第162話




 広いお城の長い回廊をずっと陛下に抱っこされて移動しながら、ようやくの彼の部屋に辿り着いた私は、そこに控え待っていたリーザに妖精、アニと再会する事が出来た。

 私と目があった彼女らはホッとしたような笑顔で出迎えてくれて、本来なら抱き合って喜びと感謝を伝えたかったのだけれど、その場に陛下も居たからか、やるべき事をやって彼女達は退室した。

 ウオちゃんヌイグルミのお礼すらアニに言う暇も無く、私は陛下の寝台に降ろされる。


「なんか本当に帰ってこれたって感じです」

「そうか」


 陛下が懐から小さく細い何かを取り出し、私の首後ろに手を回してカチリと音を立てた。

 瞬間、ずっとズシリとした重さを伝えていた首輪が消える。


「―――あ」

「これはもういい。役目は終えたからな」


 取り外した黄金の鎖付き首輪を陛下は無造作に寝台に放った。


「お前のいう物騒な代物の宝石は他の事へ流用する事にした」


 手にしていた小さい鍵も首輪の方へと放って、陛下が寝台の端に腰を下ろした。


「希望を出した故、食事の用意も直ぐには出来ないだろうから、先に入浴でもするか?」

「あー…そうですね。皆、気を使ってくれて、結構な頻度でお湯を用意してくれたんですけど、私ってばゆっくりお風呂に入りたいかなぁ、やっぱり」

「分かった。少し待て」


 そう言って座ったばかりの寝台から直ぐに立ち上がった陛下は、部屋の外に居る人達に何かを言っていた。

 そして寝台の方へ戻ってきたなぁと思ったら、再び私を抱き上げる。

 浴場に向かう為だろう、陛下が部屋を出ようと歩きだした。


「あのあの、陛下? 私ってば捻挫も治って歩けますし、一人でお風呂に行けますけど」

「…………」


 そんな私の言葉は華麗に無視された。

 その理由は何故だかさっぱり分からなかったけれど、まあいいか、と大人しく陛下専用の浴場に抱っこで連れていってもらって、そこで発覚した事は。


「え……あのあの、あのね? ちょっと聞いてみてもいい?」

「なんだ」

「あのさ、陛下も入るの?」

「ああ」

「ああって! え、私と一緒に入るつもりなんですか?」

「なにか悪いか。無駄に時間を使う事もなく効率的だろう? 余もここ最近の事で疲れが溜まっているし、体の汚れを落とし、食事をして、早く寝たい」

「あー…そうなんだぁ。じゃあ、仕方ないか! ほいじゃ、パパッと入っちゃいましょう!」

「……それでいいのか、お前は」


 浴場の隣の豪華な空間に到着後、陛下による抱っこが解除された私は、言葉通りにパパッと村人女子仕様の服を脱ごうとスカートのウエスト部分に手を掛けた。

 その途端、私にとっての重大な事を思い出す。


「あ、そうだ! ねね、陛下!」

「どうした?」


 軍靴轟く悪の大帝国魔皇帝仕様の服の首元をサクサクと寛げ出した陛下の前に立ちはだかり、私は彼に問題の箇所を向けた。


「私ってばさ、この服、自分で脱げないんでした!」

「は?」

「脱げないんです。この腰のヤツとボタンが自分で上手に外せなくて。だから山小屋の時にはミヒェルに脱がせてもらったし、それ以外の時はユーリウス少年がやってくれたし、クラウディウスさんのお城に居た時にはさ、ドレス姿だったんですけど、着替えはほぼ全部クラウディウスさんがやってくれたんですよね」

「…………」

「そうそう、あとクラウディウスさんがどうしても来れない時は、灰色の瞳の男の人もやってくれました。クラウディウスさんの護衛か何かだったのかなぁ? ちょっと彼の立場は分からず終いだったんですけど、愛想を振り撒く感じの人では無かったかな。野外料理が得意そうでした」


 そういえば結局、灰色の瞳の彼の名前は分からなかったなぁ、それすら聞かなかった私も私だけど、あの時は色々といっぱいいっぱいだったしなぁ、と言葉を続けていると、整った黄金の眉を中央に寄せた陛下が私の村人女子仕様の服のボタンから外しだした。


「ありがとうございます」

「それではお前は其れらに大人しく着替えに手を出させていたという事か?」

「そうですよ? だって仕方ないじゃん。自分で脱げないんだもん。この村人女子仕様の服は上手くボタンすら外せないし、クラウディウスさんのお城で着せられていたドレスは自分で脱ぐ事は出来そうだったけど、着方はよく分からなかったしでさ。陛下だって異世界のドレスや服が私に脱ぎ着できると思わないでしょ? 私にとっては異世界の服ですよ? それにクラウディウスさんも自分でやってとか言わなかったしさ」

