おはよう、殺人者

鋼の翼

おはよう、殺人者

「すいません、上富良野駅ってどこにあるんですか?」


 真夏の昼下がり。炎天下のなかニートである俺は珍しく外へと出ていた。友人の泰介から、足を挫いたから代わりにバイト入ってくれと連絡が入ったからだ。


「この道を右に曲がってその次の次に曲がる交差点を左に行けば出てくるはずですよ」


 しかし、当然ニートの俺に友人の職場の位置がわかるはずもない。友人からは上野幌駅の近くのコンビニだ、という情報以降、他の一切合切が流れてこない。

 仕方なく、俺は近くにいた見知らぬ親子へと声をかけた。


「おじちゃんそんなのもわかんないのー?」


 無邪気な顔で俺のメンタルにダメージを与えてくる推定年齢4歳の娘を無視し、俺は母親と思しき人物に礼を言った。

 下げた頭の下でその女性の娘が小さな手を伸ばしている。

 彼女の目を見て俺はすぐに理解した。何かを渡せ、そう言っているのだ。

 なるほど。今どきの子供は恐ろしいとは本当だった。俺はあいにく渡せるような物を持っていなかった。仕方なく彼女の手に100円玉を握らせる。


「やたー! ありがとおじさん!」

「こら由良! すいません、今返しますので」

「いえ、気にしないでください。俺が好きで上げただけなので」


 大興奮の娘と対照的に母親はどうしたらいいのかとオドオドしていたが、軽く頭を下げ、娘の方へと視線を向けた。

 勢いあまり、思わず車通りの少ない車道へと飛び出しそうになる娘を母親が追いかけていく。


「育児、頑張ってくださいね」


 俺はそう呟きその場を去ろうと一歩を踏み出す。直後、目の前を鉄製のパイプやら何やらが轟音を奏でて吹き飛んでいった。

 それに次ぐように焦げたゴムの臭いと血臭が鼻を打つ。

 連鎖するブレーキ音。響き渡る喚声。届かない少女の笑い声。


「何が――」


 俺は、背後を振り返って後悔した。

 立ち上る黒煙。半壊した大型車。そして――動かない母子。

 見間違え用もない。今しがた知り合い、ついさっき別れたあの母親だった。

 少し気弱な印象を受ける、それでも生を実感する母親の瞳は死んだ魚のように濁り、天真爛漫な少女は顔の左半分が消失し、右眼の眼窩にはあるべきものがない。


「何が――起きた?」


 救急車の音がうるさい。サイレンが五月蠅い。野次馬が煩い。

 きっと俺の体は震えている。

 彼女たちの死を目の前に、俺は――震えているだけだった。



 それから先の記憶は曖昧だった。

 警察署への出頭、事情聴取。事情聴取。事情聴取――。


 何度も何度も、警察に呼ばれ、そのたびに同じ話を繰り返した。

 そして、何度も再生した。

 空虚で何も読めない母親の暗い瞳。

 死後硬直でそれから動くことのない少女の助けを求める手。


 見慣れた白く狭い個室。目の前に座る疲れた表情の警察官。

 疲れてるのはこっちだ。思わずそう言いたくなった。


「そうか。ごめんね、何回も何回も」

「――――」


 申し訳なさそうに謝る警察官。彼の大人な対応に、俺はむかついた。

 ひどく子供じみた真似だ。だが、そうでもしなければ心の奥に潜む得体の知れない『もの』に押しつぶされそうだった。



 10日後、俺はその母親と少女の葬式へと参列した。

 特別深いかかわりがあったわけではない。ほぼ赤の他人にご祝儀をあげるなんて金の無駄遣いだ。心のどこかでそう言った思いはある。

 だが、俺の胸の奥にはあの時100円をあげなければ......という後悔があの日以来胸を圧迫している。その苦しさから逃げるためにも俺は葬式に参加した。


 誰もが黒服を纏い、涙をこらえて母子の逝去を悲しんでいる。隣に座る男子は少女の名前を小さく呼び、泣き崩れて母親に抱かれた。

 後ろに座る若い女性も先輩、と小さく呟いている。

 暫くの間、お坊さんの読経どきょうとすすり泣く声が木霊し続けた。


「本日はお越しいただきありがとうございます」

「ご愁傷さまです」

「辛いことがあったら何でも言ってください」

「頑張ってね」


 通夜が終わり、思い思いの言葉を残して全員が会場を去っていく。


「申し訳ない。あの時、俺のせいで......」


 俺は遺影に深々と謝罪した。そして、背後を振り返り、遺族の方に声をかけようとした。しかし、立って作り笑顔を浮かべて他の参列者に対応する父親とは裏腹に高校生の兄らしき人物が俺を見つめて――いや、睨みつけていた。


