第163話




 クラウディウスさんの国から陛下の国に帰ってきたからといって、特に大きく此れ迄と何かが変わった訳ではなかった。

 とはいえ小さい変化はあって、今回の事で痩せた為に日課となっていた練兵場での減量運動は一旦中止となった。けれど、これはまあ、私が痩せたという理由以外にも、ラードルフさんやホルガーさんが忙しいというのもあるみたいだ。

 それともう一つあった変化が―――。


「珍獣様、庶民の間で今現在人気の小説が届きましたわ」

「ありがとう、ゾフィーア!」

「いえ、何なりとお申し付け下さいませ。私、使える下僕はたくさんおりますので」

「げ、下僕?」

「はい。体を鍛え、剣技も優れ、情報収集にも長けて俊敏に動ける実に優秀な男共ですわ。無能で使えない男なんて塵芥ちりあくたと一緒。焼却炉に投げ捨てるべき汚物ですもの。そうですわ、珍獣様! もし日々の鬱憤をお晴らしになりたい時は、このゾフィーアにいつでもお申し付け下さいませ。グリグリぎりぎりと踏みつける下僕を直ぐにご用意致しますわ」

「お、おおぅ。その時はお願いね?」

「はい、畏まりました!」


 陛下の寝台の上でゴロゴロしながらお菓子を食べている私に、そう元気良くお返事してくれたのは妖精と言っても過言ではない美少女だ。

 それはつまり千年に一度の奇跡の三つ子妖精が揃ったという事で、ゾフィーアはヘルミーネとルイーゼの三つ子の姉妹だ。私がトリエスに帰還して少しして、ゾフィーアもお酒がウマウマの国のラガリネからお仕事を終えて帰ってきたとの事だった。


「使えない男は確かにゴミ屑ね」


 そう冷たく言い捨てたのは姐さんであるアニだ。アニは陛下の部屋に設置されているローテーブルに紙とたくさんの布の切れ端を並べて先程から何かを悩んでいた。

 陛下の部屋には現在、私、アニ、三つ子の妖精、リーザが居て、リーザと妖精二人はアニが広げている布を真剣な様子で吟味している。

 陛下が不在の時の彼の部屋は、綺麗系な女性が何人も居て、大抵は華やかな雰囲気を醸し出していた。


「あら、アニさん、何か心当たりがあるようなお言葉ですわね」


 艶のあるふわふわした金髪を持ち、優しい色合いの青い瞳に興味の色を乗せて、ゾフィーアが可愛らしく小首を傾げてアニの方に視線を向けた。

 それに応えようと、ローテーブルに向かって前屈みになっていたアニのはちきれんばかりのダイナマイトな胸が揺れる。


「だって居るもの。信じ難いくらいに使えない男が」


 ゾフィーアが嫌そうに眉を顰めた。


「何処にですの? まさかこのヴィネリンスに?」

「ええ。細工師イェルク様の所にお情けで置いてもらっているコーエン・バーレという男よ」


 アニの言葉にリーザと妖精二人も作業をしながら頷いた。


「確かに彼は使えないわね」

「そうですわ。適切な取り次ぎも出来ないのですもの」

「ただ立っているだけでしたわね」


 いつも穏やかで優しいリーザの鼻頭に皺が寄った。


「ゾフィーアが大嫌いな無能そのものだったわよ」

「―――始末して参ります」


 ゾフィーアが何処から出したのか、長い針のような物をキラリと光らせた。

 そんな彼女達の話の流れに危険信号を感じて私は大いに焦る。

 手にしていた粉砂糖がかかっている焼き菓子を陛下の寝台の上に放った。


「え? あのあの、あのね? ちょっと待ってあげて? 待ってみてくれる? あのさ、えっとね? コーエンさんはただのチワワ、ぷるぷる震える小型犬なだけだから、お願いだから放っといてあげて? 全く害は無いからね?」

