第34話家に帰りましょう。2

 私の銀髪と寒色の瞳を見て、誰しもが顔を青くした。

 この二つの色は、この国においては皇族にしか許されないもの。冗談でも真似ようなどとは思わない、氷の血筋フォーロイトだけの色。

 誰が見ても私の正体が分かる状態でダメ押しとばかりに名乗ったのだ。

 氷の血筋フォーロイトを目の当たりにした帝国民が肝を冷やすのも無理はない。


「──ッ申し訳ございませんでした! 王女殿下に気付かず、あまつさえお手を煩わせてしまい……!!」


 誰よりも早く跪き、伯爵が頭を垂れる。彼に続いて、使用人の方々も怯えた様相で平伏した。


「頭を上げてください。確かに私はこの国の王女ですけれど……この件は王女として行った事ではなく、少年少女を救いたいと思い素性を隠して独断で行った事。伯爵が謝罪する事ではありませんし、勿論伯爵家の方々も同様です」


 伯爵や使用人の方々に頭を上げるよう促し、更に続ける。


「ですので、貴方達に頭を下げられても困る一方です。何せアミレス・ヘル・フォーロイトとしては──……褒められるような事も謝られるような事も何一つしておりませんので。スミレと名乗る子供が、友達を家まで送った。ただそれだけです」


 威圧感を与えないよう細心の注意をはらいつつ柔らかい声音で伝えると、伯爵はおずおずと顔を上げ、涙の跡が残る瞳を熱く細めた。


「そう、ですか……本当に、本当にありがとうございます、王女殿下……っ!」


 彼は何度もお礼を言い、深々と頭を下げた。カーペットが濡れている事から、彼がまた泣いているのだと窺える。

 そんなにメイシアが見つかったのが嬉しいのね。

 微笑ましくその様子を眺めていると、メイシアがちょこちょこと近づいてきて、


「……スミレ、ちゃん」


 複雑に感情が入り混ざる顔で私の偽名を呼んだ。


「なぁに?」


 彼女の義手みぎてに触れ、返事する。


「これからも、わたしは友達でいてもいいの……ですか?」

「当たり前じゃない。私達は友達よ? 今更嫌だって言っても辞めてあげないんだから」

「い、嫌になんてならないっ! わた、わたし……本当に、あなたと友達になれて──すごく、嬉しかったから……」


 私も嬉しいよ。貴女と友達になれて。

 こんな私を友達にしてくれてありがとう。好きだって言ってくれてありがとう。


「ねぇ、メイシア。私は貴女がどんな人であっても好きだけど……貴女は、私が王女でも好きでいてくれる?」


 なんていじわるな質問なのだろう。皇族にこんな事聞かれて、貴族令嬢のメイシアには“はい”以外の選択肢は無いのに。

 どんな私でも好きだと言ってもらいたくて、私はこんな性格の悪い行動に出ていた。


「うん。わたしは、スミレちゃんも王女殿下も大好きだよ」


 メイシアは期待以上の言葉をくれた。

 大好きだなんて……はじめて言われたかも。


「──友達なのに、名前で呼んでくれないんだ」

「えっ……でも、あの……」


 照れ隠しだった。メイシアの大きな目をじっと見つめて、頬を膨らませてみる。

 するもメイシアは困ったように瞳を右へ左へと送り、やがてぐるぐる目が回ったのか、「あぅ」と言いながらふらりと体を揺らした。

 困らせすぎた!! と猛省してメイシアの体を支えていると、落ち着きを取り戻したらしいメイシアがぽつりと零した。


「……──アミレス様、って呼んでも……いいですか?」

「〜〜っ勿論! ふふっ、名前で呼んでもらえるのって嬉しいね」


 メイシアの可愛い声が私の名前を呼ぶ。それが、たまらなく嬉しいのだ。

 普段は滅多に名前を呼ばれないので、こうして友達に名前で呼ばれるというのが嬉しくて仕方ない。

 シルフが前に、自分だけの名前で呼ばれると心臓が弾けそうなぐらい嬉しいと言っていたけれど……確かにその通りのようだ。


 まさに夢心地であった。

 こんな嬉しい事があっていいのかと不安になりながらもメイシアと談笑する。

 その流れでシャンパージュ伯爵とも話し合い、結局私達は謝礼を辞退した。そのお金は街の子供達の為に使ってあげてほしいと伝えると、何かを察したのか、シャンパージュ伯爵は首を縦に振ってくれた。


