第12話私は姫様と出会いました。

『──ハイラ、きょうからよろしくね』


 姫様が私にあの名をくれた日を、私は覚えている。

 本名が嫌いで、名乗る事も嫌だった私に……あの御方は新しい名をくれた。優しく微笑み、手を差し伸べて下さった。

 私に、もう一度夢を見させてくれた。

 私よりもずっと幼くて、可愛らしい健気な王女様。綺麗な銀色の髪に透き通るような寒色の瞳が美しいアミレス様。

 私は、姫様に選んで頂けた事が何よりの幸せなのです。



♢♢♢♢



 私の名前……本名は名乗りたくもありません。ただ一つ言っておくならば、どこぞの帝国貴族の私生児だったとだけ言っておきます。

 私が産まれた家は、それはもう愚かな人ばかりでした。その家の侍女だった私の母に求愛し手を出した当主の男に、人目も憚らず白昼堂々家に愛人を連れ込む夫人。

 蛙の子は蛙と言うようにその子供達もまた屑──ごほんっ。救いようの無い人達でした。


 私が十六歳の時、母がついに衰弱死してしまいました。いつもいつも私に『こんな家に産んでしまってごめんね』と謝っていた母でしたが、私はそんな母をとても愛していましたし、母にこんな事を言わせるあの家が大嫌いでした。

 そして母が死んで早々に、あの男はあろう事か、母を失った悲しみを娘の私で埋めようとして来たのです。

 勿論、そうなる前に私は逃げ出しました。


 幼い頃より母に言われていたのです。

 ──いつか、一人でも生きていける力をつけて、母がいなくなったらすぐにこの家を出なさい。と。

 その為に私は様々な知識や技術に戦闘術まで幅広く習得していったのです。戦闘術は、若干趣味でもありましたけども。


 家を出る際、私は自分の物をほぼ全て持って行く事にしました。

 特に、絵本やアクセサリーなどの母との思い出の品は当然のように鞄へと詰め込みました。

 幼い私は、『ハイラの杖』という絵本をよく母に昔読み聞かせて貰っていて、その物語が大好きだったのです。

 いざ家を出て私が向かったのは帝都の情報屋でした。何かいい求人情報などはないかと思ったのです。

 しかし、名を隠していた為か私のような身元不確かな元貴族令嬢らしき人物に仕事が来るはずも無く。

 はてさてこれからどうしたものかと途方に暮れていると、一人のご婦人に話しかけられました。


『貴女、仕事を探しているのかしら? それなら一つだけ紹介してあげられるわ、きっと、貴女のような人ならやっていける』


 その人の立ち居振る舞いはとても洗練されていて、どこにでもいるご婦人のように街の一角で鳥に餌をやっていた姿がとても異様に見えた程でした。

 名も教えていただけず、ただ謎の紹介状を渡され、言われるがままに私は王城の門戸を叩きました。

 その後はトントン拍子に話が進んでいきました。

 紹介状を衛兵に見せると少し待たされ、やがて城内の一室に案内された。

 そこでまたしばらく待つと布を顔にかけた男性──フォーロイト帝国にて皇帝陛下や王子殿下に次ぐ有名人とも言える、皇帝陛下の側近たるケイリオル卿が現れました。


 彼との一対一の面接を受けた末に、私はなんと、皇宮の侍女になる事が決まりました。あのご婦人から頂いた紹介状は、なんと皇宮の侍女への推薦状だったのです。


「では、仕事の件について何か質問やご希望はございますか?」


 ぼーっとしていると、ケイリオル卿からそう問われた。私はそれを受け、一つだけ希望を伝える。


「…………仕事の際、私の名を明かさなくてもよろしいですか?」


 私はあの家が嫌いだ。

 母がくれた名を捨てようとは思いませんが、それでもあの家名を名乗るのは嫌で仕方無い。


「ほぅ、つまり偽名を名乗ると? ご実家の権威には縋らないという事でしょうか」


 ケイリオル卿が不思議そうに聞き返す。

 私はこれに強く頷いて、


「はい。私の身元の保証に関しては雇用主たる貴方様が確認出来ていれば問題ないでしょう。職場では私は貴族でもなんでもない一人の侍女になりたいのです」


 つい今しがたしたばかりの決心を告げた。彼はふむふむと唸りながらも納得し、


「では仕事開始までに偽名を考えておいて下さい」


 軽くそう言って、私を使用人宿舎にある個人部屋に案内した。

 そこで改めて、使用人宿舎の決まりや仕事についての話をケイリオル卿から聞かされました。

 なんと、私の仕事は明日から始まるとかで。

 何でも丁度明日明後日で新人侍女が多く入るとかで……私のような訳ありが上手く集団に紛れ込める絶好の機会なのだそうです。

 採用が決定した即日から宿舎での集団生活が始まるとは……と、この国の雇用制度に漠然とした不安を覚えた。


 そしてついに初出勤当日。今朝届いたばかりの侍女の服は何故か私の体にとてもぴったりで、謎の恐怖を覚えました。

 城の一角に集められた侍女の姿は五十人をゆうに超えており、なんとこれら全てが私と同じ新人侍女なのだ。

 そう言えば、四年程前……皇后様が天へと旅立たれた際に東宮の侍女が一斉解雇にあったと聞きます。もしかすると、これは数年前の埋め合わせなのかもしれません。

 そしてこの侍女群はこれより所属を決められるらしいです。


 城の雑務を担当する城班、王子殿下のお世話等西宮の雑務を担当する皇宮一班、そして王女殿下のお世話等東宮の雑務を担当する皇宮二班に振り分けられるそうで……私は皇宮二班に所属する事となりました。

 皇宮二班の侍女長はとても真面目そうな方でした……しかし、どうにも王女殿下を下に見ている節を言動の端々から感じられました。

 しかし彼女は上司です。そんな態度も私が気にするような事では無いのです。

 東宮に辿り着くと、着いて早々にとある御方からのお出迎えがあった。


「──みなさん、きょうは来てくださりありがとうございます」


 それは私がこれから仕える主──アミレス・ヘル・フォーロイト王女殿下、その御方だったのです。

 その小さな体からは予想も出来ない程優雅で美しいお辞儀をして、王女殿下は私達使用人を出迎えたのです。

 王女殿下というお立場でありながら使用人にまで気を配り礼節を弁えるその心構えに、一応元貴族令嬢の私は驚愕し、そして、何様のつもりだと言われてしまいそうですが感心してしまいました。


 差別や格差が根強く残るこの貴族社会にて、上に立つ者が下の者に優しくする事は偽善などと受け取られ、へりくだり過ぎると下に見られてしまう事が多い。

 そんな世界で、こうして誰にでも礼節を弁えるのは非常に難しい事。

 しかし愚かな新人侍女達はそんな王女殿下を見て、クスクスと意地の悪い笑い声を微かにこぼしています。……恐らくこれは、王女殿下の態度だけでなく王女殿下にまつわるとある噂も関係しているのでしょう。


 ────皇帝陛下と王子殿下が、王女殿下を嫌っていらっしゃる。


 と言う、なんとも不遜かつ不敬な噂。だが……この様子からするとあれは本当なのかもしれません。

 既に数年前より働いている侍女達は王女殿下の態度を嘲笑うように、露骨に鼻で笑ったりしているようでした。

 あぁ、なんと醜く無様な姿。汚らわしい者達。

 どれだけ不遜な態度でいようとも王女殿下を嫌う皇帝陛下と王子殿下が罰しに来る事など無いから、好き勝手振る舞いつつ高給だけはいただくと……そういう事なのですね。

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