 俺は、嫌な予感がした。彼の目は血走っており、何日も寝ていないのか目の下には巨大な隈が出来ている。笑っているのか怒っているのか、彼は口角を持ち上げ、目だけギラギラと光らせる不気味な笑い方で俺の退場を歓迎していた。


 俺は小さく礼をし、出口の方へと向かっていく。


「殺人者め」


 不意に耳元で囁かれた。振り返った先には他の参列者にバレないように薄く笑う高校生がいた。俺は気味悪くてすぐにその場を後にした。



「うわ、何この手紙!」


 翌日。俺は母さんの驚愕した声に飛び起きた。時刻は朝の10時過ぎ。カーテンを開け放ち、勢いよく一階へと降りていく。

 リビングに入室し、母さんを見る。困惑する彼女の手元には真っ黒い長方形の何か。


「悠、あなたこの手紙知ってる?」

「何、これ?」


『初めまして殺人者。――僕は君を許さないよ

 母さんと由良だけを殺したお前を――』


 黒い手紙に白く書かれた文字。


「悠、昨日何かあったの?」

「いや、多分いたずらでしょ。俺は何もした覚えはないし」


 手紙をくしゃくしゃにしてゴミ箱へと投げ捨てる。

 差出人の名前はないが、誰が出したのかは容易に想像ができた。だが、俺に手紙が送られてくることに納得はできない。


 今日は、日課の図書館通いをする気にはならなかった。



 異変を感じたのは二日後のことだった。

 図書館からの帰り道。人気のない大通りを歩く中で嫌な視線が背中を刺し続けていた。ストーカーかと一瞬思うが、俺にはストーカーされるような魅力は一切ないことに気づき勝手にダメージを受ける。

 視線は少し遠くから延々と俺の背中を見つめている。


 真夜中の人気のない通り。街灯の光だけが道路を仄かに照らし出す。

 カツ、カツ。不意に、俺以外の足音が背後から忍び寄る。

 背中や腕に鳥肌が立った。

 見られている。その感覚だけが強く脳を刺激する。


 カツ、カツ、カツ。革製の靴が地面を叩いている。

 歩く足を速める。即刻この恐怖を消し去りたくなった。


「待てよ――殺人者」


 恐怖がつま先から頭を走り抜ける。俺は背後にいるであろう奴に持参していた鞄を投げつけ、全力で逃走した。走って、走って、走って――いつの間にか家の前まで来ていた。

 どこからも靴音は聞こえない。

 どっと汗が出た。普通の汗か冷や汗か俺には皆目見当がつかない。


「俺、今......」

「おかえり悠。どした? そんな褪めた表情かおして」


 家に入るなり母さんはおたまを持って出迎えてくれた。

 久方ぶりに、親と家の安心感を思い出した。

 だが、その安堵は投函された手紙によって再び消える。


 玄関前の扉に影がさし、ポストの扉が開いて黒手紙が家内に舞い落ちる。

 震える手でそれを取り、中身を見る。


『惜しかった。けれどもわかる。

 僕はもうすぐ殺人者を殺せる。いや、幸せにしてあげることができる。

 殺人者が幸せになれば、僕も幸せ、母さんも父さんも由良も、みんな幸せ。

 だから、殺人者は、僕の手で「幸せ」にしてあげなきゃ』


 胃酸が逆流した。空腹で何も吐くものがないはずなのに、えずく。

 命を狙われていることよりも捕まったら何をされるかわからないという恐怖が体を震えさせた。


 それからも手紙は毎日来た。

 毎夜毎夜うるさい足音に追いかけられた。

 スレスレで車とすれ違う。無言電話がかかってくる。

 徐々に徐々に、俺の精神は擦り切れ、壊れて行った。



「何なんだよ......」


 空虚な思いをカーテンに閉め切られた部屋で吐き出す。

 外出など、怖くてできなくなった。母さんに迷惑をかけていると理解しても、動くだけの勇気はでなかった。

 100円玉を上げただけ。それだけなのに――俺の人生は、


「滅茶苦茶だ」


 良かれと思った行為だった。自分なりのちょっとしたお礼だった。

 殺す気など無い純粋な行為が、何故ここまでの恨みを買う?

