第13話私は運命を知りました。
その後、私達はそれぞれ仕事を割り振られ早速取り掛かる事になった。
その時王女殿下の私室にお邪魔させていただいたのですが、そこで私は自分の目を疑った。
明らかに物が少ないのです。この国唯一の王女殿下であらせられるにも関わらず、王女殿下の部屋には物が少なすぎる。
皇宮──王子殿下や王女殿下へは、各皇宮の維持費を含めた必要諸経費として、氷金貨約五百枚分程の膨大な予算が毎年与えられている筈。
それなのに、その予算とは明らかに不釣り合いな物の少なさでした。
ただ王女殿下があまり物欲の無い方なだけかもしれませんが……どうしても、何かが頭に引っ掛かる。
だからか、勤務初日の業務時間内であるにも関わらず不躾にも王女殿下に問うてしまいました。
──欲しい物があればどうなさるのですか、と。
「じじょちょうにいって、ひょうきんかにじゅうまいぶんまでなら、よういしてもらえます」
王女殿下は、それがさも当然かのように仰った。
この時私は確信した。この皇宮の侍女までもが、揃いも揃って救いようの無い屑ばかりなのだと。
まさか幼い王女殿下に与えられた予算を大幅に横領しているとは……この様子だと余罪はいくらでも見つけられそうですし、どうせ何処かに改竄した帳簿がある事でしょう。
絶対にいつか見つけ出してあの屑共を掃き溜めに棄ててやりますわ。
こんなにも純粋で高潔な王女殿下を騙すなんて、恥知らずにも程がある。
「お教え下さり誠にありがとうございます、王女殿下」
私がそうやってお礼を告げると、王女殿下はきょとんとしていた。そして私の顔を見上げて、
「はじめてです。そんなふうにおはなししてもらえたのは」
四歳の少女らしく無邪気に笑った。
……は? なんですか、あの屑共は礼儀作法すらままならない愚者なのですか?
───っ、決めました。
王女殿下を舐め腐った屑共を、全員東宮から追い出します。
そして我が力を以て社会的に抹殺します。
王女殿下の侍女として、私は屑共をきちんと処理致します。
そう、これからどうやって社会のゴミを廃棄するか考えを巡らせていた時。王女殿下が顔を少し赤くしながら侍女服の裾を引っ張って。
「あなたのおなまえは、なんですか?」
「私の名前……ですか?」
そう、失礼にも聞き返すと王女殿下は赤い頬でこくりと頷いた。
……昨日の今日で急展開過ぎて、まだ偽名を考えられてないんですが、どうしましょうか。
「私には、王女殿下にお伝え出来る名前が無いのです。申し訳ございません」
膝をつき深く頭を下げてお詫び申し上げる。すると王女殿下はとても悲しそうな表情をお作りになられてしまった。
……こんな事なら、適当な名前を名乗るべきでしたね。と頭の中で猛省。
すると王女殿下が私の両手を握って、
「それじゃあっ、わたしが、おなまえをつけてもいいですか……?」
大きくて丸い、綺麗な寒色の瞳を揺らして言いました。
「勿論でございます。王女殿下より我が名を賜る事が出来るなど、我が一生の誉にて」
王女殿下より名を賜る者など、後にも先にも私だけなのではないでしょうか。そう考えると……ちょっぴり嬉しいですね、特別な感じがして。
そして王女殿下は熟考なされた後、ついに私へと新たな名を下賜してくださった。
「……──ハイラ、というのはどうですか?」
息が、止まるかと思った。
どうしてその名が、その言葉が、ここで出てくるのかと……驚きのあまり言葉を失った。
それは、あの絵本の主人公の名前。大好きなあの絵本の──私の夢、そのもの。
戸惑いに溺れる私を置いて、王女殿下は続けた。
「あなたは、とってもやさしい人だから。あのえほんのしゅじんこうみたいに、こころやさしいひとだとおもったんです」
「──っ!」
かつての記憶が、いつかの思い出が蘇る。
夜寝付けなくて、お母さんに読み聞かせてもらった絵本。私は……その主人公に憧れていた。
優しくて、強くて、大切な人を守れるだけの力があって。大好きなお母さんを守れない私からすれば、とても羨ましい存在だった。
でもお母さんは絵本を読む度に『貴女は最初からハイラのように優しい素敵な女の子よ』と私に言っていました。
それでもハイラになりたいと駄々をこねる私に、お母さんはいつも『きっとなれるわ。貴女はとっても心優しい子だから』と言って頭を撫でてくれた。
ハイラのような優しくて強い人になりたい。そんな夢は、もう私の中には無い。
何故なら、もう。私が一番守りたかった人はこの世にいないのですから。
急に目頭に熱がこもり、私は母への感情を溢れさせてしまった。王女殿下の目の前で、無様にも泣いてしまったのです。
とめどなく涙を溢れさせる私を、王女殿下はとても心配して下さった。
