第32話奴隷解放戦線5

 正直、そんな気はしてました。

 見ず知らずの子供達に慈善で治癒魔法を乱発するようなお人好しの聖職者が、そう何人もいる訳がないよね。


「──スミレちゃん、何でいるの?」

「……リードさんこそ」


 怪我を治してもらおうと件の聖職者の元を訪ねると、そこには見知った顔があった。

 あちらもあちらで私の存在に驚いているようだった。二人して、予想外な人物の登場に固まる。時間が止まったかのように、私達は暫し言葉を失っていた。


 この硬直状態を打ち破ったのはリードさんだった。

 ハッとしたリードさんが「怪我したんだろう、見せて」と言いながら膝をつく。

 噴水のへりに座り、少しだけスカートをたくし上げて足を出す。するとリードさんはぎょっとして視線を逸らし、バツが悪そうな顔を作った。


「怪我って足なのかい……?」


 貴族社会では一般的に素足を晒すのははしたないと言われている。そりゃあ、清廉潔白の象徴たる聖職者だったリードさんからすれば、相当な気まずさを感じる事だろう。


「あぁ……お見苦しいものをお見せして申し訳ございません」


 ぺこりと頭を下げる。

 すると、リードさんは慌てたようにそれを否定してきた。


「ちがっ──、そういう事じゃないんだ! 今のは僕の言い方が悪かったな……ほら、君は貴族令嬢だろう? あまり足を見てしまっては、君が恥ずかしい思いをすると思ったんだ……」


 こんな何処の馬の骨とも知れぬ子供相手にそこまで気を配ってくれるなんて……本当にいい人過ぎないかしら、この人。


「と、とりあえず。今から治癒するね」


 気を取り直したリードさんは、早速治癒の方に取り掛かってくれた。私が乱雑に巻いたスカートの切れ端を丁寧に取り、傷口を見て彼は目を見開く。


「……これ、何があったんだ」


 傷口から目を離す事無く、リードさんの低い声がそう問うてくる。

 私はまた一連の流れを掻い摘んで説明した。

 話が進めば進む程リードさんは表情を曇らせていく。話が終わった傍から、彼は下唇を噛み無言で傷口に手を翳し治癒魔法を発動した。

 暖かな眩い金色の光が傷口を照らす。傷口から出てきたかのように眩い金色の粒子が舞い、瞬く間に傷口が塞がれていったのだ。


「はい、終わったよ。他には何かない?」


 気がつけば治癒は滞りなく終わり、私の足からは傷口も痛みも完全に消え去っていた。

 しかし治癒の終わりを告げたリードさんは、他の傷の有無を尋ねてくる。ここまで来たのだからとことん治してやろう、みたいな感じなのかしら。

 私は、大男相手に力勝負で負けて手足の骨が折れかけた事も話した。

 するとリードさんは頬を引き攣らせながら、私の体全体に治癒魔法をかけてくれた。


「──もうこんな無茶はしないように。いいね?」

「は、はい」


 黒い笑顔で釘を刺されてしまい、私は赤べこのように何度も頷く。

 リードさんはその答えに満足したようで、優しい笑みに戻ってゆっくりと立ち上がり、ディオさんに用事があると言ってこの場を離れた。

 

 怪我も治り万全の状態となった私は、そのままぼーっと夜空を見上げた。月が綺麗だな、なんてありきたりな事を考える。

 すると、ずっとハラハラした様子で私を見ていたメイシアが、頬を赤くしながらちょこんと私の右隣に座った。


「スミレちゃん、もう怪我は治ったんだよね?」

「うん。リードさんのおかげでこの通り怪我は完治しました」

「……よかった。スミレちゃんの怪我は、ちゃんと治るもので」


 そう呟いたメイシアの顔に、どことなく影が射す。

 メイシアの左手は義手みぎてに重ねられ、赤い瞳は伏せられていた。


 メイシアの右手は生まれたばかりの頃に失われた。失われたものを創り出すのは治癒魔法でも高難易度で、彼女が持つ膨大な魔力の関係もあり、メイシアの右手は二度と戻らないのだ。