「ですが、」


 直ぐに言葉を返してきたのはゾフィーアで、その後にアニ、ヘルミーネ、ルイーゼ、リーザと続いた。


「珍獣様、ああいうゴミ屑は優しくなさる分だけ甘えるだけですわ。私は焼却処分に賛成です」

「そうでございます、珍獣様。あのように使えない無能は、この世に存在するだけで害悪でございます」

「珍獣様がこの世界にいらっしゃったばかりの頃のあの無能の失態の数々、私、未だに許せません。死の鉄槌を下すべきだと思いますわ」

「ゾフィーアの処理能力は、わたくしが保証致します、珍獣様。どうぞご安心下さい」


 リーザが聖母な如きの慈愛に満ちた優しい微笑みを私に向けた。

 いやいやいやいやいや、騙されちゃ駄目だよね?!

 表情は素敵な笑顔でも、言っている事は物凄く物騒だからさ!

 私ってば、ちゃんと気づいてるよ!


「あ、あのあのあの、ほら、えっと、でもね? 陛下もさ、コーエンさんの放置を決めたみたいじゃん? 最初は無能って怒っていたけど、結局何もしてないし!」

「ですが珍獣様、陛下におかれましても無能は唾棄する程に大嫌いであられるはずです。やはりここは私がプスリと―――」


 私はゾフィーアの言葉を遮る為に強引な話題転換を試みる事にした。

 勿論これ以上は続けちゃ駄目な危険臭のする会話の流れだからだよ!


「えとえと、あのさ、ところで皆、さっきから何をやっているの?」


 そんな無理矢理気味な私の言葉にアニが反応した。

 座っていた豪華ソファーから立ち上がると、アニはローテーブルに広げていた数枚の紙を手に取り、私がゴロゴロしている寝台の方へとやってくる。

 そして彼女は寝台の上に手にしていた紙を私に見やすいように置いてくれた。

 ローテーブル付近に居たリーザや妖精二人も布の切れ端を持って私のもとにやってくる。

 皆がアニの持ってきた紙に視線を落とした。


「珍獣様のドレスの図案です。私の方である程度絞らせて頂きましたが、あとは珍獣様のお好みをお聞きして、といったところでしょうか」

「え? ドレス? なんで?」

「陛下からご指示がございました。珍獣様の側近そばちかくに有り、針子であった私に畏れ多くも全面的に任せるとおっしゃって下さいましたが、こういった事は主役であらせられる珍獣様のご意見は必須だと私は思いますので」

「主役?」

「はい」

「なんの?」

「え?」


 アニの琥珀の瞳に不思議そうな色が浮かんだ。

 それに私は首を傾げる。

 アニと私が暫し動きを止めていると、今度はリーザがドレスの図案という紙の上に数枚の布の切れ端を置いた。


「珍獣様は何色がお好きですか?」

「えっと、なんの色?」

「勿論、ドレスの色でございます。珍獣様の世界では婚礼の時にお召しになる衣装は何色をよくお使いでしょうか?」

「……白だけど。純白というか」

「まあ、それは素敵でございますわ。この王城の名のヴィネリンスは、大陸古語で純白の乙女という意味がございますから」

「あー…確かヴィルフリートさんが初めて会った時にそんな事を言っていたような?」


 黒曜石のような艶やかな髪と瞳とか何とか、私の容姿について結構適当な事を言っていた時ね?

 そういえばアニがヴィルフリートさんに遊ばれちゃったのを知ったのもあの時だったなぁ、と思い出していると、アニとリーザが紙と布を見比べながら二人で話し出していた。

 妖精三人は興味津々で聞いている。

 アニの琥珀の瞳が私に向いた。


「珍獣様、他にも珍獣様の世界では婚礼衣裳について何かございますか?」

「え? ウェディングドレス、花嫁衣裳の事? うーん、私ってば向こうの世界で彼氏すら居なかったし、興味も特にあった訳では無かったからそんなに詳しくはないんだけど、確かサムシングフォーと言って、花嫁が当日に持つといいとされる四つの物があったかな? 結婚前の人生をあらわす古い物、此れからの人生、未来への希望をあらわす新しい物、幸せを齎す借りた物、純潔や清らかさ、誠実さと愛情の象徴で幸せを呼ぶとされる青色の物、この四つ。あと銀貨だか金貨だかを靴に入れるとかだったかなぁ?」