今日会ったばかりなのに、どうしてこの御方は私の事をあのように評価して下さるのか。今日会ったばかりなのに、どうしてこの御方は私の心の壁をいとも容易く壊してしまったのか。
必死に涙を拭いながら、私は「すみません、取り乱して」と呟いた。
そして新品の侍女の服の袖を涙に濡らし、王女殿下に向けて質問を繰り返す。
「本当によろしいのですか? 私が、その名を賜っても」
王女殿下のお言葉に意を唱えるなど許される事ではありません。だけど、どうしても確認しておきたかった。
私に、その名を名乗る資格があるのかを。
「あなたはきっと……とってもやさしくて、つよくて、たくさんのひとをまもれるすごい人になるでしょうから! それなら、ハイラというおなまえがぴったりです!」
王女殿下は私が泣き止んだのを確認してほっと胸を撫で下ろし、新雪のように柔らかく儚い笑顔を浮かべた。
王女殿下。私は、今一度あの夢を見ても良いのでしょうか。大事な人を守りたいと願っても、良いのでしょうか。
もし、それが叶うのなら……私は貴女を守りたい。
新たな私と、一度は捨てた夢を今一度与えて下さった貴女を──私は、その名にかけてお守りしたいです。
誰よりも純粋で、誰よりも高潔で、誰よりも優しい王女殿下。
「ありがたく、頂戴致します。本日より私めは──ハイラ、と名乗らせていただきます。これから王女殿下の侍女としてお仕え致します故、敬語もお使いにならなくて結構でございますよ」
正しく膝を折り、頭を垂れる。
どうすれば王女殿下の傍で王女殿下をお守りする事が出来るのでしょうか。
皇宮という果てなき地獄において、少しでも王女殿下に快適に過ごしていただくには、どうすればよいのでしょうか。
考えても考えても答えは出てきません。でも、それはこれから考えて行けばいいだけの話だ。
「──ハイラ、きょうからよろしくね」
満開の花のように笑って、王女殿下は私に手を差し伸べてくれた。
とくん、とくん、と心臓が強く脈打つ。それはまるで……死んだと思っていた私の夢が、命を吹き返したかのようで。
窓から射し込む光が、王女殿下を照らす。光を背負いながら微笑むそのお姿は……まるで、神話に聞く神の使いのようでした。
私は躊躇いがちにその手を取った。不遜にも、王女殿下の御手に触れてしまった。
あまりにもか細くて、少し力を入れたらすぐにでも壊れてしまいそうなその手指を見て……私は更にこの方を守らねばと意志を固くした。
一度は諦めて捨ててしまった夢。
これが最後だから──……夢を見させて欲しい。叶えさせて欲しい。
これから私はハイラとして生きる。あの家の庶子では無く、王女殿下の侍女のハイラとして。
だから最後にもう一度。
夢を追う事をお許し下さい、神よ。
♢♢♢♢
……──これが、今より二年程前の話です。私と姫様が運命的な出会いを果たしやはり運命だったのだと証明された日ですね。
その後、私が正式に姫様の専属侍女となったのは実は半年前の話なのです。
それまでの一年と半年の間、私は姫様の周りに散らばるゴミ屑を一つ一つ丁寧に廃棄していっておりました。
この時の為にあったのだと思う程私の知恵はよく働き、次々に屑を陥れる事が出来て楽しかったです。
あの手この手ありとあらゆる手段を駆使し、時に実家の権威を使ってまでして私は彼女達を社会的に抹殺しました。
たかだか十六の私には彼女達の未来を完膚なきまでに潰す事が限界だったのです。
なので私は、ケイリオル卿を利用しました。
姫様に割り当てられていた予算の横領について大人しく語ると、ケイリオル卿もそれにはかなり怒っていらしたようで。
そのお陰もありまして、私が独断で皇宮二班の侍女を次々追い出した事についてはお咎め無しでした。ついでにケイリオル卿の方でも各家門への死体蹴りを行って下さったので、私の復讐は見事大成功と相成りました。
王女殿下を、『姫様』とお呼びするようになった経緯は秘密です。
私と、姫様の二人だけの秘密。乙女の秘密を暴くのは良くない事でしてよ?
長話はこのぐらいにして……とりあえず私は、建国祭にあたって人手が足りず、私が優秀だったばかりにケイリオル卿から押し付けられた王城の仕事を終わらせなければならないのです。
この仕事の所為で、熱に魘される姫様の為に付きっきりの看病をして差しあげられないのですから!
早急に仕事を終わらせてすぐに戻りますからね、姫様! 貴女のハイラがすぐに向かいますから!!
私を専属侍女に選んで下さった事。
私に名を与えて下さった事。
私に夢を見させて下さった事。
その、全ての恩に報いるべく……私はこれからも貴女に尽くします。
愛しの姫様。
どうか、これからも貴女のお傍に──……。
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