第30話奴隷解放戦線3

 目の前の大男を飲み込むように、部屋の一部が燃え盛る。大男は猛火に飲まれながら雄叫びのような呻き声を上げていた。

 その場にいた誰しもが呆然とそれを見上げていた時、私の名を呼ぶ声がした。


「──スミレちゃんっ!」


 部屋の入口を見ると、そこには肩で息をするメイシアがいた。

 メイシアはこちらに駆け寄って来て、倒れ込む私を抱き起こした。その顔は……心配に染まりきっていて。


「なん、で、貴女がここに? 皆と逃げてる筈じゃ……」


 理解が追いつかず私は疑問をそのまま口にした。するとメイシアは強く私を抱き締め、


「……あなたが心配だったの。わたしも何か、力になりたくて」


 耳元で鈴の鳴るような声を僅かに震えさせた。

 ああ、そうか。大男が突然炎に飲まれたのは──……メイシアの力なんだ。

 メイシアが私の為に危険を冒してここまで来て、私の為に人を傷つける道を選んでしまった。

 誰よりも人を傷つける事に怯えていた優しすぎる少女に、私はその力を使わせてしまったのだ。


「……ごめ、んね……っ、わた……しの、せいで……っ」


 気がつけば、私の視界はゆらゆらとぼやけていた。声は震え、頬を冷たいものが伝う。ぼやけた視界の中メイシアの驚く表情だけが鮮明に見えた。

 私を支えてくれている彼女の義手みぎてにそっと触れ、更に嗚咽をもらす。


「わたしの……せいで、ぅぐっ……あなた、に……人を傷つけ……させっ、て……ごめん、ね……っ!」


 悔しかった。こんなにも幼い頃から彼女に辛い事をさせてしまった事が、本当に悔しかった。

 人を傷つけ、殺める事を何とも思わない氷の血筋フォーロイトならまだしも、何かを傷つける事に苦しみ悲しむ少女に……あんな事を……!!


「──どうして、あなたが、泣くの?」


 メイシアの赤い瞳が、私をじっと見つめる。

 私は、嗚咽を抑えながらなんとか答えた。


「あなたみたいな……普通の女の子に、こんな事、させたくなかった……っ! 人を傷つけた後悔や、苦しみを、味わってほしく……なかったの」


 汚れ役は、私が全て背負いたかった。

 貴女達の心が少しでも晴れやかなものでありますようにと、その膿を引き受けたかった。

 それなのに私は、こんなところで失敗した。あんなにも大丈夫だと大口を叩いたのに、結果はこのザマだ。


「──っ!」


 メイシアは急に黙り込んだかと思えば、その瞳から綺麗な涙を溢れさせた。それに驚き、逆に私の涙は引っ込んだ。

 何が理由で泣き出してしまったのかも分からないから、どうする事も出来ない。どうしたらいいの、さっきのメイシアもこんな気分だったのごめんね?!


「……な、泣かないでメイシア! 先に泣いてしまった私が言うのも変な話だけれど……私、貴女の笑った顔が見たいわ。泣いてる姿も可愛いけど──きっと、笑った顔の方がもっと可愛いから」


 メイシアを抱き締めてそう伝えるも、メイシアはまだ小刻みに体を震わせている。

 後方に聞こえる呻き声も、炎の弾ける音も、木々が焼け朽ちる臭いも無視して、私はメイシアを抱き締めていた。


 こんな時に言う事では無いと言うのは分かっている。だが、私はそれでもこの気持ちを伝えたかった。

 ──こんな時に何言ってるの、なんて笑い飛ばしてくれたらいいなとも思って。


「……この顔が、怖くないの?」

「ん? すっごく綺麗で可愛い顔だと思うよ?」


 メイシアが不思議な事を聞いてきたので、私好みの可愛い顔だという事を伝えた。

 するとメイシアは、


「…………よかったぁ」


 真綿のようなふわふわした声で呟き、目尻に涙を浮かべはにかんだ。

 その笑顔に私は思わず「んぐっ」と謎の声を発してしまった。

 メイシアの笑顔──はじめて見たけどすっごく可愛い!!


