第157話




 眼前の物騒な代物にミヒェルは固まったようだった。

 私はというと、好くも悪くもここ最近の事で慣れてしまっていて、直ぐに持ち主の方へと視線を向ける。

 厳しい色を宿した亜麻色の瞳と目が合った。


「―――ディルクさん」


 私が声を発した瞬間に、ディルクさんが脱力したようにその場にしゃがみ込んだ。

 ちなみに抜き身の剣は直ぐに鞘に収める事もなく、力が抜けたような手にダラリと持ったままだ。


「……何なんですか、男の部屋に泊まって彼氏の服を着てみた彼女といったような其の貴女の姿はっ」

「え? この服の事ですか? だって私の村人女子仕様の服、雨に濡れちゃったし破れちゃったしだったんで、ミヒェルが貸してくれたんです。あ、彼、ミヒェルって言って、パピヨン村の村長さんの息子さんです!」

「ミヒェル? ミヒェルさんではなく、ミヒェル?」


 ブツブツとした感じで何故か恨めしそうに呟くディルクさんに私は首を傾げると、ディルクさんに次いでミヒェルの山小屋に大勢の騎士さん達が続々と入り込んできた。

 まず入ってきたのはヴィルフリートさん。そしてその後に続くのは、あまり面識の無い騎士さん達だ。

 彼らは一様に同じような状態だった。

 そんな彼らを眺めているとヴィルフリートさんと目が合って、ヴィルフリートさんは口を微笑みの形にしてはいたけれど、彼の碧い瞳が微塵も笑っていないのに私は慌てて目を逸らした。

 なんか怖い。

 とりあえず私は、今、最大に気になっている事を聞く事にした。


「あのあの、ディルクさんもヴィルフリートさんも他の騎士さん達も泥まみれで物凄く汗臭いし、全体的にボロボロっていうか、一体どうしたんですか? 何があったの?」


 山小屋内の空気がビキッと凍った。

 その何とも言えない圧にミヒェルが少しだけ彼らから身を引く。

 先程まで二人でレモンバームティーを飲みながら和やかな空気に包まれていた山小屋内は今、騎士服に泥を撥ねかせて酷く汚した彼らのモアモアとした熱気と汗と体臭で、真夏の体育会系男子が運動を終えて更衣室に集合しました的な様相となってしまっていた。

 正直に言って、今直ぐに換気したい気持ちでいっぱいだ。

 これがホルガーさんの言っていた、遠征中の野郎共の酷い臭い、なのかもしれない。


「誰のせいだとっ……いや、此方にも非はありますよ? でも、貴女の非も大いにあると俺は思うんですよ。どうして居なくなったんです?」

「あー…小山の端から落ちた感じ? 落ちて気づいたら皆が居ないなぁって」

「……当然、その場で一度は大声をあげて助けを求めてみたんですよね?」

「え? 誰も見当たらないのに何で大声をあげる必要が?」

「何故、落ちた場所から動いたんですか」

「だって、誰も居ないのにずっと其処に居ても仕方ないですよね? だから歩いてみただけですけど」

「………………怪我は? その足の包帯は何です?」

「あ、これ? 落ちた時にね、両足の後ろ側を盛大に擦りむいちゃって。皮が捲れるくらいに! んでね、ミヒェルに山で遭難中に会って、昨日、この山小屋に連れてきて貰ったんです! ゴハンを作ってくれたり、服もね、私ってば上手く脱げなくて着替えを手伝って貰って、んでんで、ミヒェルね、私の足も手当をしてくれて! ディルクさん、ミヒェルって凄いんですよ! 薬草をね、調合できるんです! ゴリゴリって!」


 そんな私の報告の言葉に、ディルクさんが剣を手にしていない方の手で顔を覆った。


「怪我っ! それに加え、男と一晩二人きりとか! 俺、もう詳細報告を送っちゃいましたよ! 痕が残るような怪我なんてしてないですよね?! 実は他にも決して言えない失っては非常に拙い致命的な傷があるとか勘弁してくださいよ?! 珍獣様、貴女、陛下の前で自分は未経験だ何だと堂々と宣言されていましたよね?! 足の傷に関しては後で必ず見せてもらいます!」