「…………」


 パサリと村人女子仕様の長い丈のスカートが下に落ちた。

 陛下がウエストのホックを外してくれたからで、複雑仕様のボタンも既に外してもらっていた私はブラウスもその勢いで脱ぐ。

 村人女子仕様の服の中身は勿論『い・ち・ご』のブラとショーツで、私はその姿で陛下の前に仁王立ちになった。

 私でも外せる向こうの世界仕様のブラのホックを外す為に背中に手を回す。


「やってくれる人が居るんだったらさ、やって貰えばいいと思うんですよ、私ってば。まあ、基本的にですけど。それに私の場合さ、胸も小さいし、今回の事で更に無くなっちゃったから隠すものでも全くないですしね? あ、そうだ、思い出したんですけど、銀色の髪のオジサマに胸を触られたんですけどね? その人に驚く程に胸が無いって言われました。あの人、誰だったんだろう? エインズワースさんが頭を下げていたから、そこそこ偉い人だったのかなぁ?」


 眉を中央に寄せ続けている眼前の陛下の黄金の頭上に、私は外した『い・ち・ご』のブラをポフリと載せた。


「はい、王冠」


 Aカップだから獣耳のようにはならなかったけれど、陛下の黄金の髪にブラ王冠は予想以上に映えた。向こうの世界でいうインスタ映えだ。

 なんだか衝撃を受けたような顔をして固まってしまった陛下を面倒臭いから放置する事に決めて、ショーツもさっさと脱ぐと、床に落ちたままの村人女子仕様の服を拾って其れをくるんで丸めて、いつもリーザ達が汚れ物を入れていた籠に放り込んだ。


「んじゃ、へ・い・か! 私ってば先に入って待ってますね!」


 久しぶりにまったりと落ち着いて入浴が出来そうなのに、私はウキウキな気分で浴場に足を踏み入れた。








「お、おおぅ」


 陛下を置いて先に浴場に入った私は、圧巻な光景に思わず唸ってしまった。

 ただでさえ豪華仕様の陛下専用の浴場であるのに、今は日本の神社の花手水のように色とりどりの大小様々なお花で埋め尽くされている。

 花が浮かべられているのは攫われる前もそうだったから特に珍しくもないのだけれど、でも今日はデザイン的にかなり考えられている感じだった。

 私は体を流して花手水仕様のお風呂にソロリと足から入る。


「これは帰還を歓迎してくれているって事なのかな? ありがたいよね。ちょっと凄すぎるけど」


 肩まで浸かると、湯加減は丁度良い感じだった。

 私はホッと一息つく。

 疲れと、攫われてからの出来事への心の凝りが次第に軽くなっていく気がした。

 色々な事があった。本当に色々な事。

 私は浮かべられている花々の一つを両手で掬って匂いを嗅いだ。


「いい匂い」


 そんな風に寛いでいると、新たな人物が浴場に入ってくる音がする。

 陛下だ。

 湯に浸かりながら後ろを振り向くと、世界的な美術館に納められている彫像レベルの肉体美を惜しげもなく堂々と晒して何処も隠さない国王様が近づいてくる。

 そんな彼を見て私は、やっぱりなぁと呆れの溜息をついた。


「なんだ」


 やはりまずは体を流して陛下が湯の中に入ってきた。

 浮かべられている綺麗な花々を鬱陶しそうに手で避けて、私の隣に座る。

 陛下も一息ついて、此方へと視線を向けた。


「陛下もさ、隠さないなぁと思って」

「も、だと?」

「はい。王様とか王子様とかいう存在ってさ、やっぱり小さい頃から皆にお世話され慣れてるから、羞恥心っていうのが無いのかなぁって。まあ、私もあんまり隠さないですけどね、胸が小さいから」

「……どういう事だ」

「え? どういう事って?」

「お前がそう思う事があったという事かと聞いている」

「ああ、はい。ありました。私ってば、クラウディウスさんとほぼ毎日一緒にお風呂に入っていたので」

「…………っ」


 パシャリと湯が音を立てた。

 陛下が身動きをしたようだ。

 たくさん浮かべられている花々が揺ら揺らと湯の表面を動く。


「何故」

「え? 何故と言われても。私ってば向こうのお城で目が覚めたのはいいんですけど、結構、筋力が落ちていたんですよね。クラウディウスさんが居なかったらお風呂どころか歩く事もままならなかったし」

「使用人は」

「うーん、正確な理由は今も分からないんですけど、なんか私、侍女さんっぽい人達に最初から嫌われてたみたいで、クラウディウスさんが怒って遠ざけちゃったんですよねぇ。だもんで、着替えもお風呂も歩行練習も食事も諸々全てをクラウディウスさんが手助けしてくれて。あ、そうそう、トイレ、排泄もね、なんかもう手伝ってくれて、私ってば流石にどうしようかと思っちゃったというか」

