第164話
陛下の部屋を飛び出すと、扉の両脇に立っていた警護の人達の半数が回廊を走る私に付いてきた。
人数的には二十人くらいが私の直ぐ後ろを小走りし出す。
クラウディウスさんの国から戻ってきてから、陛下の部屋を護る人達の人数がグッと増えた。
異世界に来た当初はチワワことコーエンさんのような人が警護についていた事もあったのに、今は明らかに強そうな人達で固められているのが私にも分かる。
まあ陛下は大国の国王陛下なのだから其れが当然な事なのだと思うのだけれど、でも、こうして私からも決して離れないのは正直解せない事だった。
戻ってきてからディルクさんは私の専属護衛ではなくなった。
彼の本来の仕事とやらが忙しくてどうにもならないらしく、陛下が「限界だな」と外したのだ。
専属ではなくなったけれど、ディルクさんは時折、私の様子を見に来ては雑談の時間を作ってくれた。
それが私的にはとても嬉しい。気にかけてくれているのが分かるからだ。
走る私に「何処へ行かれるのですか?」と付いてくる騎士さんだろう人が聞いてきた。
なので私は素直に「陛下のところに」と言ってみる。
私の返答に何故か安堵の表情を見せる騎士さんに「そういえば陛下って何処に居るんですか? 執務室?」と聞くと、「この時間でしたら、あちらです」と彼は言って、続けて「ご案内致しますので、歩いて行かれては」と走るのを止められた。
騎士さんに案内してもらいながら歩くお城の長い回廊は、静かというより、ひっそりという表現がピッタリな程に静寂に包まれていた。
忙し過ぎてリーザのいう幽鬼の巣窟になってしまっているからかもしれないけれど、陛下のお城に戻ってきて何回か彼の部屋を出て思うのは、全体的に人が減ったように感じるのだ。
王城だから元々騒がしくも五月蠅くも無かったけれど、でも賑やかさというか、雑然さというか、そういうものの一切が消えて、人の気配が少なくなったように思う。
まあ、攫われる前のディルクさんと一緒に行動していた時も、そう色々な所を歩きまわっていた訳では無いので、私の気のせいなのかもしれないのだけれど。
そんな事を考えながら案内されるがままに足を進めていると、何処かの部屋の扉の前に到着した。
例に漏れず重厚そうな扉の両脇に何人もの人が立っていて、更に警護の役目ではなさそうな人達も控えていた。
騎士さん約二十人を引き連れて訪れた私に、その場の皆が一斉に視線を此方に向けた。
そして全員が私に礼の形とってくる。
この扉の警護の代表と思われる人が、私に付いてきた騎士さんにどうしたのかを聞いた。
「珍獣様が陛下にお会いになりたいそうだ」
何処へ行くのかと陛下の部屋を出た時に私に聞いてきた騎士さんが答えた。
すると私に付いてきた騎士さんに聞いた警護の人が頷いて、重厚な扉が直ぐさま開けられる。
開かれた扉から室内の様子が見えた時、私は足を踏み出すのを心の底から躊躇った。
いや、これは絶対に入ってはいけないパターンだろうと、そう思ったのだ。
一見して会議室だろうと思われる大きな空間に、縦に長いやはり大きな机があって、それに結構な人数の人達が席についていた。
最奥のお誕生日席には陛下、そこから両端にズラリとたくさんの人達が座っていて、私の知っている顔は、ルドルフさん、ヴィルフリートさん、ディルクさん、バルツァーさん、フェルテンさん、フェリクスさんくらいだった。それは全体の五分の一くらいでしかない。
大きな机の両脇に座る人達の途中に位置する場所で、灰色の髪を持つ男の人が立ち上がって何かを発表していたようだった。
でもそれも私が突然現れた事で中断されてしまって、会議室に居た人達が全員私の方を見ている。
ルドルフさんの視線の温度が一番低い事だけは分かった。きっと、何しに来た邪魔しやがって、くらいは絶対に思っているだろう。
だけれどルドルフさんの冷たい視線は当然の事で、国王と宰相が参加する此れだけの人達が集まる会議が重要でない訳がない。
この部屋の扉の両脇に居た人達や此の部屋に陛下が居ると分かっていた騎士さん達は、何故、私の入室を止めてくれなかったのかと問い質したいくらいだ。
「―――どうした、小娘」
私から一番遠い真正面の席に座る陛下が静かに声を発した。
そのお蔭というか何というか、部屋の入口で足を止めて固まってしまっていた私は動き出す切っ掛けを得られる。
ちょっぴりホッとして、私は陛下の問いに答えようと口を開いた。
「あの、ごめんなさい。会議中とか私ってば知らなくって。えっと、あのね? ちょっと陛下に直接聞きたい事があったから来ただけだったんだけど、皆と一緒にお仕事中みたいだから、また後でいいです。陛下のお部屋に戻ります。邪魔をしてごめんなさい」
そう言って一歩下がると、陛下が目を細めた。
「待て、小娘。気にせずに此方へ来い」
「……でも」
私はルドルフさんを見て、発表中であったと思われる灰色の髪の男の人に視線を向けた。