 物凄く深い溜息をディルクさんはついて、覆っていた手を顔から離すと、抜いたままだった剣を鞘に収めた。

 彼の一連の動作を私は眺めていたけれど、泥まみれのディルクさんにとっても指摘したい事があった。


「ディルクさんさ」

「何です」

「ミヒェルの山小屋は土足厳禁なんですけど。ディルクさんが泥だらけの靴で上がったから、床がドロドロになっちゃったじゃん!」

「……どうでもよくないですか、そんな事」

「どうでもよくなんてないですよ! ミヒェル、ごめんね? 私ってば床掃除するね。でも、やっぱ靴を脱ぐ生活っていいよね! ねねね、ミヒェル、一緒に住む家って土禁?」

「……一緒に住む家?」


 ディルクさんが疲労困憊といったような声音を出した。


「え? あ、そうそう! あのね、ディルクさん」

「……はい」

「私ってばね、ミヒェルと結婚する事にしました! 一緒にね、パピヨンの創作料理屋さんを営む事にしたんですよ! 私は給仕で働きます! でね、子供の人数はね、」

「いや、ちょっと待ってください。待って貰っていいですかね? 何を言い出したんです、貴女は! たった一晩で結婚ってなんです? どうしてたった一晩で結婚相手が見つかるんですか! 俺、知っているんですよ? 面倒になりそうだから陛下には敢えて報告はしなかったんですが、貴女がダルスアーダ王から陛下との関係が拗れたらおいでと、ハレムに迎え入れてもいいと言われている事を! そう向こうの配下がわざわざ俺に教えてくれましてね! ガルダトイア神王親子にダルスアーダ王! 王と王子が防げて何故村人! 陛下を含めると、国王三人に王子、そこに村人ですよ! 普通じゃないです! どれだけ引っかけてくるんだって話ですよ! ただでさえ溜まって解消しない疲れに止めを刺されましたよ、俺は! 珍獣様、貴女に!」

「ディルクさん、あの、大丈夫ですか? 何をそんなに発狂している感じ? 私ってばね、ディルクさん早口だし意味がちょっとよく分からなかったというか」


 何に憤慨しているのか捲し立てるように言うディルクさんに、私は意味不明でキョトンとしてしまった。

 こういう場合、どうしたらいいのだろう?

 とりあえず落ち着かせる為に、ミヒェルが淹れてくれたレモンバームティーでも飲んでもらう?

 そんな風に考えて、ミヒェルにお茶が残っているか聞こうとすると、それまで黙っていたヴィルフリートさんが私の背後に近づき、膝をついた。


「つまりこういう事を言っているのですよ」

「ヴィルフリートさん?」


 シュルリと首元のリボンが解かれた。

 それはユーリウス少年が首輪を隠すために巻いたリボンで、解かれたリボンがはらりと床に落ちる。

 首輪の姿が露わになった瞬間、ミヒェルの目が見開かれた。

 驚いている様子の彼に、説明をしないといけないと私は口を開こうとする。

 けれどその時、カチリと首の後ろで音がした。次いで、ジャラリと。


「え?」

「持ってきておいてこれほど良かったと思ったものはないですね。ちなみに首輪に取り付けた黄金の鎖は宰相殿からの提供品です。今回は携帯用として細めですが、太く重量級の鎖も渡されていますよ。宰相殿曰く、貴女の体に巻き付ける拘束具として使えと」

「く、鎖? 拘束具って?」


 クイッと鎖が引っ張られた。

 当然のことだけれど、鎖と繋がった首輪をつけている私は、引っ張られた方向へと体が倒れる。

 後方へと体を倒した私を、背後に居て鎖を引っ張った張本人のヴィルフリートさんが受け止めた。


「初めからこうすれば良かったんだよ、ディルク。神が付こうが珍が付こうが、話の通じない獣には鎖を。君は趣味が悪いと言っていたけれどね。後は調教師の陛下にお任せしよう」


 ジャラリと手にしている鎖の音を立てながら、ヴィルフリートさんが私を陛下がするように米俵担ぎで持ち上げた。


「珍獣様? 陛下? じゃあ二十七歳の飼い主って、」


 そんな私とヴィルフリートさんを見上げながら、驚きに満ちた声音でミヒェルがポツリと口にする。

 彼の言葉にヴィルフリートさんが見下ろしながら答えた。


「おや、そこまでは話しているの。そう、彼女の飼い主はこの国の頂点。トリエス王国国王陛下の事だよ。この村には今、珍獣様である彼女と、彼女を護衛する王国騎士団の第一、第三、第五十一と他が滞在中でね。そこに所属の全騎士達が昨夜一晩死に物狂いで豪雨の山中を探していたという訳。保護してくれたのだろうけれど、とりあえず君は連行ね。陛下が五月蠅くおっしゃってきたら釈明は君に任せるから宜しく」


 ヴィルフリートさんはそう言って私を担ぎながらスタスタと山小屋を出て、ディルクさんは再び深い溜息をつきながらミヒェルの腕を取った。



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