「…………」

「お風呂はね? クラウディウスさん、王子様じゃん? だから補助は此れ迄やった事が無いから下手かも、服を濡らすけれど気にしないで、って最初に言い出して、じゃあ、一緒に入ろう? って結局なって」

「……その流れが理解できない」

「そうですか? 普通だと思いますけど」


 先程掬い取った花とは別のものを私は手に取った。

 匂いを嗅ぐと、その花も良い香りがする。

 掬い取った花を陛下に「はい」と差し出してみると、彼は条件反射といった様子で花を受け取った。


「クラウディウスさんさ、なんか天然なところがある人なんですよね。陛下と同じで全裸を隠しもしないんですけど、陛下よりも凄く純粋っていうか」

「…………」

「陛下さ、髪の毛と一緒で下の毛も黄金じゃん? クラウディウスさんもそうでさ。キラキラの銀色の髪の毛と一緒で、彼の下の毛も綺麗な銀色なんですよね。体毛の神秘を改めて感じました、私ってば」

「…………体毛の神秘だと?」

「はい。んでね? 私がね、その神秘に感動してクラウディウスさんの下の毛を見ていたら、クラウディウスさん、興味があるのなら別に触ってもいいけれど、って言ってくれて」

「っ!」

「王子様って、皆、あんな感じなんですかね? 私ってば、ちょっぴり驚いちゃって」


 再びパシャリと湯が音を立てた。

 今さっき私が渡した花を陛下が投げたのだ。


「……それで触ったのか、お前は」

「え? はい、触りました。興味があったので。クラウディウスさんも触っていいよって言ってくれたしさ。本当に凄く綺麗な感じの銀色の下の毛でね? 私ってば、その銀色の下の毛を触って、ネジネジして、ちょっぴり引っ張ってみたりして」

「…………っ」

「その時にね、クラウディウスさん、君は首から下の体毛が無いんだね、って聞いてきたから、異世界に来る前の年に脱毛処理をしてもらったから生えてないんですよ、って教えてですね。ママのお友達の滋岳さんのね、娘さんがその手のお仕事をしていて、ママの娘って事で無料でやってくれたんですよね。もう本当に良かったですよ、異世界に来てまでムダ毛を気にしなくて済んで。まあ、そんな話をしていたら、クラウディウスさんが、もう生えてこないの? って聞いてきたんで、多分って答えて、触ります? って聞いたら、いいの? って言うから、はい、どうぞって」

「色々とおかしいだろう、小娘!」

「別に全くおかしくはないですよ?」

「それでどうしたんだっ」

「え? 触らせましたけど」

「何処を?!」

「脇と足と下の毛が生えてた辺り。クラウディウスさん、凄い、って関心してました」

「小娘っ」


 陛下の紫の瞳がギッと私を睨んだ。

 そんな彼に私は訳が分からずに小首を傾げる。

 良い香りがする浮かべられた花々が湯の動きに揺らめいた。


「あ、それでクラウディウスさんね? 私が彼の銀色の下の毛をネジネジし続けていたらさ、突然、慌てた感じで手首を押えてきたんですよね。んで、もうそれ以上は、って顔を赤くして言ってきてね? もうちょっとネジネジしたかったのに止めさせられて残念というか、やっぱり王子様でも恥ずかしくなってきちゃったのかなぁ?」


 ネジネジだし、と言葉を続けると、陛下が私の両肩をガシリと掴んだ。


「え、ちょっと、なんですか? 微妙に痛いんですけどって、うわっ!」


 陛下が掴んだ私の肩を後方へと押した。

 いきなりの事で、当然、私は体勢を崩す。

 私の後方といえば花々が浮かぶお風呂の湯しか無い訳で―――。


「何がネジネジだ! 手首を押え止められて、お前は本当に其れが羞恥による行為だと思うのか?!」


 湯の中に私は沈んだ。

 ボコボコという気泡が立つのを感じる。

 水中に入るのに空気を肺に溜められなかったから、私は直ぐに起き上がろうとするけれど、陛下も私の肩を押え続けながら湯の中に潜ってきた。

 私は陛下に噛みつくようなキスをされる。

 ボコリと気泡を発生させながら深く唇を合わせられ、空気を求めて苦しさに開いた私の口に彼の舌が強引に捻じ込まれられた。

 陛下の舌が私の口の中で蠢くけれど、もう湯なのか舌なのか何がなんだか分からなくなってきて、陛下の胸を両手で押した時、私は彼に湯の中から引き上げられる。


「けほっ」

「…………」

「ちょっと、いきなり何するんですか?! すっごく苦しかったんですけど!」

「己の胸に聞いてみれば良いのでは?」


 怒り気味な声音で陛下はそう言って、私の濡れまくった髪の毛にトリエス製のシャンプーをドバドバとかけた。

 水中でキスなんてするもんじゃない、私の人生の辞書に加わった出来事である。



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