彼らはどちらも諦めたように視線を手元に落とし、灰色の髪の男の人は着席する。
「いいから。―――みな、少し休憩を入れよう」
陛下が部屋の端に控え立っていた侍従みたいな男の人に澄んだ紫の瞳を向けた。
「飲み物の入れ替えを」
「畏まりました」
「―――小娘」
呼ばれるのに、私は仕方なく会議室に入り、陛下の方へと歩いた。
場に居る皆の視線が私を追っているのが分かる。
手の届く範囲に私が近づくと、陛下は私の腰に腕を回して自らの膝の上に座らせた。
「ちょっと」
「余に直接聞きたい事とは何だ」
「あー…此処で聞く事でもないかなぁ。本当に後でもいいというか」
「余の方針としてお前の疑問は直ぐに余自身が答え解決する事に決めている」
「え」
「言え。何を聞きたかった」
左腕を私の腰に回し、右手で私の髪を弄り出した陛下が黄金の長い睫毛に縁どられたアメジストな瞳に私を映している。
会議室は物音ひとつしなかった。
皆が耳を澄ませているのを感じる。
「じゃあ此処で聞いちゃうけどさ。えっと、あのさ、今さっきリーザ達に聞いて初めて知ったんですけどね?」
「ああ」
「私ってば、陛下と結婚するの?」
途端、ヴィルフリートさんが噴き出し、別の場所でカタリと椅子の音がして、また他の場所ではパサリと紙の音がした。陛下の指示で飲み物の入れ替え作業をしていた人はカチャリと茶器の音を立てる。
陛下の近くに席があるルドルフさんからは大きな溜息が聞こえた。
「呆れましたね。まだお教えしていらっしゃらなかったのか」
「……言いそびれたというかのかな」
「日程がどれだけ差し迫っているとお思いになっているのです。当のご本人が何も御存知無いまま周囲だけが必死に動いているというのですか」
「…………」
「貴方が非常識でしかない強行日程をお組みになったのですよ。お蔭で城の者はあまりに酷い業務量に忙殺されて文字通り血を吐き倒れる者が続出しているのが現状です。それなのに花嫁である彼女に何もお告げになっていないなど有り得ない。これではご自身の想いすら伝えられておられないのでしょう。二十七にもなったトリエス国王たる存在が情けない」
「………………」
「宜しい。珍獣様、私が貴女にお教えします」
トンと会議用の資料だと思われる紙の束をルドルフさんは机で整えた。
私がそんな彼を見ていると碧い瞳も私に向く。
揃えた資料を机に置き、いつも掛けている銀縁の眼鏡を外すと、ルドルフさんは其の上に無造作に置いた。
「珍獣様、おそらく貴女はこの大陸で使用されている暦をご存知では無いでしょうから詳細は省きますが、近いうちに貴女は其処の国王陛下とご結婚をなさる予定です。貴女が拒否されようが何だろうが、この決定は覆りません。決してです。逃亡を図ろうなどとは、ゆめゆめお思いになられないように。挙式の準備も早急に進められております。貴女のお召しになるものについては貴女の侍女が中心に動き、それ以外の貴女に直接関わる物事については、女官長と公爵夫人になられる予定との事のゼルマ・ボーメ殿が精力的に動かれている。ここまでは宜しいか」
「……え、あの」
「次に、この王城で働く者らの置かれている現状を軽くご説明しましょう。唯でさえ何かとやる事の多い通常業務に加え、今回の戦後処理、陛下と貴女の挙式、更に此の国は王国から帝国へと名を変更する事となりましたので其れに関する膨大なる処理、これら全てを同時に進める事をお決めになられた暴君がおられます。貴女が膝の上に座っている其処の国王陛下の事ですがね」
「…………」
「それも短期間で全てを終わらそうという無謀ぶりですよ。これらに関しては珍獣様、今回の全ての起因が貴女にございますので、正直なところ、かなり深くお恨み申し上げております」
「お……」
ルドルフさんの説明という名の文句の数々に私は固まった。
私も恨まれているようだけれど、けれど其れ以上に、かなりの部分で陛下も相当に言われている。
気になってルドルフさんから陛下に視線を戻すと、黄金の眉をほんの少し中央に寄せて、キラキラの紫の瞳に気まずさを滲ませていた。
ルドルフさんの容赦ない言葉が続く。
「まあ、だからと言って、貴女がこの世界に来なければ良かったのに、それも陛下の前に現れなければなどとは思いませんよ? 貴女がこの大陸の何処かに現れていれば、それはそれで面倒な事となっていたでしょうし、貴女の存在によって、いずれ訪れたであろう此方側の問題の回避も出来ましたしね。貴女のどうしようも無さは非常に目に付きますが、其処は此方が優秀な者達を貴女の傍に配置すれば解決する話です。もう少し分かりやすく申し上げましょうか? 珍獣様、貴女は日々、陛下の寝台の上で行儀悪く寝転がってお菓子を召し上がりながら、くだらない平民の娯楽小説を読んで過ごされておられればよいという事です」
「し、知ってっ」
「この私が王城内の事を把握していないとでも?」
「ひっ!」
怖い! ルドルフさんが超怖い!