 そう自信無く私が説明すると、ふむふむといった様子で皆が真剣に聞いていた。


「では、それもご用意した方が宜しいですね。―――リーザさん、あの至宝をお使いになるのは決まっているんですよね?」

「ええ、慣例通りに。宝石の色も青色ですから丁度良かったですわ」


 私はアニとリーザの会話に割って入る事にした。

 先程からの質問に疑問しか無いからだ。


「えっと、誰か結婚でもするの? あ、リーザかアニ? え、彼氏、紹介して! 美女を射止めた快挙に是非おめでとうを言いたいし、私ってば!」


 目出度いとウキウキの私の言葉に、リーザもアニも妖精三人もキョトンとした顔になった。

 皆して一斉にクエスチョンマークを頭上に浮かべたような様子で首を傾げる。

 私も同じように首を傾げた。


「私もアニさんも結婚の予定はございませんが」

「え? じゃあ誰の結婚?」


 リーザの言葉に疑問で返した私に、アニが口を開いた。


「勿論、珍獣様のです」

「私? 誰と?」

「陛下とですよ?」

「え? 私ってば陛下と結婚するの?」

「はい。それに向かって私達も動いております」


 挙式日までの期間が通常では考えられないくらいに短くて、かなり急がなくてはならないんです、とアニが顎に手を当てて言葉を続けるのに、リーザも困ったように、城全体が忙しさのあまり幽鬼の巣窟のようになっておりますよ、と付け加えるように言った。

 驚きにポカンと口を開けた私に、妖精の瞳を不思議そうに瞬かせながらゾフィーアが聞いてきた。


「珍獣様は御存じではいらっしゃらなかったのでしょうか?」

「全く知らない」

「そうなのでございますか? ですが、私がラガリネから帰る時にはもう決まっていらっしゃいましたが」

「そうなの?」

「はい。色々とございましてラガリネは混乱の最中でございましたが、挙式に間に合うように大量のお酒を手配してから帰還するようにとご指示が」

「誰から?」

「勿論陛下からでございます。私も下僕たちも混乱する国から一先ず避難しようとしていた商人達の首根っこを捕まえるのに奔走いたしましたから」


 結構頑張ったのでございますよ、と褒めて褒めてたくさん褒めてといった感じで妖精の瞳をキラキラさせながら言うゾフィーアに、私は彼女の頭をナデナデしながらリーザの方へと視線を向けた。


「えっと、リーザ」

「なんでございましょう」

「私ってば、陛下に直接聞きに行ってきてもいい?」

「はい、大丈夫でございますよ。では、わたくしもお付き添いさせて頂きますので暫しのお待ちを―――」

「あ、大丈夫大丈夫! 私一人でパパパッと行って聞いてくるね! 皆、忙しいみたいだし、お仕事の続きをやってて!」

「そういう訳には、」

「本当に大丈夫! 聞くだけだし! それに陛下が会議中とかだったら、直ぐ引き返してくるよ! んじゃ!」


 ピシッと敬礼のように手を額に当てると、直ぐに私は寝台から降り、脱いでいたローヒールの靴を履いて、シンプルだけど可愛らしい感じのドレスの裾を膝くらいまで持ち上げて走り出した。

 皆が何やら引き留めるような事を言っていたけれど、本当に聞きに行くだけだったので、そこは気にせずに重厚な扉を勢いよく開けて私は陛下の部屋を飛び出す。

 この時点で思うのは、とりあえず毎日着る服は動き難いドレス以外がいいなぁという事だった。



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