第155話
物音がして目が覚めた。
あれから私は寝てしまったようで、起床して音のした方へと視線を向けると、ミヒェルが食事を作っているようだった。
囲炉裏もどきの支えの上に鍋を置き、何かをグツグツと煮ている。
私は足を庇いながら起き上がる。
それに気づいたミヒェルが私を見て目を細めた。
「ごめん、起こしちゃったね」
「ううん、大丈夫。私ってば、いっぱい寝た気がする。おはよう」
「おはよう。今、朝食を作っているから、もう少し待ってて」
「うん、ありがと」
「小降りにはなったけど、雨はまだ止んでいないよ。止むのは昼過ぎだと思うから、やはり村への出発は早くても明日かな。泥濘具合にもよるけどね」
「そっか。ねね、ミヒェル、何を作っているの? 匂いが美味しそう!」
匂いに釣られて私が鍋を覗き込もうと身を乗り出すと、「危ないよ」とミヒェルがやんわりと私の体を押さえた。
それでも見えた鍋の中身は、くったりとした白い粒と何かの葉っぱ、それとナッツだ。
「ミルク粥だよ。最後の仕上げにパピヨンを入れて終わり」
そんなミヒェルの言葉に勿論私は狂喜乱舞だよ!
「お粥! 凄く嬉しい! 私ってば、トリエスに来てからお粥って一度も食べてないかも!」
「そうなの? そんなに珍しいものでは無いと思うんだけどなぁ」
「うーん、パン粥なら出された事はあるかなぁ。前にね、食あたりを起こした時に」
「食あたりにパン粥かぁ。ああでも、王都の方ならそうかもしれない。居候先の屋敷は王都にあったの?」
「うん、王都だよ。なんかね、居候させてもらってた所は何かと保守的なんだって。希望を出しておけば用意してくれるって言ってたけど、そういえば結局、お米に関しては言わなかったなぁ」
お米料理は出なかったけど、豊富なメニューの美味しい料理が常に出されていたしね?
パンもとっても美味しかったし、それこそ陛下の大好きな甘っこい菓子パンまで常時網羅されていた訳だし。
そんな事を思い出しながら鍋の中のミルク粥を見つめていると、ミヒェルが傍らに準備してあった木製のお皿を手に取った。
どうやら出来上がったようで、彼はミルク粥を皿によそって小さくカットした生パピヨンを散らす。
次いで小瓶を手に取ると、中身のトロリとしたものを粥に円を描くように垂らした。
「それは何?」
「パピヨンのジャムだよ。この村の店でも土産物として売ってる。王都の店にも置いてあると思うよ? 王都の商人とも取引があるから。パピヨンは性質上、加工しないとならないからさ。村としては試行錯誤で色々と考えてるよ」
「パピヨンジャム、美味しそう! 私ってば初めて食べるよ! すっごい楽しみ!」
ミヒェルが私に熱々ミルク粥の入った木製皿を手渡してくれた。お皿には木製スプーンも差し入れられている。私はスプーンを早速手に取って粥をすくい、ふぅふぅと熱を冷ましながら口に入れた。
「美味しい! とっても美味しいよ! 私ってば幸せ! お粥万歳!」
「良かった。それにしても、王都ではまだパピヨンのジャムの認知度が低いみたいだね。努力しないとなぁ」
パピヨンのミルク粥を木製スプーンでクルクルと回しながら肩を落として呟くミヒェルに、パクパクお粥を食べていた私が訂正の為に首を振った。
「私は全く参考にならないよ! 王都の街に出たのは二回だけだし! お店も一つの飲食店に入っただけだしね!」
トリエスの女性に素敵なランジェリーを! をコンセプトにした『い・ち・ご』王都ヴィネヴァルデ第一号店は、敷居を跨げなかった時点で入店数としてはノーカウントだからさ。
見学したかったな、『い・ち・ご』のお店。
「……街に出たのは二回だけ?」
「そうだよ」
「何で?」
「うーん、外出禁止な感じ? 飼い主が許してくれないと外に出られなかったの。二回目の外出は許可交渉に二週間くらいかかったし」
「どうしてフェリシアはそれを良しとしているの」
「え? うんと、初めにそういう約束だったのかなぁ? 危ないって言われたんだったっけかな?」
「難民で平民の君が?」
「うん。まあ、性格が極悪だったから、飼い主。顔だけは良かったんだけどね。お金も有り余ってるみたいだったし。地位権力財力美貌があって性格が駄目って感じの人っていうか」
「聞いている限り、あまりいい種類の人間には思えないけど、僕には。暴力は奮われなかった?」
「暴力? うーん、振るわれたといえば振るわれた事はあるのかなぁ?」
蟀谷をグリグリされたり、腰をホールドされて顎をギリギリされたりしたしね? あ、アイアンクローもされた事があったような気が! 陛下め!
でもまあ其のくらいだったかな?