 ……ゲームでこの情報を見ただけの私に、実際にその状況で生きて来たメイシアの気持ちを理解出来る筈がない。

 それに私は氷の血筋フォーロイトであり、悪役王女だ。ヒロインのような気の利いた言葉なんて言える訳がない。

 ──だからこそ、私が思うありったけの言葉を伝えよう。


「ねぇ、メイシア。メイシアは自分の事、好き?」

「……自分の事?」


 突然の私の質問に、メイシアは猫のように目を丸くした。私はメイシアの左手を取りそれに両手を重ねて言う。


「私はね、メイシアの事が好きだよ。凄く可愛くて、優しくて……こんな私の事を心配してくれた数少ない──ううん、私の初めての女の子の友達。だから貴女の事が大好きなの」


 私の家族は心配なんて言葉を知らない人達だ。疎まれ、無視され、無いものとして扱われてきた。

 私の存在を認めてくれていたのは、ハイラさんとシルフとマクベスタとエンヴィーさんとケイリオルさんの僅かな人達だけ。

 だけど、それはきっと私が曲がりなりにも皇族だからであって。何の地位もない私を認めてくれる人なんて誰もいないと思ってたんだ。


 だから今日だけで何度も驚いた。

 リードさんや、メイシアや、ディオさん……皆が私の事を当たり前のように心配してくれたのが、凄く嬉しかった。

 私もちゃんとここに存在しているんだって──認められているんだって、そう感じられたから。


「会ったばかりの私に言われても、信用ならないと思うけど──……私は、どんな貴女でも好きよ。たとえ貴女にどんな姿や一面があっても、私はメイシアの全てを好きになるわ。だって、もうとっくにメイシアの事が大好きなんだもの」


 メイシアからすれば私は、数時間前に会ったばかりの見ず知らずの女だ。

 だけど私からすればメイシアは、ずっと前から知っていた心優しき少女で──信じて貰えないだろうけど、長く重ねてきた貴女への想いが確かにある。

 それを込めた私の言葉に、メイシアは瞳を潤わせた。小さく口を開けたまま、ポロポロと涙を落とす。


「メイシア?! どうして泣いてるの、そんなに私からの好意が嫌だった……?!」


 この会話の流れだとこれしかない。

 慌ててメイシアから手を離し、私は頭を下げる体勢に入った。


「ちがうの……うれしくて、とってもうれしくてっ……なみだが、とまらないの…………っ」


 メイシアは涙に濡れる目元を左手で何度もごしごしと擦った。

 それを見て慌てふためきながらも確かハンカチーフがポケットの中にあったと思い出し、慌てて取り出す。

 

「とりあえずこれを使って? 返さなくてもいいから」


 微笑みながらメイシアの目元にハンカチーフを近づける。メイシアは「あり、がとう」と言ってハンカチーフを受け取ってくれた。

 そしてしばらくメイシアが涙を拭いているのを眺めていると、彼女はそのハンカチーフを握り締め、


「──あのね、スミレちゃん。わたしも……わたしもね、スミレちゃんの事が好き」


 花が咲いたような笑顔で、頬を瞳と同じくらい赤く艶やかに染め上げた。

 胸がはち切れんばかりに高鳴り、どうしようもなく彼女を抱き締めたいと思い──心のままに抱き締めてしまった。


「すっ、スミレちゃん……っ」


 メイシアの小さくて細い体をしっかりと抱き締めていると、彼女の困ったような声が耳元に落とされる。


 ああ──……本当に、作戦を決行して良かった。

 確かにドジも踏んじゃったけど、こうやって可愛い友達も出来て、目的もちゃんと果たせて……十分過ぎるくらい大成功だわ。


「……──二人の空間に割って入るようでかなり申し訳ないんだけど、二人共家まで送っていくから、そろそろ帰ろうか?」


 ぎゅーっと抱き締め合う私達の前に、気まずそうな面持ちのリードさんが現れる。

 うーむ、家か。身分がバレてしまうが……どうしたものか。

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