 なんであの母親を殺した運転手ではなく、俺なんだ?

 ――そうだ。何故俺を、あんなに恨む。実際に殺したのは運転手だろ。

 八つ当たりか? 


「――違う。あの運転手は、あの事故の時に死んだんだ。

 ......そうか。だからか」


 俺はベッドにもぐりこんだ。あの時見た光景を脳裏に焼き付け、それまで堪えてきた負の感情を増幅させながら。


 その日から俺は堂々と家を出歩いた。家にいては自分の心にセーブがかかる。

 それではだめだ。俺はありのままの自分を出さなければいけなかった。

 図書館に行くこともやめた。本は心を落ち着けてしまう。

 ただ意味もなく街を徘徊し、『彼』が出てくるのを待った。


「よぉ、久しぶりだな」

「――――」


 彼はその晩に出てきてくれた。踏切の線路の前。電柱の光に照らされて手に持つ刃が鈍色に煌めいている。興奮状態にある目はいつにも増して狂性を帯び、獰猛な獣を連想させる。


「気に入らなかったんだろ? 大切な家族を亡くした時傍にいた男が。

 のうのうと生きている男が。その男が死ねば、父親が隠している本当の笑顔も見れるかもしれないとか、あの世で母親や妹が笑ってくれるに違いないと思ってるんだろ?」

「――――」


 沈黙は変わらない。目の前で昂奮する彼にはどの言葉も届いていないようだ。


「もう俺は疲れたよ。多分母さんが家にいなかったら自殺してたと思う。それ位君の行動は俺にダメージを与えてきた」


 カンカンカンカンと踏切が背後で降りる音がする。


「だからさ――」


 夜道に光が差す。レールと車輪の擦れる音が甲高く響き、振動が一層大きくなる。

 それと同時に血走った眼を向けて彼が突撃してきた。

 凶器はその場に捨て、俺を線路に押し出そうと手を伸ばしてくる。


「死ねよ! お前がさあ!」


 ビニル手袋をはめていた手で彼の腕を掴み、今までの鬱憤全てを力に変えて線路の中へと投げ捨てる。着地のタイミングはぴったりだ。

 細身の体が線路に落ち、電車と衝突して吹き飛ばされる。

 連続して照らされる車窓からの灯り。その光に俺の顔はどう映っているだろうか。


 電車の行った後の線路には千切れた右腕と顔半分が落ちていた。

 それを見ても、俺は何とも思わない。

 そうか――


「「これが殺人か(だ)」」


 不意に俺の耳に別の誰かの声が聞こえた。急いで辺りを見渡すが、誰もいない。

 物陰にも誰も隠れていない。彼の肢体はどこか遠く。

 幻聴だ。俺はそう思い、逃げるように帰った。


 母さんに挨拶もせず、シャワーにも入らず、自室に鍵をかけて閉じこもり、自身の手を眺め続ける。

 初めて人を投げた手。初めて人を殺めた手。――人を、殺した手。

 興奮が冷めず、その日は寝ることができなかった。



「おはよう」

「珍しいわね、この時間に起きてくるなんて。待ってて今ご飯の準備するから」


 朝は、いつも通りに過ぎていく。トイレで用を足し、洗面所で歯を磨き、顔を洗う。不意に顔にあたる冷水が、血のように生温くなった気がした。

 はっと顔を上げて鏡を見る。そこにあるのはあの日以降何も変わらない。いつもの険しい顔。


「俺は今、何を考えてるんだ?」


 鏡に触れ、そこに映る自分に問う。鏡の中の俺は何も変化を起こさない。


「後悔、してないのか? 怯えたりしてないのか? 俺は人を殺したんだぞ?」

『おいおいおい。今更何言ってんだ?』


 突然、鏡に映る俺の顔が凶悪な人相へと変貌した。酷薄な笑みを浮かべる俺に、俺は愕然とした。


「な、なんだ?」

『なあ、疑問に思わなかったか? なんであの親子が死んだとき、ただ震えているだけだったのか、って』


 俺は、目を見開いていた。驚いているのか、怒っているのか。自分のことなのに自分ではわからない。ただ脳に直接響いてくる声に意識を傾ける。


「あまりのことに驚いて動けなかっただけだろ」

『違う。お前は初めて見た死体に興奮していただけだ』


 これ以上こいつの話を聞いてはいけない。そう思った。俺は傍にあったドライヤーで鏡を思いっきり叩き割る。大きな音と共に砕け散るガラス。破片で頬を切るも、そんなことはどうでもよかった。