この国で一番偉いトリエス国王の陛下よりも物凄く怖いよ?!
高そうな陛下の服をギュッと握り、結構攻撃的なハムスターにも負けちゃうんじゃないかと思われる最弱生物ウサギさんのように私がプルプルと身を震わせると、クツクツと可笑しそうに笑い出した人が居た。
第二騎士団長であり、ユーリウス少年と関係を持つフェリクスさんだ。
「珍獣のお嬢ちゃん、つまりルドルフは貴女を歓迎すると言いたいんですよ。素直な男ではないので許してあげて下さい」
「フェリクスッ、貴様!」
「だってそうだろう? そもそもお前は言い方で損をするんだよ、いつも―――」
と続くフェリクスさんの言葉にルドルフさんがすかさず言い返して大人気ない言い争いに発展していく。
そんな彼らに私が呆気にとられていると、ヴィルフリートさんの碧い瞳と目が合った。
「珍獣様、陛下とのご結婚は貴女にとって良い事尽くめですよ? まず貴女が思いつく限りの贅沢をしても、陛下の懐はビクともしません。それ程の財産家なので貴女の欲しい物をたくさんお買いになれば宜しい。それに、私も今後は積極的に貴女に関わるつもりですから、何でもおっしゃって下さって構いませんよ?」
ニヤリとした黒い微笑みを見せて楽しそうに言うヴィルフリートさんの横で、そんな彼に呆れの視線を投げながら、今度はディルクさんが口を開いた。
「性格はまあ、仕方ないんですが、顔だけは凄くいいじゃないですか、陛下は。珍獣様もそうおっしゃっていたでしょう? 金に顔、そして権力、それだけでも陛下とのご結婚はお得感満載ですよ、珍獣様」
陛下の形の良い黄金の眉がピクリと動いた。
次に言葉を発したのは法務長官のバルツァーさんだ。
ルドルフさんと似たような銀縁眼鏡の奥の黒い瞳に優し気な色を宿して私を見ている。
「珍獣様、陛下とご結婚なされば、貴女はもう誰にも頭を下げなくて良いのです。陛下も貴女にそれを望まれないだろうし、本当に誰一人もですよ? それはつまり、煩わしい人間関係を立場で捻じ伏せる事が出来るという事です」
貴女の前に面倒な人物が現れようものなら陛下が片付けられるでしょうしね、と続けて苦笑いをするバルツァーさんの後を継いだのは、灰色の髪を持つ男の人だった。
「お見かけする事はあれ、お話をさせて頂く事は初めてとなります。財務長官のバルドゥル・アーレルスマイアーと申します。お見知りおきを」
「あ、はい。宜しくお願いします」
「私としましては、貴女が今後、軽率な行動をされて無闇矢鱈に攫われたりせず、王城の破壊行動も慎んで頂ければ、むしろこの婚姻には賛成の立場です。私の得た情報では、どうも貴女は食べ物を与えておけば満足されそうな方であるようですしね。散財といっても世の姫君のようにはならないでしょう」
初対面で動物の餌遣り的な言い方をされて思わず絶句してしまう私の背中をポンポンと慰めるように叩いたのは陛下だった。
羨ましい程に長い黄金の睫毛を伏せ気味に、ほんの少し自信の無さそうな澄んだ紫の瞳が私を映していた。
「小娘」
「はい」
「その、なんだ……余との結婚は嫌か?」
いつも自信満々で尊大で、どこまでも偉そうな陛下の言い難そうな、そして自信の無さそうな様子を見るのは初めてだった。
そんな彼にビックリして、私は目をパチパチと瞬いてしまう。
黄金の眉が下がった。獣耳が陛下の頭についていたら、シュンと垂れ下がっているのが見えてしまいそうな感じだ。
陛下を可愛らしく思ってしまった。凄く偉い二十七歳な大人の国王陛下なのだけれど。
私は素直な自分の気持ちを言う事にした。
「あのね、えっと、私ってばね?」
「ああ」
ここまで言って、私は陛下の膝の上から少し腰を上げた。
そして彼の頬にチュッと軽くキスをする。
陛下が僅かにだけれど目を見開いた。
「すんごく嬉しいかも!」
口にした瞬間、陛下が私を強く抱き締め、視界の端に映る此の場にいる人達からは、良かったねぇといったような目を向けられながら「おめでとうございます」と拍手をされた。
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