う方法が、分からない。
『──ッ伯爵! 貴方の子供は、奥様と同じ延焼の魔眼を持っています!! この発火はお子様の魔眼が原因と思われます!!』
大司教様がバッとこちらを振り向き叫ぶ。
赤ん坊の瞳を慌てて確認すると、確かに妻と同じ赤くて不思議な瞳をしていた。
『すぐに魔眼封じの術式を構成します!』
大司教の手により魔眼封じの魔法が発動し、ようやく火の手は完全に収まった。
──だがしかし。無事では済まなかった。
今日から平和で幸せな日々が始まる筈だったのに、どうして、こんな事に。
大司教の懸命な治癒の甲斐もあって、妻も子供も一命はとりとめた。
だが……妻は大司教の治癒魔法を以ってしても治しきれない程内臓を損傷したようで、この日を境に寝たきりになった。
それは、十数年経った今も続いている。
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