 話を聞きたくない。その一心でやった行動に間違いはないはずだ。


『理解したな? お前の、本性を』


 鏡は潰した。なのに、声は俺の脳へ直接声をかけてくる。耳を塞いでも声は届く。俺は為す術もなく蹲った。


「黙ってくれ」

『今回の件は、お前の精神が壊れたわけじゃない。お前の本性を隠してた建前が壊れただけだ』

「黙れ」

『お前は喜んでたんだよ! 目の前で、母子が死んでなあ! わかってただろ、見えてただろ? 車が来てんのがよぉ! 無差別殺人。それがお前の本当に望む事だ』

「黙れ!」

「悠、どうしたの!?」


 母さんが洗面台の周囲を見渡して心配そうな目を向けてくる。俺は、入り口に立つ母さんを押し倒し、自分の部屋へ入って鍵をかける。朝の陽ざしが差し込む部屋、それが無性に焦燥を加速させる。


『お前、自分の机の引き出し開けてみ?』

「嫌だ」


 口では断っても、体が自分の意思に反して動いていく。俺の手は碌に整頓されていない机に向かい、その引き出しを開けた。


「――あ、あ......」

『小さな指のついた100円硬貨。何を指すか、わかるよな?』

「俺、まさか......」

『奪い取ってたぜ。あの小さな女の子からな。――わかったろ? お前は狂ってるんだよ生物としての根幹から。――小さな嘘ばっかで自分を隠すなよ。もう曝け出そうぜ?

 今日にはあの兄貴の死体は発見されるはずだ。日本の警察をなめてるわけじゃないだろ。ならやるべきことはなんだ?』


 俺は、100円玉がここまで恐ろしいものだとは知らなかった。

 いや、恐ろしいのは俺の本性か。

 ――何が、ここまでこじれた人生へと変化させたのだろうか。

 あの親子だろうか。あの出会いだろうか。

 いや違う。俺の人生がここまでおかしなものになったのは――あいつの所為だ。


「あいつが、俺にバイトを頼まなければ......」

『くくっ、知ってはいたが、お前は相当狂ってるよ。

 普通そんな思考できねえぜ? 自分の人生を壊したのは自分だろうに、それを理解しながら責任転嫁するなんて真似はよぉ』


 脳裏に響く音は無視をする。

 俺は部屋のカギを開けた。階下からは掃除機の音が聞こえてくる。

 母さんがガラス片の掃除を始めたのだろう。一階に下り、その姿を横目に台所へと向かう。


「母さんは邪魔だ。俺の行動を絶対に漏らす」


 台所にかけられている包丁を三本持ち、洗面所へと引き返す。

 今から殺しをするというのに気持ちの昂ぶりはない。

 異常なほど落ち着いていた。


「母さん」

「どしたの、ゆ......ぅ?」


 母さんの振り向きと同時に腹を刺し、二本目の包丁で首と手首の大動脈を斬る。

 母さんは驚いた顔のまま血を吐き絶命した。生命活動の停止を確認し、素早く使用した包丁を抜き取る。


「さて、あいつの家に行くか」

『くくくっ。初めてだな、ここまで無表情で人を殺す奴は』


 玄関の扉を開けた。眩しい朝陽が眼を焼いてくる。

 朝の6時。周囲に人影は見当たらない。もの寂しくもすがすがしい、晴れ晴れとした朝だ。

 俺は三本の凶器を母さんの鞄にしまいこみ、家の鍵をかけて街を歩き始めた。


『くくくっ。これでやっと挨拶できるなぁ。


 おはよう、殺人者君。そしてようこそ、こちらの世界へ』

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おはよう、殺人者 鋼の翼 @kaseteru2015

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