「……──別れが惜しいけれど、流石に城に戻らないと。伯爵、私はそろそろお暇しますね。お疲れのようですし、親子水入らずでゆっくりと休んでください」


 メイシアから離れ、私は伯爵に向けてお辞儀する。

 午前零時はとっくに過ぎた。灰被りの王女はこの眩しくて暖かい舞台から姿を消さなければならない。


「お待ち下さい、王城まで馬車でお送り致します!」

「お気遣いありがとうございます、ですが必要ありません」


 伯爵が馬車の手配をすると提案してくれたが、すかさずそれを制止して、困惑するシャンパージュ伯爵に事情を話す。


「馬車で戻ったりすれば、私がこっそり抜け出した事が知られてしまいます。なので誰にも見つからないよう戻る必要がありまして。ご理解いただければ幸いです」

「そうだったのですか。差し出がましい真似を……」

「いいえ、そのような事は! 伯爵の優しさは十分我が身に染み渡っております」


 私はちゃんと皇族らしく笑えているだろうか。今まで表舞台に出る事が無かったから、皇族らしい振る舞いにはいまいち自信が無い。

 やがて私は、メイシアが持っていた帳簿を受け取り伯爵邸を後にした。

 その際、門の外まで見送りに来てくれたメイシアを抱き締めて、私は笑顔で別れを告げる。


「──また会いましょう、メイシア!」

「……はい!」


 メイシアは一生懸命手を振って見送ってくれた。私も、しばらくは後ろ歩きをしながらメイシアに向けて大きく手を振る。

 しかし途中で「危ないですよ」とリードさんに言われ、ちゃんと前を見て歩く事にした。


「……敬語は嫌なんですけど」


 誰に言うでもなく、私は夜空に向けて呟いた。

 するとこれまた誰に言うでもない呟きが聞こえてくる。


「しがない旅人のわたくしが、王女殿下相手に馴れ馴れしく接するなど不可能ですよ」


 これだから素性を明かしたくなかったのよ。せっかく仲良くなれたのに、こうして信頼関係が崩れてしまうのね。


「身分とか別に関係なくなーい?」


 気まずさからか、しんっ……と水を打ったように静かになっていた空気に、突然明るく無邪気な言葉が落とされる。

 その言葉に引かれるように私達はシュヴァルツの方を見た。


「そんな前時代的な考えに囚われてるとかマジでウケる〜〜。仲良くしたいなら好きなだけ仲良くすればいいじゃん」


 シュヴァルツは、にこやかな笑みでやけに達観した物言いをした。そのアンバランスさたるや、つい呆然としてしまう程。

 ふとリードさんの方を見てみると、かなり困惑した様子で彼もこちらを見ていた。少しの間お互いにじっと目を合わせていると、なんだかおかしくなっちゃって。


「──ぷっ、あははは!」

「ふふっ、はははっ! そうだね、シュヴァルツ君の言う通りだ。ここは公の場ではないんだし、好きにしても構わないか。ねぇ、王女殿下?」

「はい! 私は全然オッケーなので! これからも砕けた感じでお願いします!!」


 二人揃って吹き出してしまい、その流れであっさりとフランクな関係に戻る。

 突然笑い出した私達に、シュヴァルツが「何がそんなに面白ぇの……?」と眉を顰めているが、正直私も何が面白くてこんなに笑っているのか分からない。

 でも、なんだかとても笑いたい気分だった。リードさんも一緒に笑ってくれるから、何も考えずに楽しく笑っていた。


 そんな風に三人で笑い合いながら歩いていると、またぞろあっという間に目的地に着いてしまった。

 リードさんともここでお別れだから、せっかくだし最後に一つお伺いしておこうかな。


「リードさん、もし良ければ泊まっている宿を教えていただけませんか?」

「……どうして?」

「ここで縁が切れるのは何だか嫌なので」

「──はぁ。そんな風に言われて断れる訳ないでしょうが……」


 額に手を当て項垂れて、リードさんは深くため息をついた。


「あの噴水広場から少し行った所にある水の宿っていう宿屋だよ」

「なるほど。またいつかお訪ねするかもです!」

「本当に来る気なんだね……」

 

 どうしてそんな呆れた顔をするの?

 リードさんは私とまた会えても嬉しくないのかな……とメンヘラみたいな事をふと考えてしまう。


「それじゃあ僕はそろそろ帰るよ。おやすみ、二人共。いい夢を」


 リードさんは相変わらず太陽のように温かく微笑み、私達に街へ向けて歩き出した。


「それじゃあ私達も行こっか」

「いぇ〜〜い! おねぇちゃんの家だ〜〜!」


 夜中なのに元気だなぁ。私はもうくたくただよ。

 はしゃぐシュヴァルツと共に、王城を抜け出す際に使ったルートで今度は侵入を果たす。

 無事に東宮に帰宅する事が出来たので、まずシュヴァルツを私室から扉続きの隣の仮眠部屋へ、「今晩は一旦ここで寝てね」と告げて通した。

 そして私も反対側に扉続きの寝室へ向かい、寝巻きに着替える。

 急激に襲って来た眠気に瞼を擦りながら帳簿と剣を机の上に置いて、そして入眠する。


 ようやく──長いようでとても短い一日が終わったのだ。

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