「……──ちょっと待っててね、メイシア。悪い大人達を片付けてくるから」


 足に刺さった剣を引き抜き、止血の為にスカートの裾を引きちぎり足にぐるぐると巻き付ける。

 メイシアの心配を一身に浴びて、止血が終えたそばからよろめきながら立ち上がる。

 そして、前方に手をかざして魔法を使った。燃え盛る人間と地面に水をかけ続け、完全に消火されるまで待つ。


 消火が終わったので焼かれた大男の喉元に少し触れると、僅かにだが脈動していた。

 皮膚は至る所が焼け爛れ悲惨なものとなっているが、どうやらこの男……あの炎の中を生き延びたらしい。どんな生命力よ。


 だがまあ、メイシアが人を殺さずに済んだので良しとしよう。メイシアの方を見て、私は「生きてるよ」と告げると、メイシアは安心したように眉尻を下げた。


 私によって倒されたり、メイシアの火で戦意を失った者もいて、男達はもうボロボロ。

 孤軍奮闘、一人取り残されたボスを見下ろし剣を構えて尋問する。


「さてそれじゃあ仕切り直して──全部吐いてもらうわよ!」


 我が身が可愛いボスは正直に全てを話した。隠し金庫の所在と暗証番号、デイリー・ケビソン子爵との契約に関する事。

 奴は洗いざらい悪事を全て話した。そして、醜い笑顔で「命だけはどうか!」と縋ってきたのだ。


 まあ……無事に帳簿や契約書を押収出来たから考えてやらんでもない。

 当初の目的通り、私はこの組織の帳簿を手に入れる事が出来た。内容を確認すると、そこには人身売買に関わった者達の名と買った子供の金額が記されており、ちゃっかりデイリー・ケビソン子爵の名前も書かれていた。

 こんな都合のいい証拠が手に入るなんて思いもしなかった。その点に関しては、迂闊な男達に感謝せざるを得ない。

 もう用済みだからとボスを気絶させようとしたその時。別の帳簿をペラペラと捲りながら、メイシアがぽつりと零した。


「この帳簿、おかしいよ」

「おかしいって?」


 くるりと振り向いて私がそう聞き返すと、メイシアはこちらに来て帳簿を指さしながら話す。


「ここ……オセロマイト産の果実の値段が両国間の取引の規定価格よりずっと安く記されてるの。これ、きっと違法取引」

「え、そうなの……?」


 流石は帝国一のシャンパー商会現会長の一人娘。商売ごととなると強いわね。

 感心しながらメイシアの説明を聞く私とは打って変わって、ボスの顔色は真っ青。

 こりゃ黒だわ。


「メイシア、他に何かおかしい所はない?」

「っおいやめろ!!」

「他には……」


 メイシアに更なる粗探しを頼むと、ボスはまた喚く。しかしそれも、「黙れ。さもなくば殺す」と首に剣先を突き立てたらピタリと止まった。


「この染料は毒性が検出されてるから帝国内では全面禁止されてる。この麻薬成分がある薬草も禁止されたもの。他にもたくさん違法のものがあるから……たぶん、全部密輸されたものだと思う」


 つらつらとメイシアが語るそれは、商売に明るくない私には難しくてよく分からなかったのだけれど──……このクソ野郎が悪事のロイヤルストレートフラッシュを決めていた事だけは分かった。


「っテメェみたいなガキに何が分かる!? ろくに字も数字も読めねぇガキが知ったように口利くんじゃねぇ!!」


 そしてそのクソ野郎が汚い唾を飛ばしながらメイシアを愚弄した。それにむかついて、ついついその男の頭を鞘で思い切り殴ってしまった。てへ。

 メイシアの事何も知らないくせに知ったような口を利くんじゃねぇと反論しようとしたその時、なんとメイシア自身がそれに反論した。


「──わたしはメイシア・シャンパージュ。シャンパー商会の次期会長です。小さい頃からたくさんの帳簿や資料に図録……商売に関わるあらゆる物に目を通してきました。だから、あなたよりはずっと詳しい!」

「……シャンパージュ? シャンパー、商会って……」


 メイシアの名前を聞いたクソ野郎は、とんでもない相手に喧嘩を売ったと悟ったのかその場に膝から崩れ落ち、勝手に気絶した。

 目的も達成した事だし、そろそろディオさん達と合流しないと。

 私は剣を片手に、メイシアは帳簿を片手に持ち、二人でクソ野郎の襟元を掴んで引き摺る。


「……──ありがとう、メイシア」

「急にどうしたの?」


 長い廊下をゆっくり歩きながらメイシアに感謝の言葉を伝えると、彼女はこてんと首を傾げた。


「助けに来てくれてありがとうって、さっき言い損ねたから」

「っ! い、いいの、これぐらい……」


 メイシアは赤い瞳を宝石のように丸く煌めかせ、耳まで真っ赤にして俯いた。


「……スミレちゃんが無事で、本当によかった」


 紅潮した顔でふにゃりと微笑み、呟く。

 メイシアの言葉に心を打たれ、釣られてへらへらと締まりのない顔で笑ってしまう。だけど今はただのスミレだし、こんな風に笑ってもいいよね。

 ディオさん達が待ってくれているであろう噴水広場を目指して、私達はまるで友達のように──……笑顔で話しながら歩いていた。

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