考えつつ質問に答えて私が首を傾げていると、ミヒェルの眉間に深い皺が寄った。
「なんでそんな男が好きなの。監禁されて洗脳でもされていたとしか思えないよ。それで、外出も許されなかった君が何故この辺境の村に来れたの?」
「あー…それは、うーん、誘拐なのかなぁ? 飼い主と仲の悪そうな人達に無理矢理に攫われたっていうか。んで、飼い主の部下に助けてもらって、今、此処に居る感じ?」
「……何それ」
「あ、でも仲の悪そうな人達は基本的に良くしてくれたから、私自身で言えば大丈夫だったよ? ただ理由がね、結局、色々と分からなかったというか。やっぱりとばっちりだったと思うんだよねぇ。たくさん恨み買ってそうだし、飼い主。性格が最悪だからさ。中身は野菜嫌いのオコチャマなんだけどね?」
「やはり僕はその飼い主からフェリシアが一刻も早く離れる事をお勧めするよ」
「うん、それはもう決心した。私ってば難民申請して、自活への道を邁進するつもりだよ! ねねねねね、それよりさ、ミルク粥、温かいうちに食べよう? こんなに美味しいんだし!」
「そうだね。その男の話は止めよう」
それから二人で黙々とお粥を食べて、三杯くらいお代わりした私はオナカがいっぱいになった。
この世界に来てから初のお米のお粥による満腹感に満足感も半端ない。
食後にとミヒェルが淹れてくれた向こうの世界でいうローズヒップティーみたいなお茶を彼から受け取り、ほっこりした気持ちで少しずつ飲んだ。
「ミヒェルって料理上手なの? 料理もお茶も美味しいもん」
「ありがとう。そういうのではないと思うけど、パピヨンを使った創作料理の店を出したくてさ。色々と研究中なんだ」
「なにそれ、凄い!」
心からの私の言葉に、少し照れ臭そうな笑みをミヒェルが見せた。
「少しでも村の発展に貢献したくてさ。パピヨンを使った料理が知れ渡れば、村の加工品の需要も上がるかなと思って」
「ミヒェル、偉いなぁ。将来の事、いろいろ考えてるんだね。私ってば、そういう現実的なのは具体的に考えた事が無いかも」
「そうなの?」
「うん。妄想はいっぱいしていたんだけどね? 夢の妄想将来っていうか。でもそっかぁ。難民申請が通ったら、私ってば何して働こうかなぁ。現実問題として私に何が出来るんだろう?」
そう言って、うーん、と悩みながらローズヒップティーに口をつける私をミヒェルの青い瞳が向いていた。
ミヒェルは何かを考えているようだった。
そして少しして、口を開いては閉じてを何度か繰り返す。
ちょっぴりそれが気になった私は、ミヒェルに聞く事にした。
「どうしたの?」
「…………」
「ミヒェル?」
「……あのさ、フェリシア」
「うん、なになに、どうした?」
「フェリシアはさ、僕が出そうと思っているパピヨンの創作料理の店で働いてみてもいいかなって思う?」
「え、働かせてくれるの?! あ、でもでも、私ってば、料理ってあんまり出来ないよ? 練習はするつもりだけど、才能があるかどうかも不明というか」
「その場合、料理は僕が。フェリシアは給仕と会計かな」
「いいよ! 嬉しい! 私ってば、お金の計算くらいは出来ると思うよ!」
一応、高校の数学までの授業は受けたしね! 頭にそんなには入ってないけど、お金の計算くらいは全然余裕だよ! トリエスの通貨をちゃんと覚えれば大丈夫だと思う!
嬉しさのあまり私がニッコリとした顔で答えると、ミヒェルがホッとした様子を見せた。
「良かった」
「でも本当にいいの? 多分、私ってば、即戦力では無いと思うよ? 頑張るけどさ」
「それは構わないよ。あとさ、フェリシア」
「なに?」
「少し質問をしていい?」
「いいよ! どんどん聞いて!」
ミヒェルがローズヒップティーの追加を私のカップに注いでくれた。次いで自分のにも注ぎ、熱いはずなのに彼は一気に飲む。
それは大丈夫なの? と私は目を瞬きながら見つつも、就職面接なのかもと怪我をした足を気にしながら姿勢を正した。
「フェリシアは何歳?」
「私? 十八だよ。そろそろ十九歳になりそうなんだけど、誕生日があやふやになっちゃって」
「十八か。昨夜言ったけど、僕は二十だよ。フェリシアと二歳差だね」
「おおぅ、先輩後輩みたいな年齢差で丁度良い感じ?」
「そうだね」
ミヒェルがフッとした感じで笑った。彼の青い瞳を持つ目が優し気に細められる。
質問は続いた。
「フェリシアは僕に嫌悪感はある?」
「嫌悪感? 全然無いよ! 親切で優しい人だなぁって思う! あと料理が上手って!」
「生理的嫌悪だよ? 触れられたくないとか、そういうの」
「え? 大丈夫だよ? 昨日の夜、怪我の手当とか服とか髪とかやってもらったけど、そういうのは感じなかったもん」
「フェリシアは子供が欲しいと思う?」
「子供? うーん、女子高生という職業だった事もあって、あんまりちゃんと考えた事は無いけど、出来たなら出来たでって感じかなぁ? 学校も卒業が見えていたし。嫌いじゃないよ、子供。ただ、どうしていいか正直分からないってだけ」
「そっか。何人くらい欲しいとかある?」
「人数の話? そうだなぁ。経済的余裕があるなら別に何人でもいいかなぁ。特に其処に拘りは無いし、安産型とも言われたからなぁ」
「そうなんだ」
「うん。でも何で子供?」
「フェリシア、傷の手当をしようか。取り換えないと」
「え? あ、うん! 宜しくお願いします!」
使用済みの食器とカップを手早く片付けたミヒェルは立ち上がり、昨夜同様、ゴリゴリと薬草を擦り出した。
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